アンダンテ

浦登みっひ

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My Funny Valentine ジャンル:恋愛

The snow is dancing ―雪は舞っている―

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 東北の冬は厳しい。

 覚悟していたことではあるけれど、これまで関東より北に出た事のなかった箱入り娘の私にとって、真冬のぴりぴりと肌を刺すような寒さは非常に堪えた。東北の大学に進学し、東北に引っ越してきて初めて過ごす冬。寒さには人一倍強い方だと自負している私だったが、本格的な冬を迎えて、そのプライドは脆くも崩れ去った。
 秋までこだわっていたミニスカートもついに諦めた。マフラーで首を完全防備して、ロングコートを羽織り、機能性インナーを着込んでどうにか凌いでいるという有様だ。

 ある冬の日の、週末の午後。私は今、市内にある公園の広場を歩いている。市街地からそれほど離れていないため、見物に訪れる観光客も多く、また地元市民の憩いの場ともなっている公園だ。敷地内には灌木、針葉、広葉樹とふんだんに緑が取り入れられ、夏にはまさに市内のオアシスとなる。しかし、冬の到来と共に葉も枯れ落ち、ほんのりと雪化粧を施されて、夏とは違った趣の自然美を見せている。園内の要所々々には、著名な芸術家の手になる人間或いは動物を象った彫刻や銅像が建てられ、人工的に整えられた自然の中で、逆説的に生命の躍動感を主張しているようだった。
 雲が低く垂れ込める浮かない空模様ながら、週末のためか、予想していたよりも人出が多かった。家族連れ、犬を散歩させている老夫婦、大きなキャリーケースを引いた観光客。その人波の中には勿論、デート中のカップルと思しき数組の若い男女もいた。腕を組んだり手を繋いだり、ベンチで身を寄せあって語り合ったり、みんな幸せそうに微笑んでいる。
 ふと空を見上げると、どんよりと曇った灰色の空から、小さな粉雪が踊るように舞い降りてくる。私の吐く白い息が、ドライアイスのスモークのように雪のダンスをショーアップしていた。その様子を見て、私はふと、ドビュッシーの「The snow is dancing」を想起した。広場の中央に据えられた、台座に載った大きな母子の彫刻を、純白のヴェールが覆っていく。この母子像の前が待ち合わせ場所だった。母子像から少し視線を落とすと、彼はその台座の前に立っていた。

 瀬名瞬。

 同じ大学、同じ学年の男の子。
 見た目はどこにでもいる普通の青年だけれど、私にとっては特別な存在。

 彼は、私の親友である小雨の幼馴染だ。知り合った当初は彼の事を、小雨といつも一緒にいるオマケ程度にしか考えていなかった。それなのに、一緒に過ごす時間が増えていくうちに、いつの間にか、私の意識の大部分が彼の一挙手一投足に占有されるようになっていたのだ。
 彼と知り合ってから、私も随分変わった。例えば、私が『甘える』という行為を覚えたのは、彼のせいだと言っていい。昔の私は、恋人にべたべたと甘える女を見て、はしたない、バカみたい、という感情しか湧かなかった。でも、彼の気を引くために演技のつもりで始めた『甘え』という行動が、自分でも驚くほど心地よかったのだ(対象はもちろん瞬一人に限られるけれど)。今ではもう、どこまでが演技でどこまでが素なのか、自分でもわからなくなってしまっていた。

 小雨を交えて三人でいる事が多かった私達だが、去年の十一月半ばあたりから、小雨はコンビニでアルバイトを始めた。以前から店長と顔見知りの店舗だったそうで、面接すらなく採用が決まったのだそうだ。小雨は真面目だから、店長からの信頼も厚く、多めにシフトを組まれているらしい。
 瞬は、監獄島の事件でサークルが解散した後、どこか他のサークルに入るということもなく、元々それほど交友関係が広いわけでもないため、講義が終わると構内をぶらぶらしている事が多い。彼も最近家庭教師のバイトを始めたらしいのだが、あまり忙しくはなさそうだ。そのため、このところ放課後は二人で過ごす機会が多くなっていた。
 二人で喫茶店に入ったり、買い物に付き合ってもらったり、歩きながらだらだらと教授の悪口を言ったり。そして瞬はいつもボディーガードのように、私のマンションまでちゃんと送ってくれるのだった。
 試験も終わって大学は既に春休みに入っていたが、私達は連絡を取り合って何度かデートをしていた。その姿をどこかで見られていたらしく、知り合いの学生に会うと、

「西野園さんと瀬名くんって、付き合ってるの?」

 と聞かれる事が多くなった。口に戸は立てられないとはよく言ったもので、学内でもすっかり噂になっているらしい。それに対して、私はずっと曖昧な返答を返している。肯定はできないし、否定もしたくない。冬のお肌のようにデリケートな状態なのだ。瞬も時々同じ質問をされるそうだが、彼は「さあね」とか、「どうでしょう」とか、もっと露骨にはぐらかしているらしかった。嘘をついたり誤魔化す事だけは人一倍上手い瞬にしては、らしくない行動と言える。

 私と瞬が付き合っているという噂が立ち始めてから、周囲の反応もだいぶ変わった。
 まず、学内で私に言い寄ってくる男がめっきり減った。まあ、これは当然の反応だと言える。ただ一度、昨年の十二月頃、なんとなく髪をばっさりと切って前下がりショートボブにした頃に(まだ東北の冬をナメてかかっていた頃だ。この後一気に冷え込みがきつくなって、私は髪を切った事を後悔した)、失恋したと勘違いして声をかけてきた男達が少々いた。だが、失恋が勘違いだとわかると、潮が引いたようにすぐ引き下がっていった。
 男が寄って来なくなると、学内の女性から送られてくる視線にも明らかな変化が見られた。要するに、ちやほやされなくなった上に、人気のないどうでもいい男のところに落ち着いてくれたからだろう。以前と比べると、明らかに周囲の態度が軟化したし、話しかけられることも多くなった。

 さて、そうしてすっかりお膳立ての整った状況ではあるのだが、肝心の私達自身は、何度かデートを重ねても、なかなかもう一歩、友達以上の関係に発展しきれないでいた。瞬が優柔不断なだけなのか、それとも、恋愛対象としては見られていないのか。いや、もしかしたら、やっぱり小雨のことを……。
 様々な可能性が頭の中を駆け巡っていく。数式のようにカチッと答えが出る事もなく、どんな思考パターンを試してみても、瞬の心が読みきれない。そんなもどかしい日々を送っていた。

 私は、早る気持ちを抑えながらゆっくりと歩を進め、母子像の足元に辿り着いた。こちらに気付いた瞬が、じっと私を見つめている。こんな時、彼はいつもどんな事を考えているのだろう。今日の私は、彼の目にどんな風に映っているだろうか。気持ちの昂りを感じながら、瞬のパーソナルスペースに進入した。
「瞬、早かったね。ごめん、待った?」
「いや、俺もたった今来たところだよ」
 これは多分嘘。なぜなら、瞬の鼻頭がトナカイのように赤くなっているからだ。でももちろん、それを指摘したりはしない。
 瞬の出で立ちを見た私は率直に、結構頑張ったな、という印象を持った。
 黒いチェスターコートに、白とワインレッドのボーダーニット。黒のスキニーと暗めのブラウンのレザーシューズ。グレーのマフラーを巻いて、何より、珍しく髪をワックスで固めて立体感を出している。全体的にどこかの雑誌から丸パクリしたような装いではあったが、普段の彼のもっさりした格好から比べれば雲泥の差があった。
「なんか、今日の瞬、すごくいい感じ!」
 私のありきたりな褒め言葉にも、瞬は大いに照れた様子だった。
「そうかな……ありがとう」
そう言って、首を掻きながら目を逸らし、明後日の方向を見ている。とてもかわいい。

 そのまま彼のインティメイトゾーンに侵入した私は、ごくごく自然に、いや、自然に見えるように意識して、瞬の左腕に自分の右腕を絡めた。腕を組んでいる他のカップルを観察しながら、どこかおかしくないか、違いはないかと確認してみる。う~ん、おかしくないはず。いや、もっと密着するべき……?
 人前でこんなに接近するのは初めての事なので、瞬はちょっぴり驚いた様子だったが、身を引いたりはせず、照れくさそうにキョロキョロと視線を泳がせていた。この反応が、彼の気持ちを如実に表している、今日が特別な日だと理解しているのだ、そう信じたかった。でも、自分の気持ちをストレートに表現するのが苦手な瞬の事だから、いつも通りに過ごすだけでは、また何の進展も見られないかもしれない。
 今日こそ気持ちを伝えよう。私のほうから。そのために秘密兵器を準備してきたのだから。私は、左腕に提げたケリーバッグをちらりと見た。

 バッグの中には、ピンクの可愛らしい包装紙に包まれた小箱。さらにその中に、私が初めて作った手作りのチョコレートが入っている。

 今日は二月十四日。運命の日、バレンタインデーなのだ。
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