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第12話 勇者、職場見学を受け入れる
〜4〜
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事務所に戻って昼食を食べた後、いつもなら昼寝をするところだ。しかし、見学者がいるのに業務時間中に怠けているところは見せられない。
そう考えて、俺はテラスでコルダのブラッシングを始めた。
獣人の毛に生え変わりがあるのなら、そろそろ夏毛に変わる頃だ。心なしかいつもよりも抜け毛が多いような気がする。
「さっきフェリシアから貰ったの、クッキーだったのだ。勇者様の分、残しておいてあげたのだー」
コルダが俺の膝を上でぬいぐるみと遊びながら恩着せがましく言って来た。
コルダの傍らにある缶は、殆ど空になっている。残してくれたのなら何でもいいかとブラシを動かした。
「勇者様、少しよろしいですか?」
テラスに出て来たニーアが、静かな声で話しかけてきた。
さっきまでフェリシアと一緒に食後のお茶の片付けをしていたが、1階にフェリシアの姿は無い。
「フェリシアさんは、リリーナさんをお昼に呼び出してもらっています」
昼食の時に2階のリリーナを呼んだが、フェリシアに人見知りをして出て来なかった。引きこもりと交渉するのも、この事務所の大切な仕事だ。フェリシアは職業体験を満喫しているらしい。
「勇者様。フェリシアさんも仕事を辞めたら一市民ですよ。ここで、勇者様がちゃんと仕事をしているところを市民の方に知っていただきましょう」
「そうだな……」
最近ようやく言わなくなって来たと思っていたのに、ニーアはまだ市民に勇者の素晴らしさを広める事を諦めていない。
俺はコルダの耳の後ろの絡まりやすい毛をブラッシングするのに集中しているフリをして返事を誤魔化した。
「でもー勇者様が仕事しているところ、コルダ、見たこと無いのだ」
コルダは、ぬいぐるみの架空の敵として俺を攻撃してきながら失礼な事を言ってくる。
俺はコルダやニーアが見ていない所で魔獣を追い払ったり街を修理したり、色々仕事をしている。部屋で寝ながら指先だけ動かして魔術で片付けているから、見た事無いのは確かだろう。
つまり、わざわざフェリシアに見えるように仕事をするということは、ヤラセをしろという事だ。
いくら市民の好感度を上げるためでも、勇者の仕事をパフォーマンスにするのはどうだろうか。
それに、誰か見学に来たからいきなり張り切りだすのは、俺のキャラに合わない気がする。新入社員を前にして偉そうに仕事論を語る社会人二年目みたいで恥ずかしい。
「コルダさん、お給料を貰うってことは、時には嘘も必要なんですよ……」
俺が黙っていると、ニーアは悔しそうな声で呟いた。
+++++
ホーリア市外の山を歩いていれば、嫌でも魔獣に出会う。
魔獣退治こそ勇者を象徴する仕事だ。それを見せれば俺の仕事熱心さと市民奉仕の精神に感動してくれるだろう。
しかし、デスクワーク歴が長いフェリシアは、ニーアに支えられるように斜面をよろよろと歩いていた。俺に感動する余裕は無さそうだ。
「ま、待って、くだ……い」
「勇者様、フェリシアさんがいるのに、本気の山登りはやめてくださいよ」
ここはいつもの俺の散歩コースだ。ハーブとは違う、一般人でも食べられる山菜やキノコを採る時はこの辺りで歩いている。
下手に街に近い平地だと、人慣れした危険な魔獣が出て来る可能性がある。少し険しい山の中の方が人食いの魔獣が出て来る可能性は少ない。
「に、ニーア……!」
フェリシアが呼吸も絶え絶えになりながら、珍しく大きな声を出した。
何事かと振り返ると、数メートル先の倒れた大木を越えて魔獣が姿を表した。後ろ足で立ち上がれば、俺の身長は軽く超えそうな大きさだ。フェリシアのような一般市民が襲われると危険だが、俺やニーアにとっては子犬みたいなものだ。
ニーアは、素早く防御魔法で膜を張ってフェリシアを後ろに庇った。魔獣は俺達を窺って低く唸っていて、突然襲い掛かって来る気配はない。
この様子なら、少し脅かせば山奥に逃げてくれそうだ。誰が言ったのか知らないが、魔獣と共生するなんて面倒臭い事になっているのだから。
「あの……勇者様……」
防御膜の向こうから、ニーアが小さな声で呼びかけてきた。フェリシアに聞こえないように俺も小さな声で返事をする。
「勇者様の仕事に注文を付けるようで申し訳ないのですが……」
ニーアが心の底から恐縮した様子で言ってきた。
俺の仕事に注文を付けるのは、ニーアが常日頃からやっていることだ。今更気にすることはない。
「……フェリシアさんが見てるので、かっこよく追い払ってください」
かっこよく、と言われて俺は超強力デコピンで追い払おうとしていた手を下した。
このやり方はかっこよくない気がする。ニーアのお眼鏡には適わないだろう。
「その……できれば、剣を使ってほしいです」
ニーアに言われて、俺は剣を抜いた。魔法を使ってしまえば簡単だが、勇者の証でもある剣を使った方が勇者らしい。
しかし、かっこよくとは、ニーアはまた難しい事を言う。
養成校では、国の儀式の時の立ち振る舞いは習うが、かっこよく魔獣を追い払う方法など習っていない。
魔獣をバラバラにして最後に体液の付いたナイフを舐めるような目がイっちゃってる奴は早々と退学になったから、あれは間違っているのはわかる。
かっこよく、とは。ニーアの思うかっこよさとは。
「あの……エイリアス様みたいにやってください」
「……」
奴の仕事ぶりなど、俺が知るはずない。
かっこよさの迷宮に陥っていた俺は、防御膜をニーアから引き継いで中に入って代わりにニーアを外に押し出した。
「ちょ、ちょっと、ニーアがやったら勇者様の印象アップにならないじゃないですか!」
「そんなに言うなら、手本を見せてくれ」
「えー……」
ニーアは口では不満そうだったが、フェリシアが怯えて俺の後ろに隠れているのを見て、いつもよりも凛々しい表情になった。ニーアは、後輩に見られて張り切るOGタイプなのか。
ニーアは一跳びで軽く魔獣の正面に着地すると、目にも止まらぬ速さで双剣を抜く。
魔獣の黒い煙のような毛皮が切り裂かれて、空中に散った。
毛皮に禿が出来た魔獣は、蹴られた犬のようなか細い叫び声を残して山の奥に逃げて行った。
「フェリシアさん、もう大丈夫です!」
ニーアが双剣を収めて、俺達に振り返る。
フェリシアが熱の籠った声で「ふええ」とか言い出したのが俺の後ろで聞こえて来た。
勇者に憧れるニーアの気持ちが僅かながらに理解できた。今のは少しかっこいい。俺はぱらぱらとニーアに軽く拍手をした。
そう考えて、俺はテラスでコルダのブラッシングを始めた。
獣人の毛に生え変わりがあるのなら、そろそろ夏毛に変わる頃だ。心なしかいつもよりも抜け毛が多いような気がする。
「さっきフェリシアから貰ったの、クッキーだったのだ。勇者様の分、残しておいてあげたのだー」
コルダが俺の膝を上でぬいぐるみと遊びながら恩着せがましく言って来た。
コルダの傍らにある缶は、殆ど空になっている。残してくれたのなら何でもいいかとブラシを動かした。
「勇者様、少しよろしいですか?」
テラスに出て来たニーアが、静かな声で話しかけてきた。
さっきまでフェリシアと一緒に食後のお茶の片付けをしていたが、1階にフェリシアの姿は無い。
「フェリシアさんは、リリーナさんをお昼に呼び出してもらっています」
昼食の時に2階のリリーナを呼んだが、フェリシアに人見知りをして出て来なかった。引きこもりと交渉するのも、この事務所の大切な仕事だ。フェリシアは職業体験を満喫しているらしい。
「勇者様。フェリシアさんも仕事を辞めたら一市民ですよ。ここで、勇者様がちゃんと仕事をしているところを市民の方に知っていただきましょう」
「そうだな……」
最近ようやく言わなくなって来たと思っていたのに、ニーアはまだ市民に勇者の素晴らしさを広める事を諦めていない。
俺はコルダの耳の後ろの絡まりやすい毛をブラッシングするのに集中しているフリをして返事を誤魔化した。
「でもー勇者様が仕事しているところ、コルダ、見たこと無いのだ」
コルダは、ぬいぐるみの架空の敵として俺を攻撃してきながら失礼な事を言ってくる。
俺はコルダやニーアが見ていない所で魔獣を追い払ったり街を修理したり、色々仕事をしている。部屋で寝ながら指先だけ動かして魔術で片付けているから、見た事無いのは確かだろう。
つまり、わざわざフェリシアに見えるように仕事をするということは、ヤラセをしろという事だ。
いくら市民の好感度を上げるためでも、勇者の仕事をパフォーマンスにするのはどうだろうか。
それに、誰か見学に来たからいきなり張り切りだすのは、俺のキャラに合わない気がする。新入社員を前にして偉そうに仕事論を語る社会人二年目みたいで恥ずかしい。
「コルダさん、お給料を貰うってことは、時には嘘も必要なんですよ……」
俺が黙っていると、ニーアは悔しそうな声で呟いた。
+++++
ホーリア市外の山を歩いていれば、嫌でも魔獣に出会う。
魔獣退治こそ勇者を象徴する仕事だ。それを見せれば俺の仕事熱心さと市民奉仕の精神に感動してくれるだろう。
しかし、デスクワーク歴が長いフェリシアは、ニーアに支えられるように斜面をよろよろと歩いていた。俺に感動する余裕は無さそうだ。
「ま、待って、くだ……い」
「勇者様、フェリシアさんがいるのに、本気の山登りはやめてくださいよ」
ここはいつもの俺の散歩コースだ。ハーブとは違う、一般人でも食べられる山菜やキノコを採る時はこの辺りで歩いている。
下手に街に近い平地だと、人慣れした危険な魔獣が出て来る可能性がある。少し険しい山の中の方が人食いの魔獣が出て来る可能性は少ない。
「に、ニーア……!」
フェリシアが呼吸も絶え絶えになりながら、珍しく大きな声を出した。
何事かと振り返ると、数メートル先の倒れた大木を越えて魔獣が姿を表した。後ろ足で立ち上がれば、俺の身長は軽く超えそうな大きさだ。フェリシアのような一般市民が襲われると危険だが、俺やニーアにとっては子犬みたいなものだ。
ニーアは、素早く防御魔法で膜を張ってフェリシアを後ろに庇った。魔獣は俺達を窺って低く唸っていて、突然襲い掛かって来る気配はない。
この様子なら、少し脅かせば山奥に逃げてくれそうだ。誰が言ったのか知らないが、魔獣と共生するなんて面倒臭い事になっているのだから。
「あの……勇者様……」
防御膜の向こうから、ニーアが小さな声で呼びかけてきた。フェリシアに聞こえないように俺も小さな声で返事をする。
「勇者様の仕事に注文を付けるようで申し訳ないのですが……」
ニーアが心の底から恐縮した様子で言ってきた。
俺の仕事に注文を付けるのは、ニーアが常日頃からやっていることだ。今更気にすることはない。
「……フェリシアさんが見てるので、かっこよく追い払ってください」
かっこよく、と言われて俺は超強力デコピンで追い払おうとしていた手を下した。
このやり方はかっこよくない気がする。ニーアのお眼鏡には適わないだろう。
「その……できれば、剣を使ってほしいです」
ニーアに言われて、俺は剣を抜いた。魔法を使ってしまえば簡単だが、勇者の証でもある剣を使った方が勇者らしい。
しかし、かっこよくとは、ニーアはまた難しい事を言う。
養成校では、国の儀式の時の立ち振る舞いは習うが、かっこよく魔獣を追い払う方法など習っていない。
魔獣をバラバラにして最後に体液の付いたナイフを舐めるような目がイっちゃってる奴は早々と退学になったから、あれは間違っているのはわかる。
かっこよく、とは。ニーアの思うかっこよさとは。
「あの……エイリアス様みたいにやってください」
「……」
奴の仕事ぶりなど、俺が知るはずない。
かっこよさの迷宮に陥っていた俺は、防御膜をニーアから引き継いで中に入って代わりにニーアを外に押し出した。
「ちょ、ちょっと、ニーアがやったら勇者様の印象アップにならないじゃないですか!」
「そんなに言うなら、手本を見せてくれ」
「えー……」
ニーアは口では不満そうだったが、フェリシアが怯えて俺の後ろに隠れているのを見て、いつもよりも凛々しい表情になった。ニーアは、後輩に見られて張り切るOGタイプなのか。
ニーアは一跳びで軽く魔獣の正面に着地すると、目にも止まらぬ速さで双剣を抜く。
魔獣の黒い煙のような毛皮が切り裂かれて、空中に散った。
毛皮に禿が出来た魔獣は、蹴られた犬のようなか細い叫び声を残して山の奥に逃げて行った。
「フェリシアさん、もう大丈夫です!」
ニーアが双剣を収めて、俺達に振り返る。
フェリシアが熱の籠った声で「ふええ」とか言い出したのが俺の後ろで聞こえて来た。
勇者に憧れるニーアの気持ちが僅かながらに理解できた。今のは少しかっこいい。俺はぱらぱらとニーアに軽く拍手をした。
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