探偵たちのラプソディ

浦登みっひ

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エピローグ

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 私が次に目を覚ましたのは、女子トイレの洗面台の前だった。
 鏡に映った私の顔は、メイクが薄いせいもあって、ひどく疲れた表情に見える。いや、四階建ての廃墟ビルの中を昇ったり降りたりと走り回った私の元々貧弱な体は、実際にとても疲れていた。特に強いのは足の痛み。ヒールや裸足であれだけ走ったのだから無理もない。この感じだと、明日から数日は筋肉痛が続くだろう。

 そんなことよりも――私は辺りを見回した。
 ここはどこだろう? 私が彼女の要求に応じてメイクを落としたのは、殺人ゲームが行われていた廃墟の四階の女子トイレだったが、私が今いる場所は明らかに別の女子トイレだ。廃墟のトイレには当然水道も通っていなかったし、錆や埃が酷かった。どうせ改修するのならきちんと隅々まで手を入れて欲しいと思ってしまったほどに。
 しかし、ここはちゃんと掃除が行き届いていて清潔感があり、人に使われている気配を感じる。廃墟のトイレより全体の間取りも個室のスペースも少し広い。耳を澄ませば人の話し声や物音が微かに聞こえてくるし、ここがあの廃病院ではないことは確実。
 そして、彼女が人前に現れたということは、つまりもう事件は解決したと考えていいだろう。とすると、ここは――?

 トイレから廊下に出ると、向こうからちょうど女性警官がやってきた。

西野園「あの、すみません」
女性警官「はい?」


i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i


 私が目覚めた場所は警察署、青葉市内にある青葉中央警察署だった。
 女性警官は交通課の職員だったが、私のことを知っていた。しかしさすがに私の二重人格というややこしい事情までは知らされていないらしく、殺人ゲームの終盤から現在に至るまでの記憶がないことを心配された。
 彼女が事情を知らない人の前に出てくること自体が久しぶりだったので、私も少し対応に戸惑う。心遣いはありがたいものの、説明すると長くなりそうなので、たまに健忘症の発作が出るがすぐに思い出すのでご心配なく(本当にそんな都合のいい発作が有り得るのかは知らない)、と適当にはぐらかし、署内の案内を頼んだ。

 女性警官に連れられて署内の待合室に入ると、そこでは殺人ゲームに参加した探偵たちが、何もない床やテーブルや天井を見つめ続けるという全く無意味な行為にぼんやりと時間を浪費していた。
 苛立たし気に貧乏ゆすりをする者、退屈そうに溜め息をつく者、薄目になって明らかに眠そうな者もいる――と、そこで私は、探偵以外にも見知った顔があることに気付いた。

片倉「お戻りですか、西野園さん……おや」

 彼の名は片倉刑事。先日、三内キャンパスで起こった事件で捜査にあたっていた、強面の刑事だ。片倉刑事が少し不思議そうな表情をしたのは、私がメイクをして戻ってきたからだろう。しかし幸いにも、何故この状況で化粧を、などと問い質されることはなかった。

川矢「片倉刑事、いったい私たちはいつまでここでこうして無駄に時間を潰していなければならないんです? 我々は巻き込まれただけだ。せめてそろそろ外部との連絡ぐらいは許可してもらえませんかね?」
愚藤「そうっすよ、俺、今日テレビの収録の予定が入ってるんですけど……」

 業を煮やした様子の川矢探偵と愚藤が詰め寄ると、片倉刑事は苦笑しながら、もう少々お待ちいただけませんか、と頭を下げる。私たちに事情聴取しに来た時とは随分態度が違うように感じられたが、やはり相手が探偵だからだろうか。
 ふと待合室の時計を見ると、時刻は午後一時を回ったところ、ということは……?
 私は一番近くにいた門谷先生に尋ねた。

西野園「あの、皆さん、いえ、私たち、もうどれぐらいここにいるんですか?」
門谷「ええ? どれぐらいって……あの廃墟から警察署に連れて来られたのが昨日の夕方で、それから代わる代わる事情聴取たから……もう半日以上? ってか、そんなこと、時計を見ればわかるでしょうが」

  苛立ちを隠す気すらない門谷先生に、織田探偵が宥めるように言った。

織田「まあまあ……警察も、前代未聞の事件で対応に苦慮しているのでしょう。美矢城県警だけで片付く事件でもない。間違いなく、警視庁と合同で捜査にあたることになるでしょう。そしておそらく、警察の威信を揺るがす一大スキャンダルとなる。我々はその事件の現場に居合わせた重要参考人ですから、すぐに帰すわけにはいかないでしょう」
門谷「それはまあ……そうかもしれませんけど……」

 ちょっと、いくら何でも態度変わりすぎじゃないか?
 急にしおらしくなった門谷先生に呆れながら、私はもう一度室内を見渡した。
 今この部屋の中にいるのは、片倉刑事を含めて十二人。私が知る限り、ゲーム終了時には十二人の探偵がいたはずだから、そのうち一人がこの場にいないことになる。いったい誰が、と探偵たちの顔ぶれを確認し始めたちょうどその時、待合室の扉が開かれた。

伊達「皆さん、随分長らくお待たせいたしました」

 と、まるで結婚式の司会のように作為的な台詞と共に現れたのは伊達刑事。ボサボサの髪に着崩したスーツ、およそ警察官とは思えない風貌ではあるけれど、なんと彼は片倉刑事の先輩にあたる美矢城県警の刑事だ。
 思えば、私がこの事件に巻き込まれたのは、彼の名前を出されて協力を求められたからだった。

伊達「事件の概要はようやく掴めてきました。探偵の皆様には、もう事情聴取も済んだ事ですし、各自お帰り頂いて結構です。といっても、大半は遠方から来られた方なんですよね。署の者が駅までお送り致します。帰りの電車代も、ひとまずこちらで出させて頂きます。退職した元刑事の犯行とはいえ、客観的に見ればこれは明らかに警察内部の不祥事ですからね……」

 退職した元刑事。
 私はもう一度室内を見回し、桃貫元警部の姿が見えないことに気付いた。あの正義感溢れる桃貫警部が?

川矢「ようやくか、やれやれ。早速だが、私はこれで失礼するよ。短い間ではあったが、日本を代表する探偵たちと交流を持てたことは極めて稀有な体験だったと言えるだろう。またいつかどこかで出会えたら、その時はよろしく」

 川矢探偵がそう言い残し、振り返りもせずに颯爽と部屋を出て行くと、それに続いて他の探偵たちも続々と席を立ち始める。

水村「では、私もそろそろ。私は仕事も兼ねて事件の現場に赴くことが多いので、もし京都で何か事件が起こったら、お会いする機会があるかもしれません。その時はよろしく」
織田「私は東京で探偵稼業をしております。まあ、皆さん自身も探偵だから、大抵の事件は自力で解決されるかもしれませんが、もし私でお力になれることがあったら、いつでもお声がけください」
銀田二「私は、一応東京に事務所は構えておるのですが、大抵は日本全国をぶらぶら旅しております。事務所に居ることは稀ですが、今はこれでいつでも連絡がつくので、御用の際はお気軽にご連絡ください」

 銀田二は人好きのする笑みを浮かべながら、着物の懐からスマートフォンを取り出して見せた。現代人ならスマホぐらい持っていて当たり前なのだけれど、昭和の世界からタイムスリップしてきたかのような着物に袴姿の彼とスマホの組み合わせは、かなり意外な印象を受ける。

門谷「あたしは……本業は探偵じゃないから、あんまり事件とか持ってこられても困るんだけど、まあ、あたしの本を十冊ぐらい読んでくれたら、話ぐらいは聞いてあげないこともないわ」
糊口「私も、門谷先生と事情は同じですね。ただ私の場合は十冊と言わず、五冊ぐらいにまけておきましょう」
安西「私は……引き篭もって仕事をしていることが多いので、皆様と顔を合わせる機会はなかなかないかもしれませんが、新潟にお立ち寄りの際はご連絡ください。ご都合主義の恋愛小説ばかり書いていますけれど、おいしい店ならご紹介できますので」
愚藤「僕はまあ、近いうちに芥川賞獲ると思うんでよろしく」

 愚藤の一言には、ゴーストライターの書いた小説で、という補足が抜けている。今回参加した探偵は皆、小説も探偵としての実績も彼自身の力によるものではないことを知ってしまったと思うけど、情報漏洩の心配はないのだろうか?

樺川「私は積極的に警察の捜査を手伝っているわけでもないし、小説を書けるような文才もありませんが……那古屋までお越しの際は、連絡を頂ければ。学生からいい店を聞いておきますよ」
東條「じゃあ私は、近いうちに必ず霊能力を取り戻す予定ですので、呪いや霊障でお困りの際は是非!」

 それぞれに別れの挨拶を述べた探偵たちの視線が、一斉に私に向けられる。でも、私には彼らのように堂々と自己紹介できるような肩書も実績もなく、そもそも探偵ですらないのだ。
 私はこう答えるしかなかった。

西野園「……わ、私は……ごく普通の女子大生なので……」


!i!i!i!i!i!i!i!i!i


 私をマンションまでパトカーで送り届けてくれたのは、なんと伊達刑事自身だった。
 三内キャンパスの事件の捜査もまだ終わっていないというのに、さらに前代未聞の事件が起こり、美矢城県警もてんてこまいのはず。現場を離れても大丈夫なのかしら?
 帰りの車中で、私は伊達刑事から今回の事件の結末を聞かされた。桃貫元警部及び彼の仲間たちは警察の事情聴取に素直に応じているらしく、事件の全貌が明らかになるまでにそう時間はかからないだろうとのこと。
 しかし、いったい何が彼らをそこまで突き動かしたのか、その動機については、桃貫元警部の供述通りに聞かされても、私にはあまり理解できなかった。桃貫元警部が過去に接した探偵がどんな人物だったのかはわからない。でも、わざわざ多額の資金を投じ、諸々のリスクを冒してまで、やり遂げなければならなかったことなのだろうか。
 伊達刑事はバックミラー越しに私を見ながら、しみじみと言った。

伊達「まあ、名探偵に対するコンプレックスのようなものではないでしょうか。それなら、全く理解できなくもないですね、私にとっても」
西野園「はぁ……そういうものなんですか」
伊達「それにしても、驚きましたよ、現場に駆けつけて西野園さんとお会いしたときは。以前話を窺った時とは随分雰囲気が違ったから――あ、いえ、その、妙な意味ではなくて」
西野園「ああ、それは……実はですね」

 と、私は自分が二重人格であること、そして探偵としての実績があるのは彼女の方であることを伊達刑事に明かした。今後の捜査の都合もあるし、彼には一応話しておいたほうがいいと考えたからだ。
 伊達刑事は少し反応に困っている様子だったが、最終的には『へえ、面白いですね』の一言で片付けられた。まあ、あまり深刻に捉えられるよりは、その方が私も気が楽ではある。

伊達「そうそう、先程袴田さんにお会いしましてね。西野園さんに伝言を承っていたんですよ」
西野園「心美ちゃんが? 何ですか?」
伊達「お互いの事件がひと段落したら、西野園さんのゼミの話を聞かせて欲しいそうです」

 お互いの事件、という言葉が妙にツボに入り、私は必死に笑いを噛み殺した。何気ない一言ではあるが、不思議と大胆な言い回しではないだろうか。
 その時、私はふと、今回の殺人ゲームの事件で気になっていたことを思い出し、伊達刑事に尋ねてみた。

西野園「そういえば、あの廃墟に集められた探偵は、最後の安西先生で十二人だったんですよね? 招待を受けていた探偵は、その十二人だけだったんですか?」
伊達「ああ、いえ、あの時青葉に到着していた者だけでも、少なくとも三名は確認されています。車で駅から廃墟へ送られている最中の者もいたようです。もしかしたら他にも、呼びつけられたまま事情を知らず市内で立ち往生している者がいるかもしれませんね。三名の名前は……えーと、何だったかな。そうそう、シャモロック・ホルムズと、ワルキューレ・アポロと、ヒラリー・クリーン。ホルムズはイギリス人、アポロはベルギー人、クリーンはアメリカ人ですね。ご存じですか?」
西野園「……いいえ、全く」

 そう答えながら私は、内心ほっと胸を撫でおろしていた。
 日本人に伝えることすら苦労したあの殺人ゲームの状況を、英語で説明できる自信が全くないからだ。
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