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第30話 勇者、迷い人を救う

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 朝の散歩に街を歩いていると、何時の間にかリトルスクールの登校時間になっていた。観光客向けの気取った外装のレストランやホテルからも鞄を背負った子供がちょろちょろと出て来る。
 義務教育の役割を担うリトルスクールは、各地区の子供が通いやすいように開校時間が街によって異なる。
 ホーリアは年中それなりに観光客が来ていて子どもは家の仕事があるから、早朝から夕方まで好きな時間に通えるように長く開いているらしい。

「あー勇者だー!」

 ガキに絡まれる前に事務所に戻ろうとしたが、3番街から駆けて来たユーリが俺に体当たりして来た。
 最近寝つきが悪くて睡眠不足だったけれど、朝からアクセル全開のユーリを相手にすると疲れと眠気が押し寄せてきた。今ならぐっすり眠れそうな気分だ。
 この気持ちを忘れないうちに事務所に戻って布団に入ろうと思ったのに、ユーリは俺のマントを掴んでぐいぐいと引っ張る。

「一緒に学校行こうよ!ねーオレにいっつも勉強させるんだから、今日は勇者も勉強しよう。なー?」

「俺はリトルスクールはもう卒業した」

「そんなこと言わないでさ。いつもクーベルと通ってるんだけど、この前引っ越しちゃったんだよ」

 ユーリとよく一緒にいた男の子クーベルは、3番街のガラス職人の子だった。
 同じ職人の子同士、店の商品を使って遊んだり壊したり仲良くしている姿を見かけていたが、クーベルの家は更なる稼ぎを求めて首都の方に移住してしまった。
 友人が引っ越してしてさすがのユーリも落ち込んでいるのかと思ったけど、いつもと変わらない平気な顔をしている。

「一緒に行こうよ。オレ、勇者の友達なんだって自慢してもいい?」

「友達になった覚えはない」

「じゃあ、手下でもいいよ!勇者は俺の手下なんだって自慢してもいい?」

「いいわけないだろ」

 観光地ホーリアで生まれ育ったユーリのことだ。毎日大量の観光客が来てすぐに去って行く。誰かとお別れするなんて慣れたことだろう。
 しかし、友達がいなくなって1人で通学するユーリは少し可哀想な気がする。逆らう気力がなくなって、ユーリに引っ張られるように歩き出した。
 街外れにあるホーリアのリトルスクールは、数百年ほど昔に政治家の集会場として使われていたという建物を改修して作られた。
 柱の傷一つにも逸話が残る重要文化財レベルの建物なのに、ホーリアではその程度の物は珍しくない。子供の溜まり場に作り変えられて、生徒たちは授業前に好き勝手騒いでいる。
 俺を引き摺って校舎に入ったユーリだったが、教室に入ると俺を放って友人と遊び始めていた。
 俺が初めて見る観光客の子もいるのに、全く人見知りしないで室内で鬼ごっこを始めている。
 無理矢理連れて来られたのにガキの集団の中で1人にされて、なかなか過激な放置プレイだ。
 居場所がなくなった俺は、窓際の一番後ろの席に座って勇者らしく国の行く末を案じているような雰囲気で窓の外を眺めていた。

「はーい、授業を始めますよー……あれ?勇者様?」

 暖かい日差しで頭が温まって寝てしまおうかという時、聞き覚えのある声で呼ばれて閉じかけていた目を開けた。
 誰かと思ったら、以前と同じ眼鏡に重たい三つ編みのフェリシアだ。リトルスクールの教科書を抱えて入って来ると、俺を見てパチリと瞳を大きくする。

「フェリシア、どうしたんだ?」

「アルバイトでここの講師をしているんです。私の方は今日は午後から授業なので」

 あのニーアを育てた超体育会系の魔法剣士の学校だ。
 もしかして付いて行けなくなって学校を辞めたのかと思ったけど、フェリシアは体も顔付きも前よりも凛々しくなっている。人間、やれば何とでもなるものだ。

「忙しいのに大変だな」

「いいえ、座学の授業は、教える方でも懐かしいです」

 フェリシアが切なそうに呟いて、やっぱり根っこは事務職のフェリシアのままなんだと安心する。
 魔法剣士の学校は座学の授業でも、教師の気まぐれで突然実践が始まったりするらしい。時間が余ってドッジボールを始める小学校の授業みたいだと常々思っている。

「勇者様、そこに座ってるなら皆の手本になるようにちゃんと聞いててくださいね。さ、みんな、勉強の時間ですよ!」

 フェリシアが大きな声で呼びかけると、机の間で転がり回って遊んでいた生徒達は大人しく席に着いた。


 フェリシアは席順で当てていくタイプらしく、俺も飛ばさないでしっかり当てて来た。ガキの前で恥を晒すこともできず、ほとんど徹夜の頭で何とか答える。
 昼休みになって事務所に戻ろうとしたのに、生徒が昼食を分けてくれたから戻るタイミングを逃してしまった。
 食事の御礼に校庭に俺の分身を大量に出して駆け回らせた。戦争中は軍事機密を持って飛び回る黒い軍鶏も、今は子供の遊び相手になっている。

「勇者様」

 食後にひと眠りしようとベンチに腰掛けていると、後ろから呼ばれてマントを引っ張られた。
 ユーリに似た引っ張り方だと上を見ると、やっぱりニーアが俺を見下ろしていた。

「学校にいるっていうから、またアムジュネマニスに行っちゃったのかと思いましたよ。リトルスクールで何をしていたんですか?」

「フェリシアの授業を受けてた」

「ああ、フェリシアさん、ここでアルバイトしているんですよね。どうでした?」

 教え方はわかりやすかったけど徐々に思考が筋肉に侵されている様子が端々に見えた。しかし、同様の脳をしているニーアに言うことでもないから、わかりやすかった、と無難な答えを返す。
 ニーアは、校庭に散らばっている黒い軍鶏が俺の分身だと気付いて、一匹抱え上げた。
 そして、本物の動物をあやすように腹の下の羽毛に指を埋めて揉んでいる。ニーアは知らないだろうけど、分身と俺は感覚が僅かに繋がっている。言ったら俺がセクハラみたいになりそうだから、脇腹をくすぐられるような感覚に耐えていた。

「勇者様、あの学園で何かあったんですか?」

「どうして?」

「なんだかずっと考え事をしているみたいですし。酷い目に遭いませんでしたか?」

 全く、と強がろうと思ったが、魔術師たちにはそれなりに酷い目に遭わされた。
 その愚痴を漏らすついでに、ニーアにずっと隠していたことをさらりと言えないかと考えた。

「ニーア」

「はい?」

 言葉を続けようとして、突然背中が裂けるような痛みに襲われてベンチから転がり落ちた。

「勇者様?!大丈夫ですか?」

 覚えのある痛みを辿ると、思ったとおり女の子が俺の分身に包丁を振り下ろしていた。
 ギャル集団の一人で、時々チコリの肉屋で手伝いをしているアレシアだ。家がレストランで、食材の仕入れから野生動物の解体まで熟している優秀な子で、俺の分身を食材と勘違いしているらしい。

「勝手に人の分身を捌くな」

「えー?なんで駄目なの?絶対美味しくするから」

「そういう問題じゃない」

「勇者のけーち!」

 アレシアは包丁をしまって俺の分身を離した。ホーリアでは、子どもが肉切り包丁を懐に忍ばせているのか。
 これ以上首を切り落とされたら堪らないから、走り回っている分身を全部黒い霧に戻して回収した。分身を一体殺されても本体に怪我はしないけれど、俺の場合は分身の一つ一つが大きいだけあって、痛いものは痛い。

「勇者様、痛い時はいてぇって言うんですね」

 ニーアが俺をベンチに引っ張り上げながら、面白そうに言った。
 子供にやられて騒いだのは勇者の恥だから、俺はなんでもない顔をしてベンチに座り直す。

「ニーアは、笑う時時々うへへって言うよな」

「何ですか、それ?ニーア、そんな笑い方しませんよ」

「いや、してた」

「してませんよ」

「してた」

「してません」

 ニーアはどうしても認めないつもりらしい。
 俺は過去の記憶を映像で見せる魔術を構築するべく、地面に魔術式を書き始めた。
 記憶を読み取る魔術は前にモベドスの理事たちにかけられたのを覚えているから、それを少し変えればすぐに完成する。複雑で精神に負担がかかる危険な魔術だが、自分で自分にかける分には条例違反にならないだろう。
 ニーアに己が勇者が絡むとどれだけ面倒なことになっているか、知ってもらういい機会だ。
 俺が近づいてくるガキを追い払いながら地面に魔術式を書いていると、背後に魔術で誰かが現れた気配があった。

「何だ?」

「ホーリア様、こちらにいると聞いて参りました」

 その声は、オルドグの自警団の団長だ。
 ここはオルドグの街に近いから、素人が移動魔法で来ても怪我をしない距離ではある。しかし、大した魔力を有していない団長が移動魔法で来るなんて、そうとう急ぎの用事らしい。

「少々相談したいことが……よろしいですか」

 急ぎの用件はいつでも面倒臭いと決まっている。
 俺は地面に魔術式を書き続けながら「今忙しい」と返事をしようとした。

「ええ、大丈夫です。私も行っていいですか?」

 俺は断るつもりだったのに、ニーアは俺から枝を取り上げて勝手に依頼を受けていた。
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