Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

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第77幕

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 響は、バスルームに消えていく薫の背中を見送ると、リビングテーブルに置き去りになった実弟のスマホに手を伸ばした。最早、薫のスマホから有益な情報を得ることはできないのかもしれない。それでも、響は薫の個人情報を盗み見ることを止められなくなっていた。


 画面には、未読メッセージが一件届いている。響は、見慣れない名前から受信したメッセージを開いて、ぞくりと鳥肌が立った。

『23時に来い』

 たった一文のメッセージではあったが、響は直感的に、全てを理解した。アイコンもプロフィールの記載もなく、手掛かりは本名であるかも疑わしい「HIRO」という名前だけであった。

 二十分前に受信したメッセージの一つ前には、同じメッセージが届いている。送信日付を見れば、薫が学生寮から姿を消して騒ぎになった前夜であった。響の直感は、確信に変わる。

 震える指先を滑らせて、過去の二人のやり取りを遡っていけば、似たようなメッセージが、何度も、何度も、繰り返されていた。それは、つまり、薫が、この男に、何度も、何度も、穢されたこと意味している。

 響の瞳は赤く染まる。
 薫に最初に送られたメッセージは、四月の中頃で、「遊戯室」への入室方法が端的に綴られていた。

 遊戯室。
 それは学生寮のA棟に地下にある隠匿された遊び場であった。
 響も一度だけ売春婦を呼び込んだことはあったが、それきりであった。薄暗く黴臭く汚ならしい地下室は、狼たちの尖った欲望と鬱積した暴力の捌け口である。
 そんな地下牢に、薫を呼びつけて、屈服させて、蹂躙し尽くした狼のシルエットが、響の脳裏に浮かび上がる。薫の肢体に刻まれたみみず腫や、血の滲むような歯形は、薫の悲嘆と苦痛を物語る。
 響は、込み上げる嘔吐感に口元を手で覆った。

「兄さん、何やって……、」

 響が振り返ると、脱衣場から出てきた薫と目が合った。実兄の赤い瞳に、ぎょっとして、薫は一歩後退る。それから、響の手の中にあるスマホが、自分のものであることに気づくと、目を見開いた。

「ひどい、勝手に見るなんて!」

 薫は、弾かれたように床を蹴った。響の手からスマホを奪い返すと、背を丸めて抱き締めた。

「『HIRO』って、誰だ?」
「……誰でもない。兄さんには関係ない……ッ」

 薫は俯いたまま、頑なに響を拒んだ。響は咄嗟に、薫の肩を掴んで振り向かせると、腕を振り上げた。業火のような赤い瞳に、薫は固く目を瞑って、衝撃に堪えようとした。

 薫は思い出す。
 どんなに聡明で慈愛に満ちていても、アルファは野蛮な獣であるのだと。



 響は上げた手の平を握り込んで、なんとか狼の衝動を抑え込む。ここで、この拳を振り下ろせば、響と薫の間の溝は致命的になるだろう。

「……悪かった、もうしないから、」

 響は、薫の身体を引き寄せて、腕の中に抱き込んだ。幼かった実弟の身体は、もう小さくも、柔らかくもない。薫の髪からは、石鹸の香りがした。

 撲れる痛みに身構えていた薫は、急に抱き止められて、びくりと肩を揺らした。兄の肩口に鼻先を埋めれば、親しみのある優しい香りに包まれる。

「兄さん、もういいから、はなして、」

 薫は響の胸を押して、腕の中から逃れようとした。けれど、背中に回された腕はぐっと強く薫を押さえ込む。

 響は悔いていた。そして、薫に許しを乞うていた。例え、どんな理由があろうと、あの時、薫の手を離すべきではなかったのだ。

 薫はしばらく身動いでいたが、身体を縛り付ける響の腕が解かれることがないとわかると、眼前の肩口に額を擦り付けて、ゆっくりと身を預けた。

 響と血の繋がった兄弟でなければ、他の未来があったのだろうか。一瞬、脳裏を過った意味のない仮定に、薫は自嘲気味に小さく笑った。


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