藍沢響は笑わない

橘しづき

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秘密

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 先生は仕方ないとばかりに言った。

「まあ、そう。苦手。患者相手は全然いいし、仕事中ってなれば看護師と近くなるのも別にそこまで気にならないけど、プライベートだったり、下心満載で近づかれたりすると無理」

「ああ、先生になら下心満載でみんな近寄りますよね……」

「そういうのほんと無理だから」

「だから飲み会とかも来ないんですね」

「まあ、それと単純にそういう場に楽しさを見いだせないだけ」

「あ、それはイメージ通りの答え」

 先生はふう、と息を吐いて、ハンドルに持たれながら言った。

「別にそれがバレてもいいんだけどさ、女除けになるかもしれないし。でも、患者の耳にまで伝わると不安を煽ることになる。仕事上、なるべく伏せておきたい」

 なるほど、と納得した。確かに、『あの先生女が駄目なんだって』なんて噂、よくないだろう。患者は命を医師に預けているのだ。

 確かにこれまで見てきたことを思い出すと、先生は女性の患者さんの処置も滞りなくするし、業務上は本当に差し支えないらしい。プライベートの、特に目をギラギラさせたハイエナ女子が苦手なんだろうな。

 私は納得して頷いた。

「分かりました。大丈夫です、誰にも言いませんから」

「それは助かるけど」

「バレてないと思いますよ。まあ、女嫌い、っていうか、人間嫌いかなーってのは思ってましたけどねー。平気ですよ、これまで通りやってれば」

 私があっけらかんとして言うと、先生は不思議そうに言った。

「聞かないんだ?」

「え?」

「どうしてそんなことに、とか。頑張って克服した方がいい、とか言わないんだ?」

「私が言ってどうなりますか。大変ですねえ、とは思いますけど、そこ言われなくても先生自身考えてるでしょう?」

 先生は少しだけ目を丸くした。そして小さく頷く。

 そう、生きるのに困るほどなら先生自身色々考えるだろう。他人の、しかも今までほとんどしゃべったことがないような私が口を挟む問題ではない。

「あ、てゆうか歩いて帰りますよ。女の私が助手席にいるの嫌でしょう? ここでいいです!」

 私がそう言ってシートベルトを外すと、先生は小さく首を振って言う。

「いや、でも誘ったのは俺だから」

「大丈夫ですよ。近いんで」

 そう言ってドアを開ける。すぐに立ち去ろうとしたが、最後に先生の声がした。

「椎名さん」

「え? まだ何かありました?」

「ペン落としてるよ」

 言われて覗き込む。確かに、助手席の足元に私のボールペンが落ちていた。

 普段、仕事で使うペンは着替えるときにロッカーに入れて帰るはず。なのに、今日はなぜか持って帰ってきてしまったらしい。先生と待ち合わせたことで浮かれていたからだろうか。あの時の自分に、冷静になれと言い聞かせたい。

 私はそれを拾って言う。

「あ、すみません。なんで持って帰って来たんだろ」

「……」

「はっ! ち、違いますよ!」

 私は慌てて先生に言った。彼は少し目を丸くして、きょとんとしている。

「これ、わざと落として、次また先生と会う口実にしようとか思ってたわけじゃないですから! ほんと、たまたま落としちゃっただけですから! 私は無害ですよ、これ本当に!」

 他のギラギラ女子たちと一緒にされたらたまったものではない。私は必死に弁解した。

 だって多分、先生はそういう手をさんざん使われた人間だ。女の計算高いところも分かってる気がする。少なくとも私はそういう女ではないと分かっておいてもらわないと。そもそも、元々はあなたのこと怖かったんですよ。

 私の弁解を聞いて、先生は少しだけ目を細めた。そして、どこか柔らかな視線で言う。

「いや……大丈夫。確かに、君はそういうことしなさそうだから」

 その声に、少しだけドキッとしてしまった。普段とは違う、温かみを感じた気がしたから。

 女として計算してなさそう、という意味だろうか。それとも、先生に興味ないというのが伝わっているのか。どちらにせよ、勘違いされなくてよかったと胸を撫でおろす。

 先生は言う。

「てゆうか、やっぱり家まで送るから」

「いや、ほんと大丈夫です。お疲れ様です。では!」

 私はそう短く言うと、ドアを閉めた。何か言いたそうにしている先生をそのままに、くるりと踵を返してそのまま歩き出した。実際本当に家はそこまで遠い場所ではない。歩くぐらい平気だ。女が苦手なのに助手席に乗せなければならない先生の気持ちを考えると、可哀そうでならないから。

 私がしばらく歩いたところで、ようやく背後の車は動き出してその場から去っていった。横目でそれを確認し、はあと息を漏らす。

 同じように見える人がいた。それは凄く嬉しいこと。でも多分、今後も共感できそうにないし話せそうもない。これから先も関係は変わらない、ということだな。

 だがしかし、正直視えると言われた時より、女性恐怖症だと言われた時の方が驚いた。もったいない、女好きだったらハーレム作れるだろうし飽きるほど遊べそうなのに。無敵そうに見える先生が、ねえ。

「まあ、誰にだって苦手なことはあるか」

 そう小声でつぶやいた。むしろ、ちょっと人間らしいなと親近感を覚えてしまうほどだ。正直誰かに言ってしまいたい気持ちはあるけど、約束したし黙っておこう。

 二人だけの秘密、っていうことで。


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