【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第二章 マクロ・シーン1「アリサと瑠奈」 4

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    4

 アリサは、自分が担当する入院患者十五名の回診を終えた後、瑠奈の病室を見舞った。

 瑠奈は、抗生物質の点滴治療を終え、病室で一人眠っていたが、静かに入室してきたアリサに気が付いて目を開けた。

「ごめん、起こしちゃったみたいね」

「ううん……」

 瑠奈は静かに首を振る。

「大分顔色が良くなったみたいよ」

 アリサは瑠奈の額に右手を当てた。

「熱も下がっているわ。アモリンが効いたみたいね」

 ドアがノックされた。

 中からの返事を待たず、瑠奈の主治医の多比良准教授が入って来た。

「アリサ先生も来ていたか」

 多比良がまずアリサに向かって話しかけると、アリサはベッドサイドから身を引いて

「外した方がいいですか」

 と訊いた。多比良は瑠奈の回診に来たのだ。

 すると多比良の返事を待たずに、瑠奈が懇願するような口調で言った。

「先生、アリサが一緒でもいいでしょ」

「もちろん」

 多比良は聴診器を瑠奈の胸に当てながら応える。

 アリサはその場にとどまり、多比良の検診の様子を見守りながら口元に笑みを浮かべた。

「どうやら回復したね」

 聴診器を白衣の胸ポケットに収めながら、慎重な多比良もようやく愁眉を開いた様子である。

「抗生剤は有効だった。だがまだ安心はできないぞ」

「血液検査の結果はどうでした?」

 アリサが訊ねる。

 今この部屋にいる三人は、いずれも同じ血液内科の医局員だ。まるで症例検討会のような会話になった。

「血清生化学検査の結果に異常は見当たらない。しかし……」

「何か?」

 不安そうな顔で、ベッドに寝たままの瑠奈が、多比良の説明の先を促した。

「ヘルパーT細胞数が減っている」

 多比良はためらわずに答えた。患者だが同じ医局員でもある瑠奈に、隠し事は無用と判断したのだろう。

 ヘルパーT細胞は、免疫ネットワークの中心的役割を果たす重要な生体防御系細胞である。その数の極度の減少は、ニューモシスチス肺炎などの日和見感染症や、カポジ肉腫を含む悪性腫瘍の発症を招く恐れがある。

 例えば、エイズの原因となるヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症では、血中のヘルパーT細胞数が基準値以下に減少することが知られている。

 HIVウイルス感染症で、血中のヘルパーT細胞数が1マイクロリットル当たり二百個未満に減ると、それは異常値と判断され抗ウイルス薬による治療が必要になって来る。

 HIVウイルスのようなヘルパーT細胞に感染するウイルスの種類は、そう多くはない。

 しかし、例えば成人T細胞白血病ウイルスのように、ヘルパーT細胞に感染するウイルスの中には、稀にではあるが難治性の白血病を誘発するものもある。

「まさか、HIVウイルスが陽性だったのでは……」

 多比良に目をやりながら、瑠奈が不安を口にした。

「思い当たることでもあったの」

 アリサは真顔で訊いた。母子感染以外のHIVウイルス感染は、性交渉によるものが多い。

「ないわよ」

 瑠奈は不機嫌そうな顔をしてそっけなく答え、もう一度多比良の顔を見た。

「HIVウイルスは陰性だった」

 多比良が短く返す。

 とりあえず瑠奈はほっとした表情を見せてから、さらに多比良に向かって質した。

「ではどうしてヘルパーT細胞数が減ったのかしら」

「今のところは不明だ。だが肺炎を併発したのは、それが原因かもしれない」

 多比良の返答に、彼の斜め後ろで訊いていたアリサが呟いた。

「つまり、ヘルパーT細胞数が減って瑠奈の免疫能が落ちていたので、肺炎球菌かインフルエンザ菌に感染しやすくなったというわけね」

 アリサの解説を聞き流しながら、瑠奈は表情を変えることなく黙って天井に目をやった。

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