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第七話
僕、自分ひとりで行けるから
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土曜日の夕方、僕は駅に向かっていた。家のコピー機の調子が悪くて、仕方がないので運動がてら駅前のコンビニに行くことにした。
コンビニのコピー機で演習問題をコピーしながら、ふと頭をあげる。ガラス壁の向こうに最寄り駅がすぐそこに見える。あの駅で電車に乗って、café A hui houに向かい、春日に会いにいった。つい数週間前までのことなのに、何年も昔のことのように思える。
(春日、頑張ってるのかな)
コピーをしている間、手持無沙汰でついスマホを見る。数週間前から、LINE画面はずっと止まったままだ。忘れると心に決めたのに、ずっと心は囚われ続けている。だめだ、こんなんじゃ。
コピーが終わったので原稿を取り出し、コピー機のうえで整えていたときだった。
(……?)
見たことのある人影に、思わず目をこらす。
店の外に、春日がいた。ガラス張りのドア越しに、こちらを強く見つめている。
「っ……!」
その瞬間、心臓が爆発しそうになって、思わずコンビニのドアを思い切り押して外に出た。春日が近づいてきて、距離を詰められる。
「みっちゃん」
「僕のこと付きまとってるの? やめて!」
「待って、みっちゃん!」
すれ違いざまに、「違うんだ」と腕を掴まれる。春日の掌は熱くて湿っていて、その温度に彼も内心相当焦っているのだと分かった。
「駅前の本屋に用事があって、ふとコンビニ見たらみっちゃんに似ている人がいたから、つい」
そう言う春日の手首には、たしかに駅前にある書店のビニール袋がかかっていた。嘘ではないみたいだ。それを見たら、少しずつ鼓動は落ち着いてきた。
「……ごめん、僕も怒っちゃって」
「ううん、俺が悪かった。みっちゃんに似た人がいたから、つい。諦めきれなくて、ごめん」
春日は僕の腕から手を離すと、俯いた。
しばらく道の隅で、ふたり無言でいた。
「……元気みたいで、よかった」
言いたいことをいくつも逡巡して、結局それしか言えなかった。
「……寒くなってきたけど、みっちゃんは」
いつも綺麗に染められていたピンクの髪はプリン状態になっていて、
「ごめん、最後に。そうしたら、俺もう行くから」
「俺、ちゃんと勉強して、アメリカの大学に行こうと思う。修士で医学部入って……etp-stk細胞の研究をしようと思ってるんだ」
「etp-stk細胞……」
今、世界中の研究者たちが一緒にまわったチャリティ展示で、etp-stk細胞に興味を持ったのだという。
「誰かの役に立てる仕事がしたいんだ、俺」
その声は切実だった。初めてカフェで会った日、「好きなことを見つけたい」と言っていたのと同じ。
「みっちゃんみたいに、他の人のために、一生懸命働くよ」
「志望理由書とか、エッセイとか、オンラインインタビューの準備とか、今からやらないといけないことがヤベエくらいたくさんある。最初の試験とか来月だし」
アメリカの大学に入るには、さまざまな試験を通過しなければならない。英語の問題もある。合格率は、およそ一%といわれている。しかも、戦いの場は日本だけではない。全世界の富裕層、エリート学生やネイティブの学生達が、こぞって何年も時間をかけて準備して、何十万人も受験するのだ。
しかも、出願は十一月だ。もう九月だから、ほとんど時間がない。今から目指すには、いくら春日といえど、あまりに準備期間が短すぎる。仮に入学できたとしても、医学部は、学士で優秀な成績をおさめなければ進学できない超最難関だ。
「それに、実家も別に金持ちじゃないから、国際特待生枠狙おうと思う」
「……そっか」
合格者の中でもさらに成績上位十%程度しかもらえないという国際奨学金を狙うというなら、なおさら厳しい道だ。
でも、と春日が顔をあげる。
「でも、俺、絶対受かるから」
力強く
「手、出して」
春日がゆっくりと右手を差し出す。
その手を包んで、握手した。
絶対に春日なら大丈夫だよ。――その思いを掌に込めて、ぎゅっと春日の掌を握る。思いを手渡すように。
「僕は……教育大学を受ける」
教育大は医学部よりも偏差値は高いわけではない。医学部に入るために勉強してきたから、多分教育大には高い確率で入れると思う。
教師は人手不足でものすごく忙しいというし、お給料だって、正直医師になるよりはるかに低いと思う。それでもよかった。
きっぱり言いきると、春日は微かに瞠目した。
「そっか」
そして、そっと微笑んで、手を握ってくれた。
「みっちゃんなら、絶対に良い先生になれる。絶対に」
春日と出会わなかったら、こんな気持ちになることもなかった。
「でもさ、お母さんにちゃんと言ったの?」
「……まだ言ってない」
「大丈夫?」
母は確実に激怒すると分かっていたけれど、それでも自分の気持ちをちゃんと伝えたかった。
「言う、ちゃんと言おうと思う」
そう言うと、春日はゆっくりと頷いてくれた。
「今、お母さん家にいる?」
「……たぶん」
それを聞くと、春日は握手していた手をそっとひいて、歩き始める。「どこ行くの?」と訊くと、「行こう、俺がついてるから」と言って、ゆっくり家の方向へ歩き出す。
(大丈夫だ)
根拠はないけど、そう思えた。
春日が傍にいてくれるなら、なんだって頑張れる気がした。
自宅から近い公園を通り過ぎるとき、僕は歩みを止めた。
「ここにいて」
「僕、自分ひとりで行けるから」
コンビニのコピー機で演習問題をコピーしながら、ふと頭をあげる。ガラス壁の向こうに最寄り駅がすぐそこに見える。あの駅で電車に乗って、café A hui houに向かい、春日に会いにいった。つい数週間前までのことなのに、何年も昔のことのように思える。
(春日、頑張ってるのかな)
コピーをしている間、手持無沙汰でついスマホを見る。数週間前から、LINE画面はずっと止まったままだ。忘れると心に決めたのに、ずっと心は囚われ続けている。だめだ、こんなんじゃ。
コピーが終わったので原稿を取り出し、コピー機のうえで整えていたときだった。
(……?)
見たことのある人影に、思わず目をこらす。
店の外に、春日がいた。ガラス張りのドア越しに、こちらを強く見つめている。
「っ……!」
その瞬間、心臓が爆発しそうになって、思わずコンビニのドアを思い切り押して外に出た。春日が近づいてきて、距離を詰められる。
「みっちゃん」
「僕のこと付きまとってるの? やめて!」
「待って、みっちゃん!」
すれ違いざまに、「違うんだ」と腕を掴まれる。春日の掌は熱くて湿っていて、その温度に彼も内心相当焦っているのだと分かった。
「駅前の本屋に用事があって、ふとコンビニ見たらみっちゃんに似ている人がいたから、つい」
そう言う春日の手首には、たしかに駅前にある書店のビニール袋がかかっていた。嘘ではないみたいだ。それを見たら、少しずつ鼓動は落ち着いてきた。
「……ごめん、僕も怒っちゃって」
「ううん、俺が悪かった。みっちゃんに似た人がいたから、つい。諦めきれなくて、ごめん」
春日は僕の腕から手を離すと、俯いた。
しばらく道の隅で、ふたり無言でいた。
「……元気みたいで、よかった」
言いたいことをいくつも逡巡して、結局それしか言えなかった。
「……寒くなってきたけど、みっちゃんは」
いつも綺麗に染められていたピンクの髪はプリン状態になっていて、
「ごめん、最後に。そうしたら、俺もう行くから」
「俺、ちゃんと勉強して、アメリカの大学に行こうと思う。修士で医学部入って……etp-stk細胞の研究をしようと思ってるんだ」
「etp-stk細胞……」
今、世界中の研究者たちが一緒にまわったチャリティ展示で、etp-stk細胞に興味を持ったのだという。
「誰かの役に立てる仕事がしたいんだ、俺」
その声は切実だった。初めてカフェで会った日、「好きなことを見つけたい」と言っていたのと同じ。
「みっちゃんみたいに、他の人のために、一生懸命働くよ」
「志望理由書とか、エッセイとか、オンラインインタビューの準備とか、今からやらないといけないことがヤベエくらいたくさんある。最初の試験とか来月だし」
アメリカの大学に入るには、さまざまな試験を通過しなければならない。英語の問題もある。合格率は、およそ一%といわれている。しかも、戦いの場は日本だけではない。全世界の富裕層、エリート学生やネイティブの学生達が、こぞって何年も時間をかけて準備して、何十万人も受験するのだ。
しかも、出願は十一月だ。もう九月だから、ほとんど時間がない。今から目指すには、いくら春日といえど、あまりに準備期間が短すぎる。仮に入学できたとしても、医学部は、学士で優秀な成績をおさめなければ進学できない超最難関だ。
「それに、実家も別に金持ちじゃないから、国際特待生枠狙おうと思う」
「……そっか」
合格者の中でもさらに成績上位十%程度しかもらえないという国際奨学金を狙うというなら、なおさら厳しい道だ。
でも、と春日が顔をあげる。
「でも、俺、絶対受かるから」
力強く
「手、出して」
春日がゆっくりと右手を差し出す。
その手を包んで、握手した。
絶対に春日なら大丈夫だよ。――その思いを掌に込めて、ぎゅっと春日の掌を握る。思いを手渡すように。
「僕は……教育大学を受ける」
教育大は医学部よりも偏差値は高いわけではない。医学部に入るために勉強してきたから、多分教育大には高い確率で入れると思う。
教師は人手不足でものすごく忙しいというし、お給料だって、正直医師になるよりはるかに低いと思う。それでもよかった。
きっぱり言いきると、春日は微かに瞠目した。
「そっか」
そして、そっと微笑んで、手を握ってくれた。
「みっちゃんなら、絶対に良い先生になれる。絶対に」
春日と出会わなかったら、こんな気持ちになることもなかった。
「でもさ、お母さんにちゃんと言ったの?」
「……まだ言ってない」
「大丈夫?」
母は確実に激怒すると分かっていたけれど、それでも自分の気持ちをちゃんと伝えたかった。
「言う、ちゃんと言おうと思う」
そう言うと、春日はゆっくりと頷いてくれた。
「今、お母さん家にいる?」
「……たぶん」
それを聞くと、春日は握手していた手をそっとひいて、歩き始める。「どこ行くの?」と訊くと、「行こう、俺がついてるから」と言って、ゆっくり家の方向へ歩き出す。
(大丈夫だ)
根拠はないけど、そう思えた。
春日が傍にいてくれるなら、なんだって頑張れる気がした。
自宅から近い公園を通り過ぎるとき、僕は歩みを止めた。
「ここにいて」
「僕、自分ひとりで行けるから」
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