溺恋マリアージュ。

碧まりる

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1巻

1-2

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 それはこの家に来た十三歳の時から始まった。
 最初は樹奈の背を超した時、私を見た義母が舌打ちをしたので、子供ながらに目立つことを恐れるようになった。翌日からは膝を曲げて歩いた。
 胸が出てきたらサラシを巻いて押さえ付けた。「目が大きくてお人形さんみたい」と人に言われれば前髪を長くして、眼鏡をかけて隠した。
 物理的に無理なこと以外はなんでもした。その最終進化系がこの〝こけしフル装備〟である。
 そうして妹より目立たないように生きてきた。それが何より平穏だったから。これが〝私〟なんだと、苦痛にも思わなかった。

「もうちょっとなの。明日から一緒に働く人についていけば自立できそうなの。誰より近くで、あの男が身に付けたハイレベルなスキルを学べる」

 いつかフリーランスでやっていけたら最高。最低でもあのチームに留まりたい。生活費に家賃に悠の学費――今まで父に用立ててもらった私の学費も返したい。

「恋、家を出るつもり? なら俺もついてく! って言いたいけど、俺が市井の跡取りだもんなー」

 ……父はまだしも、この子をまともに育てたこともない義母が悠を跡取りに推すだろうか。
 樹奈の理想まんまとはいえ、系列にコネもないフリーランスの男との、唐突な縁談話。樹奈を永遠に手元に置いておきたい義母が、娘婿を市井の跡継ぎとするために、経営コンサルタントとして名高い豹牙廉に目をつけたのでは──そんな気がしてならない。
 いずれ本当に悠の居場所がなくなる日が来るのではと、思っていた――

「……悠、久しぶりに一緒に寝よ?」
「‼ 恋が寂しいっつーんならしょーがねぇなぁ!」
「「いつものやる⁉」」

 にこっと顔を合わせ、せーので寝支度へ走る。再び集合したら隣り合わせのお布団にもぐる。
 悠と布団を並べる時は必ず、勉強を兼ねて英語のスペルでしりとりをするのだ。どちらかが眠りにつくまで。

「俺からいくよ? friend、友」
「〝d〟……dream、夢。悠〝m〟ね」
「〝m〟……」
「いっぱいあるよー」

 それからしばらく返答がないため身を起こしてみると、悠は可愛い寝息を立てて眠っていた。
 私がここへ来なければ、義母の嫉妬に巻き込まれることなく、悠も愛してもらえていたのだろう。

「……ごめんね、悠。だいすき」

 最愛の母を失い、他人同然の家庭に放り込まれてから、私の目はモノクロームな世界しか映さなかった。私を追いかけてハイハイする、たまに「ママ」と呼び間違える、ぎゅっと抱きしめると心があたたまる――この子が唯一の光だったのだ。
 ――あなただけは守るよ。私の全てをかけてでも。
 そのためにはなんだってする。心の準備はとうにできていた。
 就活を始めた当初は、贔屓してもらえるかと市井オートの名を出していた。ところが、雇ってくれる企業は一つもなかった。一流企業の令嬢など扱いにくくて仕方ないのだろう。
 そこで派遣ならどうかと朝比奈の名でこっそり働いていたわけだが、それもそのうち身バレして自主退社を迫られる――留学から戻ってからはこれの繰り返し。
 それがようやく、自立への現実的な足掛かりができたのだ。
 王様、あまつさえメンバーからもスキルを盗む心づもりで、どんなにさげすまれようとお構いなしで挑んだつもりだ。ある程度の覚悟はしていたのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


「――朝比奈さん、お待ちしておりました。CEO室へご案内いたします」

 翌朝。言われた通りに会社の受付を訪ねると、名前を出しただけでホテルウーマンがやってきた。
 今回王様に立て直しを依頼した会社は、国内のホテル運営をコアビジネスとする老舗しにせ企業「京極きょうごくリゾート」。その売上柱となるホテル――フランス語で〝めぐり逢い〟を意味する「HOTEL La Rencontreランコントル」の立て直しが主な案件だ。
 老舗しにせで格式も高く、顧客満足度が高いことで定評のあるラグジュアリーホテルである。しかし事業拡大した際の借入返済が追いつかず、このままいけば倒産確実と言われている。

「ここ客室ですよね?」

 案内人に先導される中、ふと口をついて出てしまった。訪ねた自社ビル内に通されると思っていたので、隣接しているホテルへ案内されたことが不思議でならなかったのだ。

「ええ、このフロアはスイートルーム専用フロアとなっております」
「スイートルームをCEO室に、ですか?」
「どう使用されても問題ありません。当館はスイートを三部屋ご用意させていただいておりますが、近年お客様で埋まることもございませんし。それに、豹牙CEOと朝比奈さんへのささやかなはなむけになればと社長の京極も申しておりました」

 ――ちょっと言ってる意味がわからないな。
 どんなに首を傾げていようが目的地は目前に迫っている。高級感漂う重厚な扉が開くと、その先には昨日振りの豹牙廉がいた。
 都心を一望できる窓から外を眺め、王様は優雅にモーニングコーヒーを召し上がっているご様子。見たところチームメンバーは出勤前のようだ。

「失礼いたします。朝比奈様をお連れいたしました」
「……来たか、俺の嫁が」

 ――それ、まだ続けるの?

「豹牙CEOは本当に本当に男前ですし、朝比奈さんは……、とてもお似合いです」
「ありがとう」

 ――ありがとう?

「業界内でも豹牙CEOは名高いお方です。お二人が当ホテルで挙式や披露宴をしてくださったなら、これほどの宣伝はございません」

 ――あー。
 昨日私は、この会社の社員達の前で「私は豹牙の妻です」と大ぼらを吹いた。そして、うっかりなんの訂正もせずに帰った。だけどあれは王様のために致し方なく取った応急措置である。

「ええ……」

 思わず、気の抜けた不満が漏れる。その上露骨に嫌そうな顔をしたのが気にさわったのか、コーヒーカップを置いた手が私の後ろの壁にどんとつかれた。

「~~~。ご親切に社長がスイート用意してくれたし、あいつらもまだだし……ヤっとく?」

 ――はい?
「コーヒーついでにメシ食っとく?」みたいな軽いノリで、朝っぱらから何を言っているのだろう、この男は。しかも依頼元の、それも女性の前で。
 ふと彼女を見やると、距離を取ったからこそ視界に入ったものがあった。固く握った拳をわなわなと震わせていたのだ。先程の言い方からしても、「なんでこんな女が豹牙さんと結婚するのよ、すっこんでなさい、このこけしが」というのが本音だろう。
 ――どこまでモテるの、この王様は。

「(手を出したの?)」
「(出すわけがない。依頼元のコンシェルジュだぞ)」
「(私に妻のフリを続けろと?)」
「(そうしておいた方が色々と都合が良いと、俺が判断した。このホテルにも、女カッター的にも。倒産が囁かれてる今、ホテル従業員の士気が少しでも下がるようなことは避けたい)」

 ――士気というなら、王様が片っ端から相手してあげれば、みんな喜んで付いてくるんじゃないの?
 と言い返したいところだが、さすがに現実的ではない。
 誰もが憧れる、特定の女には執着しないやり手のビジネスマン――そう言われているあの豹牙廉の、結婚式と披露宴。業界内では相当話題になるだろう。ホテル側としてはなるほど、この男は希望の星だ。

。ベッド行こ。ね?」
「嫌だね。こういう所の方が燃えるだろ、おまえは」

 ――こけし呼ばわりはもう慣れた。だけどそういうキャラ設定はぜひやめてほしい。

「ベッドが一番燃えるの!」
「やだね。ここで、俺の手でいやらしく乱れる恋を見せびらかしたい」
「っ――」

 主の許可もなくスカートのすそから手を突っ込み、愛撫を始めたかのような仕草をしてみせる、上司になったはずの男。彼は私の首筋に歯を立てると、妖艶に瞳を細める。

「そ、それではわたくしはこれで失礼いたします。ご用の際はフロントまでご連絡ください」

 もう見ていられないといった感じで、コンシェルジュは足音を立てて部屋から出ていった。
 もう妻のフリをする必要はどこにもない。なのに平常運転に戻る様子はない。ぶつかってしまった視線を、どうしてか逸らすことができない。

「自分が今どんな顔してたか、わかってんの?」
「なに、言ってるの」
「〝して〟って顔」

 誇らかな口振りにこれみよがしの態度。焦らすように唇を親指で撫でられ、背筋がぞわと粟立つ。

「『どんなセックスするんだろう』だっけ、おまえの俺への印象。初めて言われたぞ」
「所構わず雄のフェロモンをき散らしておいて?」
「確かに抱いてほしいと言われたことはある。他は自分のものにしたいとか愛してほしいとか、そんなもんだ」

 ――それはそれはお盛んなことで。

「だからなんだと言うの? 私はただ一般女性の声をお届けしただけで」
「違うね。嗅ぎ分けたんだよ、その鼻が。自分が求めるセックスをしてくれる男を」
「こんな身形みなりの私が、嗅ぎ分けられるほど経験豊富だと思うの?」
「思わない。だがそういう女の願望のほうが突出してえろい」

 ――例えば嗅ぎ分けていたとして、どうしてこうなるの。
 万が一そうだったとしても、その真偽を自分で確かめたいとも思わなかったろう。第一セックス目的で言い寄ってくる女も溢れるほどいるだろうに、なぜこけしなどを構うのか。
 その一人に加わるのは御免だと、断固応じない姿勢で唇をつぐむ。しかし、私の様子などお構いなしに唇をぺろっと舐められ、思いがけずまなじりがじゅんと潤んだ。

「ほらな。おまえみたいな勝気な女が、俺のしたいように攻めたら涙目になって甘ったるく反応する――俺のSの本能がうずくんだよ、そういうの」
「ん、んぅ!」

 不覚にもゾクッとした、雄々しくも猛々しい規格外の強引さに。
 あてがった親指でぐっと下唇を開くと、それは容易く私の中へ押し入ってきた。
 手始めは焦らすように舌先で歯の裏に筋を描き、絶好のタイミングで舌を拾い上げて絡ませる。かと思えば舌を根元から吸い上げて、悲鳴を上げさせられる。

「舌吸っただけでこれ? 敏感なとこもっと他にあんだろ。どうなるんだよ」
「ま、ってぁ……んっ、んん」

 ――ああ、思い出した。
 この男のキスは、そんなつもりがなくても強制的に夢中にさせられる。荒々しく羞恥心をかき立て、あっさり恍惚へと導く。支配されたい……そんな願望すら芽生えてしまいそうなほど。

「っ、も、いいでしょ。見せつける相手もいないんだから」
「フリでここまでするか。くそ地味な身形みなりの下から甘い蜜の匂い溢れさせやがって」
「香水なんてつけてなっ――」
「違う。これは俺に開かれるのを期待してる女の匂いだ。暴いてやろうか」

 そう言うが早いか、豹牙廉は持ち上げた私の片脚を肘に引っ掛けた。お陰でスカートが意味をなさないくらいまくれ上がっている。
 ――だめ。待って、やめて。
 これ以上されたら、わけもわからずトリガーを引かれてしまう気がする。その領域に達してしまえば、きっと本能的に拒めない。

「や……めて。こんな格好恥ずかし……」
「俺に丸見えになるから?」

 窃視せっしに似た雄の視線に、理性がぐらつく。一瞬の気の緩みが隙を作ってしまっていた。
 太腿を堂々と伝い、躊躇なく股上を捉えた手は、違和感を探り当てたようだ。

「おい、何枚ストッキング穿いてんだよ。一枚伝線しても脱げば済むように? セクレタリーのかがみだな、まったく」

 ――そういう理由ではないのだけど。
 この男を前にしたらそれすらもたわいない。積年守ってきた五重のゾッキサポートは無残にも引き千切られるのだった。唇を重ねながら手の感覚だけでその力作業をこなしてしまうのだから、やはりこの男はかなりの手練れなのだろう。
 幸い両手は自由だが、元ラガーマンのブロックに敵うはずもない。分厚い層に守られていたクロッチに手を掛けられ、いよいよ理性が音を立てて崩れた。

「ぁ……あっぁあ……」
「いい反応」

 そっと指でなぞられただけで、カラダの最奥から欲望が湧き出てくるよう。
 自分がこんなにチョロいなんて思いもしなかった。
 元々快感に弱いタイプではなかったはず。それでなくともご無沙汰だった。こういうことは高校以来である。俗に言われる〝セカンドバージン〟というやつだ。
 なのにこの男に限っては、唇で指で……言葉で攻め立てられるほどに、カラダが潤んでしまう。キスだけでこんなに反応するなんて、絶対におかしい。

「さわっちゃ、もう」
「〝もうやめて〟?」
「その奥いっちゃだめ。もう、たぶん、いっぱい濡れちゃって、る……から」
「~~~、そんなこと聞かされたらやめらんねーな」

 熱をはらんだ鋭い目つきに、電気がショートした際に似た危機感。
 クロッチの脇から難なく滑り込んだ指はあっという間に蜜を絡めた。

「本当だ。もうぐちょぐちょ」
「――っ」

 ――なんて扇情的せんじょうてきな目つき、いやらしい口元。
 こういう時は必ず目を合わせてくる、そんなこの男の癖がなんとなくわかって嫌になる。そして、そんな男を動物的に望んでしまった自分が、本当に嫌になる。
 必死に抵抗していた両手は自ずと王様のたくましい首に回っていた。
 悪戯な指が、今はまだ潤っていないところまで蜜まみれにしていく。
 指先がぷっくりした蕾に引っ掛かると、そこをねっとり撫で回した。一方の指は入り口の浅いところをつぷつぷと出入りしている。両方からの刺激で片足で立っているのがやっとだ。
 ――さいあく。巧すぎ。まだ表面だけなのに……

「んっぁ。あ。それっ」
「入り口好きなんだ?」
「んっ、すき……」
「こっちのとがってるほうは?」
「んっぁ、下からこするのだめなの。きもちぃ」
「さっきから心の声がだだ漏れしてるけど大丈夫?」

 いっぱいいっぱいの私に対して、王様はクスと微笑すら浮かべている。
 彼の言う通り、たまに本心が隠せない時があって、理性を失いかけている今がまさにそれだ。

「っ……ねえ……」

「廉っ……あのね、レ……ン」
「いいよ、イけよ」
「ぁ! あぁん、んっんん~~~」

 許可を得るのと同時に果ててから、しばらく首にしがみついていたと思う。
 果てたのを見届けると手を止める男は多いらしいが、男と違って、女は果てた後の余韻が長い。廉はそれを熟知していて、アフターケアを怠らず入り口を撫で続けている。絶頂の波がゆるやかに落ち着いて、心地良い右肩下がりの曲線を描いてくれていた。

「んっん……ん……」
「おまえほんと、なんなんだよ」

 感情までき出しにさせられるとは思わなかった。ふいにほろほろと涙を流す私の唇を、彼がそっとすくう。
 触れる前のキスとは全然違っていた。攻めるというより労りいつくしむような柔らかな口づけ。
 ――ああ、やっぱり。
 この男との一線だけは越えてはならないと、昨日、自分がたかがキスに怯えていた理由がわかってしまった。大変不本意ではあるが、廉と私はたぶん……カラダの相性が良すぎる。
 本来は、挿入はいってきた時にフィットするとか、お互いがきちんと気持ち良くなれるとか――そういうのを相性が良いと言うのだろうが、そこまで達していない私達は、何か違うものを感じていた。
 もっと根本的な、それでいて、もっとずっとどうしようもないもの。

「このままやっとく? 俺は試してみたい」
「や、っとかないっ」
「ほら。こうやって広げればすぐにでも突っ込める」
「ぁっ、ゃ……だっ」
「えろすぎ。ひくついててウマそう」

 ――本当、目も当てられないほどいやらしい。
 挿し込んだ二本の指をこれでもかと開いて、まだ興奮冷めやらぬ私のそこを、廉が淡々と見下ろしている。
 たまらずそこを手で覆ったのだが、彼はそんなことを気にした風もなく、笑みを浮かべて私の目を覗き込んだ。

「好きだろ、こういうの」

 ――私おかしいのかな……嫌いじゃ、ない。

「俺と試してみようか。溺れる覚悟で」

 ――試してみたい気もする。だけどその先に何があると言うの。
 一度で気が済めばそれで良いのかも知れない。けれど病みつきにでもなって私がのめり込んだとして、精々セフレ止まりだろう。しかも今日からこの人は上司、職場でのトラブルは極力避けたい。
 何より、一線を越えることになったら、私は長年守り続けてきたこけしフル装備を外さなければいけなくなる。

「愛のないセックスは、いや」

 どう考えてもいいことなどない。とりあえず常套句を口にしてみる。

「……おまえ、案外面倒臭いな」
「普通だと思うけど。そもそも今お付き合いされている女性は? 女カッターとホテルのための偽装妻はまだ理解できる。でも、結婚の噂をこのままにしておいたら、たちまち広まるよ」

 廉ほどの男ならばそれで傷つく女性が大勢いるに違いない、と信じて疑っていなかった。

「いねーな。特定の女は作らない主義なんだ、問題ない」
「なぜ?」
「俺が一人に決めれば、そいつがその辺の女どもから集中砲火に遭う」

 ――そういう過去でもあったのかな、……これだけの男ならそうなるか。

「ええ……私はボコボコにされてもいいってこと? 極悪人」
「恋はボコボコにされるタマじゃねぇだろーが」

 ――さすが王様。平民の私にはわからない脳内してる。
 ただ、人としてどうであれ、仕事は飛び抜けてデキるのだ。絶対に離れない。
 意地でもここに留まらなければいけない理由が、私にはある。たとえ不本意なオプションが多々ついてこようとも。

「そういうことなら、表向きの偽装妻はきちんとこなします。でもセックスは別だから」
「据え膳は食っとけって教えられてるんだ」
「それはそれはチャラい教えで。――もう皆さん出社されますから。脚離して」
「そのストッキングで仕事すんの? 濡れそぼった下着穿いて?」

 ――誰のせいだと……っ。

「今穿き替えるからっ」
「まぁ時間は腐るほどあるしな、じっくり手解きしてくか」
「立派なセクハラですよ。部下に手を出すなんて」
「中身ドMの癖してぐだぐだ言ってんな」

 取り急ぎパウダールームを借りたい。抱えられていた脚を取り戻して、逃げる姿勢でそっぽを向く。ところが手首を掴まれ、そのまま吐息の掛かる距離まで引っ張られたもので、「なに」と一つ口にした。

「これだけは断言しとく――おまえは俺にハマるよ」

 自信たっぷりの宣言と、まるで愛を乞うような、もったりとしたキス。乾いた唇がみるみるうちに潤いを取り戻す。

「っ……あなたのキスは好き」
「言うね」

 この男相手に私の精一杯はどこまでもってくれるだろう。意地でも理性と本能を天秤に掛けまいと、手の甲で濡れた唇を拭うのだった。


 それから十分後。チームメンバーが揃ったところで、廉から今回の事業内容と目標が伝えられた。

「――そういうわけだから。このスイートをCEO室として使用していいそうだ。俺と恋の偽装結婚と引き換えに」
「なに、まだ続いてたのそれ!」

 凛さんがなぜか声を弾ませて身を乗り出す。

「社長も社員も信じ込んでんだよ、使うしかねーだろ」
「だったら、いっそ二人をモデルにして広告打てば? ここのウェディング事業低迷してたよね」
「拓真さん、それはいい案だ。これだけ色男の廉さんと――」
「先生、俺とこけしのウェディングパンフでも作ろうってのか」
「「「映えないな」」」

 ――みんなして!
 まぁ元より私は見た目採用ではない。
 そう思い直して軽く受け流そうとしたのだが、私を見ていた凛さんが「ちょっとごめんね」と私のだて眼鏡を取った。じっとりと確認したのちにさっと戻されたのだけど。

「うん。やっぱり掛けておいたほうが良さそうね」

 ――そんなに見るにえない顔⁉
 ここまで来ると、このフォルム相手によく欲情したものだと思わずにはいられない。
 ちらと窺うと、当の王様はとっくにビジネストークへ突入していた。

「手始めに、俺は社長以外の経営陣総入れ替えを提案する。チーム始動は実質そこからだ」

 こともなげにそう言ってのけるので、私はすかさず脇から口を挟む。

「待ってくださいCEO。京極リゾートは創業当時から同族経営を守られてきたはずです。その重役を一掃するなんて」
「そうそれ。覚えとけよ、恋。要は、そこまでして会社を立て直したいかってことだ」
「もし拒まれたら……?」
「ならば俺らは必要ない。そこまでの覚悟がない企業なんか救うか――よって、全ては午後の株主総会で決定する」

 ――いちフリーランスが老舗しにせ企業を試すっていうの?

「それをクリアしたらまずはコスト削減ね」
「並行して料理や施設などのサービスの見直しですかな」
「ウェディング事業どうにかしねぇ? あー、まずは金の工面からだな」

 理解が追い付かない。おまけにメンバーが次々発言するせいで、情報量が急激に膨れ上がる。

「あの、一ついいですか」

 手帳に書き留めるより頭にインプットするつもりで、私は一旦話を止めた。

「どうしたの恋ちゃん」
「隣の自社ビルを売却できませんか? さすが京極リゾート本社、立派ですけど維持費が凄く無駄だなって。……でも、働いている社員の行き場がなくなりますもんね、聞かなかったことに」

 思いつきで出過ぎた発言をしてしまった。目を伏せて恐縮していると、廉が「それ」と指を鳴らす。

「着眼点は悪くないな。だが所有権はギリギリまで残す、売却は最終手段だ。社員は三フロアぐらいに押し込んで他フロアを他社に賃貸すれば、コスト削減以上に家賃収入のリターンもある」
「でも廉、この会社借金まみれよ? 抵当に入ってないかしら」
「入っていたら少々厄介ですね。私にお任せください。自社ビルの件は調べておきましょう」
「緒方先生よろしく~、私は手始めに世間の口コミをまとめるわ」
「俺は支配人との打ち合わせからだな。各施設の内部資料かき集めてくっか!」

 さすが王様が選んだメンバーである。多くを語らずとも皆自分の役割を理解して即座に動けるようだ。なんでも、四人は今流行のシェアオフィスで出会ってからの付き合いだそう。
 緒方先生と拓真さんが自主的に退室する中、何事か、凛さんが私の肘を取る。

「てことで。エステ行こ、恋ちゃん!」
「おい、凛⁉」
「いーでしょ、株主総会終わるまで動いても意味ないんだから。ここのエステ興味あったのよね~。施設見学と親睦会を兼ねた、立派なビジネスよ。廉~接待費で落としといてね~、株主総会ファイトォ!」
「おい~~~??」

 ――凄い。あの廉に「おい」しか言わせない。このひと、すこぶる自由な人だ。
 スリムな体型に、身長は百七十センチ近くあるだろうか。モデル並の完璧な美しさが「高嶺の花」のイメージを作り上げている。ベリーショートは極めてフェミニンで、大きなフープピアスがとてもよく似合っていた。

「凛さんあの、私も株主総会に同席させていただいたほうが……」

 手を引かれるままにスイートルームを後にすると、振り返った凛さんがにっこり微笑む。

「そうね、セクレタリーだものね。でも次回からでいいわ」
「経営陣総入れ替えの件が心配です」
「廉のいつもの手よ。先方を奈落の底へ突き落とすところから始めるの。もちろん覚悟を試す意味もあるけれど」

 ――ビジネスでもドS。救世主どころか悪魔のよう。

「最初にどん底へ突き落としておくとね、先方のプライドにヒビが入るのよ。すると今後私達が無理難題言っても、大抵受け入れてもらえるようになる。チームが動きやすい環境を作るというメリットもあるの」

 その説明に納得はしても、本案件のために臨時で雇われた身としては、緊張が解けることはない。
 私の顔が相当強ばっていたのか、凛さんは悪戯っぽく表情を緩ませる。

「廉に任せておけば大丈夫よ、人を丸め込むのが上手いから。私達は必ずここで仕事をすることになるわ」


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