藍沢響は笑わない

橘しづき

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顔に出やすい

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 休みを挟む。夜勤の後は死んだように眠り、次の日も減ったHPを回復させるために、自宅でゆっくり過ごしていた。時々あの図について考え込んでみるも、私の脳みそではまるで理解できなかった。ちなみに、あれ以降、やはり山中さんが現れることはなかった。

 休みの次の日、再び病院へ出勤していた。ポケットにあのメモを忍ばせ、白衣に着替えて病棟へ急ぐ。

 エレベーターを降りて職場へ足を踏み入れると、廊下に立ち尽くしている男性が目に入った。山中さんだ。またここに戻ってきていたらしい。一瞬ぎょっとしてしまうが、気づかないふりをしてステーションの中に入っていった。

「おはようございます」

 挨拶をすると、中に藍沢先生がいるのが目に入った。隅に置かれたパソコンの前で足を組んで座り、ちらりともこちらを見ないままカルテを閲覧している。反射的にポケットに入れたメモを触った。

 ダメダメ、先生に相談は出来ないってば。自分で何とかするしかない。

 とりあえず荷物をロッカーに入れてすぐに働き出す。今はとにかく仕事に集中するしかないので、山中さんの存在も気にせずに必死に業務にあたった。

 時間を忘れるほど動きまくり、額にじんわり汗をかきながら動いていた。昼休憩も終え午後に入り、ある患者を他病棟へ送っていた。転棟することとなったのだ。

 検査をしていくうちに、思っていた容体と違う、もしくは治療方針が変わるということはよくある。例えば内科的治療をするはずだった患者がオペをすることになるなど。そうなれば、外科病棟へ移動させることになるのだ。

 患者を送り、一人また自分の病棟へ戻っていた。エレベーターを使おうと待っていたが、来たそれは中が人でいっぱいだった。見送ったあと、そんなに階数も離れていないので、階段で行くことに決める。

 エレベーターがあれば、階段を使う人はそこまで多くない。誰もいない階段をリズムよく上がりつつ、今日もふくらはぎがパンパンになりそうだなあ、とどうでもいいことを考えていた。

 するとその時、上から人が降りてくるのに気が付いた。

 規則的な、でも静かな足音。視線を上にあげてみると、なんと藍沢先生だった。一人白衣のポケットに手を突っ込んだまま、階段を下りている。

 あ、と小さな声が漏れた。殆ど二人きりになるなんて不可能な仕事中、こんなタイミングは滅多にない。神様の導きかもしれないとすら思った。

 だが、すぐに思いなおす。だから、先生にこのメモの相談は無理だって。怒られるだろうし、きっと考えてくれないよ。何も言わない方がいいに決まってる。

 そう思い、足元に視線を落とした。すれ違う時、軽く会釈だけしておく。そのまま何も言わず足を動かしていると、背後から声がした。

「何を思い悩んでんの」

 はっとして振り返った。先生が下から私を見上げている。眺めの前髪から、真剣な目が見えた。

「え、あ、えっと」

「君顔に出やすいよ」

「あ、す、すみません」

 まさかそんなに顔に出てた? 自分の頬を触ってみる。弱ったな、看護師は顔に出やすいと色々困る職種だというのに。

 先生はふうと息を吐いて言う。

「一昨日、なんかあった?」

「え!?」

「あの人、一時廊下にいなかったから。しばらくしたらまた戻ってきてそれからずっといるけど」

「あ、じ、実は家に来たんです!」

「え?」

 正直に言うと、先生は眉をひそめた。うう、あの顔怖くて苦手なんだよね。でもそんなことも言ってられないので、私は続けた。

「夜勤終わり、家にいたら、玄関の前まで」

「中には」

「あ、私の部屋は入られないようお札とか置いてあるので、中には入れなかったんじゃないかと」

「ふうん、そういうところはちゃんとしてるんだ」

「は、ってなんですか、はって」

「それで? 家にまでついて行ったのに、なぜすぐ戻ってきたんだ? 家の中に入れなかったから諦めたとでも?」

 私はポケットから例の紙を取り出した。先生の元へ数段降り、それを差し出してみる。彼は不思議そうにそれを見た。

「なに、これ」

「あの……この用紙、ペンの中から見つかりました」

「何?」

「覚えてますか、先生の車に乗った日落としたペンです。思えば一本だけ持ってたのは不思議なんです。私いつもペンは数本ポケットに入れて、着替えるときにロッカーに入れて帰るから。間違えて持ち帰るとしたら、数本あるはず。でも、あの日はこれだけ鞄に入ってた」

「……」

「先生と会う直前、山中さんとたまたま会ってたんです。その時、私の鞄に忍ばせたんじゃないかと。
 山中さんが言っていた、見てほしい、はこれだったんだと思います。指さしていたのも、私というよりポケットに入れておいたペンを指していたんでしょう。無事見つけられわけですが、一体これが何を意味しているのかさっぱりで」

「ちょっと待て。生前、わざわざ看護師のペンの中にそれを忍ばせた? おかしすぎるじゃないか、なんでそんなことを?」

「分かりません。もしかして、山中さんほかに頼れる人がいないっぽかったから、私に託したんでしょうか」

「まあ、彼は結婚もしてなかったし、弟とも不仲みたいだったけど……てゆうか、本当俺の忠告全無視だな」

 そう言われて、気まずくなり俯いた。だが先生は諦めた、というように深いため息をつき、それ以降何も言わなかった。

 彼はじっと考える。そして、無言で私の手から紙を取った。腕を組み、それを眺める。

 私は横から背伸びして覗き込むようにし、一緒に紙を見た。

「これ、何だと思います? 私全然わからなくって」

「近い」

「え? あ! ごごごめんなさい!!」

 慌てて下がる。忘れてた、先生は女が苦手なんだった。

「またひょっって言っちゃいますね、ひょっって!」

「馬鹿にしてる?」

「ししし、してませんよ!」

 じとっと睨まれて、首を振った。睨むと迫力が凄いんだよ男前は!

 先生は不機嫌そうに私に紙を返した。
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