上 下
1 / 1

交換創作前半『斬首バターチキンカレー』

しおりを挟む

「らららら、貴方は今日も人を殺す」
そう、その通り。僕は今日も人を殺す。ざくざくと肉を切り刻むんだ。真っ赤な血飛沫が僕を黒く染め上げるんだ。
「らららら、なんのために?」
 供物だ。枯れ果てた大地に、魍魎すらも吐き気を催す程の聖餐を捧げるんだ!
「らららら、誰がためのものかしら?」
セカテー!偉大なる、セカテー!ツィアハ聖典の十三神の最高神に…!
「らららら、それは貴方に何をもたらすのかしら?」
 社会規定を自ら踏み外すことによる倒錯的な快楽…!そして僕の観念が狂気的なまでに純粋になっていくこと…!真実の死のヴィジョンを眦まで焼き付けること…!
「らららら、ならばお行きなさい。今宵の月は貴方の右手に掲げられるであろう血染めの剣を求めている筈よ」
 ハハハ、ハハハハハハハハハハ!愚かなる贄達よ、美しく貴様らを殺してくれる!もっと、もっと血を寄こせ!次の舞台は、上海だ。

【三月十四日 午前十一時三分二十秒(日本時刻)】
 私、毒拶(どくさつ)鋏(きょう)は非常に困った立場にあった。
今現在、私は殺人犯として追われているのだ。
 料理人の私は、三か月ほど前から、パリでカレーの修行をしていたのだが、それと同時期に発生した連続殺人の容疑者として追われているのだ。
 私は最近(少なくともこの三か月間に関しては)殺人をやった覚えなど無かった。しかし実際問題捕まるわけには行かないため、急遽上海まで高跳びをした。
 しかし、昨日この地でも同様の手口を使った殺人が行われたのだ。
 情報化社会のこのご時世、国を隔てても同様の手口の犯罪の類似性はすぐにバレる。そしてフランスの方での殺人の被害者の一人が旅行中のイギリス人政治家の娘だったために、国際的な事件にまで発展してしまっているのだ。つまり私は文字通り世界中のお尋ね者なのだ。  
ここも、恐らくもって3日だろう。私の直観がそう告げている。
それまでに、どうにか真犯人を探し出して私の無実を証明しなければ…。
しかし、奇怪なこの事件を私一人で解き切れるとは到底思えない。だからこそ、私は友人を頼ることにしたのだ。性別年齢出身全てが不明で、無口で、美しくて、どこか儚げな我が友人、霧崎(きりさき)蛇(へび)九(く)を。
ふらりとすぐにどこかに消えてしまう霧崎にメールを送信し続けているが未だに返信は未だに帰ってこない。
一体どこで何をやっているんだ!?早く返信をしやがれ!
イラつきをクリック連打に変換する。もう百通にもなる送信メールに一つとして返答は無い。何日も剃れずにいる無精ひげを擦りながら叫び声にもならぬうなり声を口ずさむ。怒りと憎しみとは無関係に作り置きのカレーが混沌にも美しき香りを自己主張していた。
首は美しい。首だけが僕を満たしてくれる。勿論首を跳ねた時に飛び散る血飛沫も愛している。でも、それ以外に興味などはない。そして首は美しかった女性の物でなければならない。表情は問わない。そこに美しい首があるという存在と事実さえあればいい。美しい顔は歪んでしまっても構わない。驚き歪む顔。そこには厳然たる死の恐怖に怯えすくむ劇的な感情、すなわち僕と彼女の支点と対象の関係が存在しうるのだから…。眠り姫であっても構わない。眠るかのように死んだ癖に一丁前に血はぶっ飛ばすんだろ!?超素敵じゃないか!僕はそれを愛さなければならないな…。その矛盾が綺麗で、華奢でどうしようもなく僕の脳を震えさせるんだ。そうこの瞬間だけが時間軸を僕の支配下に置ける。まるで第一章のセカテーによる創造のように…。メッセ―ルを生み出したセカテー…。ああ、セカテー…!僕だけが存在を許され、熾天使のように高く舞うことが出来る!僕の脳が震えているということはつまり僕以外の全てが無意味で止まっているんだ!特権が僕の右手に与えられている!脳の震えがやがて大海原に散りばめられた大波のようにじわりじわりと目や鼻や口に伝わり、心臓や胃や肺を共鳴させていく。それらの共鳴は僕という一固体内でどうしようもない感情の爆発を引き起こす。それら全てを集積した挙句僕は右手に、右手に握られた剣に力を籠める。
 だが本当にそれでいいのだろうか?
「らららら、良いのよ、良いのよ。殺してしまいなさい。その右手を振り下ろして心赴くままに彼女を殺してしまいなさい」
 どうして?
「らららら、それが、貴方の運命だからよ…!さあやってしまいなさい、キョウ!」
 そうか、そうだった、運命なんだ。これまでと今とこれから全てが僕の、僕だけの運命だ!ハハハハハハハハハ、死んでしまえ、僕のために!
 無我夢中の末に引き裂かれた頭と胴体を舐めまわすように眺める。まるで赤子を眺める母親のように愛おし気に、丁寧に。その右手には血染めのナイフ。
【三月十六日 午後三時二十一分三十四秒(日本時刻)】
 上海の安ホテルはあっさりと陥落した。
 それは予想済みだった。
 隣の食堂に仕掛けて置いた爆弾を起動させて何とか逃げ切ることが出来た。直後警察は食堂の爆破の方に掛かりきりで、安ホテルでの私の捜索は後回しとなったのだ。間一髪ではあったが。虎の子の一つだったのだが、やむをえない。食堂で働いていた従業員や客にはやや申し訳ないと思わなくもない。
 都市部を抜けた後で、急いで整形をしてからシドニーに逃げることにした。
 シドニーは快適だった。だがそれは私が一般人であればもっと快適さを悦楽できただろう。さっそく都市部を、盗んだバイクで抜け出した。これ程までにヘルメットに感謝したことはない。顔で風を切ることが出来ないのが、やや残念なくらいだろうか?そんなことは、どうでもいい。
 無駄に広大な自然が馬鹿みたいに連続している。邪魔だ!全部燃やすぞ!燃えろ!燃え上がってしまえ!アクセルを吹かしながら叫ぶ。周囲を走っている車たちがどんどん私を避けていく。
 むしゃくしゃする、全てを壊してやりたい!次に女を見つけたらぶっ殺してやる。いや、待て。それではつまらない。次に目が合った人間が女だったら殺すか。いや男でも構わない。どっちだ?どっちを殺す?当然目に入った人間を全員を殺す!それこそが…。それこそが、なんだ?
「らららら、運命よ…」
 脳内に声が響く。なんだ、これは?この甘美なまでの美しき囁きは…。
 眼前に白いラインが広がる。ガードレールだ。
 迂闊だった、脳に響く声に気を取られてカーブできなかった。
 加速度MAXのバイクの前ではガードレールなど無いに等しかった。空回りするタイヤの残響と共に崖を落ちていく。
 そんな馬鹿な…。ここで死ぬのか?
 痛い。全身の骨が砕けるような痛み。僕の身を文字通り焦がすこの悦楽の瞬間瞬間。これらは僕の物だ。そうだ僕だけに与えられ、僕だけが感じることの出来る痛み!これも愛さなければならない…!
「らららら、そうよ、愛してしまいなさい、その痛みを。貴方が知覚する全てを…。貴方の中に眠る深き水底の貴方を…。さあ、ナイフを握って…、キョウ…」
 全てを…。
 そうだ…。これが僕に与えられた、僕のための供物…!
 ナイフを再び握る。
 手っ取り早く一番近くにある民家を襲うことにしよう。こんなところに住んでしまった己の不幸を呪うがいい…!
【三月十六日 午後八時六分四十五秒(日本時刻)】
 全身が痛む。幸いにも転落した先に木があったおかげで何とか転落死のドロドロバーは避けられた。九死に一生。
 落ちた先に家があった。こんな孤立したところに家など建てる馬鹿には死あるのみだ。魂が昂る!煮えたぎる虚像が脳を貫く!死体!大きな鍋でグツグツと煮込んだ死体!脊髄をペンチでガチョーンバリバリと引き抜いた残骸!割れた頭蓋からとろけた卵黄のように蕩ける脳漿!全てが望ましい!寄こせ!その全てを!
「らららら、そうよ、その意気…もっと殺すのよ」
 うるせえ!俺の好きなように殺させろ!なんなんだこの声は!
「らららら、私は貴方の心を映す鏡…。そして貴方を導くための鏡でもある…」
 声を聴けば聞くほど心に秘められた殺意は夏の入道雲のように膨れ上がり、口の中の唾液が溢れかえってきた。もう、この殺意は止められそうにはない。
気が付いたらそこには三つの死体が転がっていた。顔から血を噴きだした我楽多共。
驚いた。
だが、すぐにどうでも良くなった…。全て私がやったことなのかもしれない。あの声が無意識に私を動かしたのだろうか。どうでもいい。ただただ眠かった。瞼が重くなり、意識は深き闇の底へ眠り落ちる。
すべてよし。
らららら…。
 すべてよし。
らららら…。
 すべてよし。
【三月十七日 午後二時二十九分五十六秒(日本時刻)】
「起きろ」
 顔に水がかかった。心臓が跳ね上がった。それと同時に意識が蘇るのを感じた。
「霧崎」
 霧崎が立っていた。人生で一番驚いたかもしれない。いつもと変わらぬ冷たい眼だった。全身を真っ黒なコートで包んでいる細身はいつも通りだった。襟の所まで釦を閉めているのでいつも牧師服のように見えてしまう。
「一体…、何が…?」
霧崎は私の胸倉を掴み、私の上体を何かの上に投げつけた。それは、私が殺したと思われる三人の遺体だった。
「これを私が…?」
「その通りだ。貴様の下賤なその両手がこの三人を死に追いやった。お前が三人を殺したんだ」
「ああ…、ああ…。いいや、私はもっと多くの人間を殺したのに違いない。私が殺ったんだ!」
霧崎は無言で私を見つめる。話を続けろ、という意味だろう。
「ずっと、今も聞こえてくるんだ。ららららって歌いながら私に殺人を強要してくるあの囁きが。私はずっと無実の罪から逃げてきたが、本当は私が全てやったことなのかもしれないんだ。もう、私には自分でも何が何だか分からない」
 霧崎の表情がみるみる内に怒りと呆れを掻き混ぜたような様相を帯びていく。再び私の胸倉が掴まれ、霧崎の右足で思い切り蹴り上げられた。近くの壁に背中を大きくぶつけた。
霧崎はうんざりしたように言う。
「ふん、大方洗脳か暗示と言ったところだろう」
「そんなバカな!どうやって…、いつそんなものを私にする暇があったのだ!」
 さらに霧崎が倒れた私の腹に蹴りを入れた。容赦のない暴力に体が耐えられない。胃の内容物と血を吐き出してしまう。
 霧崎は新聞の切り抜きの束を投げてよこした。

「それがパリと上海の連続殺人の記事だ。読んでみろ」
「【十二月十四日昨夜パリのアパルトマンで首の無い死体が発見される。被害者は近隣の大学に通う女学生サンヌド・ルヴィエール(21)と推定。鍵が開いた状態だったため親しい人間の犯行と推定】

【一月十四日昨夜パリの教会で首の無い死体が発見される。被害者はレネル・ヴィンカール(27)と推定。先月の十三日の事件と同様の手口が見受けられ、警察は同一犯と考え捜査を開始。】

【二月十四日昨夜パリのホテルでまた首の無い死体が発見される。被害者は旅行中の滞在客メルティ・バルティエ(22)と推定。九月から起きている首切り殺人の一環と考えられる。近隣の住民に不安が広がる。これまでの三人の遺体の胃には全てバターチキンカレーが残っていたことから、警察はこれを提供したと思われる男性の行方を捜している】

【三月十四日昨夜上海のショッピングモールのトイレで首の無い死体が発見される。胃の内容物がバターチキンカレーであったことと切断面から推測される凶器の形状からパリを血に染めている殺人鬼によるものだと警察は推定。カレーを提供したとされるのはパリで行方を晦ましている男性と推定し、上海を捜索することを警察が決定する。】
こんなことはすべて知っているさ!これが何だと言うんだ」
「いいか、今貴様を取り巻く謎は合計三つだ。
一つ目、連続殺人の被害者はどうしてこぞって貴様のカレーを食っていたのか。
二つ目、連続殺人の犯人は何故首を切る必要があったのか?   三つ目、貴様が本当に連続殺人の犯人なのか?
そしてここからさらに謎が派生する。
連続殺人の犯人でないなら貴様はどうやって洗脳されたのか?
そして、真の犯人は一体誰なのか?そしてその目的は?」
「分からない、本当に分からないんだ…」
「ふん、少しは脳を使え。脳を濯げ、脳を。」
「じゃあ君には分かるのか?」
「組み立てられ得る論理は当然存在する。もちろんそこに絶対はあり得ない、我々がイデアに至ることが出来ないように、我々にドクサが付きまとうように。そう、真理に漸近しうる答えを一意的な解として決めつけることしか我々にはできない。それを今私が貴様の眼前に絶対として掲げてやろう」
 霧崎は鋭利な刃物のような目つきとは正反対に意地悪く吊り上げられた頬をゆっくりと動かしながら言い放った。

「この事件の本質はバターチキンカレーにある」

(前半終わり)
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...