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第17話 勇者、街を奔走する

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 ニーアは魔法が使えなくても身軽に屋根を上っていたから、どこか高いところにいるはずだ。
 壁を伝って屋根に上って辺りを見回すと、砲弾が当たって半壊した屋根の影にニーアの姿があった。

「あの……勇者様ぁ……」

 屋根の隙間を覗き込んでいたニーアが、俺に気付いて泣きそうな声を出す。土埃で汚れていたが、どこも怪我はしていない。

「こちらのおばあちゃんが……」

 ニーアに示されて崩れた屋根を瓦礫の隙間から覗くと、半壊した屋根裏部屋でロッキングチェアが揺れていた。
 その上でレースに包まって小柄な老婆が丸まって腰掛けている。
 ギラギラした内装のキャバクラでも巨大なベッドが目立つホテルでもない。毛糸の編み物が並んだ古い住宅だった。中にはパンの甘い匂いと毛糸の埃っぽい生活感に溢れた空気が漂っている。
 ニーアが言う通り、本当に残って住み続けている市民がいたのか。
 魔術師たちは当然気付いていただろうが、店の営業に関係無い住民はどうでも良いから放っていたのか。

「おばーちゃんー!危ないから、避難しましょうねー!」

 老婆は耳が遠いらしく、ニーアは大きな声を出して瓦礫の隙間から呼びかける。
 しかし、老婆は丸い目でゆっくりこちらを見上げて首を横に振った。

「やぁよ」

「で、でも!ここも崩れちゃいますよ!安全な所に行きましょう!」

「やぁよ」

「あ……あの!とりあえず、そっちに行きたいので!入口の鍵を開けてください!」

「やぁよ」

「ううぅ~……」

 俺はその老婆の偉大な地元愛に感心していたが、ニーアは困り果てて泣きそうな顔をしていた。
 砲弾が飛んで来て魔法も使えなくなった街で、1人役目を果たそうとしていたのだから仕方ない。
 まだ若手のニーアにこの仕事を任せるのは酷だ。
 俺は他人を巻き込む地元愛には慣れている。前職で全然関係無い部署にいたのに立ち退きを拒否した市民に殴られた経験があるくらいだ。
 いつもなら移動魔法を使って市内まで避難させるところだが、今は魔法が使えない。部屋のぬいぐるみと同じように並んで動こうとしない老婆に自主的な避難を求めるのは無理がある。

「街の外まで避難させるのは難しそうだな」

「地下の食糧庫とかに避難させましょうか?この辺りはシェルターが無いので……」

 ニーアが少し冷静さを取り戻して言った。
 敵の本隊が踏み込んで来たら不法占拠している市民は皆殺しだろうが、空からの攻撃の一時避難にはなる。それに、この老婆を何とかしないと、ニーアも納得してくれないだろう。

「しょうがないから、どこかの窓を割って入っちゃいましょう」

 ニーアは次の攻撃が来る前に終わらせようと瓦礫の欠片を握って駆け出した。
 俺も手伝おうとしたが、背後に気配を感じる。

 剣を抜いて振り返ると、空気を切り裂いて街に金属音が響いた。

 勇者の剣は同じ製法で同じ物質から作られていて、勇者の体格に合わせて作られるオーダーメイド。
 ぶつかり合えば、当然早くて重い方が勝つ。そもそも、勇者同士で戦う事を目的に作られたものではない。
 大剣を受け止めた俺の剣の真ん中に、ピシリとヒビが走った。

「やあ、久しぶり」

 交わした剣の向こうで、エイリアスが金色の瞳を光らせて微笑む。
 ニーアをお茶に誘った時と同じ、この状況にそぐわない人懐こい笑顔だ。
 流石にこの状況では、ニーアはエイリアスを敵と見做していた。視線で指示すると、屋根の隙間に隠れつつ、双剣を抜いて構える。

「お前は、勇者だろう。いくらフリーでも国の侵略に手を貸すな」

 剣が折られる前に大剣を弾くと、エイリアスは狭い屋根の上で跳んでぎりぎり俺の間合いの外に出た。

「ゼロ番街は国内じゃない」

「まさか、本気で言っているのか?」

 勇者として恥ずかしくないのかと軽蔑の目を向けると、エイリアスは剣を構えたままふっと表情を緩めて「一度冷静になろう」と剣を下して微笑んだ。

「今から事務所に戻ってベッドに入るといい。勤務時間外だし、寝ていてもおかしくない時間帯だ。それか、一泊くらいオルドグの街に出かけていたことにしようか。ここの騒動の事は知らなかった。そうすれば、ホーリアの名誉も守られる」

「なるほど……」

 エイリアスの提案は、ゼロ番街かトルプヴァールか、どちらの味方に付くか決めかねていて、見て見ぬふりをしようかとまだ迷っている俺からすると悪くない。
 しかし、ニーアの前で今抜いたばかりの剣を収めて帰るなんて。格好悪すぎる真似は、首席卒業の勇者の俺には出来ない。

「国外のちょっとしたケンカだ。見捨てたところで、ヴィルドルクに不利益はない」

「ホーリアの人間が魔術を使えないのは、トルプヴァールの魔術無効化の影響だ」

 国内の人間に害をなしていて、戦力を削ろうとしている。それは確実に侵略だ。
 俺の言葉を聞いて、後ろでニーアが小さく驚きの声を上げた。
 俺も気付かなかったから、ずっと住んでいたニーアも気付けなかったはずだ。
 特にニーアは、生まれた時からホーリアにいて長く離れた事が無いから、街の違和感にも自分の魔力が制限されていることもわからない。

「ここの人間が流民なのは周辺のハーブのせいだ。ホーリアだって知っているだろう?」

「それを言い出したのは、アムジュネマニスだ」

 アムジュネマニスとトルプヴァールは手を組んでいる。
 トルプヴァールの国内全土にかけられた無効化魔術にはアムジュネマニスが噛んでいる。魔術を隠すために、その影響を受けたホーリアの住人の魔力の低さはハーブによるものだと嘘の学説を流す。魔術の権威である国が言えば、誰も疑わない。

「……イナムは皆、面倒な事を好むらしいな」

 俺が退かないのを見て、エイリアスが剣を構えて溜息を吐いた。
 イナムで栄えたトルプヴァールに肩入れをしているエイリアスは、他のイナムを知っているらしい。そして、俺がイナムだと知っているのは、まさかエルカから聞いたのか。

「……吟遊詩人のイナムを知っているか?」

「ああ……あのイナムの男か」

 エイリアスが光る刃の向こうで、目を光らせて唇の端を持ち上げて微笑む。

「死にたがっていたから、殺したよ」

 エイリアスがあまりに簡単に言うから、思わず納得しそうになった。
 この世界で落ちぶれた吟遊詩人として生きるのに絶望して、思い通りにならない人生を送るくらいなら死んでしまいたいと考えたのか。
 しかし、あいつは三條だ。
 自分にも人にも厳しくて真面目に誠実に生きていた三條が、途中で諦めるはずはない。
 頭が良いから絶対に元の世界に帰る方法を見つけて帰れると、正しい自分を信じて疑わない奴だ。
 それだけの生き方をしてきた三條が、全て投げ出して死にたがるなんて、そんな無責任な事をするわけがない。

「嘘を言うな!」

 怒りに任せて剣を振り下ろすと、エイリアスが大剣で軽く受け止めた。
 屋根が震える程の衝撃に、剣身のヒビが広がって真二つに折れる。折れた先が空に飛んで、すぐにカッとなるのは俺の悪い癖だとその一瞬で反省した。
 エイリアスの視線が動いて、俺の後ろにいるニーアを向いた。
 少し考えれば罠だと分かるのに、その時はニーアの前に立ち塞がって、エイリアスが向けた剣の切っ先を防ごうと手を伸ばして防御魔法を発動させてしまった。

「魔術に頼り過ぎだ、ホーリア」

 俺の掌を貫通したエイリアスの剣は、そのまま鍔まで刺さって、視線を下げると胸の真ん中で青い魔石が血で濡れていた。
 俺の後ろで、ニーアの苦しそうに息を吐いた。普通に切ってくれれば良かったのに。串刺しにされたら、後ろのニーアにまで刺さってしまう。
 エイリアスが剣を引き抜いて、支えを失った体が崩れる。視界に空が映って、屋根を転がって地面が近付く。

「ゆ、勇者様!」

 最後に、ニーアが呼ぶ声が聞こえた。


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 硬くて毛羽立ったシーツの感触。
 その時の最安値の洗剤を選ぶから慣れない匂いがする枕カバー。
 最近、丸一日の休みが無いから洗濯を全然していない。
 最後にシーツを洗ったのはいつだ。
 布団も、最近干した記憶が無いから若干湿っている気がする。
 でも、布団には違いない。布団で寝られるのは幸せだ。
 だからもう少し寝ていようと深く潜り直した。

『勇者様……勇者様……っ』

 ニーアが必死な声で何度も呼んでくるから、仕方なく重い頭を持ち上げた。
 俺の傍らには、折れた剣がシーツの上に並んでいる。鍔に付いた青い魔石がニーアの声に合わせて淡く光っていた。

『大丈夫ですか?』

「あぁ……」

 いくら寝ても体中が痛いのは、長時間のデスクワークから来る腰痛と肩こりと眼精疲労で、いつもの事。
 胃痛と吐き気は、ストレスと連日の飲み会の二日酔い。あと慢性的なカフェイン中毒を疑っている。それも、いつもの事。
 充電し忘れてバッテリー残量が数%のスマホを見ると、いつもの起きたくなくても目が覚める時間だった。
 最近は眠りが浅くてアラームが鳴る前に起きる。遅刻の心配はなくても、睡眠不足に拍車がかかっている。

 帰って来て風呂に入らずに寝たせいで髪はぐしゃぐしゃだし体は煙草臭い。
 シャワーを浴びて着替えなければ。クリーニングから戻って来たワイシャツは、まだ残っていたか。
 いや、まずは靴下だ。穴が開いていない、せめて洗濯済みの靴下は、残っていただろうか。

『勇者様……どうしたんですか?』

 ニーアに怪訝そうに問われて、それで俺はようやく気付いた。

 
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