【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第一章 ミクロ・シーン1「ヘルパーT細胞の冒険」 9

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     9

 リンパの流れはまったりしている。そのせいもあって、ここにはリンパ球をはじめとするいろいろな免疫細胞が集まって来る。チモシーを含めたリンパ球の仲間は、リンパ管やリンパ節をいわば詰所としているのだ。

 リンパ球は、Tリンパ球(T細胞ともいう)とBリンパ球(B細胞ともいう)に大別され、それぞれ免疫ネットワークの中で重要な役割を担っている。

 細菌、ウイルス、あるいは真菌などの外敵が、肺胞より取り込む空気や皮膚の切り傷などから宿主体内に入り込んで来ると、まずはファージがそれに喰らいつく。

 だが敵となる病原微生物をファージが取りこぼしたり、あるいは敵の増殖を許してしまったりした場合には、それを一旦リンパ管内に捕らえておいて、そこで待ち構えている大勢の免疫細胞で取り囲んでやっつけるのだ。

 それは、城に侵入して来た敵の一団をわざと桝形に取り込んでから、そこで四方八方から鉄砲や弓矢で一網打尽にするやり方と似ている。こうしてリンパ管やリンパ節で大掛かりな戦いが起こると、その部分のリンパが腫れて、外から触れてもわかるくらいの豆粒大の瘤のようになることがある。

 バイロンがリンパ管の中に潜入していないか。

 さらにはさっき肺の肺胞壁辺りで出会った気持ちの悪い抗原もどきが、そのあたりに潜んでいないか。

 チモシーは、周囲に細心の注意を払いながら、頸部リンパ節までゆっくりと泳いで行った。

 ところが彼は、そこで茫然となって立ちすくんだ。

 チモシーの目の前に、ボロボロになった無残なリンパ球の死骸が、ずっと頸部リンパ節の向こうの方まで続いていたのだ。

 もちろんチモシーには目がないので何も見えないが、彼はおびただしい数のリンパ球の死骸から滲み出てくる分解物のひとつひとつを、死臭として肌で感じたのだ。

 チモシーの細胞表面には、受容体と呼ばれる糖タンパク質でできた「アンテナ」がある。アンテナは、細胞膜の脂質二重層に植林されたように根を張り、先端は細胞の外側に向かって突き出ている。

 その種類や数は無数にある。死んだ細胞から漂ってくる細胞質内の残骸タンパク質や脂質、無機塩などが、チモシ

 ーの細胞表面アンテナである受容体を、不快な感じで刺激し続けていたのだ。

 死骸の中には、ゾンビ化して死んだふりをしている奴が混じっているかもしれない。

 チモシーは、恐る恐る触手を伸ばして死骸の一つ一つに触れながら、リンパ球の墓場と化したリンパ節内をゆっくり進んだ。

 死を真じかにしたリンパ球の中には、死に体でありながら、バイロンなどのウイルスを隠し持っていて、突然襲い掛かって来る奴もいる。そんなゾンビ細胞は、もはやチモシーたちの味方ではなく、ウイルスに操られた恐ろしい伏兵なのである。

 死骸はどれもこれも、チモシーと同じヘルパーT細胞であった。チモシーは、哀しさとともにどこかやるせない憤りを感じた。

「みんな、一体何があったのだ」

 チモシーは、表面のアンテナを使って細胞の死骸に呼びかけた。数種類のサイトカインを静かに放出して、反応を窺っても見た。

 だが応答はなかった。

 死骸の中には、アポトーシスを起こして既に崩れ落ちている者も多かった。

 チモシーは、リンパ管の壁を整然と形作っている管腔内皮細胞たちに尋ねた。

「誰か知っているものがいたら教えてくれ。この戦場で何が起こったというのだ」

 だが彼らは皆無言で、じっとチモシーを見つめている。

「こんなにたくさんのヘルパーT細胞が死んだのはどうしてだ」

 応えは無い。

「なぜみんな黙っているんだ……」

 するとはるか遠くの方から、ゴワゴワ……という喧騒な音が聞こえて来た。
チモシーは耳をすませた。

 それは、ファージの軍団がヘルパーT細胞の死骸の山を食っている音であった。
むろんチモシーに聴覚は無い。

 だがファージの仕事の音が、リンパ管内に満たされているリンパ液や内皮細胞層を介する振動となって、チモシーにも伝わって来るのだ。

 ファージの一群は、ヘルパーT細胞の死骸を黙々と食い続けながら、やがてチモシーのすぐ脇を物々しく通過して行った。

 ここで何があったのか、ファージ達に訊いても無駄であった。彼らは、状況が全く分からないまま、とにかく

「死骸を食う」

 という自分たちの仕事をしている。

 リンパ球の死骸を放置しておくと、そこから漏れ出て来たタンパク質分解酵素などが、周辺の組織を傷付けてしまう。こうした自己融解を防ぐために、ファージは一刻も早く死骸を処理する必要があるのだ。

 そんな、心を忘れたようなファージ達の機械的仕事っぷりを茫然と見やりながら、チモシーは再び呟いた。

「ここで一体何が起きたのだ……」
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