君の「好き」を教えて。~ガリ勉とイケメン定時制ヤンキーDKの奇妙な100日間の話~

清田あお

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第六話

きみに言わないといけないことがあるんだ

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露店の並びをゆっくりと歩く。たこ焼きの甘辛いソースのにおい、バナナのこっくりとした匂いに食欲をそそられる。青いビニールプールの中で、カラフルなスーパーボールがぷかぷか泳いでいる。縁日なんて何年ぶりだろうか。多分小学生以来だ。どの露店もスポットライトが眩しくて、夜じゃないみたいだ。
人がかなり多いので、すぐ買えそうな短い列を探しているときだった。
「みっちゃん」
振り向くと、大きい綿あめを手に春日が微笑んでいた。
「みっちゃん、口あけてよ」
 言われたままあけると、そのまま千切った綿あめを突っ込まれる。
「ふが」
 拳くらいの量を突っ込まれて、思わず鼻が鳴る。春日はそんな僕を見て爆笑している。
「可愛いわ、みっちゃん」
「はわひくない……」
「え?」
「……可愛くない!」
「可愛い」
 駄目押しで重ねられる「可愛い」に、どんどん恥ずかしくなっていく。春日は本当に可愛いものを見ているような目をしている。ぱちぱち、と頬の内側で綿あめが弾けて溶けて消える。胸の奥の奥で、綿あめみたいな甘くて小さなもやもやが弾けられないままくすぶっている。
だんだん人通りが増え出す。十九時から花火が始まるからだ。気を付けてはいるけれど、何回も道行く人の肩がぶつかるくらいの人混みになってきた。
「花火大会だと混むから、その前に帰ろうか」
「……花火、見に行こうよ」
「でも、すごい混んでるよ」
「いい場所知ってるんだ、行こ」
 短く言って、春日は僕の手を引いて、露店の後ろの草むらのほうに早足で歩きだした。
 着いたのは、見慣れた雑居ビル。café A hui houが入っているビルだった。「ここの屋上、鍵なくて入れるんだよね」と、人差し指を唇にかざして囁いた。手を繋いだままこっそり階段を上り、「きい」と軋むドアをあけると、一気に視界は開ける。誰もいない屋上だった。
「よいしょっと」
 春日はおじいちゃんみたいな声をあげて、手をつないだまま白いコンクリートの床に座り込む。夏の夜の空気が、二人の間の空気を湿らせていくようだった。横を見ると春日は気難しそうな顔をして黙ったままだから、なんか声をかけるのを憚られてそのまましばらく無言でいたときだった。遠くの夜空が一瞬明るく弾ける。
「あ、花火始まった」
手を離して花火を指さそうとしたのに、春日の握る力が強すぎて、手を離せない。春日の手の力が、手汗が、僕の掌から心臓まで染みわたってくるみたいで、鼓動が鳴りやまない。
ちょっと遠いけれど、東の方角には、花火がくっきりと鮮明に見える。むしろ遠いからこそ、火花の一粒一粒までスローモーションのように散って落ちていくのが鮮やかにゆっくりと目に焼き付く。
 春日は、僕の手を離さない。ドン、と花火の音が遠くで響く。
「打ち上げて ひらいて消ゆる 花火かな」
 恥ずかしさを誤魔化したくて、ぽつりとつぶやくと、春日がこちらを見る。
「誰の句でしょう?」
「……正岡子規」
「すごい、知ってるの?」
「……うん。国語便覧で勉強した」
 春日は指をもっと深く絡めて、強く握る。爪の先の先まで春日の色に染まるくらい、強く。心臓が膨れて、もう何か言葉を言わないと吐いちゃいそうなくらいの鼓動に包まれ、思わず関係ないことを口走っていた。
「……鮮やかな赤色の炎色反応を示す金属は?」
「ストロンチウム」
「緑は?」
「……銅の化合物」
「……うん、正解」
 こんな問答じゃ、どくどくする脈を落ち着けることなんてできやしなかった。時がとまったみたいだった。地を揺らす轟音をたてて、最後の花火が上がった。夜空に咲いた虹がそっと消えて、しんと静寂が訪れる。屋上からは何も聞こえなくて、世界にたった二人しかいないみたいだ。
「……高校生のうちに、間に合ってよかった、花火」
ぽつりとつぶやくと、春日も微笑んだ。
このまま花火も終わらないでほしい、と思った。でも、もう何分待っても、藍色の空に光が爆ぜることはなかった。
春日の横顔は押し黙ったままで、なんとか元気がないようにもみえる。でも、繋いだ手はぎゅっと結ばれたままだ。じんわりと掌が夏の夜の温度になってきて、掌で滲んでいるのが僕の汗なのか春日の汗なのかわからない。
「は、花火も終わったし、手、汗かいてて汚いから、離していいよ」
 僕が手をほどこうとすると、春日がさらに強く僕の手を握った。
「俺は、繋いでたい」
 僕の答えを窺っている顔は、不安に濡れていた。
「……だめ?」
いつも笑っていて陽気な笑顔にあふれている春日とは大違いで、その落差に心臓が早鐘を打つ。「だめじゃない」と言う代わりに、僕は黙り込んだ。
しん、と静まり返った夜の中で、覗きこむように顔が近づいてくる。鼻先が触れる。もう顔が焼けるように熱い。怖くて、恥ずかしくて、目を瞑った。
「……帰ろっか」
 顔をそむけ、僕の手を握りしめたまま、そっと、春日がそっと呟いた。まるで物語の終わりを惜しむように。
「……うん」
 手を繋いだまま雑居ビルの階段を降り、和太鼓と笛の音頭もどんどん遠ざかっていく。夢の音の尾もついえて、音も何も聞こえなくなる。ただ藍染色のような夜空のなか、並んであるく。
 横をみると、いつも饒舌な春日が、神妙な顔で押し黙っている。来年も夏祭りはあるけど、こうやって春日と並んで歩く夏祭りは最後になるのかな。そんなことを考えたら鼻がつんと痛くなる。
 すぐに、駅に着いてしまったが、「もうちょっとだけ送らせて」と言われ、結局二駅先の最寄駅まで歩いて帰ることにした。
「ごめん、ここまで着いてきてもらって」
「ううん」
 最寄り駅を出たところで、僕は春日に言った。もう徒歩数分で自宅だ。
「じゃあ、ここでいいよ。今日はありがとう。楽しかったよ、じゃあ」
「……待って」
 踵を返して帰ろうとした僕を、切羽詰まった声で、春日が制する。
「俺、みっちゃんに言わないといけないことがあるんだ」
 いつになく真剣な表情の春日に、心臓が撥ねる。二人の隙間に緊張感が走る。そういえば、文化祭のときも春日はなにかを言おうとして、大夢に遮られたんだった。僕より頭一つ分大きい春日の顔を見ると、いつものチャラさは全くない真剣そのものの顔で見つめられる。
 告白でもするみたいな顔だ。唇は固く結ばれて、白くて綺麗な頬は耳まで真っ赤に染まっている。でも、眉は気弱に下がっていて、今にも泣きそうな顔をしている。
 どうしよう、好きとか、付き合ってくださいって言われたら――。というか、直接言葉にされてないだけで態度だけみたら、好かれてるのはバレバレなんだけど。ていうか男同士なんだけど、大丈夫だろうか。そんなこと、これまで一秒も疑問に思わなかった。
 僕も好きだって、答えるのかな。
 自問自答すると、うるさい胸の鼓動の奥で、答えは決まっていた。
 春日が好き。
 友達の範囲じゃおさまらない。もうとっくにはみ出してしまった。
 だからもう、どっちが先に言葉にするかだけの違いなんだ。
 そのとき、ポケットが震えた。急いで確認すると、母からの着信だった。
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