探偵たちのラプソディ

浦登みっひ

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非協力的な生贄

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西野園「ゲーム……オーバー……?」

 屋上のコンクリートに叩きつけられるように落下した生贄の女性。彼女がぽつりと零した一言を、私は聞き逃さなかった。このゲームの趣旨を、彼女は理解しているのだろうか? いや、それならば現状でゲームオーバーと言うのはおかしい。生贄をようやく生きたまま確保し、私たちはたった今勝利を確信したばかり。そして、我々の勝利は取りも直さず、彼女が殺されずに済むということでもあるのだ。
 なのに、彼女の表情には明らかに落胆の色が浮かんでいる。二メートルほどの高さからコンクリートの上に落ちたのだから、たしかに体は痛むだろう。どこか怪我をしているかもしれない。が、それでも殺されるよりはマシなはず。彼女の言葉は、私にはとても不可解なものに思えた。

川矢「何ボヤっとしてるんだ! 全員で取り押さえるぞ!」

 川矢探偵の指示によって、困惑していた私たちは慌てて生贄の体を抑え込んだが、彼女は一言も発することなく、抵抗もしなかった。

桃貫「このまま屋上に居るのは危険だ。事情聴取は中で行うことにしましょう!」
水村「たしかに、相手がヘリコプターを使っているのなら、ここでは狙撃してくれと言っているようなものですな」
東條「ちょっと、ガラの悪いオバサン、話聞いてます? 下に降りますよ?」

 東條が生贄の女性に声を掛ける。ガラの悪いオバサンって――この子はどうしてこう一言多いんだろう?
 しかし、女はそれにも全く反応を示さない。まさか東條の発言に腹を立てて無視しているわけではないと思うけれど……。
 そのまま数十秒間返事を待っていたが、川矢探偵が業を煮やしたように生贄の手を取った。

川矢「ほら、立つんだ、君! 東條くんはもう喋るな!」
東條「えっ? なんでさ!」

 どこか怪我でもしているのか、女はそれでも自分から立ち上がろうとはしない。苛立ちを隠そうともしない川矢探偵を宥めながら水村先生も女に駆け寄り、二人がかりで女の体を抱え起こす。が、女性にしては大柄な上にややふくよかな体型の女を動かすのは男二人の力でも容易ではないらしく、さらに樺川先生と桃貫警部が手伝って、ようやく女を立ち上がらせることができた。

織田「気を付けて! 我々もすぐそちらに向かいます!」

 反対側の屋上からこちらの様子を窺っていた織田探偵が叫び、四人が屋上の扉を開ける姿が見えた。一階まで階段を降りてまた別棟の階段を昇ってくるのは、体力の消耗も考慮に入れればかなりの時間がかかるだろう。
 私たちは女の生贄を屋上から四階の病棟の一室へと運び込んだ。私たちといっても、全く協力的な姿勢を見せない女の体を運んだのは四人の男性たちで、私と東條はただついて歩いただけなのだけれど。

 かつて病室として使われていたであろうその部屋には、人が通り抜けられない程度の大きさのガラス窓が一つあるだけで、その窓にも例に漏れず真新しい鉄格子が嵌められている。病室というよりも監獄のような雰囲気で、こんなところに長く住んでいたら健康な人間でも精神を病んでしまいそうだ。

川矢「さあ、いい加減何か喋ったらどうだね、君」

 女を床に座らせ、川矢探偵が詰問したが、女はそれに答えるどころか、俯いたまま私たちと視線を合わせようとすらしない。

川矢「おい、我々は君の命を救おうと――」
桃貫「まあまあ、川矢さん、抑えて抑えて……機嫌を損ねても得することは何もないんですぞ。お嬢さん、答えたくなければ無理にとは言いませんが、少しだけ我々の質問にお答え頂くことはできませんかな」

 桃貫警部は女の傍に屈みこみ、川矢探偵とは対照的に優しい声色で語り掛ける。川矢探偵の意図したところではなかったと思うけれど、それを利用した桃貫警部の硬軟織り交ぜた巧みな話術。これも刑事として長年培われた技術だろうか。
 しかし、桃貫元警部の丁寧な問いかけに対しても、女は頑として口を開かなかった。

 とはいえ、私たちの今の目標はまず十五分間彼女の命を守り抜くことであって、ゲームマスターの正体を暴くことではない。それに、このゲームには既に十一人もの探偵や元刑事が関与しているのだから、ゲームマスターや組織はいずれ必ず然るべき罰を受けることになるだろう。今この状況で焦る必要はどこにもない。

 そのまま何事もなく数分が過ぎ、本棟の屋上から織田探偵ら四人と、十一人目の探偵と思しき男性、合わせて五人が私たちの元へ駆けつけた。よくよく考えてみれば、私が樺川先生、桃貫警部と別行動をとって以降、このゲームに参加している全ての探偵が一堂に会するのはこれが初めてということになる。
 果たして全員が本当に探偵と呼べるか(私自身を含む)はさておき、揃いも揃ったり十一人、さすがに壮観だなぁ――生贄を確保できた安堵感もあり、私は他人事のようにその光景を眺めていた。

糊口「皆様どうも。糊口と申します。以後お見知りおきを……といっても、どうやらもう終わるところらしいですが」

 糊口と名乗った男はそう言うと、慇懃に頭を下げた。
 年齢は三十代、いや四十代だろうか。長身でやや面長、グレーのスラックスに白いセーターを羽織った穏やかな雰囲気の紳士だが、その表情にはどこか自嘲的な陰が差しており、彼の年齢を推し量る上で大きな不確定要素となっている。
 と、その時、どこか遠慮がちな糊口を押し出すように、門谷先生が彼の隣に歩み出た。

門谷「あら、糊口先生じゃないの。彼ね、私と同じ推理作家なのよ。良質な本格ミステリを何作も書いてきたし、何度かミステリ大賞をとったこともあるんだけど、糊口凌太郎、ご存じの方はいらっしゃらないかしら?」

 ミステリ作家の糊口……? そう言えば、部屋の本棚で見かけた覚えがあるようなないような。

糊口「いやあ、いないでしょうね。本格ミステリなんて今や肩身の狭いニッチなジャンルだし、その上私は流行作家になるにはあまりにも遅筆ですから。賞をとったところで、別に本が飛ぶように売れるわけでもありませんし。私などより、そこにいらっしゃる愚藤先生の作品のほうが遥かに売れているでしょう」
愚藤「はっはっは、まあ、確かにそうでしょうね。糊口さんか……ちょっと聞いたことないなあ」

 臆面もなく言い放つ愚藤を全力でスルーし、織田探偵が言った。

織田「糊口……おお、あの糊口先生か。門谷先生に紹介されて思い出した。いくつか、先生の著作も読んだことがありますよ。『三の悲劇』でしたか、あれは名作だった」
川矢「私も、何作か読ませて頂きました。何年か前の、『ヴァン・ダイン・マシン』はエスプリが効いていて非常に面白かった」
水村「私は犯罪学を研究しているのですが、糊口先生の『カニバリズム概論』という短編はなかなか興味深かったですね。実は、私の悪友も推理作家のはしくれらしいですが、同業者ながら糊口先生のことをベタ褒めしていましたよ」
銀田二「私は何と言っても『生首に言ってみろ』ですな。あのおどろおどろしく奇想天外なトリックには、まさに度肝を抜かれたものです」
糊口「……は、はぁ、ありがとうございます。当代切っての名探偵の皆様にお褒め頂けるとは……流行遅れの本格ミステリでも飽きずに書き続けてきた意味があったということですかね」
門谷「あら、糊口先生ばっかりずるいわ。皆さん、私の小説は読んでくれていませんの?」
糊口「いや、門谷先生はついこの間『Other』が大ヒットしたばかりじゃないですか。アニメ化や実写映画化までされて、新規の若いファンを大勢獲得――」
東條「え? 『Other』? それって、『Otherなら死んでた』のあれですか? 私も見てました、そのアニメ! あれ、門谷先生が原作者だったの?」
門谷「最近の子って、映像化された作品でもあんまり原作まで追っかけてこないわよねえ……そ、あれはあたしが書いたの。まあ、ミステリかって言われたら微妙なとこだけどね」
東條「いえいえ! めっちゃびっくりしましたよ、あれ! 普通にホラーとして見てたら、驚愕の真実、そう来たかぁ! って」

 突然ミステリ談義に花を咲かせ始める探偵たち。ていうか、門谷先生に糊口先生、そして水村先生の友達も推理作家だなんて。単に世間が狭いのか、それともここに集められているのが探偵ばかりだからなのかはわからないけれど、推理作家ってそんなに大勢いるものだろうか。
 そこで私はふと、ミステリ談義には加わらず、輪から一人外れて静かに何か考え込んでいる様子の樺川先生に気が付き、何気なく声を掛けた。

西野園「樺川先生は、ミステリはあまり読まれないのですか?」
樺川「……えっ? ああ、うん……そうだね。ミステリに限らず、小説はほとんど読んだ事がないな」

 樺川先生は一瞬だけ顔を上げ、上の空という雰囲気でそう答えると、すぐに再び目を伏せて黙り込んでしまった。その態度に腹が立ったわけではないけれど、生贄を確保し勝利が確定的になったこの状況で、何をそこまで考え込んでいるのだろう?

西野園「……何か、考え事でもしていらっしゃるんです?」
樺川「……いや、考え事というほどのことでもないんだけどね。まだ僕と西野園さんと桃貫元警部しかいなかった頃、追いかけていた生贄が階段で殺されたことがあっただろう?」
西野園「ええ、あれは残念でしたね。私たちの目の前で……」
樺川「あの時、現場を見て頭の中で何か引っかかるものがあったんだけど、それが今更妙に気になってね」
西野園「引っかかるもの……ですか?」
樺川「それが具体的に何だったのかはまだわからない。ただの気のせいという可能性も――」

 と樺川先生が言いかけたその瞬間、今までよりさらに大きな、耳を劈くほどの大音量でオーケストラの音楽が鳴りわたり、私は頭上を仰ぎ見た。

愚藤「うるっせぇな……もうヘリコプターの音なんか隠しても意味ないんだから、もっと静かにやりゃあいいのに」
門谷「そろそろ十五分経つ頃だし、ゲームの終了を知らせる音楽なのかもしれないわね」
織田「それにしても随分喧しい……ずっと聴いていたら耳を悪くしてしまいそうだ」

 床が微かに振動するほどの大音量。いくら美しいオーケストラの旋律でも、これではただの騒音でしかない。
 しかし、それ以上に私たちを驚愕させたのは、もう嫌というほど聞かされたはずのゲームマスターの無機質なアナウンスだった。

『残念ながら十一人目の犠牲者が出た。現在、十二人目の探偵がこちらへ向かっている。諸君は建物内の探索を続けるもよし、エントランスで新たな探偵を出迎えるもよし、十二人目の探偵がここに到着するまで、ひとまず自由に過ごしていてくれたまえ』

 十一人目の犠牲者――って、まさか!

川矢「何だと!?」

 川矢探偵の声を待つまでもなく、十一人の探偵の視線が一斉に生贄の女性へと集まる。
 そこには、頭を正面から撃ち抜かれた女性の死体と、小さな拳銃が転がっていたのだった。
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