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京谷小雨の日常&Fall in the moonlight ジャンル:コメディ&ホラー
9月16日(3) 小雨
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「ちょっと小雨ちゃん〜、それ以上飲んだら帰れなくなるとよ〜?」
「らいじょーぶらいじょーぶ、これぐらい」
後輩の梨子ちゃんに凭れかかり、ぐでんぐでんに酔っ払っている私。
今日は朝から気分が最悪だった。
瞬が私をほっぽりだして真紀のところに行っていたから?
それとも、瞬が私に嘘をついたから?
両方だよ畜生!
めちゃくちゃ質素な朝食(ごはんと梅干しのみ)を見て瞬もようやく事態に気付いたらしく、必死に機嫌を取ろうとあちこち触ってちょっかいを出してきたが、時既にお寿司。むしろ逆効果だっつの。
「触るなボケ!」
の一言に怖じ気づいたのか、それから瞬は一言も発しなかった。
登校の際も授業の間も、会話はゼロ。『何かあったの?』と真紀に心配される有り様だった。
放課後、今日はバイトが休みだったため、私は久しぶりに、所属している文芸サークルに顔を出した。そこでばったり梨子ちゃんに遭遇したのだ。
まあ文芸サークルというぐらいだから、地味な顔触れが多い。私を含めてね。運動部にはユニフォームというものがあるけど、文芸サークルの場合、メガネがそれに相当すると言っていい。
普段はコンタクトを入れている梨子ちゃんも、サークルに参加する時はいつもメガネをかけている。メガネといっても、私や他のメンバーみたいに味も素っ気もないものじゃなくて、フレームに蝶があしらわれた、洒落たデザインのメガネだ。どこかのブランドものだと聞いた気がするが、英語だったから忘れてしまった。
ここまでの説明を聞いて、読者の皆様もピンときたのではないか。そう、梨子ちゃんはいわゆる『オタサーの姫』なのである。
以前述べたように女子受けが悪く男受けがいい梨子ちゃんだが、彼女は基本的に天真爛漫ないい子だから、相手がオタクだろうがなんだろうが分け隔てなく接する。だから、オタクにも非常にモテるのだ。
梨子ちゃんがデリでバイトしているという噂は結構広範囲に知れ渡っていて、処女信仰の厚いオタク的にはどうなのかと思わなくもないが、彼等の理屈はこうだ。
『デリって口だけでしょ』
なるほど矛盾はしていない。処女がいきなりデリで働くわけがないと普通は考えそうなものだけど、まあ彼らがそう思うんならそうなんだろう、彼らの中ではな。
さて、そんな梨子ちゃんを連れて居酒屋に来た私である。ちなみに、二人とも未成年。
「小雨ちゃんどうしたと〜? 珍しいね、こんなとこよう来るの?」
「あんまり……基本、宅飲みだから」
今日だってできれば家で飲みたかったけど、瀬名家には帰りたくないし、うちに帰ったら瞬のことを訊かれるに決まっているから、仕方なくこうしているわけ。一人はさすがに辛いから、梨子ちゃんと一緒に。
「何かあったと?」
「……ごめん、言いたくない」
「そっか、じゃあ何飲む〜?」
恐ろしく口が軽い梨子ちゃんだが、その一方で、こちらがはっきり『言いたくない』と意思表示したことに関しては、それ以上追及も詮索もしないし、それが尾を引いてわだかまりが残るということもない。非常にさばさばした性格の持ち主なのだ。だから、私にとってはとても付き合いやすい。
梨子ちゃんとは、最近読んだ本のことで話に花が咲いた。
一昔前の文豪、夢野久作とか、太宰とか、漱石とか、川端康成とか、そこら辺が守備範囲の私に対して、梨子ちゃんは割と流行りの女性作家を読んでいる。本谷有希子とか、川上未映子とか、エトセトラ。一見話が噛み合わないように思われるかもしれないが、自分の好きなものについてトコトン語って、それでもドン引きしない相手ってのはとても貴重なものである。
しかし、なんといってもアルコール。理性的な会話が可能な時間は限られている。少なくとも、私にとっては。
なにしろ朝からムシャクシャしていたものだから、私の酒をあおるペースはいつにも増して早かった。宅飲みと比べるとツマミの種類も豊富だし、美味いんだ、これが。
まあ、そのような経緯から、冒頭の会話に至る。
「ビール、ジョッキで」
「ちょっと小雨ちゃん!」
「なぁ〜に、くるしゅうない、ちこうよれ」
「も~う、何言いよると? 小雨ちゃんもうお酒やめたほうがよかよ」
「かわいいやつめ〜〜」
最早会話になっていない。
ちなみに、私の記憶はこの辺りで途切れており、この後どんな醜態を晒したのか、読者の皆様にお伝えすることはできない。まあ、覚えてたら尚更言わないだろうけど。
「もしもし、私、小雨ちゃんの友達の、梨子っちいうんだけど、瀬名くん? ……うん、あんね、今、小雨ちゃんと一緒に飲みにきとるんよ〜。……うん、それでねえ、もうばり潰れとるけ、ほたっていくわけにもいかんし、迎えにきてほしいっちゃけど……小雨ちゃんがこの間、瀬名くん車あるっち言うとったけど、瀬名くん今車出せると? ……ああ、よかったぁ、あたし持っとらんけん……うん、うん……はぁい、じゃあお願いねぇ、待っとるけね。小雨ちゃん、なんやでたんはらかいとうけ、優しくしたってな」
薄れゆく意識の中で、そんな会話を聞いたような、聞かないような。
次に目を覚ました時、私は車の後部座席に揺られていた。
低いエンジン音。ハンドルを握っている瞬の背中。時計がない。今何時だろう?
「起きたか?」
「……うん」
「もうすぐ着くからな。梨子ちゃんだっけ? 今度、あの子にちゃんと謝っとけよ」
それから程なくして、車は瀬名家に到着した。
車が完全に停止するのを待って、私は後部座席のドアを開け、冷たい地面に這い出る。足腰がまったく役に立たない。
「おい、ちょっと待てってば。歩けやしないんだから」
瞬が慌てて私の体を抱き上げた。
「……帰る」
「もううちに着いたぞ」
「……違う……私の家に帰る!」
私の体を支えている瞬の腕を力任せに振りほどき、突き飛ばす。バランスを失った私の体は再び、地面の上に投げ出された。夜のコンクリートはひんやりと冷たくて、少し酔いがさめたような気がした。
瞬がぽつりと呟く。
「……ごめん」
「なにが?」
「色々と」
「別に、私に謝るようなことなんかないでしょ? 彼女を最優先、結構なことじゃないの。こんな地味でめんどくさい性格のセフレなんかより超美人で優しい彼女を大切にしたら?」
「俺は、小雨をそんな風に思ったことはないよ」
「じゃあなんだって言うの?」
答えは返ってこない。言葉に詰まっているようだ。適当に幼馴染みとか言っとけばいいのに、答えられないってことは、やっぱり私はただのセフレって解釈でいいんですかね?
夜の住宅街はシーンと静まり返っている。この会話、近所に聞かれてたらちょっとまずいかもね……まあ、もう、どうでもいいや……。
「……とにかく、お願いだから、もう少しだけ傍にいてくれないか。小雨だって、そんな様子じゃ家には帰りづらいだろ?」
すったもんだ(乳の話ではない)の揚げ句、結局私は、瞬の肩を借りながら瀬名家に運び込まれた。
居間のリビングにあるソファの上に横たわりながら、時計を見る。もうすぐ日付が変わってしまう。もう、最悪の気分だ。
全く台所に立たないはずの瞬が、珍しく自分で冷蔵庫を開けている。何が入ってるかも知らんだろうに。
「何か飲む?」
「酒」
「それ以外で」
「じゃあいらない」
瞬は結局、コップ一杯の水だけを持ってきた。ごく普通の水道水。なんだ水かよ、とは思ったものの、ちょうど少し喉が渇いていたところだったので、どうにか体を起こして、その水を飲み干した。
「少しは酔いがさめた?」
「……うん」
「よかった」
「晩御飯食べた?」
「うん、ついさっき。小雨が帰ってこなかったから、一人寂しくカップラーメン。ちょうど食べ終わったころに、小雨のLINEから通話がきて、出てみたらなんかやたら方言のきつい女の子で……って感じ」
梨子ちゃんはタッチタイピングが苦手なので、LINEでの連絡は通話で行うことが多い。
「梨子ちゃん何言ってるかわかった?」
「いや……潰れてるってことと、車がどうのっていうとこだけ。『でたん』って何?」
「さあ。私も知らん」
「あれ、何弁なの?」
「九州のどっかだよ……そんなあたしに聞かれても困るんだけど」
「……ごめん」
「別に、あたしなんか待ってなくてもよかったのに」
「そうはいかないよ」
「……バカ」
瞬はふっと立ち上がり、再び台所の方へ行ってしまった。
だいぶ意識がはっきりしてきたような気がする。
台所から戻ってきた瞬の手には、手のひらに収まるぐらいの小さな箱と、救急箱ぐらいの大きさの箱があった。どちらも真っ白。たしか、こんな感じのおとぎ話があったな、とふと思い出す。これはおみやげが入った箱で、どっちにするか、これから選ばされるんだ。中には金の斧と銀の斧が……いや、これは違う話だ。なんの話だったっけ……。やっぱり、まだ完全には酔いがさめていない。
視界の片隅で、時計が午前0時を指していた。
瞬の両手が私の肩に回る。
なんだ、結局やるのか。
やらないと、お土産を選ぶことすらできないんだ、私は。
いいよもう、好きにしろ。
私はもう、完全に投げやりになっていた。
「お誕生日おめでとう、小雨」
「……え?」
「プレゼント、どんなのにしたらいいか迷ったんだけど、気に入ってくれたかな?」
首の周りに、細く冷たい感触。
デコルテの辺りを見ると、そこには、きらきらと輝く小さなネックレスが下げられていた。
九月の誕生石、サファイア。
涙の粒みたいなしずく型にカットされた、海のように深い青。
銀色に光るプラチナが、その青い涙を縁取っている。
「……これ、私に?」
「うん、まあ、大したもんじゃないけど……」
そんなはずはない。たしかに見た目は小さいけど、どう見てもイミテーションじゃない。それなりに値が張ったはず。
あれ、なんだろう、目から汗が……。
「……ありがとう……」
「ケーキもあるよ」
瞬は次に、大きいほうの箱に手をかけた。中から出てきたのは、生クリームたっぷりの、小さなデコレーションケーキ。
「ネックレスで金がなくなっちゃって、ケーキはこんなのしか買えなかったんだよ。ちょっと小さいけど」
申し訳なさそうに言いながら、ケーキに蝋燭を立て、ジッポライターで火をつけた。
蛍光灯が消える。
ゆらゆらと揺れる炎。
ふう、と大きく息を吐く。炎は一瞬で消えて、微かな煙の臭いだけが残された。
「じゃあ、食べようか」
瞬は立ち上がり、蛍光灯のスイッチに手をかけた。
「待って」
「ん……?」
明るくなる前に。
私は、テーブルの上に置きっぱなしになっていたドラッグストアのレジ袋から、パッケージに『0.01』と書かれた小箱を取り出した。
もう、何を怒っていたのかも忘れてしまった。
お互いに口下手だから、結局これでしか、感謝の気持ちをうまく表現できないんだ、きっと。
今夜は、特別に、破れちゃってもいいや……。
「先に、しよ?」
「らいじょーぶらいじょーぶ、これぐらい」
後輩の梨子ちゃんに凭れかかり、ぐでんぐでんに酔っ払っている私。
今日は朝から気分が最悪だった。
瞬が私をほっぽりだして真紀のところに行っていたから?
それとも、瞬が私に嘘をついたから?
両方だよ畜生!
めちゃくちゃ質素な朝食(ごはんと梅干しのみ)を見て瞬もようやく事態に気付いたらしく、必死に機嫌を取ろうとあちこち触ってちょっかいを出してきたが、時既にお寿司。むしろ逆効果だっつの。
「触るなボケ!」
の一言に怖じ気づいたのか、それから瞬は一言も発しなかった。
登校の際も授業の間も、会話はゼロ。『何かあったの?』と真紀に心配される有り様だった。
放課後、今日はバイトが休みだったため、私は久しぶりに、所属している文芸サークルに顔を出した。そこでばったり梨子ちゃんに遭遇したのだ。
まあ文芸サークルというぐらいだから、地味な顔触れが多い。私を含めてね。運動部にはユニフォームというものがあるけど、文芸サークルの場合、メガネがそれに相当すると言っていい。
普段はコンタクトを入れている梨子ちゃんも、サークルに参加する時はいつもメガネをかけている。メガネといっても、私や他のメンバーみたいに味も素っ気もないものじゃなくて、フレームに蝶があしらわれた、洒落たデザインのメガネだ。どこかのブランドものだと聞いた気がするが、英語だったから忘れてしまった。
ここまでの説明を聞いて、読者の皆様もピンときたのではないか。そう、梨子ちゃんはいわゆる『オタサーの姫』なのである。
以前述べたように女子受けが悪く男受けがいい梨子ちゃんだが、彼女は基本的に天真爛漫ないい子だから、相手がオタクだろうがなんだろうが分け隔てなく接する。だから、オタクにも非常にモテるのだ。
梨子ちゃんがデリでバイトしているという噂は結構広範囲に知れ渡っていて、処女信仰の厚いオタク的にはどうなのかと思わなくもないが、彼等の理屈はこうだ。
『デリって口だけでしょ』
なるほど矛盾はしていない。処女がいきなりデリで働くわけがないと普通は考えそうなものだけど、まあ彼らがそう思うんならそうなんだろう、彼らの中ではな。
さて、そんな梨子ちゃんを連れて居酒屋に来た私である。ちなみに、二人とも未成年。
「小雨ちゃんどうしたと〜? 珍しいね、こんなとこよう来るの?」
「あんまり……基本、宅飲みだから」
今日だってできれば家で飲みたかったけど、瀬名家には帰りたくないし、うちに帰ったら瞬のことを訊かれるに決まっているから、仕方なくこうしているわけ。一人はさすがに辛いから、梨子ちゃんと一緒に。
「何かあったと?」
「……ごめん、言いたくない」
「そっか、じゃあ何飲む〜?」
恐ろしく口が軽い梨子ちゃんだが、その一方で、こちらがはっきり『言いたくない』と意思表示したことに関しては、それ以上追及も詮索もしないし、それが尾を引いてわだかまりが残るということもない。非常にさばさばした性格の持ち主なのだ。だから、私にとってはとても付き合いやすい。
梨子ちゃんとは、最近読んだ本のことで話に花が咲いた。
一昔前の文豪、夢野久作とか、太宰とか、漱石とか、川端康成とか、そこら辺が守備範囲の私に対して、梨子ちゃんは割と流行りの女性作家を読んでいる。本谷有希子とか、川上未映子とか、エトセトラ。一見話が噛み合わないように思われるかもしれないが、自分の好きなものについてトコトン語って、それでもドン引きしない相手ってのはとても貴重なものである。
しかし、なんといってもアルコール。理性的な会話が可能な時間は限られている。少なくとも、私にとっては。
なにしろ朝からムシャクシャしていたものだから、私の酒をあおるペースはいつにも増して早かった。宅飲みと比べるとツマミの種類も豊富だし、美味いんだ、これが。
まあ、そのような経緯から、冒頭の会話に至る。
「ビール、ジョッキで」
「ちょっと小雨ちゃん!」
「なぁ〜に、くるしゅうない、ちこうよれ」
「も~う、何言いよると? 小雨ちゃんもうお酒やめたほうがよかよ」
「かわいいやつめ〜〜」
最早会話になっていない。
ちなみに、私の記憶はこの辺りで途切れており、この後どんな醜態を晒したのか、読者の皆様にお伝えすることはできない。まあ、覚えてたら尚更言わないだろうけど。
「もしもし、私、小雨ちゃんの友達の、梨子っちいうんだけど、瀬名くん? ……うん、あんね、今、小雨ちゃんと一緒に飲みにきとるんよ〜。……うん、それでねえ、もうばり潰れとるけ、ほたっていくわけにもいかんし、迎えにきてほしいっちゃけど……小雨ちゃんがこの間、瀬名くん車あるっち言うとったけど、瀬名くん今車出せると? ……ああ、よかったぁ、あたし持っとらんけん……うん、うん……はぁい、じゃあお願いねぇ、待っとるけね。小雨ちゃん、なんやでたんはらかいとうけ、優しくしたってな」
薄れゆく意識の中で、そんな会話を聞いたような、聞かないような。
次に目を覚ました時、私は車の後部座席に揺られていた。
低いエンジン音。ハンドルを握っている瞬の背中。時計がない。今何時だろう?
「起きたか?」
「……うん」
「もうすぐ着くからな。梨子ちゃんだっけ? 今度、あの子にちゃんと謝っとけよ」
それから程なくして、車は瀬名家に到着した。
車が完全に停止するのを待って、私は後部座席のドアを開け、冷たい地面に這い出る。足腰がまったく役に立たない。
「おい、ちょっと待てってば。歩けやしないんだから」
瞬が慌てて私の体を抱き上げた。
「……帰る」
「もううちに着いたぞ」
「……違う……私の家に帰る!」
私の体を支えている瞬の腕を力任せに振りほどき、突き飛ばす。バランスを失った私の体は再び、地面の上に投げ出された。夜のコンクリートはひんやりと冷たくて、少し酔いがさめたような気がした。
瞬がぽつりと呟く。
「……ごめん」
「なにが?」
「色々と」
「別に、私に謝るようなことなんかないでしょ? 彼女を最優先、結構なことじゃないの。こんな地味でめんどくさい性格のセフレなんかより超美人で優しい彼女を大切にしたら?」
「俺は、小雨をそんな風に思ったことはないよ」
「じゃあなんだって言うの?」
答えは返ってこない。言葉に詰まっているようだ。適当に幼馴染みとか言っとけばいいのに、答えられないってことは、やっぱり私はただのセフレって解釈でいいんですかね?
夜の住宅街はシーンと静まり返っている。この会話、近所に聞かれてたらちょっとまずいかもね……まあ、もう、どうでもいいや……。
「……とにかく、お願いだから、もう少しだけ傍にいてくれないか。小雨だって、そんな様子じゃ家には帰りづらいだろ?」
すったもんだ(乳の話ではない)の揚げ句、結局私は、瞬の肩を借りながら瀬名家に運び込まれた。
居間のリビングにあるソファの上に横たわりながら、時計を見る。もうすぐ日付が変わってしまう。もう、最悪の気分だ。
全く台所に立たないはずの瞬が、珍しく自分で冷蔵庫を開けている。何が入ってるかも知らんだろうに。
「何か飲む?」
「酒」
「それ以外で」
「じゃあいらない」
瞬は結局、コップ一杯の水だけを持ってきた。ごく普通の水道水。なんだ水かよ、とは思ったものの、ちょうど少し喉が渇いていたところだったので、どうにか体を起こして、その水を飲み干した。
「少しは酔いがさめた?」
「……うん」
「よかった」
「晩御飯食べた?」
「うん、ついさっき。小雨が帰ってこなかったから、一人寂しくカップラーメン。ちょうど食べ終わったころに、小雨のLINEから通話がきて、出てみたらなんかやたら方言のきつい女の子で……って感じ」
梨子ちゃんはタッチタイピングが苦手なので、LINEでの連絡は通話で行うことが多い。
「梨子ちゃん何言ってるかわかった?」
「いや……潰れてるってことと、車がどうのっていうとこだけ。『でたん』って何?」
「さあ。私も知らん」
「あれ、何弁なの?」
「九州のどっかだよ……そんなあたしに聞かれても困るんだけど」
「……ごめん」
「別に、あたしなんか待ってなくてもよかったのに」
「そうはいかないよ」
「……バカ」
瞬はふっと立ち上がり、再び台所の方へ行ってしまった。
だいぶ意識がはっきりしてきたような気がする。
台所から戻ってきた瞬の手には、手のひらに収まるぐらいの小さな箱と、救急箱ぐらいの大きさの箱があった。どちらも真っ白。たしか、こんな感じのおとぎ話があったな、とふと思い出す。これはおみやげが入った箱で、どっちにするか、これから選ばされるんだ。中には金の斧と銀の斧が……いや、これは違う話だ。なんの話だったっけ……。やっぱり、まだ完全には酔いがさめていない。
視界の片隅で、時計が午前0時を指していた。
瞬の両手が私の肩に回る。
なんだ、結局やるのか。
やらないと、お土産を選ぶことすらできないんだ、私は。
いいよもう、好きにしろ。
私はもう、完全に投げやりになっていた。
「お誕生日おめでとう、小雨」
「……え?」
「プレゼント、どんなのにしたらいいか迷ったんだけど、気に入ってくれたかな?」
首の周りに、細く冷たい感触。
デコルテの辺りを見ると、そこには、きらきらと輝く小さなネックレスが下げられていた。
九月の誕生石、サファイア。
涙の粒みたいなしずく型にカットされた、海のように深い青。
銀色に光るプラチナが、その青い涙を縁取っている。
「……これ、私に?」
「うん、まあ、大したもんじゃないけど……」
そんなはずはない。たしかに見た目は小さいけど、どう見てもイミテーションじゃない。それなりに値が張ったはず。
あれ、なんだろう、目から汗が……。
「……ありがとう……」
「ケーキもあるよ」
瞬は次に、大きいほうの箱に手をかけた。中から出てきたのは、生クリームたっぷりの、小さなデコレーションケーキ。
「ネックレスで金がなくなっちゃって、ケーキはこんなのしか買えなかったんだよ。ちょっと小さいけど」
申し訳なさそうに言いながら、ケーキに蝋燭を立て、ジッポライターで火をつけた。
蛍光灯が消える。
ゆらゆらと揺れる炎。
ふう、と大きく息を吐く。炎は一瞬で消えて、微かな煙の臭いだけが残された。
「じゃあ、食べようか」
瞬は立ち上がり、蛍光灯のスイッチに手をかけた。
「待って」
「ん……?」
明るくなる前に。
私は、テーブルの上に置きっぱなしになっていたドラッグストアのレジ袋から、パッケージに『0.01』と書かれた小箱を取り出した。
もう、何を怒っていたのかも忘れてしまった。
お互いに口下手だから、結局これでしか、感謝の気持ちをうまく表現できないんだ、きっと。
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「先に、しよ?」
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