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第三章 ミクロ・シーン2 「バイロンを倒せ」 4
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チモシーはデンドロを探していた。
デンドロなら、あのいやな抗原のことを何か知っているに違いない。
デンドロ(樹状細胞)は、宿主の身体の外から入って来た敵を捕まえて体内に取り込み、それを酵素でよく分解してから、その情報を整理して免疫細胞たちに伝える重要な役割を担っている細胞だ。
情報収集のために敵を捕まえ、さらにはチモシー達ヘルパーT細胞に情報を伝達するための長い手を四方八方に伸ばしている巨大な細胞である。
デンドロはチモシーの上司でもあった。
免疫反応の中心を担うのは、チモシーたちヘルパーT細胞だが、彼らに最初にミッションを与えるのはデンドロである。このようにデンドロは、免疫系の頂点に立ついわば総司令官的な存在なのである。
チモシーが懸念しているあのいやな抗原の存在には、既にデンドロも気づいているに違いない。それを宿主から排除するか、それとも存在を容認するかの決定は、デンドロが行う。
いやな抗原の情報は、もうデンドロからチモシー以外の別のヘルパーT細胞に伝わっているかもしれない。
だが少なくともチモシーは、未だそのような情報をもらった覚えはない。それもそのはず、チモシーの専門はバイロンであって、彼はそれ以外の抗原とは一切反応できないのだ。
いやな抗原の構造の少なくとも一部には、バイロン由来の抗原の構造が含まれているはずだ。そうでなければ、たとえ弱い結合ではあっても、それをチモシーが感じることはできない。
ではやはりその抗原の由来はバイロンか?
樹状細胞のデンドロは、長い触手を何本も遠くへ伸ばしながら、宿主の体中を動き回っている。いつ、どこから、どんな敵が侵入して来るかわからないので、その行動はファージと同様神出鬼没なのだ。
内臓の奥深くに潜入していると思えば、皮膚の表面にまで這い上がって行くこともある。宿主の身体にない異物や抗原を察知して、それを捉え自分の身体の中に取り込み、細かくかみ砕いて分析し、情報を整える。
このようにデンドロは、免疫細胞への情報伝達のかなめとなる細胞だが、同時に食作用も有しており、その点ではファージに似ている。
だが、何でもかんでもがつがつ食ってしまうファージと違うのは、知的で司令官としての趣があるところだ、とチモシーは常々思っている。
子宮の近くまでリンパ管内を泳いで行った時、ようやくチモシーは、リンパ管壁から子宮組織へ入り込もうとしているデンドロを見つけて、後ろから触手を伸ばした。
「誰? 私を引っ張るのは」
「デンドロさん。俺ですよ」
デンドロは振り返った。
「まあ、チモシーじゃないの。お久しぶりね。ちゃんと仕事してる?」
彼女は嬉しそうに、チモシーの手を握り返した。
「ええ、何とか。俺の敵はバイロンですけど、さっき胸腺の出口で初めてバイロンと会って、一戦交えたところです」
「まあ、やはりバイロンはまだいたのね」
「油断ならぬ奴らですよ」
「大丈夫? バイロンに感染しなかった?」
「俺はゾンビにはなってません」
「その様ね。安心したわ」
「デンドロさんは、最近バイロンと出会ってないのですか」
「私はここ当分バイロンを見かけていないわ」
「そこが奴らの狡猾なところです。デンドロさんの目をかいくぐって、あちこちの組織を転々としているのですよ」
「他のヘルパーT細胞はみな無事かしら」
「何人かやられたようです。可哀そうにゾンビ化してしまった仲間にも会いました。キラーTとファージの助けを借りて始末しましたが」
「そう。バイロンに感染してゾンビ化してしまったとはいえ、一緒に戦ってきた仲間を殺してしまうのは悲しいことね」
「全くです……」
二人は互いの細胞突起に触れながら、そんな風に情報を交換し合った。
「デンドロさん、今急いでますか」
チモシーはデンドロの長い手を握ったまま、なおも彼女を引き留めた。
「子宮の入り口あたりに、大腸菌の侵入があったという情報を得たものだから、これから駆けつけるところよ。用があるなら早く言って」
そこでチモシーは間髪を入れず訊ねた。
「実は、妙な抗原に出会ったものですから。しかも一度ならず二度も三度も」
「妙な抗原?」
「ええ。半分は外から侵入した外来抗原タンパク質で、恐らくはバイロン由来。で、残り半分は、この宿主の身体から発生した、俺たちヘルパーT細胞由来のタンパク質らしいのです。つまりそれは、敵と味方をごちゃまぜにしたような、まるでハイブリッドとでも言うべき、何かいやな感じの抗原でした」
「ハイブリッド……抗原……?」
「そうです。どうにも気になったものですから。抗原情報の博士であるデンドロさんに訊いてみようと思っていたところです」
デンドロは体をくねらせて、困ったようなしぐさをした。
「知らないわ。もしそんな抗原を見つけたら、私だったら無視するわ。へたにそれに反応して、宿主の自己成分を攻撃するヘルパーT細胞を生み出してしまったら、それこそ宿主にとって危険でしょ」
チモシーはうなずく。
宿主の身体を構成するタンパク質に対して反応するヘルパーT細胞は、宿主の身体を攻撃してこれを破壊するため、宿主にとっては危険な存在となる。これはいわゆる自己免疫という病態で、免疫系細胞の内では、絶対にやってはいけない禁忌の反応である。
ヘルパーT細胞も元々は、生まれてから成熟していくまでの過程において、そのことをちゃんと胸腺の中で教育されている。従って、正常な免疫状態では、宿主の身体を構成する成分を攻撃してしまうようなことは無い。
しかし稀にどこかで免疫系の歯車が狂うと、ひょんなことから、宿主すなわち自己を攻撃する免疫細胞が生まれてしまうことがある。
そんな時は、できるだけ早く免疫ネットワークの細胞が総動員して、自己反応性の免疫細胞を逮捕、拘留する。
だがその時機を逸すると、自己反応性免疫細胞が分裂増殖してどんどん仲間を増やしてしまう。その結果、最悪の場合には自己免疫疾患を発症させてしまうのだ。
自己免疫疾患には、関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症、重症筋無力症、潰瘍性大腸炎など、難治性の疾患が多く、中には生命に係るものもある。
こういった自己反応性免疫細胞を生じさせないためにも、怪しい抗原が発生したらその目を早めに摘んでしまうことが肝要なのだ。
デンドロはチモシーに自分の考えを伝えると、
「じゃあ私は急ぐから」
と、子宮頸部入り口あたりに侵入した大腸菌の情報をつかむべく、細長い手足を伸ばして組織細胞間隙をすり抜けながら、目的地へと去って行った。
チモシーはデンドロを探していた。
デンドロなら、あのいやな抗原のことを何か知っているに違いない。
デンドロ(樹状細胞)は、宿主の身体の外から入って来た敵を捕まえて体内に取り込み、それを酵素でよく分解してから、その情報を整理して免疫細胞たちに伝える重要な役割を担っている細胞だ。
情報収集のために敵を捕まえ、さらにはチモシー達ヘルパーT細胞に情報を伝達するための長い手を四方八方に伸ばしている巨大な細胞である。
デンドロはチモシーの上司でもあった。
免疫反応の中心を担うのは、チモシーたちヘルパーT細胞だが、彼らに最初にミッションを与えるのはデンドロである。このようにデンドロは、免疫系の頂点に立ついわば総司令官的な存在なのである。
チモシーが懸念しているあのいやな抗原の存在には、既にデンドロも気づいているに違いない。それを宿主から排除するか、それとも存在を容認するかの決定は、デンドロが行う。
いやな抗原の情報は、もうデンドロからチモシー以外の別のヘルパーT細胞に伝わっているかもしれない。
だが少なくともチモシーは、未だそのような情報をもらった覚えはない。それもそのはず、チモシーの専門はバイロンであって、彼はそれ以外の抗原とは一切反応できないのだ。
いやな抗原の構造の少なくとも一部には、バイロン由来の抗原の構造が含まれているはずだ。そうでなければ、たとえ弱い結合ではあっても、それをチモシーが感じることはできない。
ではやはりその抗原の由来はバイロンか?
樹状細胞のデンドロは、長い触手を何本も遠くへ伸ばしながら、宿主の体中を動き回っている。いつ、どこから、どんな敵が侵入して来るかわからないので、その行動はファージと同様神出鬼没なのだ。
内臓の奥深くに潜入していると思えば、皮膚の表面にまで這い上がって行くこともある。宿主の身体にない異物や抗原を察知して、それを捉え自分の身体の中に取り込み、細かくかみ砕いて分析し、情報を整える。
このようにデンドロは、免疫細胞への情報伝達のかなめとなる細胞だが、同時に食作用も有しており、その点ではファージに似ている。
だが、何でもかんでもがつがつ食ってしまうファージと違うのは、知的で司令官としての趣があるところだ、とチモシーは常々思っている。
子宮の近くまでリンパ管内を泳いで行った時、ようやくチモシーは、リンパ管壁から子宮組織へ入り込もうとしているデンドロを見つけて、後ろから触手を伸ばした。
「誰? 私を引っ張るのは」
「デンドロさん。俺ですよ」
デンドロは振り返った。
「まあ、チモシーじゃないの。お久しぶりね。ちゃんと仕事してる?」
彼女は嬉しそうに、チモシーの手を握り返した。
「ええ、何とか。俺の敵はバイロンですけど、さっき胸腺の出口で初めてバイロンと会って、一戦交えたところです」
「まあ、やはりバイロンはまだいたのね」
「油断ならぬ奴らですよ」
「大丈夫? バイロンに感染しなかった?」
「俺はゾンビにはなってません」
「その様ね。安心したわ」
「デンドロさんは、最近バイロンと出会ってないのですか」
「私はここ当分バイロンを見かけていないわ」
「そこが奴らの狡猾なところです。デンドロさんの目をかいくぐって、あちこちの組織を転々としているのですよ」
「他のヘルパーT細胞はみな無事かしら」
「何人かやられたようです。可哀そうにゾンビ化してしまった仲間にも会いました。キラーTとファージの助けを借りて始末しましたが」
「そう。バイロンに感染してゾンビ化してしまったとはいえ、一緒に戦ってきた仲間を殺してしまうのは悲しいことね」
「全くです……」
二人は互いの細胞突起に触れながら、そんな風に情報を交換し合った。
「デンドロさん、今急いでますか」
チモシーはデンドロの長い手を握ったまま、なおも彼女を引き留めた。
「子宮の入り口あたりに、大腸菌の侵入があったという情報を得たものだから、これから駆けつけるところよ。用があるなら早く言って」
そこでチモシーは間髪を入れず訊ねた。
「実は、妙な抗原に出会ったものですから。しかも一度ならず二度も三度も」
「妙な抗原?」
「ええ。半分は外から侵入した外来抗原タンパク質で、恐らくはバイロン由来。で、残り半分は、この宿主の身体から発生した、俺たちヘルパーT細胞由来のタンパク質らしいのです。つまりそれは、敵と味方をごちゃまぜにしたような、まるでハイブリッドとでも言うべき、何かいやな感じの抗原でした」
「ハイブリッド……抗原……?」
「そうです。どうにも気になったものですから。抗原情報の博士であるデンドロさんに訊いてみようと思っていたところです」
デンドロは体をくねらせて、困ったようなしぐさをした。
「知らないわ。もしそんな抗原を見つけたら、私だったら無視するわ。へたにそれに反応して、宿主の自己成分を攻撃するヘルパーT細胞を生み出してしまったら、それこそ宿主にとって危険でしょ」
チモシーはうなずく。
宿主の身体を構成するタンパク質に対して反応するヘルパーT細胞は、宿主の身体を攻撃してこれを破壊するため、宿主にとっては危険な存在となる。これはいわゆる自己免疫という病態で、免疫系細胞の内では、絶対にやってはいけない禁忌の反応である。
ヘルパーT細胞も元々は、生まれてから成熟していくまでの過程において、そのことをちゃんと胸腺の中で教育されている。従って、正常な免疫状態では、宿主の身体を構成する成分を攻撃してしまうようなことは無い。
しかし稀にどこかで免疫系の歯車が狂うと、ひょんなことから、宿主すなわち自己を攻撃する免疫細胞が生まれてしまうことがある。
そんな時は、できるだけ早く免疫ネットワークの細胞が総動員して、自己反応性の免疫細胞を逮捕、拘留する。
だがその時機を逸すると、自己反応性免疫細胞が分裂増殖してどんどん仲間を増やしてしまう。その結果、最悪の場合には自己免疫疾患を発症させてしまうのだ。
自己免疫疾患には、関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症、重症筋無力症、潰瘍性大腸炎など、難治性の疾患が多く、中には生命に係るものもある。
こういった自己反応性免疫細胞を生じさせないためにも、怪しい抗原が発生したらその目を早めに摘んでしまうことが肝要なのだ。
デンドロはチモシーに自分の考えを伝えると、
「じゃあ私は急ぐから」
と、子宮頸部入り口あたりに侵入した大腸菌の情報をつかむべく、細長い手足を伸ばして組織細胞間隙をすり抜けながら、目的地へと去って行った。
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