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第七話
君の「好き」を教えて。
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母は家にいた。
玄関の外には、春日がいる。家の前の道路で待っていてくれる。「ついていくよ」と言ってくれたけど、僕が断った。ずっと春日に甘える自分でいたくなかった。
遠くにいるけど、春日が、僕の背中を支えてくれている。だから、僕はちゃんと母に言わないといけない。自分の気持ちを。自分が将来何になりたいのか。どんな大人になって、誰と恋をして、誰の隣にいて、誰と生きていくのか。
もう全部、心が知っている。
もう、不思議と怖くなかった。
「伝えたいことがあるんだけど」
リビングで、過去の模試の解答を眺めていた母は、訝し気に顔をあげた。
「なに?」
「教育大学を受ける」
母はゆっくりと紙から目を上げた。
「医学部を受けずに、教育大を受ける」
「光成、何を言っているの? 頭がおかしくなったのかしら」
「おかしくなってない、僕が決めた。意見を変えるつもりはない」
「みつな」
「僕は教師になる。医者にはならない」
母を遮り言い切ると、母は言葉を失って茫然としているようだった。沈黙が落ちる。数秒のことが、永遠の沈黙に思えた。彼女が限界まで我慢していたであろう様々な怒りや疑問が一気に吐き出されたようだった。
「はあ? 教育大? 教師になるってこと? どういうこと? 医学部は受けないの?」
「そう」
「ふざけんのもいい加減にしなさい」
幼い子どもに諭すように、穏やかな
「ふざけてない、本気だよ」
「ふざけるのもいい加減にしなさい! あなた、教育大なんて! あなたは医者になってお父さんの跡を――」
「継がない、僕は医学部には入らない」
「今まであなたにいくらかけてきたと思うの?」
「
「あのヤンキーみたいなチャラついた子……そう、確か春日って名前の子よ! あの子と付き合い始めてから光成、あなたおかしくなってるのよ! あんな頭も悪そうな……」
「違う、春日のことをそんな風に言わないで」
無遠慮な侮蔑に、反射的に声を荒らげずにはいられなかった。
「僕は、医学部には行かない」
「怖かったあ……」
母に反抗したことなんて初めてだった。ずっと言いなりで、玄関の床を見つめているだけだった。緊張が解けたのか、ばくばく心臓が鳴りやまなくて、身体の震えが止まらなくて、涙まで滲んできた。
「他人のために一生懸命で優しいところが好き」
「……うん」
「そういうみっちゃんをみて、俺も、みっちゃんみたいになりたいって思えた」
「うん」
「あと、案外、肝が据わってるとこも好き」
「……うん」
「顔も大好き。不細工なんかじゃないよ」
「……ありがと」
「全部、全部大好きだったよ」
大好きだった。
その台詞には、永遠の別れを滲ませているような気がして、思わず声をあげた。名残を惜しむように、何度も僕の手を握っては離し、でもまた手を握って、春日は僕に背を向けて歩き始めた。僕はしばらくその姿を茫然と見つめていたが、だんだん腹が立ってきて、つい声を荒らげてしまった。
「ねえ、ちょっと待って!」
春日が振り向く。
「なんで勝手に行くの? 過去形にすんの?
話、全然終わってないんだけど」
春日のもとへ、急いで歩み寄る。息を吸って、吐いて、どきどきする心臓が言いたがっている言葉を飾らずにそのまま吐き出す。
「春日のことが好き」
きっぱりと言うと、春日は、ぽかんとしたまま、唇をあけて固まっている。
「受験が終わったら、僕と付き合って。僕の彼氏になって」
春日と会えなくなるなんて嫌だ。尊敬とか、そういう小難しいことももう関係ない。明日も明後日もその次の日も、十年先も二十年先も、そばにいてほしいし、そばにいたい。そのために、ずっと僕も頑張るから。
まだ驚いた顔のまま固まっている春日に痺れを切らして、背伸びして唇を寄せる。
シトラスの香りに包まれる。
ちゅ、と小さい音をたてて唇は離れた。こつん、と前歯がぶつかってしまった。鼻の奥がつんとして、痛くて、恥ずかしくて死にそうでどうにかなりそうだったから、思わず頬を膨らませてごまかした。
「返事は?」
春日の手を、放したくない。明日も明後日も同じ関係でいられるかわからない。ずっと一緒にいたら、喧嘩をしたり、すれ違ったり、いつか同じくらい好きじゃいられない日もあるかもしれない。それが、ちょっと怖い。試験で解けない問題を目の前にしたときのように。
でも、今日の好きよりも、きっと明日の好きの方が大きい。きっと恋ってそれくらい我儘で、ものすごく単純だ。
「なんで急に覚醒すんの、みっちゃん……」
みるみるうちに、春日の白い肌の顔がピンクに染まっていく。
「もう今でもいっぱいいっぱいなのに、なんでもっと好きにさせるの、本当に」
震える口もとを押さえてうつむく。いくつも穴が開いた、小さい顔に対してちょっと大きめで薄い耳たぶまで真っ赤に染まっている。狼狽えている姿が可愛い。「可愛い」が「いとしい」の気持ちに移ろいで行くにつれて、僕の顔も厚くなっていく。
「春日って可愛いね」
「可愛くないって……。みっちゃんの方が可愛い」
「むまむましてる」
「むまむまって……!」
「自分で言ったんじゃん」
「そうだけどさー……うー……」
真っ赤な顔のままかぶりを振る春日を見て、面白くてつい笑ってしまった。
君に出会えたから、もう諦めないし、怖くない。ためらわず、僕の道を進む。君が好きといってくれた僕のままで。
だから、隣で自分の夢を叶えたら、そのときは、もう一度きみの「好き」の気持ちを教えて。
玄関の外には、春日がいる。家の前の道路で待っていてくれる。「ついていくよ」と言ってくれたけど、僕が断った。ずっと春日に甘える自分でいたくなかった。
遠くにいるけど、春日が、僕の背中を支えてくれている。だから、僕はちゃんと母に言わないといけない。自分の気持ちを。自分が将来何になりたいのか。どんな大人になって、誰と恋をして、誰の隣にいて、誰と生きていくのか。
もう全部、心が知っている。
もう、不思議と怖くなかった。
「伝えたいことがあるんだけど」
リビングで、過去の模試の解答を眺めていた母は、訝し気に顔をあげた。
「なに?」
「教育大学を受ける」
母はゆっくりと紙から目を上げた。
「医学部を受けずに、教育大を受ける」
「光成、何を言っているの? 頭がおかしくなったのかしら」
「おかしくなってない、僕が決めた。意見を変えるつもりはない」
「みつな」
「僕は教師になる。医者にはならない」
母を遮り言い切ると、母は言葉を失って茫然としているようだった。沈黙が落ちる。数秒のことが、永遠の沈黙に思えた。彼女が限界まで我慢していたであろう様々な怒りや疑問が一気に吐き出されたようだった。
「はあ? 教育大? 教師になるってこと? どういうこと? 医学部は受けないの?」
「そう」
「ふざけんのもいい加減にしなさい」
幼い子どもに諭すように、穏やかな
「ふざけてない、本気だよ」
「ふざけるのもいい加減にしなさい! あなた、教育大なんて! あなたは医者になってお父さんの跡を――」
「継がない、僕は医学部には入らない」
「今まであなたにいくらかけてきたと思うの?」
「
「あのヤンキーみたいなチャラついた子……そう、確か春日って名前の子よ! あの子と付き合い始めてから光成、あなたおかしくなってるのよ! あんな頭も悪そうな……」
「違う、春日のことをそんな風に言わないで」
無遠慮な侮蔑に、反射的に声を荒らげずにはいられなかった。
「僕は、医学部には行かない」
「怖かったあ……」
母に反抗したことなんて初めてだった。ずっと言いなりで、玄関の床を見つめているだけだった。緊張が解けたのか、ばくばく心臓が鳴りやまなくて、身体の震えが止まらなくて、涙まで滲んできた。
「他人のために一生懸命で優しいところが好き」
「……うん」
「そういうみっちゃんをみて、俺も、みっちゃんみたいになりたいって思えた」
「うん」
「あと、案外、肝が据わってるとこも好き」
「……うん」
「顔も大好き。不細工なんかじゃないよ」
「……ありがと」
「全部、全部大好きだったよ」
大好きだった。
その台詞には、永遠の別れを滲ませているような気がして、思わず声をあげた。名残を惜しむように、何度も僕の手を握っては離し、でもまた手を握って、春日は僕に背を向けて歩き始めた。僕はしばらくその姿を茫然と見つめていたが、だんだん腹が立ってきて、つい声を荒らげてしまった。
「ねえ、ちょっと待って!」
春日が振り向く。
「なんで勝手に行くの? 過去形にすんの?
話、全然終わってないんだけど」
春日のもとへ、急いで歩み寄る。息を吸って、吐いて、どきどきする心臓が言いたがっている言葉を飾らずにそのまま吐き出す。
「春日のことが好き」
きっぱりと言うと、春日は、ぽかんとしたまま、唇をあけて固まっている。
「受験が終わったら、僕と付き合って。僕の彼氏になって」
春日と会えなくなるなんて嫌だ。尊敬とか、そういう小難しいことももう関係ない。明日も明後日もその次の日も、十年先も二十年先も、そばにいてほしいし、そばにいたい。そのために、ずっと僕も頑張るから。
まだ驚いた顔のまま固まっている春日に痺れを切らして、背伸びして唇を寄せる。
シトラスの香りに包まれる。
ちゅ、と小さい音をたてて唇は離れた。こつん、と前歯がぶつかってしまった。鼻の奥がつんとして、痛くて、恥ずかしくて死にそうでどうにかなりそうだったから、思わず頬を膨らませてごまかした。
「返事は?」
春日の手を、放したくない。明日も明後日も同じ関係でいられるかわからない。ずっと一緒にいたら、喧嘩をしたり、すれ違ったり、いつか同じくらい好きじゃいられない日もあるかもしれない。それが、ちょっと怖い。試験で解けない問題を目の前にしたときのように。
でも、今日の好きよりも、きっと明日の好きの方が大きい。きっと恋ってそれくらい我儘で、ものすごく単純だ。
「なんで急に覚醒すんの、みっちゃん……」
みるみるうちに、春日の白い肌の顔がピンクに染まっていく。
「もう今でもいっぱいいっぱいなのに、なんでもっと好きにさせるの、本当に」
震える口もとを押さえてうつむく。いくつも穴が開いた、小さい顔に対してちょっと大きめで薄い耳たぶまで真っ赤に染まっている。狼狽えている姿が可愛い。「可愛い」が「いとしい」の気持ちに移ろいで行くにつれて、僕の顔も厚くなっていく。
「春日って可愛いね」
「可愛くないって……。みっちゃんの方が可愛い」
「むまむましてる」
「むまむまって……!」
「自分で言ったんじゃん」
「そうだけどさー……うー……」
真っ赤な顔のままかぶりを振る春日を見て、面白くてつい笑ってしまった。
君に出会えたから、もう諦めないし、怖くない。ためらわず、僕の道を進む。君が好きといってくれた僕のままで。
だから、隣で自分の夢を叶えたら、そのときは、もう一度きみの「好き」の気持ちを教えて。
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