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第三話
はじめてのデート場所は……
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(デートって、何着ていけばいいんだろ……)
とりあえず、ベッドの上にクローゼットの中の服を全部取り出して並べる。めちゃくちゃベタな恋愛映画そのものの風景だ。気合を入れ過ぎても、ラフでお洒落な春日の隣に並んだら浮きそうだし、かといってダサい服にしたら確実に浮くだろう。
「なんか、全体的に微妙だな……」
いざこうやって並べてみると、とたんにどれも色が暗すぎたり、生地がよれていたり、どれも「デート」に着ていくには力不足にみえてくる。いつもは気にならないのに。急に湧いてきた細かい埃をせっせと取り、皺や謎必死で伸ばすけど、皺は取れない。でももう時間はない。
「とりあえずこれでいっか……」
確か一昨年くらいに買ったまま、あまり着ないでクローゼットの肥しになっていた服だ。店員におすすめされるがままマネキンまるごと買ったので、おそらく外し過ぎということはないだろう。
「行くのやだな……」
デートなんてあまりに未知すぎる。まあ、言い出しっぺの春日に全部任せればいいや。そう思うことにして、急いで着替えて家を出た。
母の目をかいくぐって外出し、急いだけれど、数分だけ遅刻してしまった。待ち合わせ場所は、大きな熊のマスコットキャラの銅像がそびえている。待ち合わせ場所として有名だから人がたくさんいたが、春日のピンクミルクベージュの髪は一際目立って、すぐに見つけられた。
「ごめん、遅れて……」
「いーよー」
スマホから目をあげて、語尾を伸ばす春日は、いつもと感じが全然違った。
ベージュのジャケットとライトカラーのトップス、ブラックのスラックス。たまにつけているブルーっぽいサングラスはカラーレスのラウンド型のクラシカルな眼鏡フレームに代わっている。いつもじゃらじゃら鎖みたいになってるピアスも、今日は一個しかつけていない。
(ううっ……イケメンすぎる……。こんな格好も似合うとか反則だって!)
いつもよりぐっと落ち着いてクラシカルな雰囲気に、思わず僕は心の中で呻った。
「全然待ってない。今来たとこ」
いつものチャラくてルーズな春日を見ているから、余計、ギャップがすさまじい。すでにクマクロー像周辺にいた若い女の子達がチラチラ春日を見ている。
(このイケメンと隣に並ぶ僕……)
僕が女の子なら歓喜かもしれないが、同性だからすれ違う人達に確実にこのイケメンと比べられると思うとテンションが下がる。
春日は僕を見ると、甘さの残る表情を浮かべながらも、顎に手を添えて「うーん」と呻った。
「別に悪くないよ? 悪くないけど、この服はちょっとみっちゃんの顔には合わないし、大学生でこれを着てデートに着たらちょっと中学生に見えるって」
「えっ……」
初っ端から出鼻をくじかれて茫然とする。思わず自分の胴体を見る。太い黒とグレーのボーダーに、ブラックのカーゴパンツにスニーカー。そんなに変かな? でも確かにカーゴパンツは痩せ気味の僕の身体に合わずダボついていて、ダサいと言われればそうかもしれない。
「ちょっと予定変更―。先あそこ寄ろー」
「わっ、ちょっと」
春日は急に僕の手を握り、春日を見つめる女子たちの視線の中を、僕引き摺るようにしながらずんずん移動していった。
そのまま僕が連れてこられたのは、クマクロー像から徒歩一分のファッションビルだった。1Fにある有名メンズメゾンの一角に連れてこられた。春日は陳列された新作を物色しだす。少しして、「これ着て」と、ブラックのシンプルなトップスを渡してきた。しぶしぶ試着室でそれを着て出ていくと、
「おー、めっちゃいい!」
と春日は喜んでくれた。
たしかに、トップスがボーダーからブラックになり、全身がブラックに統一されたことで、より洗練された印象になった。だぼだぼだったカーゴパンツも、ブラック一色だから不自然ではない。派手な色や暖色系が苦手で、つい黒とかグレーを選んでしまう。なんだか自分に明るい色は似合わない気がして、世界から目立たず姿を隠したくて、ついそういう色を選ぶ。
春日は、「でも、みっちゃん、白とか赤も似合うと思うけどねー?」と首をひねっている。
姿見の前で高揚した気分のままそわそわ自分の姿を眺めていた。そのときだった。
「あとはさ、ついでに眼鏡もこういうのに替えたら? いろんな服に合うよ?」
ふいに、背後からすっと長くて節くれだった指が伸びてきて、僕の眼鏡をゆっくり外して、別の眼鏡を装着した。わざと顔をつぶさに覗き込むようにするから、すぐ目の前に春日の顔が拡大される。
「うあっ」
思わず、変な声が出た。ベルガモットにカルダモンを混ぜたような良い匂いがする。高校生とは思えない、大人の男の香り。いつもの調子の良い感じとのギャップについ緊張する。
「眼鏡、度、入ってる?」
「う、うんもちろん、そりゃ」
「そっか。じゃあまあいつか時間が出来たら、もっとお洒落な眼鏡買ったら?」
折れそうなほど細いゴールドのリムは、丸みがありつつも上の部分が台形や逆三角形を描いている。でもデザインがおしゃれで、中学生の頃から変えていないフレーム極太のプラス
チック製眼鏡とは大違いだ。
「髪はさ、地毛の黒すごい綺麗だから、パーマとかけたらだいぶ垢ぬけるんじゃない」
「あ、うん、そうする」
胸の鼓動を誤魔化すように答えて、「じゃあ、このトップス買ってくるね!」と、僕は慌てて眼鏡をもとのものに変えて、その場から逃げ出した。
結局、トップスだけ買って店を出た。お値段もそんなに高くなくて手頃だった。トップスを変えただけで、だいぶ今っぽくなった気がする。
「みっちゃんの高校は文化祭とかないの?」
「あるよ。七月のあたまに」
そういえば、もう再来週だ。
「春日のとこは?」
「あー。招待制なんだよね。父兄しか来れないの」
「へー、そうなんだ」
そんな他愛もない会話をしながら少し歩いたら、少し古びた大きな建物が目に入ってきた。
『国立科学宇宙センター』の看板が見えてきて、春日が「着いたよ」と嬉しそうに言った。
「えっ?」
なんで科学宇宙センターなんだろう。もっとSNSに載ってる流行のデートっぽいスポットはたくさんあると思うのだけれど。それこそ、水族館とかゲーセンにでも連れてこられるかと思ってたので、意外にも地味なテーマな場所に驚かされる。
白いコンクリートの長方形の建物は所々ドームのような窓がついていて、近未来的な感じがする。科学や宇宙は興味がある分野なので、前々から来てみたいと思いつつ、勉強ばかりで来られなかった。
「わあ……!」
電動ゲートをくぐると、そこは宇宙をモチーフにした近未来的な空間だった。天井の高い、燦燦と色がついたような陽光が差し込んでくる。天井に気をとられてると、春日が「はい」とチケットをくれた。
「ごめん、いくらだった?」
「大丈夫だよ」
「でも」
「俺が誘ったからさ、気にしないで」
「ちなみに、入場料は学割で三百円だから、本当に気にしちゃだめだよ?」と軽いノリで付け加える。手慣れたムーブだ。僕の罪悪感を最後ちゃんと解消している。
(こういうスマートさが恋愛においては大事なんだろうなあ……)
きっと、女の子はこういう「自然さ」が好きなんだろうな。すごいナチュラルだ。見習おうと、心のなかでメモする。
科学館の奥は、さらに広大な宇宙が広がっていた。照明が落ちた天井から吊るされた土星、木星、海王星の輪が、淡く反射する光を帯びながらゆっくりと揺れている。中央で大きな白い半球体が、星空のプロジェクションマップを映し出している。幻想的な空間だった。
壁際には、宇宙や科学に関する展示物ともに、銀板のキャプションが陳列されている。館内をあらためて見回すと、カップルだけでなく、小学生や小さい子ども連れの家族もたくさん訪れていた。確かに子どもたちに科学や宇宙に興味を持ってもらうにはうってつけの場所だろう。
つい展示物に夢中になっていると、「みっちゃーん」と遠くから春日が僕を呼ぶ声がする。「ねえ、これ教えてー」
そちらの方に向かうと、春日はクイズのパネルの前に立っていた。季節限定イベントで五つのクイズのスタンプラリーになっていて、全部解けると景品がもらえるらしい。
「『次の元素のうち、最も原子半径が小さいものはどれか。A. Na B. Mg C. Al D. Si』だってー。おしえてー」
「どれだと思う?」
「Naってなにー?」
春日の場合は、そもそもそこから解説しないとならない。答えはDのSiだよ、と教えてあげると、パネルをめくった。「本当だ、すごーい、俺も勉強しよー」と笑う。
その後、残りの四問も解いて、小さな台紙にスタンプを押していく。なんだか小学生の頃に戻ったみたいで楽しい。
「みっちゃんって、受験の理科、何選択するの?」
「化学と物理だよ」
「へー」
国立大学の受験の共通試験では、理科を二科目選択しないとならない。医学部受験生だし、共通試験の理科は一番スタンダードな物理と化学にする予定だ。両方とも得意な数学が使えるし。でも春日はにわかに納得していなさそうな表情を浮かべている。
「どうかしたの?」
「だって、地学のほうが好きそうだからそっちのほう勉強したほうがいーじゃん」
春日は、あっけらかんと言い放つ。たまに春日はものすごく痛いところを突いてくる。答えに詰まっていると、春日が声をあげた。
「あ、プラネタリウムだって。十五時から。ちょうどいいじゃん。見よーよ」
と春日が看板を指さした。
この宇宙科学館の一つの売りらしい。スタッフに聞いたら、まだ席に余裕があるらしく、そのままプラネタリウムに通してもらった。
中はそこまで広くない映画館のようなシートが数十席、円を描いて広がっている。
僕と春日は、落ち着かない様子で目を合わせた。プラネタリウムの星が、春日の瞳の中に映っていて、まるでミニチュアのプラネタリウムがそこにあるみたいだ。
(なんか、楽しかったな……)
本気で心の底からそう思った。
「ね、みっちゃん? 人生、教科書で勉強してるだけが勉強じゃないっしょ」
満面の笑みで両手ピースする感じで言うから、思わず笑ってしまった。すごく適当な口ぶりだったけど、確かにそうだよなと思った。
帰り道、並んで駅に向かって歩いた。もう四時だ。一時に集合して、あっという間に三時間が過ぎてしまった。ご機嫌顔の春日の横顔を見て、ふと考える。
ゲーセンとかテーマパークでデートの時間を過ごしたら、今頃「時間を無駄にした」と思って気に病んだかもしれない。だから、罪悪感が少しでも少なくなるよう、受験勉強にも役立ちそうなこの科学宇宙館をデート場所にしてくれたのかもしれない。
「うん、楽しかった、ありがとう」
春日の気遣いが嬉しい。もし僕の思い違いだったとしても。
「どーいたしまして」
そして、「あ、これ」と思い出したように春日が呟く。取り出したのは、小さな惑星のキーホルダーだった。
「さっきのスタンプラリーの景品、あげるね」
おそろいだね、と春日は微笑んだ。キーホルダーを僕の掌に置くとき、ちょっとだけ指が触れ合う。悪気の無い所作が、余計に心臓に悪い。僕の頬でも赤くなっていたのか、「取って食ったりしないよ」と春日は笑っていた。
家に帰ると、まだ母親は帰っていなかった。今日は楽しかったけど、宿題の遅れを取り戻さないと。
景品のキーホルダーを机に置いて、そのままスマホも見ずに夕食も食べず勉強して、風呂に入ってベッドに戻ってきた頃にはもう22時だった。布団の中に潜り込み、メッセンジャーアプリを開く。春日からメッセージはきていなかったから、こちらからお礼を贈る。
「今日はありがと」
すぐに、「こちらこそ」という可愛い兎のスタンプがくる。
「みっちゃん、お願いがあるんだけど」
「なに」
また勉強教えてほしいって話かな。それにしても、春日はメッセンジャーの返信はすぐ既読つくし、返信が早すぎる。
「S高の文化祭、行っていいー?」
とりあえず、ベッドの上にクローゼットの中の服を全部取り出して並べる。めちゃくちゃベタな恋愛映画そのものの風景だ。気合を入れ過ぎても、ラフでお洒落な春日の隣に並んだら浮きそうだし、かといってダサい服にしたら確実に浮くだろう。
「なんか、全体的に微妙だな……」
いざこうやって並べてみると、とたんにどれも色が暗すぎたり、生地がよれていたり、どれも「デート」に着ていくには力不足にみえてくる。いつもは気にならないのに。急に湧いてきた細かい埃をせっせと取り、皺や謎必死で伸ばすけど、皺は取れない。でももう時間はない。
「とりあえずこれでいっか……」
確か一昨年くらいに買ったまま、あまり着ないでクローゼットの肥しになっていた服だ。店員におすすめされるがままマネキンまるごと買ったので、おそらく外し過ぎということはないだろう。
「行くのやだな……」
デートなんてあまりに未知すぎる。まあ、言い出しっぺの春日に全部任せればいいや。そう思うことにして、急いで着替えて家を出た。
母の目をかいくぐって外出し、急いだけれど、数分だけ遅刻してしまった。待ち合わせ場所は、大きな熊のマスコットキャラの銅像がそびえている。待ち合わせ場所として有名だから人がたくさんいたが、春日のピンクミルクベージュの髪は一際目立って、すぐに見つけられた。
「ごめん、遅れて……」
「いーよー」
スマホから目をあげて、語尾を伸ばす春日は、いつもと感じが全然違った。
ベージュのジャケットとライトカラーのトップス、ブラックのスラックス。たまにつけているブルーっぽいサングラスはカラーレスのラウンド型のクラシカルな眼鏡フレームに代わっている。いつもじゃらじゃら鎖みたいになってるピアスも、今日は一個しかつけていない。
(ううっ……イケメンすぎる……。こんな格好も似合うとか反則だって!)
いつもよりぐっと落ち着いてクラシカルな雰囲気に、思わず僕は心の中で呻った。
「全然待ってない。今来たとこ」
いつものチャラくてルーズな春日を見ているから、余計、ギャップがすさまじい。すでにクマクロー像周辺にいた若い女の子達がチラチラ春日を見ている。
(このイケメンと隣に並ぶ僕……)
僕が女の子なら歓喜かもしれないが、同性だからすれ違う人達に確実にこのイケメンと比べられると思うとテンションが下がる。
春日は僕を見ると、甘さの残る表情を浮かべながらも、顎に手を添えて「うーん」と呻った。
「別に悪くないよ? 悪くないけど、この服はちょっとみっちゃんの顔には合わないし、大学生でこれを着てデートに着たらちょっと中学生に見えるって」
「えっ……」
初っ端から出鼻をくじかれて茫然とする。思わず自分の胴体を見る。太い黒とグレーのボーダーに、ブラックのカーゴパンツにスニーカー。そんなに変かな? でも確かにカーゴパンツは痩せ気味の僕の身体に合わずダボついていて、ダサいと言われればそうかもしれない。
「ちょっと予定変更―。先あそこ寄ろー」
「わっ、ちょっと」
春日は急に僕の手を握り、春日を見つめる女子たちの視線の中を、僕引き摺るようにしながらずんずん移動していった。
そのまま僕が連れてこられたのは、クマクロー像から徒歩一分のファッションビルだった。1Fにある有名メンズメゾンの一角に連れてこられた。春日は陳列された新作を物色しだす。少しして、「これ着て」と、ブラックのシンプルなトップスを渡してきた。しぶしぶ試着室でそれを着て出ていくと、
「おー、めっちゃいい!」
と春日は喜んでくれた。
たしかに、トップスがボーダーからブラックになり、全身がブラックに統一されたことで、より洗練された印象になった。だぼだぼだったカーゴパンツも、ブラック一色だから不自然ではない。派手な色や暖色系が苦手で、つい黒とかグレーを選んでしまう。なんだか自分に明るい色は似合わない気がして、世界から目立たず姿を隠したくて、ついそういう色を選ぶ。
春日は、「でも、みっちゃん、白とか赤も似合うと思うけどねー?」と首をひねっている。
姿見の前で高揚した気分のままそわそわ自分の姿を眺めていた。そのときだった。
「あとはさ、ついでに眼鏡もこういうのに替えたら? いろんな服に合うよ?」
ふいに、背後からすっと長くて節くれだった指が伸びてきて、僕の眼鏡をゆっくり外して、別の眼鏡を装着した。わざと顔をつぶさに覗き込むようにするから、すぐ目の前に春日の顔が拡大される。
「うあっ」
思わず、変な声が出た。ベルガモットにカルダモンを混ぜたような良い匂いがする。高校生とは思えない、大人の男の香り。いつもの調子の良い感じとのギャップについ緊張する。
「眼鏡、度、入ってる?」
「う、うんもちろん、そりゃ」
「そっか。じゃあまあいつか時間が出来たら、もっとお洒落な眼鏡買ったら?」
折れそうなほど細いゴールドのリムは、丸みがありつつも上の部分が台形や逆三角形を描いている。でもデザインがおしゃれで、中学生の頃から変えていないフレーム極太のプラス
チック製眼鏡とは大違いだ。
「髪はさ、地毛の黒すごい綺麗だから、パーマとかけたらだいぶ垢ぬけるんじゃない」
「あ、うん、そうする」
胸の鼓動を誤魔化すように答えて、「じゃあ、このトップス買ってくるね!」と、僕は慌てて眼鏡をもとのものに変えて、その場から逃げ出した。
結局、トップスだけ買って店を出た。お値段もそんなに高くなくて手頃だった。トップスを変えただけで、だいぶ今っぽくなった気がする。
「みっちゃんの高校は文化祭とかないの?」
「あるよ。七月のあたまに」
そういえば、もう再来週だ。
「春日のとこは?」
「あー。招待制なんだよね。父兄しか来れないの」
「へー、そうなんだ」
そんな他愛もない会話をしながら少し歩いたら、少し古びた大きな建物が目に入ってきた。
『国立科学宇宙センター』の看板が見えてきて、春日が「着いたよ」と嬉しそうに言った。
「えっ?」
なんで科学宇宙センターなんだろう。もっとSNSに載ってる流行のデートっぽいスポットはたくさんあると思うのだけれど。それこそ、水族館とかゲーセンにでも連れてこられるかと思ってたので、意外にも地味なテーマな場所に驚かされる。
白いコンクリートの長方形の建物は所々ドームのような窓がついていて、近未来的な感じがする。科学や宇宙は興味がある分野なので、前々から来てみたいと思いつつ、勉強ばかりで来られなかった。
「わあ……!」
電動ゲートをくぐると、そこは宇宙をモチーフにした近未来的な空間だった。天井の高い、燦燦と色がついたような陽光が差し込んでくる。天井に気をとられてると、春日が「はい」とチケットをくれた。
「ごめん、いくらだった?」
「大丈夫だよ」
「でも」
「俺が誘ったからさ、気にしないで」
「ちなみに、入場料は学割で三百円だから、本当に気にしちゃだめだよ?」と軽いノリで付け加える。手慣れたムーブだ。僕の罪悪感を最後ちゃんと解消している。
(こういうスマートさが恋愛においては大事なんだろうなあ……)
きっと、女の子はこういう「自然さ」が好きなんだろうな。すごいナチュラルだ。見習おうと、心のなかでメモする。
科学館の奥は、さらに広大な宇宙が広がっていた。照明が落ちた天井から吊るされた土星、木星、海王星の輪が、淡く反射する光を帯びながらゆっくりと揺れている。中央で大きな白い半球体が、星空のプロジェクションマップを映し出している。幻想的な空間だった。
壁際には、宇宙や科学に関する展示物ともに、銀板のキャプションが陳列されている。館内をあらためて見回すと、カップルだけでなく、小学生や小さい子ども連れの家族もたくさん訪れていた。確かに子どもたちに科学や宇宙に興味を持ってもらうにはうってつけの場所だろう。
つい展示物に夢中になっていると、「みっちゃーん」と遠くから春日が僕を呼ぶ声がする。「ねえ、これ教えてー」
そちらの方に向かうと、春日はクイズのパネルの前に立っていた。季節限定イベントで五つのクイズのスタンプラリーになっていて、全部解けると景品がもらえるらしい。
「『次の元素のうち、最も原子半径が小さいものはどれか。A. Na B. Mg C. Al D. Si』だってー。おしえてー」
「どれだと思う?」
「Naってなにー?」
春日の場合は、そもそもそこから解説しないとならない。答えはDのSiだよ、と教えてあげると、パネルをめくった。「本当だ、すごーい、俺も勉強しよー」と笑う。
その後、残りの四問も解いて、小さな台紙にスタンプを押していく。なんだか小学生の頃に戻ったみたいで楽しい。
「みっちゃんって、受験の理科、何選択するの?」
「化学と物理だよ」
「へー」
国立大学の受験の共通試験では、理科を二科目選択しないとならない。医学部受験生だし、共通試験の理科は一番スタンダードな物理と化学にする予定だ。両方とも得意な数学が使えるし。でも春日はにわかに納得していなさそうな表情を浮かべている。
「どうかしたの?」
「だって、地学のほうが好きそうだからそっちのほう勉強したほうがいーじゃん」
春日は、あっけらかんと言い放つ。たまに春日はものすごく痛いところを突いてくる。答えに詰まっていると、春日が声をあげた。
「あ、プラネタリウムだって。十五時から。ちょうどいいじゃん。見よーよ」
と春日が看板を指さした。
この宇宙科学館の一つの売りらしい。スタッフに聞いたら、まだ席に余裕があるらしく、そのままプラネタリウムに通してもらった。
中はそこまで広くない映画館のようなシートが数十席、円を描いて広がっている。
僕と春日は、落ち着かない様子で目を合わせた。プラネタリウムの星が、春日の瞳の中に映っていて、まるでミニチュアのプラネタリウムがそこにあるみたいだ。
(なんか、楽しかったな……)
本気で心の底からそう思った。
「ね、みっちゃん? 人生、教科書で勉強してるだけが勉強じゃないっしょ」
満面の笑みで両手ピースする感じで言うから、思わず笑ってしまった。すごく適当な口ぶりだったけど、確かにそうだよなと思った。
帰り道、並んで駅に向かって歩いた。もう四時だ。一時に集合して、あっという間に三時間が過ぎてしまった。ご機嫌顔の春日の横顔を見て、ふと考える。
ゲーセンとかテーマパークでデートの時間を過ごしたら、今頃「時間を無駄にした」と思って気に病んだかもしれない。だから、罪悪感が少しでも少なくなるよう、受験勉強にも役立ちそうなこの科学宇宙館をデート場所にしてくれたのかもしれない。
「うん、楽しかった、ありがとう」
春日の気遣いが嬉しい。もし僕の思い違いだったとしても。
「どーいたしまして」
そして、「あ、これ」と思い出したように春日が呟く。取り出したのは、小さな惑星のキーホルダーだった。
「さっきのスタンプラリーの景品、あげるね」
おそろいだね、と春日は微笑んだ。キーホルダーを僕の掌に置くとき、ちょっとだけ指が触れ合う。悪気の無い所作が、余計に心臓に悪い。僕の頬でも赤くなっていたのか、「取って食ったりしないよ」と春日は笑っていた。
家に帰ると、まだ母親は帰っていなかった。今日は楽しかったけど、宿題の遅れを取り戻さないと。
景品のキーホルダーを机に置いて、そのままスマホも見ずに夕食も食べず勉強して、風呂に入ってベッドに戻ってきた頃にはもう22時だった。布団の中に潜り込み、メッセンジャーアプリを開く。春日からメッセージはきていなかったから、こちらからお礼を贈る。
「今日はありがと」
すぐに、「こちらこそ」という可愛い兎のスタンプがくる。
「みっちゃん、お願いがあるんだけど」
「なに」
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