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昨日と今日と明日
代役なんて、まっぴらだ
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こんなときこそ、ぼくとエムの間に、仔猫のなにかがいてくれたら……。
ぼくたちの天使。なにかが、いてくれたなら、あんな軽はずみなことを口走ったりはせずにすんだだろうに。
「なにかに会いたい。今すぐ、なにかに会いたい」
「わかった、ジェイ。今すぐ、なにかに会わせてあげるよ」
エムは、スマホを出した。
エムがぼくに動揺を見せたのは、一瞬だけだった。内心ではいざ知らず、表面では、すぐにいつもの彼に戻っていた。それが、とても癪に触った。後悔することが増えていくだけなのに、ぼくは難癖をつけずにはいられなかった。
「あなたの撮ったなにかは、もう見飽きたよ。青いネクタイで遊んでいるところばかりじゃないか」
「そうくるだろうと思って、ペットカメラを設置したんだ。今日は、これをお披露目に来たんだ。リアルタイムのなにかに会えるぞ、ほら」
エムが差し出したスマホには、リビングの窓から外を見ているなにかが映っていた。あの窓からは、家の前庭が見える。ぼくらの出入りが一目瞭然だ。
なにかは、今もひとりで家にいて、ぼくらの帰りを待ち侘びているんだ。それを思うと胸が締め付けられ、押さえようもない感情が一気に爆発した。
「そうじゃない! ぼくが見たいのは、スマホの中のなにかじゃない! 本物のなにかだ! やわらかくて、あったかくて、ちっちゃいなにかに、ぼくは今すぐ、会いたいんだ!」
「なにかは、病院には来られないだろう。わがままを言うんじゃない」
「家に帰りたい、ぼくらの家に帰って、なにかに会いたい」
「あとしばらくすれば、家に帰れるようになるさ」
「しばらくじゃない! 今すぐ、ぼくらの家に帰りたいんだ!」
「そうやって、駄々をこねるんじゃない。ベイビー」
枕に顔を埋め泣きじゃくるぼくの髪を、ぼくが泣き止むまでエムは優しく撫でていた。
それが余計に、ぼくを苦しくさせた。
ぼくは枕に顔を埋めたまま、言った。
「……エム」
「なんだい」
「ぼくが入院していると、あなたたちには、いい予行練習になるよね」
ぼくは、そんなことを言うつもりはなかった。「取り乱して、ごめん」と謝るつもりだった。それなのに、口が勝手に動いていた。エムは訝しげに聞き返した。
「あなたたち?」
「あなたとなにかさ。あなたとなにかの予行練習」
「ぼくとなにかが、なんの予行練習をするんだい?」
「あなたとなにかの二人暮らしの予行練習」
「わたしたちだろ、ジェイ。ジェイとわたしとなにかの三人暮らしだ」
「だから、予行練習さ。ぼくがいなくなったあとの、エムとなにかの二人暮らしの予行練習」
「何を言っているんだ、ジェイ」
「あなたこそ。何度、同じことを繰り返したら、理解できるんだい? 弁護士の先生なんだろ」
「きみの前では、わたしは一人の男でしかない。いいか、二度とそんなことを言うんじゃないぞ」
「だって、事実じゃないか」
「事実も、何もない。先のことなど、誰にもわかりはしない。重要なのは、あとしばらくすれば、きみは退院して、なにかの待つ家に帰るということだ」
「今回はね。でも、次はないかもしれない」
「ジェイ!」
エムは、ぼくに寝返りを打たせた。視界が明るくなった。泣き腫らした目が痛い。天井の明かりに、目を瞬かせながら、ぼくは自制が利かなくなっていた。
「そっか。二人暮らしの予行練習はいらないか」
「ジェイ?」
「ぼくがいなくなっても、エムには代わりがいくらでもいるんだからさ。すぐに、三人暮らしになるもんな」
「きみの代わりは、いない!」
エムは、ぼくの頰に両手を当て、無理矢理ぼくの顔を彼の方に向けた。
ぼくは吐き捨てるように続けた。
「ぼくの次のアッシュの代役なんて、あなたには掃いて捨てるほどいるんだものな」
ぼくたちの天使。なにかが、いてくれたなら、あんな軽はずみなことを口走ったりはせずにすんだだろうに。
「なにかに会いたい。今すぐ、なにかに会いたい」
「わかった、ジェイ。今すぐ、なにかに会わせてあげるよ」
エムは、スマホを出した。
エムがぼくに動揺を見せたのは、一瞬だけだった。内心ではいざ知らず、表面では、すぐにいつもの彼に戻っていた。それが、とても癪に触った。後悔することが増えていくだけなのに、ぼくは難癖をつけずにはいられなかった。
「あなたの撮ったなにかは、もう見飽きたよ。青いネクタイで遊んでいるところばかりじゃないか」
「そうくるだろうと思って、ペットカメラを設置したんだ。今日は、これをお披露目に来たんだ。リアルタイムのなにかに会えるぞ、ほら」
エムが差し出したスマホには、リビングの窓から外を見ているなにかが映っていた。あの窓からは、家の前庭が見える。ぼくらの出入りが一目瞭然だ。
なにかは、今もひとりで家にいて、ぼくらの帰りを待ち侘びているんだ。それを思うと胸が締め付けられ、押さえようもない感情が一気に爆発した。
「そうじゃない! ぼくが見たいのは、スマホの中のなにかじゃない! 本物のなにかだ! やわらかくて、あったかくて、ちっちゃいなにかに、ぼくは今すぐ、会いたいんだ!」
「なにかは、病院には来られないだろう。わがままを言うんじゃない」
「家に帰りたい、ぼくらの家に帰って、なにかに会いたい」
「あとしばらくすれば、家に帰れるようになるさ」
「しばらくじゃない! 今すぐ、ぼくらの家に帰りたいんだ!」
「そうやって、駄々をこねるんじゃない。ベイビー」
枕に顔を埋め泣きじゃくるぼくの髪を、ぼくが泣き止むまでエムは優しく撫でていた。
それが余計に、ぼくを苦しくさせた。
ぼくは枕に顔を埋めたまま、言った。
「……エム」
「なんだい」
「ぼくが入院していると、あなたたちには、いい予行練習になるよね」
ぼくは、そんなことを言うつもりはなかった。「取り乱して、ごめん」と謝るつもりだった。それなのに、口が勝手に動いていた。エムは訝しげに聞き返した。
「あなたたち?」
「あなたとなにかさ。あなたとなにかの予行練習」
「ぼくとなにかが、なんの予行練習をするんだい?」
「あなたとなにかの二人暮らしの予行練習」
「わたしたちだろ、ジェイ。ジェイとわたしとなにかの三人暮らしだ」
「だから、予行練習さ。ぼくがいなくなったあとの、エムとなにかの二人暮らしの予行練習」
「何を言っているんだ、ジェイ」
「あなたこそ。何度、同じことを繰り返したら、理解できるんだい? 弁護士の先生なんだろ」
「きみの前では、わたしは一人の男でしかない。いいか、二度とそんなことを言うんじゃないぞ」
「だって、事実じゃないか」
「事実も、何もない。先のことなど、誰にもわかりはしない。重要なのは、あとしばらくすれば、きみは退院して、なにかの待つ家に帰るということだ」
「今回はね。でも、次はないかもしれない」
「ジェイ!」
エムは、ぼくに寝返りを打たせた。視界が明るくなった。泣き腫らした目が痛い。天井の明かりに、目を瞬かせながら、ぼくは自制が利かなくなっていた。
「そっか。二人暮らしの予行練習はいらないか」
「ジェイ?」
「ぼくがいなくなっても、エムには代わりがいくらでもいるんだからさ。すぐに、三人暮らしになるもんな」
「きみの代わりは、いない!」
エムは、ぼくの頰に両手を当て、無理矢理ぼくの顔を彼の方に向けた。
ぼくは吐き捨てるように続けた。
「ぼくの次のアッシュの代役なんて、あなたには掃いて捨てるほどいるんだものな」
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