【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第三章 ミクロ・シーン2 「バイロンを倒せ」 2

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     2

 ついにバイロンに出会ったのだ。

 バイロン軍団は、あっという間にチモシーを取り囲むと、その輪を徐々に狭めて来た。

 T細胞ウイルスであるバイロンには、生命や意思は無い。

 ウイルスは、脂質二重層と糖タンパク質から成る球形の殻の中に、RNA鎖と少々の酵素が入っているだけの、自分では栄養を取り込むこともエネルギーを産生することもできない、ただの粒子なのだ。

 複製して増殖する時も、自分一人では何もできない。

 感染相手である人間のヘルパーT細胞に付着し、ヘルパーT細胞膜の脂質二重層に潜り込んで細胞の中に侵入することで、初めてバイロンとしての活動を開始できる。

 そうやってこいつに取りつかれ、細胞内への侵入を許したら一巻の終わりである。

 バイロンはチモシーらの細胞内で、その細胞質の栄養分や酵素を使って自分と同じものを無限に作らせる。やがて取り付いた細胞が自分のコピーで一杯になると、今度はその粒子の一つ一つが、細胞の中から膜を通過して外にはじけ出て行くのだ。

 細胞外に放出されたバイロン粒子は、また次のヘルパーT細胞にとりついて、同じことを繰り返す。

 バイロンの生産工場と化し、バイロンウイルスのコピーを作ってその粒子を放出させた後のヘルパーT細胞は、バイロンのためにエネルギーや栄養分、その他細胞の生存に必要なものすべてを使い果たして死滅する。死んだ細胞はバラバラになって、後は掃除屋のファージに食われるのみだ。

 まるで統率された軍隊のようにチモシーの周りに迫っていたバイロンの細かい粒子が、ザーッと一斉にチモシーにとびかかろうとしていた時であった。

 間一髪チモシーは、自分の頭の上を流れて来たB細胞のマロー十数匹と数匹のファージの存在に気付いた。

「天の助けだ」

 チモシーは咄嗟に彼らに触手を差し向け、そこからサイトカインを放出して伝令を送った。

「マロー達よ。バイロンをやっつける抗体を発射しろ」

「チモシーさん、了解しました」

 数匹のマローがそれにすぐ反応してくれた。

「抗バイロン抗体発射!」

 マロー軍団は、バイロンにくっつく抗体を細胞の外に大量に放出し出した。

 それらはあっという間にバイロン粒子の表面に付着していく。

 まず、チモシーのすぐ近くにまで来ていた数百個のバイロンが、それぞれ無数のY字型抗バイロン抗体に取り付かれ、ぴたりと動きを止めた。

「いいぞ。お前たちもバイロンの動きに注意しろ。くっつかれたら厄介だ」

 チモシーはマローたちに向かって叫んだ。というより正確には、細胞突起を震わせて体液をかき回し、その振動によってマローたちに注意を促したのだ。

「わかりました」

 バイロンは、チモシー達ヘルパーT細胞の表面にある特徴的な突起を求めてくっついて来る。

 同じ突起はB細胞であるマローにはないので、マローがバイロンに襲われることは通常ない。

 しかし、間違っていくつかのバイロン粒子がマローの細胞表面にくっつくと、それが徐々にマローの体内に入って行って悪さをすることもあり得るので、チモシーはマロー達にも注意を与えたのだ。

 細胞同士の接触とサイトカインによる遠隔的コミュニケーションで、マロー達とそんなやり取りを交わしたチモシーは、今度は食細胞のファージにも伝令を送る。

「抗体がくっついたバイロン粒子を始末しろ」

 チモシーからの命令を受け、ファージは無言でアメーバのようにゆらゆらと四方八方に触手を伸ばしていく。

 こうして撃ち網のように大きく広げた触手で、たくさんの抗体にとりつかれて動けなくなったバイロン粒子を捉え、次々に食っていく。

 何を考えているのか分からない連中だが、そのあっぱれな食いっぷりにはほれぼれする。

「いいぞ、ファージ」

 無数にあったバイロン粒子が、みるみる減って行く。

「チモシーさん。俺たちの出番は無いかい」

 騒ぎを察知して集まって来たのは、キラーTたちだった。

 キラーTが直接バイロンを仕留めることは無いが、キラーTはバイロンが感染してゾンビ化したヘルパーT細胞を破壊する、ミサイルのようなパーフォリンという武器を持っている。

 ゾンビ化ヘルパーT細胞は、もはや免疫細胞としての機能を失っている。それどころか、体内で増えたバイロン粒子を細胞外に放出させて、正常なヘルパーT細胞にどんどん感染を広げていくので、早く始末しなければならない。

 チモシーはキラーT達の応援も仰ぐことにした。もしかしたら、すでにバイロンにやられたヘルパーT細胞が、この辺に潜んでいるかもしれないからだ。

 五、六匹のキラーTが、たちまちチモシーの周りに集まってきた。

 そうしてチモシーがキラーT達と接触し、触手と触手をからませながら、この騒ぎに関する情報を迅速に伝えていた時であった。

 バイロンの感染でほとんど死に体となったゾンビヘルパーT細胞が二、三匹、

「うお…おう……う……」

 という、細胞膜の震えによる苦しそうなうめき声を上げながら、チモシーの背後に突然現れた。

 チモシー達ヘルパーT細胞は、外から見るとやや透き通った真珠のようにきれいな白色をしている。

 だがバイロンに感染し、体内にバイロン粒子が増えていくと、くすんだ灰色から腐ったようなどす黒い色に変わって行く。

 こうして、バイロンに感染して変色した末期のヘルパーT細胞は、体内にバイロン粒子を多量にはらんでいて、それらを放出する機会をうかがっている。

 やがてゾンビ化した感染細胞は、散弾銃を発射するようにバイロン粒子を体外に飛び出させ、チモシーたちに一気に感染を広げてしまうのだ。このように、奴らは大変危険でチモシーにとっても恐ろしい存在である。

 もともとは仲間だった彼らを葬るのは断腸の思いだが、放っておいたら自分や宿主の身も危ない。

 間一髪ゾンビ細胞の「散弾銃攻撃」や「抱き着き」攻撃を逃れたチモシーとキラーTは、動きが鈍くなっている断末魔のゾンビにとどめを刺すべく、彼らの後方から迫った。

 チモシーは、感染細胞を直接破壊する武器を持たないが、優秀な戦闘機の役割を果たすキラーTのパイロットとなって、ゾンビ細胞を攻撃する。

 またチモシーは、相手に様々な刺激を与えるサイトカインなどのタンパク質を一度に大量に放出して、相手をしびれさせることもできる。

「キラーT、今だ。パーフォリンを放てっ!」

「承知っ」

 チモシーの命令を受けたキラーT達は、数匹のゾンビ細胞めがけて、ミサイルの役割を持つパーフォリンを一斉に放った。それに合わせてチモシーも、相手にインターフェロンやインターロイキンなどのサイトカインストームを浴びせた。

 パーフォリンとサイトカインストームが同時に命中したゾンビ細胞らは、

「パーン」

 という音を立てるがごとくはじけ、皆あっという間に細かな残骸と果てた。

 続いてゾンビ細胞からはじけ出て来たバイロン粒子を必死によけながら、チモシーは再びB細胞のマロー達に命令を下した。

「抗バイロン抗体発射」

 マローが放出した第二弾の抗体攻撃は、そこら中に飛び散ったバイロン粒子をたちまち捉えていく。

 そうして散乱したバイロンも動きを止められ、やがてファージたちの餌食になっていった。

 数分後には、この局地戦もすでに終戦を迎えていた。

 薄氷を踏む思いではあったが、チモシーたち特殊免疫細胞部隊は、ともかくもここリンパ管の入り口に潜んでゲリラ戦を展開していたバイロン小隊を、壊滅させることに成功したのだ。

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