【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第三章 ミクロ・シーン2 「バイロンを倒せ」 5   

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「赤血球たちの数がやけに少ないな」

 子宮近郊の毛細血管内に移動したチモシーは、ふと思った。

 いつもなら、狭い毛細血管内をゆるゆると流れて移動するとき、自分と同じかやや小さめの赤血球が無数、丸くなったりピザのように平たくなったりしながら、ごつごつとチモシーを小突いて通り過ぎていくはずだ。

 毛細血管内は、さながら人間が満員電車に乗って目的地へと移動して行く光景に似ている。そんな時チモシーは、

「こらっ、ぶつかるな」

 と怒鳴りながら赤血球の奴らを蹴散らすのだが、なぜか今日はその数もまばらである。

 赤血球たちは、酸素を運んで来てくれる配送車のようなものだ。

 人間の社会でも、災害などで橋が崩れ道路が分断されて流通が止まってしまうと、寒村に住む人々の生命にかかわる事態が起きかねない。それと同じように赤血球による酸素の配送が止まると、末梢の全組織細胞が死に至る。

 赤血球には核がなく、したがって分裂増殖もしない。ゆえに赤血球は、生きている細胞とは言い難いが、当然のことながらその役割は極めて重要である。

 血中における赤血球の数は、チモシーたちヘルパーT細胞の千倍以上にもなる。だが今日はなぜかその数が少なく、彼らから酸素をもらうのも一苦労だ。

 最近は、チモシーの同類であるヘルパーT細胞の数が減って来ていると、チモシーは大いに危惧していた。その原因がバイロンにあるのではないかとチモシーは考えているのだが、今のところ謎である。

 そこにきて、赤血球も減ってしまっては、骨髄・血液細胞系に何か異変が起こっている可能性も考えざるを得ない。

 あらゆる血球は骨髄で作られているので、そこに病変が広がると、赤血球、白血球、血小板などすべての血液細胞の数が減っていく。

 毛細血管から子宮周辺のリンパ管内に入ると、チモシーはそのあたりの内皮細胞に接触して、赤血球数減少にある背景を尋ねてみようと思った。

「やあ、チモシーさんお久しぶり」

「どうだい。この辺りは変わりないかい」

「私たちは相変わらずよ。でもさっき、デンドロさんが大急ぎの様子で子宮頸部の方に飛んで行ったわ」

「ああ、俺も彼女に会ったよ。大腸菌らしき輩が侵入して来たんじゃないかって言ってたな」

「そうらしいわね。でもデンドロさんが乗り出したから、間もなく収まると思うわ」

 リンパ管壁を構成している内皮細胞たちは、リズムよく躍動しながら細胞表面の糖タンパク質突起を使ってモシーに語り掛けて来た。

「ところで、今このあたりに来てみて気が付いたんだが、赤血球の数が少なくないか。君たちは、ちゃんと酸素が足りてるのか」

 するとくっつき合っている何人かの内皮細胞が、一斉に笑った。

「何を笑ってるんだ。俺は真剣だぞ。ヘルパーT細胞の数も減っているし、血球系に何か異変が発生して汎血球減少が起きているんじゃないかと気が気でない」

 汎血球減少とは、骨髄系の破壊や白血病の発生などによって、赤血球、白血球、血小板など、血液中の血球系細胞が全て減ってしまう危険な状態をいう。

 だがチモシーの心配をよそに、リンパ管内皮細胞たちはまだ笑っている。

「月のものが来てるのよ」

 ようやく内皮細胞の一人が応えた。

「つまり生理で月経が起きて、子宮内膜が一気に剥がれ落ち、まとまった量の出血があったということよ」

 別の内皮細胞が言う。

 宿主は二十代後半の若い女性なので、ほぼ月に一回月経によって出血し、貧血になるまでには至らないが血中の赤血球数が減る。

「もうあれからひと月過ぎたのか……」

 チモシーは呟いた。

 そんな当たり前の事にも気づかず、彼は日夜バイロンを追いかけ続けていたのだ。

 内皮細胞たちの嘲笑を背に、チモシーはバツが悪そうにリンパ管内皮を離れた。

 赤血球が減りすぎては、チモシーら免疫細胞たちにも十分な酸素が運ばれなくなって困るのだが、一方で多すぎても厄介なことがある。

 赤血球が増え続けると、赤血球中のヘモグロビンが鉄をたくさんため込むため、体内に鉄分が蓄積して来るのだ。

 もちろん鉄は人体にとって必須の無機質である。しかし、増えすぎて溢れた遊離鉄(細胞やたんぱく質などに結合していない鉄)は活性酸素を発生させて細胞や体の構成成分を傷付けることがある。

 細胞内のDNAや遺伝子修復酵素が傷つくと、がん細胞を発生させる危険性がある。また活性酸素の増加は細胞や組織の老化にもつながるため、免疫細胞にとっても過剰な鉄は芳しくないのだ。

 女性は男性に比べて貧血気味である。月経のある年齢においては、この傾向がなおさら強い。

 しかし生理で赤血球が失われると、鉄も赤血球と一緒に体外に出て行ってしまうため、遊離鉄が身体内で生じずらくなる。そのため活性酸素の発生量が減り、がんや脳血管系の種々の疾患にかかりにくい。さらには、活性酸素による身体各組織の老化が抑えられるため、女性は男性より長寿を全うする確率が高い、とも考えられている。

 バイロンと対決する前に、チモシーは女性ホルモンであるエストロゲンの刺激を受けた。あれがチモシーの活力になったことは確かだが、あの時の性周期は、ちょうどエストロゲンが上昇するタイミングだったのだ。

「次にバイロンに会う時も、エストロゲンが豊富でテンションが上がっている時期であればいいのだが」

 そんなことを考えつつ、チモシーはいつもより赤血球がまばらな血液の流れの中を、多少酸欠になりながらゆっくりと泳いで進んだ。

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