125 / 126
フューネラル ジャンル:ミステリ
西野園真紀の述懐
しおりを挟む
「あの……よろしいですか」
熱心にファイルを読み込む西野園に、里見は声をかける。
「はい、何でしょう?」
「本当に、そんなものが今の若者たちの間で流行っているのですか? その作品なんて、『雪』というテーマが活かされているのは川端康成の『雪国』の引用だけで、文中には雪なんて全く出てこないじゃありませんか。それに、内容だってひどいものです。それがいわゆる『異世界もの』なんですか?」
西野園は苦笑した。
「いや、まあ、さすがにここまで下品な作品は滅多にありませんよ。ただ、私は全く興味がありませんけれど、異世界ものが流行っているのは確かなようですね。これは主人公がそのまま異世界へ行ってしまう『異世界転移』ですが、どちらかというと、現実世界で命を落とした主人公が異世界に生まれ変わり特殊な能力を得る、などの『異世界転生』もののほうが主流なようです。異世界ものが流行する背景には、現代の若者が抱える社会への絶望感があるのではないでしょうか。この世界はもう詰んでいるから、全てリセットしてもっと恵まれた環境でやり直したい。環境さえ変われば、自分はもっと輝けるはずだ……異世界ものの流行は、その願望の表れだと思います」
「はあ、そんなものですか……私はどうしても、若者だからこそもっとまともなものを読むべきなんじゃないかと考えてしまいますが」
「今は本が売れない時代です。流行におもねるのは当然でしょう。むしろ、ライトノベルの存在意義が読書人口の間口を広げることにあるのだとしたら、この『小説を書こう!』は立派にその役目を果たしていると思いますよ。文学を気取りながら悪魔に魂を売り渡し、芸能人に賞を与えて話題作りをするよりはね」
随分手厳しい、と里見は思った。西野園はなおも続ける。
「率直に言って、市場としての文学は緩やかな自然死へ向かっていると思います。かつての文学には、社会に対する風刺やアイロニーであったり、古い価値観を破壊し新たな思想を生み出そうという気概がありましたし、それが求められてもいました。でも、今はどうでしょう? 高度に発達した現代社会には、もう正しく壊せるところがどこにもなくなってしまったように思えます。価値観が固定され、思想の変化は技術の発展を追従するだけ。文系廃止が議論されるのも無理はないかもしれません。私たちはもう自らが作品の中に昇華されるほど芸術的な存在ではないことを知ってしまいましたし、自分を肯定してくれる作品の心地よさを覚えてしまいました。文学作品の存在意義がいったいどれほどあるのでしょう」
「ふむ……」
「つまり、文学は既に学問と言えるほど高尚なものではなく、社会の変化と共に娯楽の一ジャンルに成り下がってしまったのだと思います。そして、娯楽の一つとして見た場合の小説は、決してポテンシャルの高いものではない。もっと手軽に楽しめる娯楽との競合になった場合、小説は極めて弱いと言えます。にも拘わらず、それを取り巻く人々はあまりに純粋すぎるように私には思えます。少し前に、お笑い芸人がネット上に無料の絵本を公開して炎上しましたね。言動は典型的な炎上商法でしたが、彼に向けられた批判の趣旨は主に『創作には正当な対価が支払われるべきで、そのシステムを破壊しかねない無料での作品公開には賛同しかねる』というものでした。しかし、無料でさえ読まれないものに対価が払われるはずがありませんから、無料で公開することで読者を増やしたいというアプローチが間違っているとは私には思えません。物の価値を決めるのは常に消費者ですからね。どうも、『買い支え』という幻想に囚われている人が多いような気がするのです」
「幻想……ですか」
「少なくとも、日本的文脈の上に立って日本語で作品を綴っていく限り、少子高齢化と所得格差の拡大で加速度的に縮小してゆく市場の中で戦っていくしかありません。可処分所得が目減りしてゆく社会情勢の中で、娯楽はさらに多様化していくでしょうし、好きな作家を買い支えられるだけの財力を持つ人も減っていくでしょう。新刊を千円前後の価格で出し、これまでと同じ感覚で『買ってください』とお願いすればどうにかなるという問題ではない。本を売るということ、作品を読んでもらうということを根本的に見つめ直す必要があるでしょう。そして、市場が縮小し、商売として成り立たなくなったら、あとは文化として残していけるかどうかが問題となってきます。多くの伝統文化がそうであるようにね。その意味では、こういった小説投稿サイトの存在こそが鍵を握っていると言えるでしょう。無料で執筆され公開され続ける作品群は、小説という一つの文化にとって巨大な資産となる。物を書く、読むということに商業的利益が発生するか否かに係わらず、書く人も読む人もいなくなってしまったら、文化そのものが完全に廃れてしまいますからね」
淡々と言い切った西野園は、再びファイルへと目を落とした。
熱心にファイルを読み込む西野園に、里見は声をかける。
「はい、何でしょう?」
「本当に、そんなものが今の若者たちの間で流行っているのですか? その作品なんて、『雪』というテーマが活かされているのは川端康成の『雪国』の引用だけで、文中には雪なんて全く出てこないじゃありませんか。それに、内容だってひどいものです。それがいわゆる『異世界もの』なんですか?」
西野園は苦笑した。
「いや、まあ、さすがにここまで下品な作品は滅多にありませんよ。ただ、私は全く興味がありませんけれど、異世界ものが流行っているのは確かなようですね。これは主人公がそのまま異世界へ行ってしまう『異世界転移』ですが、どちらかというと、現実世界で命を落とした主人公が異世界に生まれ変わり特殊な能力を得る、などの『異世界転生』もののほうが主流なようです。異世界ものが流行する背景には、現代の若者が抱える社会への絶望感があるのではないでしょうか。この世界はもう詰んでいるから、全てリセットしてもっと恵まれた環境でやり直したい。環境さえ変われば、自分はもっと輝けるはずだ……異世界ものの流行は、その願望の表れだと思います」
「はあ、そんなものですか……私はどうしても、若者だからこそもっとまともなものを読むべきなんじゃないかと考えてしまいますが」
「今は本が売れない時代です。流行におもねるのは当然でしょう。むしろ、ライトノベルの存在意義が読書人口の間口を広げることにあるのだとしたら、この『小説を書こう!』は立派にその役目を果たしていると思いますよ。文学を気取りながら悪魔に魂を売り渡し、芸能人に賞を与えて話題作りをするよりはね」
随分手厳しい、と里見は思った。西野園はなおも続ける。
「率直に言って、市場としての文学は緩やかな自然死へ向かっていると思います。かつての文学には、社会に対する風刺やアイロニーであったり、古い価値観を破壊し新たな思想を生み出そうという気概がありましたし、それが求められてもいました。でも、今はどうでしょう? 高度に発達した現代社会には、もう正しく壊せるところがどこにもなくなってしまったように思えます。価値観が固定され、思想の変化は技術の発展を追従するだけ。文系廃止が議論されるのも無理はないかもしれません。私たちはもう自らが作品の中に昇華されるほど芸術的な存在ではないことを知ってしまいましたし、自分を肯定してくれる作品の心地よさを覚えてしまいました。文学作品の存在意義がいったいどれほどあるのでしょう」
「ふむ……」
「つまり、文学は既に学問と言えるほど高尚なものではなく、社会の変化と共に娯楽の一ジャンルに成り下がってしまったのだと思います。そして、娯楽の一つとして見た場合の小説は、決してポテンシャルの高いものではない。もっと手軽に楽しめる娯楽との競合になった場合、小説は極めて弱いと言えます。にも拘わらず、それを取り巻く人々はあまりに純粋すぎるように私には思えます。少し前に、お笑い芸人がネット上に無料の絵本を公開して炎上しましたね。言動は典型的な炎上商法でしたが、彼に向けられた批判の趣旨は主に『創作には正当な対価が支払われるべきで、そのシステムを破壊しかねない無料での作品公開には賛同しかねる』というものでした。しかし、無料でさえ読まれないものに対価が払われるはずがありませんから、無料で公開することで読者を増やしたいというアプローチが間違っているとは私には思えません。物の価値を決めるのは常に消費者ですからね。どうも、『買い支え』という幻想に囚われている人が多いような気がするのです」
「幻想……ですか」
「少なくとも、日本的文脈の上に立って日本語で作品を綴っていく限り、少子高齢化と所得格差の拡大で加速度的に縮小してゆく市場の中で戦っていくしかありません。可処分所得が目減りしてゆく社会情勢の中で、娯楽はさらに多様化していくでしょうし、好きな作家を買い支えられるだけの財力を持つ人も減っていくでしょう。新刊を千円前後の価格で出し、これまでと同じ感覚で『買ってください』とお願いすればどうにかなるという問題ではない。本を売るということ、作品を読んでもらうということを根本的に見つめ直す必要があるでしょう。そして、市場が縮小し、商売として成り立たなくなったら、あとは文化として残していけるかどうかが問題となってきます。多くの伝統文化がそうであるようにね。その意味では、こういった小説投稿サイトの存在こそが鍵を握っていると言えるでしょう。無料で執筆され公開され続ける作品群は、小説という一つの文化にとって巨大な資産となる。物を書く、読むということに商業的利益が発生するか否かに係わらず、書く人も読む人もいなくなってしまったら、文化そのものが完全に廃れてしまいますからね」
淡々と言い切った西野園は、再びファイルへと目を落とした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる