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第14話 勇者、街を視察する
〜1〜
しおりを挟む「勇者様、どうしてクラウィスさんが片付けたのに、こんなに汚くなるんですか?」
俺の部屋の中で唯一何も踏まずに居られるベッドの上。そこに仁王立ちしたニーアが、俺に難しい事を尋ねて来る。
床に正座をした俺は、不思議だよな、と首を傾げることしかできない。
クラウィスと一緒に片付けて、俺の部屋は一時は人が住める空間になったが、数日もすると前の通り足の踏み場も無くなってしまった。
実質事務所として使っているのは洋館の1階だけで、ニーアは2階の個人の部屋については何も言わない。
しかし、今朝、俺の部屋を見た事も無い虫が出入りしているのを見て無視できなくなったらしい。
まさに虫だけにと、俺が余計な事を考えている間も、ニーアからは厳しい言葉が飛んでくる。
「どう考えても、この物の量は部屋に入らないってわかるじゃないですか」
物が多いのは俺に責任がある。
養成校から持って帰ってきた物を置いていると、そこまで広くない部屋はすぐにいっぱいになってしまう。
しかし、俺の部屋に虫が住み着いているのは、コルダが相変わらず俺の部屋にお菓子を持ち込むせいだ。
寝る前にお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりしていて、獣人の特徴である鋭い牙が虫歯になるのは時間の問題。
しかも、コルダは食べている途中でそれを忘れて放置してしまう。それだけは絶対に勘弁して欲しい。
「コルダさんの失態は、勇者様の監督不行き届きでは?」
コルダには次やったら、部屋を追い出すとキツく言っているのに、泣きながら謝罪をしてくるから許してしまう。
嘘泣きだと初めから気付いているが、コルダは人の庇護欲を掻き立てるような上手な泣き方をするから、もう何度騙されたことか。
「クラウィスさんは仕事でやっているとは言え、掘った穴を埋め直すような無益な拷問をしに来てるわけじゃないんですよ」
俺の部屋の掃除が拷問に例えるとは中々の言い得て妙だ。ニーアは叱り方の腕を上げている。
「それに、魔術の練習道具なんて勇者様には必要ないじゃないですか……」
『今、いーい?朝のお茶の時間なんなのよ。今日のお供はニーア様のクッキーなのよ』
部屋の外でニーアの説教が終わるのを待っていたクラウィスが、ドアの隙間からポシェットを覗かせて俺達に声をかけた。
お茶の時間と聞いて、ニーアは俺への説教を「これから気を付けてくださいね」で切り上げる。
何が落ちているのかわからない床を踏まないように部屋のドアまで慎重な足取りで歩いていく。
「クラウィスさん。紅茶は青い缶のにしてくれました?」
『完璧なり。最善を選ぶのが我が仕事』
クラウィスが誇らしそうに答えて、それでニーアもようやく怒りを忘れてくれた。
事務所で働き始めてから、クラウィスはリリーナが作ったメイド服を着ている。
布とレースをふんだんに使用した動くと固いレースがシャリシャリと音を立てる砂糖菓子のような観賞用のメイド服に、幅の広いヘッドドレス。
クラウィスの濡れ羽色の髪と瞳に似合っているが、実用性が低いコスプレ衣装に傾いてしまった。
クラウィスは、せっかく作って貰ったのなら恥ずかしいけれど着させていただきます、と口ではそう言いながら速攻着替えて来たから、気に入っているらしい。
仕事の時にどんな格好をしても良いと言ったのは俺だ。
クラウィスは動き辛そうなメイド服を着つつ、午前中には事務所の家事を粗方片付けている。仕事に支障がないなら、好きな服を着て働けばいい。
お茶の準備を終えたクラウィスが、コルダとニーアの真ん中にこそっと座ってポシェット越しに俺達に声をかけた。
『皆様、一寸、依頼、可否、問う』
しばらく話していて分かった事だが、クラウィスが慌てて話すとポシェットが単語を途切れ途切れに拾い、意味を通すのが難しくなる。
ニーアが問い返すと、クラウィスは、落ち着いて話し出した。
クラウィスの依頼とは、前の職場に忘れ物をしたから誰か取って来てくれないか、という事らしい。
「前の職場って、ホテルなのだ?」
「クラウィスさんが働いていたのは、ヴェスト・トロンベっていう8thストリートの高級ホテルです」
俺は自費でホテルに宿泊したことがないからホーリアの高級ホテルがどの程度の値段のものを指すのか想像がつかない。
ホーリアのホテルは、部屋がベッドの幅の分しかない素泊まり用のホテルから、泊まるとオプションでSPが付いてくる要人用のホテルもあって、幅広い観光客に対応している。
「あそこは、部屋のグレードにも寄りますが、2泊もすれば勇者様の一月のお給料が無くなります」
どうして俺の給料をニーアが知っている。
そう突っ込もうとしたが、ここでその話を掘り下げると、俺の給料で雇っている3人の給料の話に派生してしまう。俺は「そんなに高級なホテルなのか」と驚いた事にして次の話題に移った。
「それで、そのホテルに忘れ物か?」
『廊下に飾ってある首飾りが、クラウィスの私物なのでした。殺風景だったので勝手に飾って、回収してくるのすっかり忘れてしまったのでした……』
「えー?自分で取りに行くのは駄目なのだ?」
『……正解。否……微妙』
「もしかして、前の職場の人間に会うのは気まずいってことか?」
『……肯定』
「勇者様、くぅちゃんの翻訳がお上手なのだ」
「勇者が取ってくるついでに、1日くらい職場体験してくれば?」
さっきまで寝ていて遅れて席に着いたリリーナは、早速クッキーを食べ散らかしながら余計な事を言い出した。
「くぅちゃんがやってたホテルの仕事でしょ?勇者も一日体験したら、掃除も料理も得意になって帰って来たりして」
「それはウケるのだー!」
きゃっきゃと無邪気にリリーナとコルダが笑い合う。
クラウィスが来てから、2人は手伝い程度に家事をするようになった。そのせいか、近頃俺を小馬鹿にしている節がある。
俺の部屋が汚いのはコルダのせいだし、リリーナは箒で部屋を丸く掃くことくらいしか出来ないのに。
「リリーナさん、コルダさん、勇者の仕事は掃除や料理じゃないんだから、出来なくて当たり前なんですよ」
『そのためにクラウィスがいるのである。勇者様、気にすることないのである』
古株の部下2人に馬鹿にされて、市の職員のニーアと最近雇ったばかりのクラウィスに慰められるのはどうにも悔しい。
そんなに言うなら、一日職場体験して来てやろうと、俺は立ち上がってマントを翻した。
細部まで思い浮かべられる見慣れた人間。ついでに、首飾りを取りに行くなら泥棒と間違えられない人物。
一瞬の魔術で姿を変えると、案外重いメイド服の裾が広がった。
元の姿から2周りも小柄なクラウィスの姿になった俺を見て、コルダは歓声を上げたる。しかしリリーナは「後ろ髪の跳ね方が違う。3点」と辛口の評価を下した。
全身を変えるのは少々厄介だ。自分の後ろ姿まで完全に変わっているかどうかは、鏡でも見ないと分からない。
しかし、さすが首席卒業の勇者の俺。クラウィスの正面に立つと、全く同じ姿がクラウィスの瞳に映っていた。
「これなら、そのヴェスト・トロンベに入っても怪しまれないだろ」
「そうですね。あれ?声は勇者様のままなんですか」
ニーアが指摘した通り、表面の見た目を写し取っただけだから、中身まではコピーをしていない。
しかし、表面部分なら服装だけでなく詳細に真似ていて、例えばクラウィスの指先の傷は、絆創膏とその下の傷まで再現している。
「ふーん……そうなのだぁ……」
コルダの視線が下を向いた。リリーナもそれに気付いて俺の下半身に視線を落とす。
俺はクラウィスの名誉のために口に出して言わなかったが、ちゃんと付いている。
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