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第26話 勇者、社交界に参戦する

〜4〜

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 ノーラは俺の腕を抱えたままホールを進み、ジュースのグラスを1つ確保するとホールの隅の壁に背を付けた。

「トルヴァル、叔父様を嫌いにならないでね」

 ノーラは、暴言を受けて傷付いたトルヴァルを労わるようにそう言った。
 俺はわかりやすくて扱いやすい人間は嫌いではない。シーグルのような典型的な厄介者は有事の際に便利に使える。だから、本物のトルヴァルがどう思うか知らないが、俺は案外シーグルが好きだった。

「こういう場で私はいつも1人だから、困っていると思って話しかけてくれたのよ」

「そうなんですか?」

「そうなの。お兄様もお姉様も立派なのに、私は落ちこぼれなのよ」

 確かに、開催者の身内なのに誰とも話をしようとせず壁の花に徹しているノーラは、人脈作りと接待が主な仕事の貴族の女性としては落ちこぼれに見えた。グラスを傾けているノーラは、嫌味にならない程度に自虐的に微笑む。
 しかし、それも横にいるトルヴァルに変装している俺に合わせて演技をしているだけかもしれない。

 どちらにせよ、俺は何時ボロが出るかわからないから、誰も話しかけて来ないこの状況はありがたい。
 そう考えてノーラの横で一緒に静かにしていたが、トレイを持ったボーイが絨毯に躓いて俺の方に倒れて来た。その体を支えようとして、少年の手に光る物が握られていることに気付く。
 少年の右腕を掴んで捻り上げると、ボーイが持つには立派過ぎる、鋭く砥がれた肉切り包丁が絨毯に落ちた。
 キッチンにあったのを、俺を殺すためにわざわざ持って来てくれたのか。

「あの……ご、ごめんなさい……」

 少年は、震える声で涙目になりながらそう言った。
 泣きたいのはこっちの方だ。まさか、こんな小学生の馬鹿なじゃれ合いみたいな暗殺を、パーティーの間ずっと相手にしないといけないのか。

「……気を付けてね」

 しかし、ここで招かれざる客のトルヴァルが騒いでも、印象を悪くするだけだ。俺は少年の手を離して穏便に済ませた。
 少年は、絨毯に落ちた包丁を拾い上げると、ホールの外に駆けて行く。あの様子だと大して反省していないようだから、次のやり方を考えているはずだ。

 ノーラは案外こういう事に慣れているのか、俺と少年のやり取りを見ても「あらあら」と溜息を吐いただけだった。
 俺1人が自分の身を守るのは簡単だ。しかし、あの雑な攻撃を避け続けていたら、俺の横にいるノーラが怪我をする可能性がある。1人ずつ捕まえて二度と人殺しなんて考えないように叱り付けてやってもいいが、変に目立って俺の御粗末な変装がばれてしまうかもしれない。

 どうしたものかと考えていると、トレイを空にしたボーイが1人、ホールから出て行くのが見えた。さっきオグオンが好感度を上げるイベントをしていた時に、凄い目でオグオンを凝視していた黒髪の少年だ。

「少し外します」

「そう、気を付けて」

 俺はノーラに断って、少年を追い掛けてホールを出た。
 ずっと軍鶏の姿で城を見張っていたから、城の構造は完璧に覚えている。キッチンに向かう道を先回りして、使われていない廊下の隅で待ち伏せをした。
 通りかかった所を掴まえて廊下の影に引き摺り込むと、ボーイは驚いていつもの声で小さく叫んだが、すぐに少し低い少年の声に戻った。

「御客様、何でしょうか?」

「何してるんだ?」

「はい?何の話でしょう?」

 必死で顔を隠しているトレイを取り上げて、くるくるとパーマが掛かっている黒髪を試しに引っ張ってみる。魔術が使えないから俺と同じようにウィッグを被っているのかと思ったが、地の髪を染めているらしい。

「オグオンに頼まれたのか?まさか、追試を免除してもらったとかじゃないよな」

「違います!ちゃんと合格しました!」

 ニーアが変装を諦めて、少年の声から元の声に戻した。変声術は勇者の必須スキルとか言っているだけある。しかし、目立つ赤い髪が黒くなっているだけで、顔はいつものニーアだ。

「えー……勇者様、どうしてニーアがいるって気付いたんですか?」

 どうして気付いたのかと問われると、首席卒業の勇者の高い推理力によるものだ。
 オグオンがパーティーに参加しているとはいえ、貴族から任せられた仕事を俺1人に任せるとは考えにくい。当然、他に協力者を侵入させているはずだが、魔術が使えない会場、知り合いだけが参加するパーティーだ。顔を良く知られている参加者に化けるのは不可能。
 ならば、パーティー当日に雇われるボーイかメイドに変装していると予想できるし、使用人に変装できる年代の少年少女は養成校では限られる。
 そして、俺と同じく正式な依頼ではなく、オグオンの個人的なお願いとして頼まれた時に、返事1つで動く従順な生徒となると更に絞られる。
 しかし、そんな事を説明するのは面倒で、俺は一言で済ませた。

「オグオンを見る目に、異常に熱が籠っていたから」

「だって勇者様!アウビリス様のあの御姿、見ました?」

「見た」

「パーティーの場でもあんなに堂々とされていて、しかもあんなに美しいお姿で……うわぁ……過去の資料を探しても、アウビリス様が赤系のドレスを着るのは珍しいんですよ!コルベリア家の家色に合わせたんでしょうけど、アウビリス様の美しい肌は濃い色もよくお似合いで、本当に、もう……いつもマントを着ていて隠れてますけど、アウビリス様って腿の形がとてもお綺麗で……ふぁぁ……あんなご褒美みたいなアウビリス様の御姿をみたら、凝視せざるを得ないですよ。目が勿体無い」

「そうか」

「ああいう動き難そうなお洋服、仕事の時は着れませんよね。アウビリス様、今年は休日無しのようなので、超絶レアですよ!あーあ……もっと色んな御姿のアウビリス様を見てみたい……あ、でも、ニーアはプライベートまで見に行ったりはしませんよ。ニーア、ちゃんと公私の区別は付けれるタイプなので」

「ふぅん」

「ところで、ニーアの調べでは、アウビリス様は最近ディス・マウトにお忍びで行かれる事が多いみたいです!その辺りに居れば偶然会えますかね……はわわ……ニーア、あんまりちゃんとした服を持ってないので、アルヴァに見繕ってもらわないと。勇者様、アウビリス様の私服ってどんな感じか知っていますか?同じブランドの服を着て同じ場所で出会ったら、それはもうペアルックですよね。うへへ」

「それでニーア、その髪の色は戻るのか?」

「あ、はい。これは染めただけなので、一回洗えば戻っちゃいます」

「それは良かった。それで、ニーアは何しに来たんだ?」

 俺が尋ねると、ニーアはようやく仕事を思い出したらしくゆるゆるに緩んだ頬を引き締めた。

「ニーアは、勇者様を影からお守りするのが仕事だったんですけど、ちょっと話が変わってしまいまして……」

 ニーアはボーイの黒い制服のポケットを探って、親指の先くらいの大きさの青い宝石を取り出した。
 受け取って光に透かして確かめると、昼飯代くらいにしかならないクズ石だ。しかし、見た目は派手だから、子供を買収するには充分だろう。

「退魔の子を殺すようにって、これを前金として受け取りました。ニーアの他にも、今日のために雇われた給仕の子が何人か頼まれているようです」

「その依頼人は?」

「コルベリア家の秘書と名乗っていました。でも、その方も元々コルベリア家に勤めている人ではないようなので、パーティーに合わせて臨時で増員した使用人だと思います」

 つまり、俺を殺しに来るボーイを掴まえて依頼主を吐かせても、コルベリア家の人間には行き付かないようになっている。
 多分、遡って深く調べて行ったらもっと上手に暗殺されるだろう。貴族は大なり小なり、疚しい物を抱えているから、己を詮索されるのを一番嫌う人種だ。

「勇者様、どうしましょうか」

「まぁ、コルベリア当主は短気だから。俺が何時までも殺されなければ痺れを切らして本人が出て来るだろう」

「それでは、ニーアも暗殺に参加していいってことですか?」

 何故、ニーアは俺の暗殺に乗り気なんだ。
 しかし、そちらに1人でも仲間がいるならやりやすい。入れ代わり立ち代わり知恵が無いガキに狙われるのは面倒だ。ニーアが暗殺を頼まれた子供たちを先導して、報酬を山分けするから全員で暗殺を考えるとか、もう少し数を絞って上手くやってくれると俺も対処しやすい。
 俺がそう頼むと、ニーアは元気に「はい!」と返事をした。その力強い返事に、何だか嫌な予感がする。

「ニーア……本気でやるなよ」

「ほう?」

「不思議そうな顔をするんじゃない」

 俺は退魔の子の一般人に変装している。派手な立ち回りをするつもりはない。一般人がどう考えても避けるのが無理そうな暗殺をされたら、俺は一般人らしく潔く諦めて殺される。

「えー!せっかく勇者様と本気でやり合えると思ったのに!師弟対決しましょうよ!」

「また今度、別の機会にな」

「はーい……」

 ニーアは先程よりも少し元気が無い声で返事をしたが、俺が背中を押すと表情から歩き方まで完璧にボーイに変装して、廊下に出てキッチンに向かった。
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