115 / 126
ノックスの憂鬱 ジャンル:ミステリ
『探偵は偶然や第六感で事件を解決に導いてはならない』
しおりを挟む
「いえ、特に何も」
瞬さんがそう答えると、高橋刑事は途端に困惑した表情になった。
「本当に何も見てないのかね?」
「ええ、何も」
「おかしいね……おおむらさんの部屋の窓は内側から鍵がかかっていた。しかし一方でドアの鍵は開いていた。しかし、君の言うとおりドアから誰も出入りしなかったと仮定すると、あそこは密室だったということになってしまう。だが、凶器となったキーボードには、指紋が拭き取られた形跡があったのだよ。事件の可能性が高いわけだね。つまり……」
高橋刑事はわざとらしく一度言葉を切った。
「瀬名君……君が言っていることが本当だとすると、犯人は君でしか有り得ないんだよ」
いやいやいやいや、そんなバカな、と口走りそうになって、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。なんだかこの刑事はあまり刺激しないほうがいいような気がする。とんでもない理由で因縁つけてきて、そのままロックオンしそうなタイプっていうか。
そう、思い込みの激しい、執念深いタイプだ。俺は頭は悪いけど、人を見る目だけはあるつもり。メトロポリタン・ヴァンガードのファンには特にそういうタイプが多いような気がする。
そんな奴がエリートコースに乗ってる警察ってどうよと思うけど、テレビやなんかでこのところ立て続けに報じられている警察の不祥事を見ていると、警察だってロクなもんじゃない。刑事ドラマの主人公みたいな正義感に燃える刑事なんてのは、もしかしたら四つ葉のクローバーぐらいURな存在なのかもな。刑事ガチャなんかあっても絶対引かないけど。
まさか瞬さんがそんなことするわけない。ちゃんと捜査すれば瞬さんの潔白は証明されるはずだ、とは思うけど、ふと、この間ニュースで見た冤罪事件のニュースが頭に浮かんだ。警察が適当な捜査で犯人をでっち上げ、取り調べの際、無理矢理自白に追い込んだという事件だ。
瞬さんがあれの二の舞になったらどうしよう。そもそも瞬さんをここまで連れてきたのは俺なんだ。そう思うと、責任を感じてしまって、黙っていられなかった。
「瞬さん、本当に何も見てないんすか? 何か、こう、見落としとか、うたた寝しちゃってたとか、本に熱中してたとか……」
「いや、ちゃんと起きてたぞ。それに、周りが静かだったから、人が出入りしていたら気がつくはずだ」
呑気なのか惚けてるのか、高橋刑事のねめつけるような視線を浴びても、瞬さんは全く意に介していない様子だ。こっちは気が気じゃないってのに……。
「もし俺が犯人だったとしたら、ここから不審な人物が出入りするのを見た、とでも言っているんじゃないですか? その方が、無理なく疑いを自分から逸らすことができる」
瞬さんが不敵な笑みを浮かべながら言うと、高橋刑事は少し考えてから答えた。
「いや、そうとも言い切れないな。そんな嘘は調べればすぐにわかる。それよりなら、現場を密室にして事故に見せかけるほうを選んだと考えれば不自然ではない」
すると、瞬さんはやれやれと言わんばかりに軽く肩を竦めた。
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
俺にはその仕草が、高橋刑事を挑発しているように見えた。なんだろう、あまり普段の瞬さんらしくない。
「あ、あのぅ……」
その時、部屋の片隅で一連の会話を見守っていたオーナーのおばさんが、おずおずと口を開いた。
「実は、ロビーには防犯カメラが設置してありまして、その映像を確認して頂ければ、そちらのお客様が申されたことが事実かどうか、わかると思うのですが……」
「えっ、防犯カメラ?」
これには高橋刑事も意表を突かれたようで、応じた声が若干裏返っていた。そりゃそうだわ、こんなボロっちい民宿に防犯カメラが設置されているなんて誰も思わないもんな。そんな情報があるなら先に言ってよオバサン!
見張りの刑事が面倒くさそうにオーナーの言葉を補足した。
「確かに、そちらの青年はロビーでずっと読書をしておりました。その姿がばっちり防犯カメラに収められています。また、カメラに映っていた人間は彼のみ。玄関からロビーを通らずに客室まで行くことは不可能ですから、外部からの犯行は有り得ないということになりますな。カメラの映像は引き続き確認中ではありますが、今ここにいる六人と被害者、そしてオーナー以外に、今日あの建物に入った者はいないようです」
なんだ、もうチェックしてあるんじゃん。
「……な……何だって……」
当てが外れたのか、高橋刑事は目を丸くして驚いていた。ざまあみろ。
それにしても。
殺人という言葉と、さっき目にしたおおむらさんの姿。
頭の奥のほうで、記憶がチリチリと疼くような感覚。
監獄島での凄惨な事件のあと、俺は何度かカウンセリングを受けた。島に着いてからの記憶が曖昧で、PTSDによる記憶障害と診断されたのだ。
あの事件以降、俺は、頭の中にぽっかりと穴が空いたような喪失感に囚われている。監獄島のことだけじゃない、何かもっと大事な記憶をなくしてしまっているのではないかという疑念。子供の頃からの記憶が、靄がかかったようにところどころ曖昧になっている。
シャワーを浴びて速攻で寝てしまった俺は、寝ぼけ眼でおおむらさんの頭部から流れ出る血を目にして、もちろんめちゃくちゃ驚いた。一瞬で目が覚めた。けど、それだけじゃなかった。
あの日以来、心の奥底に封印された記憶、その断片を掴みかけたような気がしたんだ。
チリチリ、チリチリ。
まだその感覚が仄かに残っている。
でも、どれだけ思い出そうと努力してみても、糸の切れた釣竿のように、その先には何も見つからない。
いったい、俺は何を忘れているんだろう……。
瞬さんがそう答えると、高橋刑事は途端に困惑した表情になった。
「本当に何も見てないのかね?」
「ええ、何も」
「おかしいね……おおむらさんの部屋の窓は内側から鍵がかかっていた。しかし一方でドアの鍵は開いていた。しかし、君の言うとおりドアから誰も出入りしなかったと仮定すると、あそこは密室だったということになってしまう。だが、凶器となったキーボードには、指紋が拭き取られた形跡があったのだよ。事件の可能性が高いわけだね。つまり……」
高橋刑事はわざとらしく一度言葉を切った。
「瀬名君……君が言っていることが本当だとすると、犯人は君でしか有り得ないんだよ」
いやいやいやいや、そんなバカな、と口走りそうになって、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。なんだかこの刑事はあまり刺激しないほうがいいような気がする。とんでもない理由で因縁つけてきて、そのままロックオンしそうなタイプっていうか。
そう、思い込みの激しい、執念深いタイプだ。俺は頭は悪いけど、人を見る目だけはあるつもり。メトロポリタン・ヴァンガードのファンには特にそういうタイプが多いような気がする。
そんな奴がエリートコースに乗ってる警察ってどうよと思うけど、テレビやなんかでこのところ立て続けに報じられている警察の不祥事を見ていると、警察だってロクなもんじゃない。刑事ドラマの主人公みたいな正義感に燃える刑事なんてのは、もしかしたら四つ葉のクローバーぐらいURな存在なのかもな。刑事ガチャなんかあっても絶対引かないけど。
まさか瞬さんがそんなことするわけない。ちゃんと捜査すれば瞬さんの潔白は証明されるはずだ、とは思うけど、ふと、この間ニュースで見た冤罪事件のニュースが頭に浮かんだ。警察が適当な捜査で犯人をでっち上げ、取り調べの際、無理矢理自白に追い込んだという事件だ。
瞬さんがあれの二の舞になったらどうしよう。そもそも瞬さんをここまで連れてきたのは俺なんだ。そう思うと、責任を感じてしまって、黙っていられなかった。
「瞬さん、本当に何も見てないんすか? 何か、こう、見落としとか、うたた寝しちゃってたとか、本に熱中してたとか……」
「いや、ちゃんと起きてたぞ。それに、周りが静かだったから、人が出入りしていたら気がつくはずだ」
呑気なのか惚けてるのか、高橋刑事のねめつけるような視線を浴びても、瞬さんは全く意に介していない様子だ。こっちは気が気じゃないってのに……。
「もし俺が犯人だったとしたら、ここから不審な人物が出入りするのを見た、とでも言っているんじゃないですか? その方が、無理なく疑いを自分から逸らすことができる」
瞬さんが不敵な笑みを浮かべながら言うと、高橋刑事は少し考えてから答えた。
「いや、そうとも言い切れないな。そんな嘘は調べればすぐにわかる。それよりなら、現場を密室にして事故に見せかけるほうを選んだと考えれば不自然ではない」
すると、瞬さんはやれやれと言わんばかりに軽く肩を竦めた。
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
俺にはその仕草が、高橋刑事を挑発しているように見えた。なんだろう、あまり普段の瞬さんらしくない。
「あ、あのぅ……」
その時、部屋の片隅で一連の会話を見守っていたオーナーのおばさんが、おずおずと口を開いた。
「実は、ロビーには防犯カメラが設置してありまして、その映像を確認して頂ければ、そちらのお客様が申されたことが事実かどうか、わかると思うのですが……」
「えっ、防犯カメラ?」
これには高橋刑事も意表を突かれたようで、応じた声が若干裏返っていた。そりゃそうだわ、こんなボロっちい民宿に防犯カメラが設置されているなんて誰も思わないもんな。そんな情報があるなら先に言ってよオバサン!
見張りの刑事が面倒くさそうにオーナーの言葉を補足した。
「確かに、そちらの青年はロビーでずっと読書をしておりました。その姿がばっちり防犯カメラに収められています。また、カメラに映っていた人間は彼のみ。玄関からロビーを通らずに客室まで行くことは不可能ですから、外部からの犯行は有り得ないということになりますな。カメラの映像は引き続き確認中ではありますが、今ここにいる六人と被害者、そしてオーナー以外に、今日あの建物に入った者はいないようです」
なんだ、もうチェックしてあるんじゃん。
「……な……何だって……」
当てが外れたのか、高橋刑事は目を丸くして驚いていた。ざまあみろ。
それにしても。
殺人という言葉と、さっき目にしたおおむらさんの姿。
頭の奥のほうで、記憶がチリチリと疼くような感覚。
監獄島での凄惨な事件のあと、俺は何度かカウンセリングを受けた。島に着いてからの記憶が曖昧で、PTSDによる記憶障害と診断されたのだ。
あの事件以降、俺は、頭の中にぽっかりと穴が空いたような喪失感に囚われている。監獄島のことだけじゃない、何かもっと大事な記憶をなくしてしまっているのではないかという疑念。子供の頃からの記憶が、靄がかかったようにところどころ曖昧になっている。
シャワーを浴びて速攻で寝てしまった俺は、寝ぼけ眼でおおむらさんの頭部から流れ出る血を目にして、もちろんめちゃくちゃ驚いた。一瞬で目が覚めた。けど、それだけじゃなかった。
あの日以来、心の奥底に封印された記憶、その断片を掴みかけたような気がしたんだ。
チリチリ、チリチリ。
まだその感覚が仄かに残っている。
でも、どれだけ思い出そうと努力してみても、糸の切れた釣竿のように、その先には何も見つからない。
いったい、俺は何を忘れているんだろう……。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる