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フューネラル ジャンル:ミステリ
真打登場
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「貸しコテージの窓や裏口の鍵は全て内側から閉められており、出入りした形跡はない。一方で、玄関の扉は開け放たれていて、犯人が脱出したとすればそこしか考えられない。しかし、玄関の前に積もった雪には足跡が残っていなかった。つまり、これは雪による密室……ということでよろしいですか、里見さん」
「はい、そういうことになりますね」
改めて状況を整理した西野園は、目を閉じて黙考するような素振りを見せたが、すぐにぱちりと目を開けた。
「そうそう、里見さんは先程『オーナーの足跡以外にコテージの周辺に足跡は残されていなかった』とおっしゃいましたが、被害者達の足跡はどうだったのですか?」
里見ははたと額を叩く。
「おお、これはうっかりしていました。今一度、被害者達の当日の足取りと現場周辺の天気についてご説明しましょう」
事件当日のF県は全域で雪が降っていた。
被害者達が新幹線の駅前に集合したのは午後九時ごろ。それからすぐにレンタカーで移動し、コテージに到着したのは午後十時前後と見られる。
雪の勢いはこの時間帯が最も激しく、被害者達が車から降りてコテージに入った際の足跡は完全に消えていた。
テーマの発表が十時半で、作品の発表が始まったのが十一時。いや、正確には、最初の投稿が行われたのは十一時二十分だった。最初の被害者の死亡推定時刻は零時ごろであるが、この頃には既に随分小降りになっており、足跡が雪に埋もれてしまうようなことは考えられない。積雪は三十センチほどで、その上を歩いて移動した場合、ずぼずぼと深い足跡が残るはずであった。
屋根にも十センチ程度の雪が積もっていたが、足跡などの不審な痕跡は見当たらなかった。
「なるほど……屋根の雪にも跡がなかったということは、屋上を伝って脱出するのも不可能ですね。念のためにお聞きしますが、裏口のほうにも何の痕跡もなかったんですね?」
「はい、そちらにはオーナーの足跡もありませんでした。憎たらしいぐらい綺麗なもんでしたよ」
「中の火災の熱で雪が溶かされたということも……」
「まず有り得ませんな。外の雪が溶けるような火勢だったら、家庭用の消火器なんかではいくらあっても消し止められませんよ」
「う〜ん……」
西野園は頭を抱えた。
「オーナーのアリバイは本当に完璧なんですか?」
「はい。事件当日、オーナーは自らが所有する現場の二つ隣のコテージに友人を招いてホームパーティーを開いておりました。オーナーは料理が趣味で、友人達に振る舞う料理を全て自ら作っていたそうです。料理を作り終えてからはずっと酒盛りを。七人を殺害するような余裕はありません。ましてや、小刈ダイアとして小説を執筆し投稿するようなことは」
「そう、最大の矛盾点は、密室よりもむしろそちらですよね。作家の死亡推定時刻以降に作品が更新されていた。この謎をどうにかすれば、密室を解く手掛かりになるように思えるのですが」
そのまま俯いて沈黙する西野園に代わって、意見を述べたのは瀬名だった。
「犯人がどうやってコテージから脱出したかは一旦脇に置いて、犯人の行動を考察してみませんか。犯人はいくつか不可解な行動をとっている。その最たるものが、ノートパソコンの破壊です」
「……ふむ。たしかに、ノートパソコンは七台とも、粉々に砕かれていました。しかしディスプレイ部分だけは残されていた。ディスプレイに付着していた指紋から、どのパソコンが誰のものだったかは判明しています。七台だと数が合いませんが、きっと犯人……つまり小刈ダイアは自分のパソコンを持ち去ったのでしょう」
「わざわざ破壊したということは、そこに何か都合の悪いものがあったか、犯人が執着している何かがあった……後者だとお手上げですが、前者だとすると、どんなことが有り得るでしょうか?」
瀬名の問題提起に、西野園が顔を上げて答える。
「中のデータか、キーボードの指紋? でも、ディスプレイの指紋は残されているのよね……」
「うん、中のデータだとしたら、都合の悪いものとは何かということだよ。例えば、今はノートパソコンでもカメラが付いたものが沢山あるよね。だから、カメラでこっそりと犯人の顔や犯行の様子が録画されている可能性を考慮したかもしれない。それに、不可解な行動はもう一つ。犯人が被害者達の死体に火をつけていることだ。サイトに発表された作品との時間的な齟齬を考えると、おそらくは司法解剖できない状態にすることで死亡推定時刻を誤魔化したかったんだろうと思う。しかし、わざわざそんな手の込んだ真似をした理由は何か?」
「犯人が小刈ダイアで、なおかつ単独犯だとすると……」
西野園が口を開く。
「いくらナイフを持っていたとはいえ、一対七では圧倒的に不利ですよね。被害者のうち六人は男性です。刃物を持って脅したとしても、簡単に従うとは思えません。そう考えると、被害者全員に同時に睡眠薬を飲ませたと考えるほうが自然ではあります」
「なるほど」
里見は応じる。実はこれと同じ意見は里見の同僚からも出ていた。だが、里見は黙って西野園の発言を待った。
「犯人が複数だとすると、犯人以外の全員に、ということになるでしょうか。……そういえば、現場に残されたナイフが犯行に使われた凶器だと確定しているのですか?」
「ええ、傷口の形状からほぼ間違いないだろうと思われています」
「犯人が複数犯だとすると、凶器が一つしかないというのはちょっと不自然ですね……まあ、だからこそ睡眠薬が用いられたのかもしれないし、他にあった凶器を犯人が持ち去っただけかもしれませんけれど。里見さん、どうやって被害者に睡眠薬を飲ませたのかはわかっているんですか?」
「あ、ええ、はい、それはですね……キッチンに使用済みコーヒーカップとドリップコーヒーの出涸らしが八つ置いてありまして、全てのコーヒーカップから睡眠薬の成分が検出されています」
「えっ……じゃあ、全員が睡眠薬を飲んだってこと?」
京谷が、目の前の空になったコーヒーカップを見つめながら言う。
「いや、コーヒーを淹れたからといって、飲まなければいけないわけじゃない。犯人はきっと飲まずにおいて、被害者たちが眠ってからそのまま中身を捨てたんじゃないかな」
瀬名はそう言うと、カップに僅かに残っていたコーヒーを飲み干した。甘党なのか、随分砂糖を多く入れていた。血糖値が気になる里見には飲めない代物である。
西野園が再び話し始める。
「もしコーヒーを飲んだ者だけが突然眠りこくってしまったとしたら、さすがに違和感を持たれるでしょうね。そう考えると、被害者は全員同時に睡眠薬入りのコーヒーを飲み、眠ってしまった。犯人は眠った作家の分まで代わりに作品を書き上げた、ということになるのでしょうか」
「いえ、それは我々も考えたのですが……どうも、八人分の小説……全て合わせたら十五万字以上になるものを一人で書き上げるのは無理があるのではないか、という結論に至りまして……」
「……えっ?」
きょとんとした表情の瀬名と西野園に、京谷が説き始めた。
「テーマが決まった十時半からたった三時間ぐらいであれだけの量を書くのは無理だとあたしも思うよ。八人の作家はそれぞれ微妙に作風も文体も違うけど、そういった細かい癖まで違和感なく再現するのは難しい。キャラクターと設定がすぐに決まったとしても、体裁の整った文章をタイピングするには結構時間がかかるものよ。そんなの無理無理」
やけに詳しいな、と里見は思った。もしかしたら、京谷は件のサイトに作品を投稿したことがあるのだろうか。
「……ええ、関係者は皆、口を揃えてそう言いますな。犯人が一人なら十五万字、二人なら七万字、三人なら五万字……字数を人数で単純に割るとそうなりますが、五万字でも相当大変なのだそうですな。仮に複数犯だとすると、一人が書かなければならない分量は減りますが、犯行計画そのものは不自然になっていきます。あいにく我々の捜査本部には物書きの心得のあるものがおりませんで、感覚がよくわからないのですが、そういうことのようです」
重い沈黙が四人を包む。何故、死者が出ても尚作品が投稿され続けたのか。この事件で一番不可解なのは、やはりそこなのである。
「う〜ん……あっ……」
西野園が小さく唸り始めた。これはもしや、と里見は身を乗り出す。
「いかがなさいました、西野園さん?」
「すみません、ちょっと頭痛が……御手洗いに行ってきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、はい、どうぞどうぞ」
西野園はそそくさと、店舗の奥まったところにあるトイレに入って行った。頭痛で御手洗いというのも変な話ではあるが、しかし里見は、その意味するところを知っている。
数分後、御手洗いから戻ってきた西野園は、化粧を落としていた。
「……お待たせしました。里見さん、お久しぶりですね」
化粧を落とすと人格が変わる。それが、この西野園真紀の最も稀有な特徴である。
いや、こちらが素顔の彼女なのだから、化粧をすると人格が変わると表現すべきか。少々ややこしいが、さっきまで変わっていた人格が、化粧を落としたことによって元に戻ったのだ。そして、以前優れた推理力を披露したのは、こちら側の彼女なのである。
素顔になったからといって、彼女の美しさが損なわれることは全くなかった。だが、敢えて外見上の変化を挙げるとするならば、チークも口紅もアイシャドウも落とした彼女の肌は雪のように白かった。愛嬌のあった微笑が能面のごとく無表情になり、あの愛くるしかった瞳が、射貫くような鋭い視線で里見を見据える。
決して怒っているわけではない。最初にこの変化を目の当たりにした時は里見も驚かされたが、これがもう一人の西野園真紀。里見が本当に会いたかった相手なのだ。
西野園は静かに語り出す。
「この事件で最も不可解なのは、そもそも何故こんなイベントが開かれたのか、という点です」
西野園の問いに、里見を含めた三人は顔を見合わせる。何故、とはどういうことだろう。西野園は構わずに続けた。
「これまで出版のオファーも全て断り、謎のヴェールに包まれていた作家が八人も集まった。全員の合意を取り付けるのは非常に難しいことだったはずです。何故急に気が変わったのでしょう? 特に今回のイベントの場合、作品を発表するのはサイト上ですから、全員が同じ場所に集まる必要すらありません。スケジュールだけを合わせておいて、各々普段の環境から作品を発表すればいいだけです。身代わりの女性への指示にあったようにね。にも拘らず、何故全員がわざわざこの貸しコテージに集まったのか……」
里見は首肯した。言われてみれば、確かに妙である。被害者達には直接的な繋がりが全くなく、現住所さえバラバラだ。
「里見さん、被害者達のプロフィールをもう少し詳しく教えて頂けませんか?」
里見は西野園に被害者達の情報が集められたファイルを手渡した。
「渡辺茂、二十七歳、サラリーマン……I県在住、独身、同じ職場で働いている女性と交際していた……」
西野園が簡単なプロフィールを読み上げる。里見はそれを補足した。
「その男の近辺にこれといったトラブルはありません。大学を卒業して新卒で今の食品加工会社に入社、勤務態度も良好……交際相手とも順調で、周囲からはそろそろ結婚かと囁かれていた矢先の出来事でした。事件当日は通常どおり出社し、定時で退勤してF県に移動したようです。我々刑事から見れば、定時退勤とは羨ましい限りですが」
彼女を前にすると、こんな世俗的なことを調べ回っている自分の仕事が何だか滑稽に思えてくる里見であった。
「佐藤良明、三十一歳、公務員……A県在住、独身。実家で両親との三人暮らし。市役所勤務……」
「その男はコネで市役所に入り、勤務態度にはやや難があったようですが大きな問題は起こしていません。浮いた噂はなかったようです。余談ですが、事件当日は仮病を使って早退したらしいですな」
「三浦健、二十一歳、大学生。Y県出身で、M県の大学に進学し、現在はこちらに在住……もちろん独身」
「大学では、プログラミングとかAIとか、そっちの分野を学んでいたようです。なんですか、私はあまり詳しくないのですが、少し前にニュースになったぐらい有名な研究室だそうで。無口な青年で、あまり親しい友人はいなかったそうです」
「香川沙織、二十三歳。T県在住のフリーター、アパレル店でアルバイト中……学生時代から同じ店で働いていた。大学時代に同期だったサラリーマンの彼氏と交際、同棲中」
「バイト先ではそろそろ正社員に、という話が持ち上がっていたそうです。彼氏には、女友達と遊びに行くと話していたようですが……」
「森内誠治、三十五歳。I県在住。自営業……蕎麦屋の店長。独身だが、店の経営は順調……」
「脱サラして現在の蕎麦屋を開店したそうです。味の評判はよく、その付近ではなかなか流行っていた店らしいです。事件のあった週末は店が臨時休業で、店先には店主の旅行と貼り紙がされていました」
「深浦亮、二十六歳、K県在住、派遣社員。IT関連企業に勤務」
「IT土方というんですか。ブラック企業で相当仕事がきつかったようですが、この週末はたまたま空いていたそうです」
「広瀬耕平、二十八歳、T県在住、無職……。両親と三人暮らし。新卒で入った会社を三ヶ月で辞めてから職を転々とするも、どれも長続きせず、今はニート状態」
「こいつは調べていて胸糞悪くなってくるようなクズ人間ですよ。彼のことを良く言う人間は一人もいませんでした。こんな奴に作家の才能があるとは思いたくないですな」
全員分のプロフィールに目を通すと、西野園はそのままファイルを閉じた。
「現代まで名前が残っている偉大な作家の中にも、人格的に問題のあった者は大勢います……自殺未遂、薬物、借金、女性問題……枚挙に暇がありませんよ。ところで里見さん、彼らが事件当日書いた作品は今お持ちですか?」
「作品ですか……ええ、一応持ってきてはいますが……」
「では、それを是非読ませていただきたいのですが、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ……しかし、これに手掛かりのようなものは何も……」
途中までサイト上に発表され、完結することのなかった作品群。里見や同僚ももちろん目を通したが、これといった情報は得られなかった。西野園はそこに何らかの手がかりがあると踏んでいるのだろうか。
里見は八つの未完の作品をプリントアウトしてまとめ、ファイルに収めていた。
ファイルを受け取った西野園の黒く大きな瞳が、八つの未完成作品の上を滑り始める。
『迷える魔女にくちづけを』小刈ダイア ジャンル:ハイファンタジー
『Reverie』Yo-sollow ジャンル:ヒューマンドラマ
『浅井の乱』志井武雄 ジャンル:歴史IF
『トンネルを抜けると異世界であった。~タクシードライバーの救世主日誌~』愛底テベス ジャンル:異世界転移
『相克シンギュラリティ』リトルデーモン ジャンル:SF
『彼女に死ねと言われたら』箪笥今 ジャンル:ローファンタジー
『君が溶けてしまう前に』シャロン・アゼリア ジャンル:恋愛
『スペルバインド』ブーデ諏訪 ジャンル:ホラー
「はい、そういうことになりますね」
改めて状況を整理した西野園は、目を閉じて黙考するような素振りを見せたが、すぐにぱちりと目を開けた。
「そうそう、里見さんは先程『オーナーの足跡以外にコテージの周辺に足跡は残されていなかった』とおっしゃいましたが、被害者達の足跡はどうだったのですか?」
里見ははたと額を叩く。
「おお、これはうっかりしていました。今一度、被害者達の当日の足取りと現場周辺の天気についてご説明しましょう」
事件当日のF県は全域で雪が降っていた。
被害者達が新幹線の駅前に集合したのは午後九時ごろ。それからすぐにレンタカーで移動し、コテージに到着したのは午後十時前後と見られる。
雪の勢いはこの時間帯が最も激しく、被害者達が車から降りてコテージに入った際の足跡は完全に消えていた。
テーマの発表が十時半で、作品の発表が始まったのが十一時。いや、正確には、最初の投稿が行われたのは十一時二十分だった。最初の被害者の死亡推定時刻は零時ごろであるが、この頃には既に随分小降りになっており、足跡が雪に埋もれてしまうようなことは考えられない。積雪は三十センチほどで、その上を歩いて移動した場合、ずぼずぼと深い足跡が残るはずであった。
屋根にも十センチ程度の雪が積もっていたが、足跡などの不審な痕跡は見当たらなかった。
「なるほど……屋根の雪にも跡がなかったということは、屋上を伝って脱出するのも不可能ですね。念のためにお聞きしますが、裏口のほうにも何の痕跡もなかったんですね?」
「はい、そちらにはオーナーの足跡もありませんでした。憎たらしいぐらい綺麗なもんでしたよ」
「中の火災の熱で雪が溶かされたということも……」
「まず有り得ませんな。外の雪が溶けるような火勢だったら、家庭用の消火器なんかではいくらあっても消し止められませんよ」
「う〜ん……」
西野園は頭を抱えた。
「オーナーのアリバイは本当に完璧なんですか?」
「はい。事件当日、オーナーは自らが所有する現場の二つ隣のコテージに友人を招いてホームパーティーを開いておりました。オーナーは料理が趣味で、友人達に振る舞う料理を全て自ら作っていたそうです。料理を作り終えてからはずっと酒盛りを。七人を殺害するような余裕はありません。ましてや、小刈ダイアとして小説を執筆し投稿するようなことは」
「そう、最大の矛盾点は、密室よりもむしろそちらですよね。作家の死亡推定時刻以降に作品が更新されていた。この謎をどうにかすれば、密室を解く手掛かりになるように思えるのですが」
そのまま俯いて沈黙する西野園に代わって、意見を述べたのは瀬名だった。
「犯人がどうやってコテージから脱出したかは一旦脇に置いて、犯人の行動を考察してみませんか。犯人はいくつか不可解な行動をとっている。その最たるものが、ノートパソコンの破壊です」
「……ふむ。たしかに、ノートパソコンは七台とも、粉々に砕かれていました。しかしディスプレイ部分だけは残されていた。ディスプレイに付着していた指紋から、どのパソコンが誰のものだったかは判明しています。七台だと数が合いませんが、きっと犯人……つまり小刈ダイアは自分のパソコンを持ち去ったのでしょう」
「わざわざ破壊したということは、そこに何か都合の悪いものがあったか、犯人が執着している何かがあった……後者だとお手上げですが、前者だとすると、どんなことが有り得るでしょうか?」
瀬名の問題提起に、西野園が顔を上げて答える。
「中のデータか、キーボードの指紋? でも、ディスプレイの指紋は残されているのよね……」
「うん、中のデータだとしたら、都合の悪いものとは何かということだよ。例えば、今はノートパソコンでもカメラが付いたものが沢山あるよね。だから、カメラでこっそりと犯人の顔や犯行の様子が録画されている可能性を考慮したかもしれない。それに、不可解な行動はもう一つ。犯人が被害者達の死体に火をつけていることだ。サイトに発表された作品との時間的な齟齬を考えると、おそらくは司法解剖できない状態にすることで死亡推定時刻を誤魔化したかったんだろうと思う。しかし、わざわざそんな手の込んだ真似をした理由は何か?」
「犯人が小刈ダイアで、なおかつ単独犯だとすると……」
西野園が口を開く。
「いくらナイフを持っていたとはいえ、一対七では圧倒的に不利ですよね。被害者のうち六人は男性です。刃物を持って脅したとしても、簡単に従うとは思えません。そう考えると、被害者全員に同時に睡眠薬を飲ませたと考えるほうが自然ではあります」
「なるほど」
里見は応じる。実はこれと同じ意見は里見の同僚からも出ていた。だが、里見は黙って西野園の発言を待った。
「犯人が複数だとすると、犯人以外の全員に、ということになるでしょうか。……そういえば、現場に残されたナイフが犯行に使われた凶器だと確定しているのですか?」
「ええ、傷口の形状からほぼ間違いないだろうと思われています」
「犯人が複数犯だとすると、凶器が一つしかないというのはちょっと不自然ですね……まあ、だからこそ睡眠薬が用いられたのかもしれないし、他にあった凶器を犯人が持ち去っただけかもしれませんけれど。里見さん、どうやって被害者に睡眠薬を飲ませたのかはわかっているんですか?」
「あ、ええ、はい、それはですね……キッチンに使用済みコーヒーカップとドリップコーヒーの出涸らしが八つ置いてありまして、全てのコーヒーカップから睡眠薬の成分が検出されています」
「えっ……じゃあ、全員が睡眠薬を飲んだってこと?」
京谷が、目の前の空になったコーヒーカップを見つめながら言う。
「いや、コーヒーを淹れたからといって、飲まなければいけないわけじゃない。犯人はきっと飲まずにおいて、被害者たちが眠ってからそのまま中身を捨てたんじゃないかな」
瀬名はそう言うと、カップに僅かに残っていたコーヒーを飲み干した。甘党なのか、随分砂糖を多く入れていた。血糖値が気になる里見には飲めない代物である。
西野園が再び話し始める。
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「いえ、それは我々も考えたのですが……どうも、八人分の小説……全て合わせたら十五万字以上になるものを一人で書き上げるのは無理があるのではないか、という結論に至りまして……」
「……えっ?」
きょとんとした表情の瀬名と西野園に、京谷が説き始めた。
「テーマが決まった十時半からたった三時間ぐらいであれだけの量を書くのは無理だとあたしも思うよ。八人の作家はそれぞれ微妙に作風も文体も違うけど、そういった細かい癖まで違和感なく再現するのは難しい。キャラクターと設定がすぐに決まったとしても、体裁の整った文章をタイピングするには結構時間がかかるものよ。そんなの無理無理」
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重い沈黙が四人を包む。何故、死者が出ても尚作品が投稿され続けたのか。この事件で一番不可解なのは、やはりそこなのである。
「う〜ん……あっ……」
西野園が小さく唸り始めた。これはもしや、と里見は身を乗り出す。
「いかがなさいました、西野園さん?」
「すみません、ちょっと頭痛が……御手洗いに行ってきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、はい、どうぞどうぞ」
西野園はそそくさと、店舗の奥まったところにあるトイレに入って行った。頭痛で御手洗いというのも変な話ではあるが、しかし里見は、その意味するところを知っている。
数分後、御手洗いから戻ってきた西野園は、化粧を落としていた。
「……お待たせしました。里見さん、お久しぶりですね」
化粧を落とすと人格が変わる。それが、この西野園真紀の最も稀有な特徴である。
いや、こちらが素顔の彼女なのだから、化粧をすると人格が変わると表現すべきか。少々ややこしいが、さっきまで変わっていた人格が、化粧を落としたことによって元に戻ったのだ。そして、以前優れた推理力を披露したのは、こちら側の彼女なのである。
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決して怒っているわけではない。最初にこの変化を目の当たりにした時は里見も驚かされたが、これがもう一人の西野園真紀。里見が本当に会いたかった相手なのだ。
西野園は静かに語り出す。
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里見は首肯した。言われてみれば、確かに妙である。被害者達には直接的な繋がりが全くなく、現住所さえバラバラだ。
「里見さん、被害者達のプロフィールをもう少し詳しく教えて頂けませんか?」
里見は西野園に被害者達の情報が集められたファイルを手渡した。
「渡辺茂、二十七歳、サラリーマン……I県在住、独身、同じ職場で働いている女性と交際していた……」
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「では、それを是非読ませていただきたいのですが、よろしいですか?」
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途中までサイト上に発表され、完結することのなかった作品群。里見や同僚ももちろん目を通したが、これといった情報は得られなかった。西野園はそこに何らかの手がかりがあると踏んでいるのだろうか。
里見は八つの未完の作品をプリントアウトしてまとめ、ファイルに収めていた。
ファイルを受け取った西野園の黒く大きな瞳が、八つの未完成作品の上を滑り始める。
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あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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