完璧からはほど遠い

橘しづき

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完璧からはほど遠い

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 慌てて仕事場に戻る。まだ仕事は山積みなのだ、また午後から必死に踏ん張るか。そう思い中に入った時、何やらオフィス内が賑やかだった。ちらりと見てみれば、上司と成瀬さんが何やら話している。上司はにっこにこで、成瀬さんの肩に手を置いていた。

 それを横目で見ながら、何事だろうと疑問に思う。席に座ると、隣に座っていた今泉さんに声をかけてみた。今泉さんは私より一つ年上の女の先輩で、さばさばした性格が面白い人だ。席が隣ということもあり、よく話したりしている。

「今泉さん、何事ですか?」

 声を潜めて尋ねてみると、彼女は視線を成瀬さんたちに向けたまま言った。

「また成瀬さんが凄い契約取ってきたらしいよー」

「はーあ。さすがですねえ」

 私は感嘆のため息を漏らして成瀬さんを見た。

 ピシッとスーツを着こなし、髪もしっかりセットされている。堂々とした立ち振る舞い、余裕のある表情。はあ、あれが家ではソファから起き上がれないんだもんな。

 今泉さんは言う。

「あの人ってさあ、欠点あるのかね。顔よし、スタイルよし、仕事はできるし性格もいい。神は二物を与えずっていうけど嘘だよね、完璧じゃん。彼女いないみたいだけど不思議でしょうがないなー理想めっちゃ高いとかかな?」

 それを聞いた自分は、ぐっと言葉に詰まった。

 ……あるんですよ、欠点。家に帰ったら何も出来ない無気力人間なんですよ。仕事中とはまるで別人なんですよ。

 もちろん言えるわけもなく、私は愛想笑いをしてごまかした。それと同時に、あの残念でならない成瀬さんの姿は、私しか知らないのかあ、と思うと、どこか胸がムズムズした。なんだろう。

 ちらりと成瀬さんを見る。上司との会話を終え、自席に戻っていく。いつでも整理整頓されたすっきりしたデスクだ。玄関にあるごみ袋も同じように処理できないものか。

 と、彼に祝いの言葉を言いに女子社員たちが駆け寄る。どの子もメスの目を輝かせている。そしてその中に、高橋さんの姿を見つけた。あの子、私が午前中にお願いした資料作成ちゃんと進んでるんだろうか。

 呆れている私の視線に気づいたのか、今泉さんが小声で言う。

「どう? 指導のほどは」

「ははは、まあ、はい」

「いつも男たちに仕事教えてください~って駆け寄ってるよね。もう冬だっつの、いつまで入りたての気分なのよ。しかも、佐伯さんがちゃんと丁寧に教えてるのに」

「なかなか思うように進まず……」

「何しに来てんのよ会社に。男探しに来てんのかな」

「ううん、私の教え方が悪いのか」

「私よく隣から見てるけど佐伯さん教え方本当丁寧だしうまいよ。聞いてないだけだよあれ。早々に寿退社とか狙ってんのかね、あの子明らかに成瀬さん狙ってるよね」

 私は目を丸くして今泉さんを見てしまう。彼女は確信を持った表情で言い切った。

「絶対そうだよ、まあ競争率ナンバーワンの相手だしあんまり上手く行ってないみたいだけど」

「え、でも高橋さんには」

 彼氏がいますよ。と言おうとして黙る。どうして知ってるの、ともし聞かれれば上手く言える自信がない。まさか『私の彼氏が寝取られまして、そのあと匂わせてくるんです』とは言えまい。

 沙織も見たというから、間違いなく大和と付き合ってると思うんだけどなあ。成瀬さんを狙ってるというのは間違いじゃないかと思う。

 今泉さんはふうと息を吐きながら伸びをする。

「とにかく、あまりにひどかったら上司に相談した方がいいよ。まあ、あの子の場合その上司にも媚売ってるから上手く行くかわかんないけどさ」

「そうですね……合わないなら指導係を代えてもらったほうがいいかもですしね」

「佐伯さん、自分の時間削って教えてるから残業も増えてるのにね。お疲れ様」

 哀れんだ目で見られたが、私の頑張りを見ていてくれる人がいるんだ、と思うと嬉しくて笑ってしまった。教え方が上手い、と褒められたのも自信に繋がる。

 成瀬さんも最近よく頑張ってるね、と褒めてくれたし、やる気出ちゃうな。単純かな。

 私は気合を入れて仕事に取り掛かった。









 その日も少し残業をこなし、仕事を切り上げた。窓の外を眺めると、当然ながら真っ暗だ。いつの間に降り出したのか大粒の雨が見える。それを眺めながら、成瀬さんが倒れた日のことを思い出していた。

 そうだ、晩御飯どうしようかな。簡単にカレーでも大量に作って成瀬さんに持って行こうか。カレーなら手の込んだことをしなければすぐに完成出来る。家の材料も十分だし。

 そう思いながら帰り支度をしている自分の口角が上がっていることに気が付いた。駄目だこれ、完全に餌付けして楽しんでるかも。だって成瀬さん食べっぷりいいし、毎回美味しいって言ってくれるから、単純に見ていて気持ちいんだよなあ。

 そうと決まれば足早にオフィスを去る。エレベーターで下り、出口で一旦立ち止まった。やはり、雨が地面に怒りをぶつけているようだ。私は鞄の中から折り畳み傘を取り出そうと漁る。

「傘、入っていく?」

 背後からそんな声がしたので、振り返る。そこに立っていた人物を見て、息が止まる。

 大和だった。

 あの事件以来一度も顔を合わせていない。付き合ってるときはしょっちゅう会っていたので、やけに久しぶりに感じた。

 短髪で少しだけ釣り目。それがきりっとした印象で、私は好きだった。ノリがよくて豪快。高校の頃サッカー部のエースだったらしく、今でも休日に趣味でフットサルを楽しんでる。楽しそうにボールを追う姿が、とても爽やかだった。

 一年前、付き合おうといわれた日、私は本当に嬉しかった。喧嘩はするけど基本仲がいいと思っていたし、だからまさかあんな終わりを告げるなんて思ってなくて。

 もう過去のことで忘れたこと、とずっと思っていたのに、いざ顔を見ると色々思い出してしまった。やはり一番は怒り。ここ最近静まっていた怒りが一気に込み上げてくる。

 私に声をかけるなんて、どういう神経?

「大丈夫です。持ってるので」

 私は冷たくそういうと、傘を取り出してやや乱暴に開いた。すぐさま歩き出す。それを追って大和が隣に並んできた。

 雨が傘に落ちる音は大きく響く。それに負けじと、大和が声を張って私に言った。

「志乃、本当にごめん」

「別にいいよもう終わったんだから。それよりもう話しかけないで」

「連絡ずっと無視してるだろ」

「当たり前でしょ、なんで私があんたの連絡を見なきゃいけないの」

 イライラしながら答える。それでも大和は負けじと隣に並んだまま続けた。

「あの日、ほんと魔が差したっていうか……そんなつもりじゃなかったんだけど、酒に酔って、それで」

 私は足を止めて横を向く。傘から見える大和の表情がなんだか苦しそうで、それがなお自分の怒りを助長させた。苦しいのは私じゃないか、どうして大和がそんな顔してるの?

「言い訳はいいって。そのあとも付き合ってるんでしょ? 高橋さんは色々アピールしてくるし、沙織も二人が一緒にいるの見かけたって言ってたよ。別に邪魔しようとか思ってないから、お願いだから関わらないで」

「もう別れたから!」

 足を踏み出そうとして止まる。私はぽかんと口を開けて大和を見た。

「はあ?」

「ああなったからには責任取って付き合った方がいいかな、って思って付き合ったけど……可愛かったし。でもやっぱり違うって分かったから」

「……で、なんでそれを私に言うの?」

 色々突っ込みたいけど、一番聞きたいのはそれだ。浮気してその浮気相手と付き合ってみて、でも合わなかった。ああそうですか、私には無関係なお話ですねってことなんだけど。

 大和は力強く言う。

「これからは全力で償うから、許してほしい」

「…………はあ?」
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