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京谷小雨の日常&Fall in the moonlight ジャンル:コメディ&ホラー
9月15日(9) 真紀
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軽く体を流す程度にシャワーを浴び終えた私は、洗面台の前で化粧を整えていた。
先にシャワーを浴びた瞬は、きっと今頃リビングで寛いでいることだろう。
今更になって、彼を部屋に招き入れたこと、その意味の重大さが、実感としてのしかかってきた。母の襲来が今日じゃなくてよかったとつくづく思う。
普段と同じメイクのはずなのに、鏡の中の私はどこかいつもと違っていた。
いつもより肌が白い。
いつもより口紅が赤い。
もちろんそれはただの錯覚だろうけれど、今の私を一言で表そうとするならば、まるで、そう、
『魔女みたい』
だ。
目を閉じ、胸に手を当てて、私はもう一人の私に問いかける。
止めるなら今のうち。
彼の声を聞いてしまったら、もう……。
答えは返ってこなかった。頭痛もない。
それが彼女の答えなのか。
徐に瞼を開く。鏡の中の魔女が薄気味悪い笑みを浮かべながら言った。
『罪深い女』
罪深い……?
『虚ろな魂だけの存在でありながら、親友の男を奪い、宿主の体を使ってたぶらかす。何と罪深い女だ』
「……うるさい……」
『本当は気付いていたのだろう? お前の親友とあの男が相思相愛だったと』
「知らないわ、そんなこと」
『一人前に恋がしたかった、だが、その美貌によって何もしなくても男を引き寄せてしまうお前が、ごく普通の恋をするためには、誰かから奪うしかなか「違う!!!」
私は魔女の声を遮り、黙らせた。記憶にある限り、私がこんなに大きな声を出したのは初めてかもしれない。
鏡の中の魔女は、もう笑っていなかった。全てはただの錯覚。そして幻聴。
私は魔女なんかじゃない。
鏡に映った私は、憔悴したようなひどい顔をしている。何を怖れているのか。
「真紀? 何かあった?」
リビングの方から、瞬の声。さっきの叫び声が向こうまで聞こえてしまったのだろう。
「ううん、何もないよ、ちょっと、化粧品の瓶を落としちゃって」
「大丈夫? 割れたりしてない?」
「うん、大丈夫。もう少し、寝室で待ってて」
「わかった」
瞬の気配が遠ざかる。
メイクの最後の仕上げをしながら、私は呟いた。
「私が私であり続けるために、私は魔女にだってなってみせる。それが私の答え」
バスタオルを体に巻いて寝室に向かうと、下着姿でベッドに腰かけた瞬が、ベランダに面した大きな窓から外を眺めていた。ここからなら瞬の家も見下ろすことができるけれど、今は暗くて見付けることができない。
「何も出てないよ」
「え?」
「ベランダの……ずっと見張っていたんだけど」
「きっと、今日はもう何も起こらないよ……そんな気がする」
「そうかな」
瞬の視線を追いかけながら、隣に座る。二人分の体重を背負ったベッドが、いつもより深く沈んだ。月は夜毎に大きくなっている。きっと明日は満月だろう。
この寝室も、一般の住宅と比べれば相当広いはず。でも、ベッドまで広いわけではない。
私のシングルベッドは二人が寛ぐには少し狭い。瞬の肩に凭れかかると、彼の体が俄に強張ってゆくのが手に取るようにわかった。
先にシャワーを浴びて待っていた彼の体は、上がりたての私よりだいぶ冷たい。
「ごめんね、待たせちゃって。寒くない?」
「いや、大丈夫」
「寒いって言って」
「……寒い」
私は彼の腕をとり、包みこむように抱き締めた。
「暖かい?」
「……うん」
そのまま、しばらく沈黙が流れた。水を打ったような静けさ。黄色いライトを点滅させながら、飛行機が月に向かって飛んで行く。静止した世界の中、まるであの飛行機だけが世界を動かしているみたいだった。
「参ったなあ……」
瞬がぽつりと呟いた。
「……え?」
「今まで、こんなにまともな状況で女の子と二人きりになったことがないから、 どんな話をしたらいいのかわからない」
「嘘」
「本当だよ」
「……ふふっ」
「なに?」
じゃあ、話題を提供してあげよう。
「私のどこが好き?」
「う~ん……かわいいところ」
「私がブスだったら嫌いなんだ」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どこが好き?」
「オシャレだし、明るくて元気をくれるし、表情がコロコロ変わって、見ていて飽きないし……」
「もし私がダサくて根暗で無表情だったら?」
「ん~……」
窓の外に向けられていた視線がゆっくりと移動し、私の瞳に注がれる。
「それは、もう真紀じゃない」
そう。そんなのはもう私じゃない。
私は、かわいいと言われるために生まれてきて、瞬に愛でられるために生きている。
全てが今夜のための伏線だったんだ。
それ以外の私は、もう私ではない。私以外の私。もう一人の私。
『どんな君でも愛せる』なんて嘘だ。
私は私が演じている私を愛してほしい。
「よくできました」
瞬の首を抱き寄せ、唇を重ねる。最終試験をパスしたご褒美。
彼は私の肩を抱いて、ガラス細工を扱うように優しく、ベッドに押し倒した。彼に組み敷かれるのはこれで二度目だけれど、今の私に、彼を拒む理由はない。
彼の手のひらが、まるで粘土をこねるみたいに私の全身を愛撫してゆく。
虚ろなる魂の器に過ぎない私は、こうして彼に造形してもらわなければ、この世に留まることすらできないのだ。
だから、
もっと私をこねて、
芯を穿って、
私を造ってほしい。
時には天使のように、時には魔女のように、
私はどんな形にでもなれる。
君にとって何よりも愛らしい人形に、
私はなりたい。
先にシャワーを浴びた瞬は、きっと今頃リビングで寛いでいることだろう。
今更になって、彼を部屋に招き入れたこと、その意味の重大さが、実感としてのしかかってきた。母の襲来が今日じゃなくてよかったとつくづく思う。
普段と同じメイクのはずなのに、鏡の中の私はどこかいつもと違っていた。
いつもより肌が白い。
いつもより口紅が赤い。
もちろんそれはただの錯覚だろうけれど、今の私を一言で表そうとするならば、まるで、そう、
『魔女みたい』
だ。
目を閉じ、胸に手を当てて、私はもう一人の私に問いかける。
止めるなら今のうち。
彼の声を聞いてしまったら、もう……。
答えは返ってこなかった。頭痛もない。
それが彼女の答えなのか。
徐に瞼を開く。鏡の中の魔女が薄気味悪い笑みを浮かべながら言った。
『罪深い女』
罪深い……?
『虚ろな魂だけの存在でありながら、親友の男を奪い、宿主の体を使ってたぶらかす。何と罪深い女だ』
「……うるさい……」
『本当は気付いていたのだろう? お前の親友とあの男が相思相愛だったと』
「知らないわ、そんなこと」
『一人前に恋がしたかった、だが、その美貌によって何もしなくても男を引き寄せてしまうお前が、ごく普通の恋をするためには、誰かから奪うしかなか「違う!!!」
私は魔女の声を遮り、黙らせた。記憶にある限り、私がこんなに大きな声を出したのは初めてかもしれない。
鏡の中の魔女は、もう笑っていなかった。全てはただの錯覚。そして幻聴。
私は魔女なんかじゃない。
鏡に映った私は、憔悴したようなひどい顔をしている。何を怖れているのか。
「真紀? 何かあった?」
リビングの方から、瞬の声。さっきの叫び声が向こうまで聞こえてしまったのだろう。
「ううん、何もないよ、ちょっと、化粧品の瓶を落としちゃって」
「大丈夫? 割れたりしてない?」
「うん、大丈夫。もう少し、寝室で待ってて」
「わかった」
瞬の気配が遠ざかる。
メイクの最後の仕上げをしながら、私は呟いた。
「私が私であり続けるために、私は魔女にだってなってみせる。それが私の答え」
バスタオルを体に巻いて寝室に向かうと、下着姿でベッドに腰かけた瞬が、ベランダに面した大きな窓から外を眺めていた。ここからなら瞬の家も見下ろすことができるけれど、今は暗くて見付けることができない。
「何も出てないよ」
「え?」
「ベランダの……ずっと見張っていたんだけど」
「きっと、今日はもう何も起こらないよ……そんな気がする」
「そうかな」
瞬の視線を追いかけながら、隣に座る。二人分の体重を背負ったベッドが、いつもより深く沈んだ。月は夜毎に大きくなっている。きっと明日は満月だろう。
この寝室も、一般の住宅と比べれば相当広いはず。でも、ベッドまで広いわけではない。
私のシングルベッドは二人が寛ぐには少し狭い。瞬の肩に凭れかかると、彼の体が俄に強張ってゆくのが手に取るようにわかった。
先にシャワーを浴びて待っていた彼の体は、上がりたての私よりだいぶ冷たい。
「ごめんね、待たせちゃって。寒くない?」
「いや、大丈夫」
「寒いって言って」
「……寒い」
私は彼の腕をとり、包みこむように抱き締めた。
「暖かい?」
「……うん」
そのまま、しばらく沈黙が流れた。水を打ったような静けさ。黄色いライトを点滅させながら、飛行機が月に向かって飛んで行く。静止した世界の中、まるであの飛行機だけが世界を動かしているみたいだった。
「参ったなあ……」
瞬がぽつりと呟いた。
「……え?」
「今まで、こんなにまともな状況で女の子と二人きりになったことがないから、 どんな話をしたらいいのかわからない」
「嘘」
「本当だよ」
「……ふふっ」
「なに?」
じゃあ、話題を提供してあげよう。
「私のどこが好き?」
「う~ん……かわいいところ」
「私がブスだったら嫌いなんだ」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どこが好き?」
「オシャレだし、明るくて元気をくれるし、表情がコロコロ変わって、見ていて飽きないし……」
「もし私がダサくて根暗で無表情だったら?」
「ん~……」
窓の外に向けられていた視線がゆっくりと移動し、私の瞳に注がれる。
「それは、もう真紀じゃない」
そう。そんなのはもう私じゃない。
私は、かわいいと言われるために生まれてきて、瞬に愛でられるために生きている。
全てが今夜のための伏線だったんだ。
それ以外の私は、もう私ではない。私以外の私。もう一人の私。
『どんな君でも愛せる』なんて嘘だ。
私は私が演じている私を愛してほしい。
「よくできました」
瞬の首を抱き寄せ、唇を重ねる。最終試験をパスしたご褒美。
彼は私の肩を抱いて、ガラス細工を扱うように優しく、ベッドに押し倒した。彼に組み敷かれるのはこれで二度目だけれど、今の私に、彼を拒む理由はない。
彼の手のひらが、まるで粘土をこねるみたいに私の全身を愛撫してゆく。
虚ろなる魂の器に過ぎない私は、こうして彼に造形してもらわなければ、この世に留まることすらできないのだ。
だから、
もっと私をこねて、
芯を穿って、
私を造ってほしい。
時には天使のように、時には魔女のように、
私はどんな形にでもなれる。
君にとって何よりも愛らしい人形に、
私はなりたい。
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