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オメガの生存本能
第67幕
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「常識」とは何か。
健全な普通人が社会生活を営むために持つべき意見、行動様式の総体である。だが、「常識」などいうものは、曖昧で移ろいやすいものである。地域、時代、集合体が違えば「健全な普通人」の定義も異なるのは、想像に難くない。そして近親婚は、この世界の、この時代の「常識」から逸脱し、例え婚姻届を役所に提出したとしても、受理されることはないだろう。
なぜ、近親婚は忌み嫌われるか。諸説あるが、論理的で科学的な根拠を語れる者は恐らく存在しないだろう。この世界の歴史の上では、アルファ性の血筋と権力を守るために、近親婚を繰り返した封建的な時代も確かにあった。現代でも、遠縁の血筋にはなるが、特権階級のアルファ性の家系同士の婚姻は珍しくはない。
インセスト・タブーを声高に唱えたのは、民主的な時代に生まれた圧倒的多数であるベータ性の「健全な普通人」である。彼等は「近親者と子を成すなど、おぞましい」という集団心理を、常識にまで引き上げた。
そうして、近親婚は禁忌となったのである。
学生寮から薫の荷物を引き払って、響は自宅のマンションの一室に持ち込んだ。大掛かりな荷物を持って、玄関のドアを開けると、しんと静まり返り、暗闇が広がっていた。大きな窓の向こうには、都会の地上に散らばる無数の星屑が輝いている。
「ただいま」
響は部屋の奥へ声を投げかけた。昨夜までであれば、薫が玄関まで出迎えてきてくれるところである。響は抱えた大きな箱を玄関の飾り棚に置いて、スーツケースと肩に掛けていた学生鞄を玄関の隅に寄せた。
リビングの明かりを付けても人影はない。キッチンのシンクには、洗い忘れたどんぶりと箸が無造作に置かれているだけであった。
「薫、寝てるのか?」
コンコンとドアをノックして、響は寝室の扉を開く。瞬間、ふわっと花のような甘い香りが広がった。
「……ん、……あ、あ、」
明かりもない薄暗い部屋の中で、もぞもぞとベッドの上で動くモノが見えた。
「……薫、?」
声をかければ、ピタリと動きが止まり、掛け布団から覗かせたのは、頬を赤く染めた薫の顔だった。
「……に、兄さん……」
「具合でも悪いのか、」
一歩、足を踏み込んだ瞬間、響は濃密な甘い匂いに包まれて、噎せそうになる。どくんと腹の奥底から熱が迫り上がり、否応にも発情期のオメガの存在を感じ取る。
「……こっち、こないで、」
薫は懇願するように震えた声を上げた。けれど、薫の身体は正直で、花が蜂を誘うように甘い香りと甘い蜜を滴らせて、アルファ性の響を誘惑する。薫から求愛を受けた響は、ふっと薄く口角を持ち上げた。
「……ぁ……」
薫の僅かな抵抗を意に介さず、響が掛け布団を引き離すと、くしゃくしゃに乱れたシャツ一枚のオメガの姿が露になる。薫はカァと赤い顔を更に赤くして、シャツの裾で露な下半身を隠そうとした。それでも、薫が今まで何をしていたかは、隠しようもない。
響は喉を小さく鳴らして、俯いている薫の頭をくしゃりと撫でた。
「薫、可愛いよ、」
耳元で囁かれた甘く低い声に、薫はぴくんと肩を震わせて見上げた。響の紅い瞳に射抜かれて、薫は目を逸らせなくなる。
「…………にいさん、」
「響って呼んで?」
響は薫の頬に手を添えて、小さな泣き黒子を親指で撫でた。薫は物欲しそうに瞳を潤ませて、震える唇を薄く開いた。
「ひ、ひびき……」
薫の口から溢れ落ちた名前に、「兄」と「弟」の関係性は消し飛んだ。
響の唇と薫の唇が重なれば、甘いフェロモンと番の匂いが重なっていく。
ここには、常識などはありはしない。
ただアルファとオメガがいるだけであった。
健全な普通人が社会生活を営むために持つべき意見、行動様式の総体である。だが、「常識」などいうものは、曖昧で移ろいやすいものである。地域、時代、集合体が違えば「健全な普通人」の定義も異なるのは、想像に難くない。そして近親婚は、この世界の、この時代の「常識」から逸脱し、例え婚姻届を役所に提出したとしても、受理されることはないだろう。
なぜ、近親婚は忌み嫌われるか。諸説あるが、論理的で科学的な根拠を語れる者は恐らく存在しないだろう。この世界の歴史の上では、アルファ性の血筋と権力を守るために、近親婚を繰り返した封建的な時代も確かにあった。現代でも、遠縁の血筋にはなるが、特権階級のアルファ性の家系同士の婚姻は珍しくはない。
インセスト・タブーを声高に唱えたのは、民主的な時代に生まれた圧倒的多数であるベータ性の「健全な普通人」である。彼等は「近親者と子を成すなど、おぞましい」という集団心理を、常識にまで引き上げた。
そうして、近親婚は禁忌となったのである。
学生寮から薫の荷物を引き払って、響は自宅のマンションの一室に持ち込んだ。大掛かりな荷物を持って、玄関のドアを開けると、しんと静まり返り、暗闇が広がっていた。大きな窓の向こうには、都会の地上に散らばる無数の星屑が輝いている。
「ただいま」
響は部屋の奥へ声を投げかけた。昨夜までであれば、薫が玄関まで出迎えてきてくれるところである。響は抱えた大きな箱を玄関の飾り棚に置いて、スーツケースと肩に掛けていた学生鞄を玄関の隅に寄せた。
リビングの明かりを付けても人影はない。キッチンのシンクには、洗い忘れたどんぶりと箸が無造作に置かれているだけであった。
「薫、寝てるのか?」
コンコンとドアをノックして、響は寝室の扉を開く。瞬間、ふわっと花のような甘い香りが広がった。
「……ん、……あ、あ、」
明かりもない薄暗い部屋の中で、もぞもぞとベッドの上で動くモノが見えた。
「……薫、?」
声をかければ、ピタリと動きが止まり、掛け布団から覗かせたのは、頬を赤く染めた薫の顔だった。
「……に、兄さん……」
「具合でも悪いのか、」
一歩、足を踏み込んだ瞬間、響は濃密な甘い匂いに包まれて、噎せそうになる。どくんと腹の奥底から熱が迫り上がり、否応にも発情期のオメガの存在を感じ取る。
「……こっち、こないで、」
薫は懇願するように震えた声を上げた。けれど、薫の身体は正直で、花が蜂を誘うように甘い香りと甘い蜜を滴らせて、アルファ性の響を誘惑する。薫から求愛を受けた響は、ふっと薄く口角を持ち上げた。
「……ぁ……」
薫の僅かな抵抗を意に介さず、響が掛け布団を引き離すと、くしゃくしゃに乱れたシャツ一枚のオメガの姿が露になる。薫はカァと赤い顔を更に赤くして、シャツの裾で露な下半身を隠そうとした。それでも、薫が今まで何をしていたかは、隠しようもない。
響は喉を小さく鳴らして、俯いている薫の頭をくしゃりと撫でた。
「薫、可愛いよ、」
耳元で囁かれた甘く低い声に、薫はぴくんと肩を震わせて見上げた。響の紅い瞳に射抜かれて、薫は目を逸らせなくなる。
「…………にいさん、」
「響って呼んで?」
響は薫の頬に手を添えて、小さな泣き黒子を親指で撫でた。薫は物欲しそうに瞳を潤ませて、震える唇を薄く開いた。
「ひ、ひびき……」
薫の口から溢れ落ちた名前に、「兄」と「弟」の関係性は消し飛んだ。
響の唇と薫の唇が重なれば、甘いフェロモンと番の匂いが重なっていく。
ここには、常識などはありはしない。
ただアルファとオメガがいるだけであった。
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