86 / 95
二人の未来③
しおりを挟む「大丈夫?」
ふいに蒼一さんが顔を上げて私を気遣いたずねた。声も出せずに頷く。またしてもいつのまにか流れていた涙を、蒼一さんが指先で拭く。
「なんか、体ガチガチ」
「緊張は、してます。だって今まで手をつなぐぐらいで必死だったんです。ぎゅっとするのでさえ死にそう。でも、これは嬉し泣きです」
「そっか、嬉し泣きか」
「だから、大丈夫です」
小さく蒼一さんが笑う。私の髪を優しく撫でた。
子供の頃もよく頭を撫でてくれたけど、その時とはまるで違う感覚。私はぼんやりと蒼一さんの顔を見上げた。バチリと目が合うと、彼はおもしろそうに言う。
「髪。触るの好きなの?」
「え?」
「さっき何度も僕の触ってたから」
「好きっていうか……触ってみたいな、って思ってたから」
そういうと、彼は突然ふざけたように私の肩に頭をぶつけた。髪の毛が触れてくすぐったくなる。私は笑った。
「どうぞ、お好きなだけ」
「あは、どうぞって言われるといらないです」
「いらないって。急に冷たいじゃん」
蒼一さんも笑う。二人の笑い声が重なり少し経つと、彼は私の手をそっと取った。開いた私の掌を見て微笑む。
「力抜けた?」
「え?」
「緊張で拳握り締めてたでしょ。手のひらに爪の跡ついてる」
「あ……」
気づかなかった。自分で確認してみると、確かによほど強く拳を握っていたらしくくっきり爪の跡がついている。
蒼一さんはもう拳と作らせまいというように指を絡めて手を握った。私もそれを握り返す。
「力抜いて」
蒼一さんがそう微笑んで囁いた。言われたばかりだというのに強張ってしまった自分を落ち着けるために、ひとつだけ息を吐く。
手のひらに伝わる体温が心地いい。ずっとこうしていたいと思う。
蒼一さんが私の額にひとつキスをした。ぼんやりと見上げる彼の顔は、情けないことにまたしても涙で滲んで見えなかったのだ。
目が覚めた時、やけに頭がスッキリしていた。あ、寝坊したかも。覚醒して一番最初に思ったのはそれだった。
だがほぼ同時に、間近に白い肌が見えてギョッとした。蒼一さんは面白そうに笑って私を見ていたのだ。
「そ、蒼一さん!」
「おはよ。よく眠れた?」
慌てて起きあがろうとした私の腕を引っ張り、彼は再びベッドに寝かせた。私は恥ずかしさで顔を熱くしながら非難する。
「起きてたなら起こしてください、もしかして寝顔見てたんですか!」
「うん、せっかくだからしっかり観察しといた」
「もー! やめてください、絶対不細工な顔してたし」
「可愛かったよ。よだれ垂れてたのがとくに」
「前もそんなこと言っ……うわ、ほんとだ」
口の端を触ってみたら本当に濡れてたので慌てて拭いた。そんな私をみながら彼は声を上げて笑う。私は軽く睨んで見せた。いっつも蒼一さんばかり余裕なんだから。
「今度は絶対私が先に起きて蒼一さんの寝顔観察しまくります」
「はは、恨まれた。ずっと見てたわけじゃないよ、ちょっと僕の方が早く起きただけ。起こそうかなーと思ってたら咲良ちゃんが起きたから」
目を細めながら私を見てくる。たったそれだけの光景に、つい胸が苦しくなった。
初めの頃一緒に寝てた時はお互い背中を向けて、いつもどっちかが先に起きていた。こうしてお互いの顔をみながらふざけるなんて、一度もしたことがなかったのに。
でもやっぱり……よだれは恥ずかしいな……。
蒼一さんは大きく伸びをしながら言った。
「ゆっくりしてから不動産屋行こうか。引っ越しの準備もすぐにしよう」
「本気なんですね、昨日言ってたこと」
「うん。早い方がいい」
引っ越し、か。まだそんなに長い時間暮らしたわけでもないけど、お別れするのはなんだか寂しい。でも新しい場所で一からやり直すのもいいかもしれない、とも思う。
きっとどんな場所でも楽しい日々になれるはずだと確信している。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
247
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる