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突然の別れ
しおりを挟む翌日、出勤し白衣に着替えた私は、さっそく病棟に上がっていた。まだどこか覚醒しきっていない頭を振りながら、さて今日も落ち着いていてほしいなあと心で願う。
それからそうだ、山中さんに、それとなく昨日のことも言っておこう。同期とご飯食べてたんです、楽しかったーとか言って……いや、あえてそんなことを言うのもわざとらしいだろうか? というか、すでに誰か看護師に言っちゃってたりして。
そんなことを不安に思いながらエレベーターを降りる。病棟に入り、挨拶をしようとしたところで、やけに慌ただしそうだなと気づいた。夜勤の少ない看護師たちがバタバタしていて、業務も中々進んでいないようだった。
私より早く来ていた歩美が、ささっと近づいてくる。挨拶より先に、声をひそめて言った。
「急変あったみたい」
「そうなの? 誰?」
「山中さん」
聞いて目を丸くし、歩美を見る。昨日夕方に会った時の山中さんの姿が脳裏に浮かんだ。
「え!? 山中さん!?」
「夜勤の見回りで心停止してるの、見つけたんだって。バッタバタみたい」
戸惑いが隠せなかった。受け持ち表をちらりと見てみると、今日も私が受け持ちの予定だった。
彼は末期癌だった。だから、予後はいいものではなかった。とはいえ、まだまだ亡くなるには早すぎる。
ここは病院だ、亡くなる人は珍しいことではない。だがやはり、人が病と闘い死に向かっていくのには過程がある。血液データに現在の状態が表され、血圧などの値が徐々に変化していく。
だから、昨日まであれだけ元気に歩き回っていた人が亡くなるのは、ないこともないが、あまり多くはない。入院したばかりで、これから様々な治療が始まる予定だった。その矢先に、突然いなくなってしまうなんて。
人の死を見送るのは辛い。それも、こんなに突然では。
「昨日はあんなに元気だったのに……」
「ひなの、入院取ったしよく受け持ってたよね。感じのいいおじさんって感じで」
「本当に突然すぎる」
「まあ、ゼク(病理解剖)なしだって。弟さんが遠方に住んでたみたいだから、ようやくさっき着いたみたい。うちらもヘルプに入ろうか、夜勤の人たち全然手が回ってないみたいだから」
私は頷きつつ、ずんと気持ちが落ちるのを自覚した。
昨日会うのが最後だったなんて……もっと話せばよかった。いつも私を褒めて労わってくれたのに。
目の奥が熱くなるのをこらえ、気を引き締めた。同時に、夜勤で働いていた先輩がナースステーションに足早に入ってきた。
「あ! おはよ! ねえごめんだけど、配膳してくれない? 全然手が回ってなくて」
「はい、今行きます!」
「よかったー。あ、椎名さん、今日山中さん受け持ちだったよね? 出棺お願いするだろうから、よろしくね」
「はい分かりました」
再び慌ただしく飛び出していく先輩の背を追うように、私と歩美は駆けだした。とりあえず、患者は一人ではない。ほかの患者もいるのだ。その人たちに、泣きそうな顔を見られるわけにはいかない。
ステーションを出る寸前、近くに置いてあったマスクを一枚取り出して装着した。ただの一般人ではなく医療者なんだ、そう自分に言い聞かせて。
話によると、夜中三時の巡視の際、担当看護師がベッド上で心停止しているのを発見した。
すぐにドクターと家族に連絡。家族の意向もあり蘇生措置はなし。家族の到着を待ち、三時間後にようやく来れたそう。あまり仲のよくない弟だったらしく、特に取り乱すこともなく、淡々と説明を聞いていたそうだ。歩美も言っていたが、突然死だったが病理解剖などは特にすることなく出棺された。
出棺に付き添ったのは、受け持ちでもあった私だった。随分真っ白になってしまった山中さんを最後見送る。亡くなった後の姿は、どうも未だに見慣れない。一気に顔色も変わり、一目で生きている頃とは違うと誰にでもわかる。
その顔を見ると、何とも言い切れぬ気持になる。これからまだまだ出来ることがたくさんあったのに。その手伝いを何もしないまま、別れることになってしまった。その虚しさが全身を満たしてしまう。
それでも残酷なようで、病棟に帰ればほかの患者と笑顔で接さなければならない。看護師は強い、とよく言われるが、強くいなければならないのだと痛感している。一人の死で打ちのめされていては、私たちは働けないのだ。
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