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第9話 勇者、家庭訪問する
〜3〜
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日頃の買い物は1番街か2番街で済ませてしまうから3番街はこういう時でないと滅多に来ない。
3番街は日常的な買い物をする店ではなく、腕のある職人が集まる高級専門店だから、買い物をするとそれなりの値段がする。
しかし、勇者が使うには相応しいだろう。ちょうど欲しいものがあったし、3番街の靴屋、ニーアの実家に立ち寄った。
ホーリア市は山と街の中間にあり、山から下りて靴がボロボロになった旅人が街に行くために靴を履き替えたり、街から革靴を鳴らして来た役人が山に入るために靴を履き替えたりする。
だから靴職人がそれはそれは儲かって、一時期靴屋だらけだったらしいが、家はそれを勝ち抜いて残った店だ、とニーアが以前誇らしげに言っていた。
重いガラス戸を開けると、扉の上のベルがカランコロンとゆっくり音を立てた。店の中には簡単なテーブルとベンチだけが置かれている。高級店は、注文を受けてオーダーメイドで作るから店内に商品を並べないらしい。
「予約は?」
ベルの音を聞いて、店の奥からパンを咥えた男が1人出て来た。俺とそう変わらない年齢のようだから、ニーアのすぐ下の弟のルークだと思う。その歳で熱が出るとニーアに体を拭いて貰っているのだから羨ましい。
直接話すのは初めてだったが、ルークは俺を街で見かけたり、ニーアから話を聞いているようで、俺を一目見るなり「お前か」と店の奥に戻って行こうとした。
「予約はしてない。一足、作ってくれないか」
「うちは靴職人だ。客は選ぶ」
ニーアに似た顔で冷たく言われて、俺は思った以上のダメージを受ける。
覚悟していたけれど、3番街の面々はニーアから俺の悪評を散々聞いているのだろう。鍛冶屋のリストは魔獣の抜け殻をちらつかせればどこまでも俺に媚びてくるだろうが、あれが異常なだけだ。
予想はしていた事だから、大人しく店を出ようとしたけれど、ルークが俺の片足を掴んで持ち上げる。勇者に地面に手を付かせるとは、一端の靴職人見習いのくせに中々の手練れだ。
ルークは俺の足を掴んだまま靴を脱がせて、中を見る。
「随分詰め物してるな。勇者のくせに特注じゃないのか」
それは、先日ラドライト王国に行った時に自分の靴を無くして、予備の靴を借りたからだ。俺はオグオンの靴を使っている。オグオンが大好きなニーアに知られたら、即座に盗まれるだろう。
「うちの靴は走り回ってるフリーの勇者でも一生使えるんだ。街付の勇者が使うには勿体無いけど、棺桶に入る時用に1足作ってやるよ」
ルークは俺をベンチに座らせて、巻き尺を手に取って俺の足を細かく測り始めた。手持無沙汰になった俺は、ルークのつむじを見下ろしてニーアに似た形の頭を眺める。
「ニーアが家でうるさいんだ。勇者様は仕事をしないから嫌われてるけど、本当はすごいんだって。ずっと自慢してくる」
癖毛で跳ねたルークの髪は、ニーアと同じように光に当たると赤く光る。ニーアも癖毛だから、事務所に泊まった朝は、ブラッシングに時間を掛けて洗面台でコルダと押し合いになっている。
「街の奴らが店先で噂ばっかりするんだけど、ニーアがそいつらにまで勇者様の自慢するから逃げちゃったんだよ。お蔭で静かになった」
「そうか」
「この前も、アウビリス様の物を勇者様が持って帰って来てくれたって、一晩騒いでた。勇者様が約束守ってくれたって。あんまりニーアを甘やかすなよ……おい、頭つつくな。殺すぞ」
+++++
3番街の呑み屋は、夕方にはまだ少し早い時間から開いていた。酒好きの職人たちが仕事を放って早い晩酌を始めているが、皆酒に強いだけあって今はまだ静かにグラスを傾けている。
靴屋の主人のゴーシュに帰り際に呼び止められて、馴染みの店に誘われた。3番街の人間以外はお断りの店らしい。
「ニーアは、御迷惑をおかけしていませんか?」
カウンターに座ると注文しなくても透き通った蒸留酒が入ったグラスが2つ、一枚板のカウンターに並べて置かれる。
ゴーシュは硬く表情筋が乏しい頑固職人の見本のような顔をしていて、ニーアにもルークにも余り似ていないし、赤毛でもない。多分、あの2人は母親似だ。
どうかと問われると、今日は業務時間中にパンを食べていたら、危うく指を切り落とされるところだった。しかし、実父に言いつけることもないから「いつも助かっている」と分厚いオブラートに包んで俺は答えた。
「勇者様は……あの子が勇者に憧れているのは、もう御存じでしょう?」
御存じも何も、多分この街でニーアが勇者オタクなのを知らない奴はいない。幼馴染のチコリなんてニーアの犠牲になってうんざりしているし、そのせいで俺に対しても態度が冷たい。
そういう意味では俺はニーアに御迷惑をかけられていると教えてあげようとしたが、ゴーシュはそのままぽつぽつと雨だれのように静かに話を続けた。
「ニーアは、本当は勇者になりたかったんです。賢い子ですから学力は充分でも、魔力が足りなくて」
ゴーシュが目頭を押さえて苦しそうに言った。
もし、ニーアがホーリアで生まれていなければ、ハーブの影響を受けない他の街で生まれていれば、魔力が充分あっただろう。あの情熱なら、間違いなく試験に通って勇者養成校に入学して、勇者になっていたはずだ。
ホーリアで生まれたせいで、ニーアは勇者になれなかった。
「本当はショックだったでしょうに、妻が病気だったので、落ち来んだ様子も見せずにいつも明るく兄弟の面倒を看てくれて」
「そうか」
「妻が死ぬ直前に、魔法剣士になると決めて学校に行ったんです。最期に安心させようとしたんでしょうが、あの子は、それで良かったのか。本当は、勇者になりたくてずっと悔しかっただろうに……」
ゴーシュの目が潤んでいるのを見て、俺もつられて胸が熱くなってきた。こういう家族の何やかんやの話は、俺に全然関係無いから100%フィクションとして楽しめる。
俺は「お父さん、」と呼び掛けてゴーシュの皮膚が分厚い乾いた職人の手を握った。
「ニーアは、俺に任せてくれ」
「ええ、勇者様、よろしくお願いします」
ゴーシュに習ってグラスを空にしてカウンターに置くと、すかさず2杯目が置かれた。
一杯飲んで気付いたが、胸が熱くなったのは話に感動したからではなくアルコールのせいだ。口当たりは柔らかい酒なのに、一杯で頭から湯気が出そうなほど度数が高い。
「ところで、ニーアはそろそろ結婚してもおかしくない歳なのに、勇者に憧れるばかりで。誰かいい人を知りませんか?」
酒の場らしい話題だ。ニーアはまだ結婚を考える歳ではないような気がするけれど、職人の家の子供は早いうちに結婚するのが一般的らしい。
気の利いた事を言いたいのに、俺には人に紹介できる知り合いが1人もいない。しかし、さっき丁度良い奴に会ったばかりだ。
「あの、鍛冶屋の」
「あれは駄目だ」
ゴーシュの潤んでいた目が突然鋭くなって短く吐き捨てた。3番街でネクロフィリアを疑われているリストには一人娘をやれないということか。
俺も、リストと仕事の付き合いでは世話になっているが、個人的に付き合ったり友人になるのは絶対に嫌だ。
この話題を続けていると、俺にそっちの意味でもニーアを頼むとかいう流れになるのかなと少し期待したのに、驚くほど全くそんな話にはならなかった。
後半はあんまり覚えていない。
日付が変わる頃までずっと飲み続けていたような気がする。やはり、3番街の呑み屋は酒の初心者が入る店ではない。アルコールは養成校で慣らしただけで、酔っ払うまで呑む経験が無かった。
ゴーシュに奢ってもらい、店を出て固く握手を交わして別れた。事務所に帰ろうとしたところまでは、記憶がある。
3番街は日常的な買い物をする店ではなく、腕のある職人が集まる高級専門店だから、買い物をするとそれなりの値段がする。
しかし、勇者が使うには相応しいだろう。ちょうど欲しいものがあったし、3番街の靴屋、ニーアの実家に立ち寄った。
ホーリア市は山と街の中間にあり、山から下りて靴がボロボロになった旅人が街に行くために靴を履き替えたり、街から革靴を鳴らして来た役人が山に入るために靴を履き替えたりする。
だから靴職人がそれはそれは儲かって、一時期靴屋だらけだったらしいが、家はそれを勝ち抜いて残った店だ、とニーアが以前誇らしげに言っていた。
重いガラス戸を開けると、扉の上のベルがカランコロンとゆっくり音を立てた。店の中には簡単なテーブルとベンチだけが置かれている。高級店は、注文を受けてオーダーメイドで作るから店内に商品を並べないらしい。
「予約は?」
ベルの音を聞いて、店の奥からパンを咥えた男が1人出て来た。俺とそう変わらない年齢のようだから、ニーアのすぐ下の弟のルークだと思う。その歳で熱が出るとニーアに体を拭いて貰っているのだから羨ましい。
直接話すのは初めてだったが、ルークは俺を街で見かけたり、ニーアから話を聞いているようで、俺を一目見るなり「お前か」と店の奥に戻って行こうとした。
「予約はしてない。一足、作ってくれないか」
「うちは靴職人だ。客は選ぶ」
ニーアに似た顔で冷たく言われて、俺は思った以上のダメージを受ける。
覚悟していたけれど、3番街の面々はニーアから俺の悪評を散々聞いているのだろう。鍛冶屋のリストは魔獣の抜け殻をちらつかせればどこまでも俺に媚びてくるだろうが、あれが異常なだけだ。
予想はしていた事だから、大人しく店を出ようとしたけれど、ルークが俺の片足を掴んで持ち上げる。勇者に地面に手を付かせるとは、一端の靴職人見習いのくせに中々の手練れだ。
ルークは俺の足を掴んだまま靴を脱がせて、中を見る。
「随分詰め物してるな。勇者のくせに特注じゃないのか」
それは、先日ラドライト王国に行った時に自分の靴を無くして、予備の靴を借りたからだ。俺はオグオンの靴を使っている。オグオンが大好きなニーアに知られたら、即座に盗まれるだろう。
「うちの靴は走り回ってるフリーの勇者でも一生使えるんだ。街付の勇者が使うには勿体無いけど、棺桶に入る時用に1足作ってやるよ」
ルークは俺をベンチに座らせて、巻き尺を手に取って俺の足を細かく測り始めた。手持無沙汰になった俺は、ルークのつむじを見下ろしてニーアに似た形の頭を眺める。
「ニーアが家でうるさいんだ。勇者様は仕事をしないから嫌われてるけど、本当はすごいんだって。ずっと自慢してくる」
癖毛で跳ねたルークの髪は、ニーアと同じように光に当たると赤く光る。ニーアも癖毛だから、事務所に泊まった朝は、ブラッシングに時間を掛けて洗面台でコルダと押し合いになっている。
「街の奴らが店先で噂ばっかりするんだけど、ニーアがそいつらにまで勇者様の自慢するから逃げちゃったんだよ。お蔭で静かになった」
「そうか」
「この前も、アウビリス様の物を勇者様が持って帰って来てくれたって、一晩騒いでた。勇者様が約束守ってくれたって。あんまりニーアを甘やかすなよ……おい、頭つつくな。殺すぞ」
+++++
3番街の呑み屋は、夕方にはまだ少し早い時間から開いていた。酒好きの職人たちが仕事を放って早い晩酌を始めているが、皆酒に強いだけあって今はまだ静かにグラスを傾けている。
靴屋の主人のゴーシュに帰り際に呼び止められて、馴染みの店に誘われた。3番街の人間以外はお断りの店らしい。
「ニーアは、御迷惑をおかけしていませんか?」
カウンターに座ると注文しなくても透き通った蒸留酒が入ったグラスが2つ、一枚板のカウンターに並べて置かれる。
ゴーシュは硬く表情筋が乏しい頑固職人の見本のような顔をしていて、ニーアにもルークにも余り似ていないし、赤毛でもない。多分、あの2人は母親似だ。
どうかと問われると、今日は業務時間中にパンを食べていたら、危うく指を切り落とされるところだった。しかし、実父に言いつけることもないから「いつも助かっている」と分厚いオブラートに包んで俺は答えた。
「勇者様は……あの子が勇者に憧れているのは、もう御存じでしょう?」
御存じも何も、多分この街でニーアが勇者オタクなのを知らない奴はいない。幼馴染のチコリなんてニーアの犠牲になってうんざりしているし、そのせいで俺に対しても態度が冷たい。
そういう意味では俺はニーアに御迷惑をかけられていると教えてあげようとしたが、ゴーシュはそのままぽつぽつと雨だれのように静かに話を続けた。
「ニーアは、本当は勇者になりたかったんです。賢い子ですから学力は充分でも、魔力が足りなくて」
ゴーシュが目頭を押さえて苦しそうに言った。
もし、ニーアがホーリアで生まれていなければ、ハーブの影響を受けない他の街で生まれていれば、魔力が充分あっただろう。あの情熱なら、間違いなく試験に通って勇者養成校に入学して、勇者になっていたはずだ。
ホーリアで生まれたせいで、ニーアは勇者になれなかった。
「本当はショックだったでしょうに、妻が病気だったので、落ち来んだ様子も見せずにいつも明るく兄弟の面倒を看てくれて」
「そうか」
「妻が死ぬ直前に、魔法剣士になると決めて学校に行ったんです。最期に安心させようとしたんでしょうが、あの子は、それで良かったのか。本当は、勇者になりたくてずっと悔しかっただろうに……」
ゴーシュの目が潤んでいるのを見て、俺もつられて胸が熱くなってきた。こういう家族の何やかんやの話は、俺に全然関係無いから100%フィクションとして楽しめる。
俺は「お父さん、」と呼び掛けてゴーシュの皮膚が分厚い乾いた職人の手を握った。
「ニーアは、俺に任せてくれ」
「ええ、勇者様、よろしくお願いします」
ゴーシュに習ってグラスを空にしてカウンターに置くと、すかさず2杯目が置かれた。
一杯飲んで気付いたが、胸が熱くなったのは話に感動したからではなくアルコールのせいだ。口当たりは柔らかい酒なのに、一杯で頭から湯気が出そうなほど度数が高い。
「ところで、ニーアはそろそろ結婚してもおかしくない歳なのに、勇者に憧れるばかりで。誰かいい人を知りませんか?」
酒の場らしい話題だ。ニーアはまだ結婚を考える歳ではないような気がするけれど、職人の家の子供は早いうちに結婚するのが一般的らしい。
気の利いた事を言いたいのに、俺には人に紹介できる知り合いが1人もいない。しかし、さっき丁度良い奴に会ったばかりだ。
「あの、鍛冶屋の」
「あれは駄目だ」
ゴーシュの潤んでいた目が突然鋭くなって短く吐き捨てた。3番街でネクロフィリアを疑われているリストには一人娘をやれないということか。
俺も、リストと仕事の付き合いでは世話になっているが、個人的に付き合ったり友人になるのは絶対に嫌だ。
この話題を続けていると、俺にそっちの意味でもニーアを頼むとかいう流れになるのかなと少し期待したのに、驚くほど全くそんな話にはならなかった。
後半はあんまり覚えていない。
日付が変わる頃までずっと飲み続けていたような気がする。やはり、3番街の呑み屋は酒の初心者が入る店ではない。アルコールは養成校で慣らしただけで、酔っ払うまで呑む経験が無かった。
ゴーシュに奢ってもらい、店を出て固く握手を交わして別れた。事務所に帰ろうとしたところまでは、記憶がある。
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