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茶事
第143幕
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柳瀬氏の自慢の茶室では、静かな時間が流れていた。
亭主は茶碗に茶筅を沈め、「の」の文を描くと、慣れた手つきで茶を練っていく。すっと手を捻り茶筅を引けば、深緑の濃茶が艶やかな光を放つ。茶碗を畳の縁の外に静かに置くと、亭主の後方に控えていた半東が正座のままにじり寄る。茶碗を手に取り、正客の前に運ぶと、三指をついて頭を下げる。顔をあげると、白髪交じりの正客が微笑んでいた。
半東を務める柳瀬優人は、一瞬、息を呑んだが、そのまま音を立てずに亭主の後ろに下がった。
「お手前頂戴いたします」
神崎氏は、茶を点てた柳瀬氏に礼を述べると、茶碗を手に取った。赤土色の茶碗は、一見素朴でありながら、よく手に馴染む。僅かに茶碗を回して、口をつけた。濃い抹茶の苦味の後には、豊かな香りと品のよい甘味が広がった。拘りの逸品であろうことが窺える。釜の湯はぐつぐつと煮え、からりと炭が崩れた。
「お服加減はいかがですか」
柳瀬氏が尋ねれば、正客は茶碗を左手に持ったまま、右手を膝前についた。
「たいへん結構でございます。お茶銘はどちらですか?」
神崎氏は茶道に精通しているわけではなかったが、それでも、自身の知り得る知識で、茶道具のひとつひとつを尋ねた。茶室にある総ての品は、この祝い席のために揃えられたものである。掛け軸も、花入れも、香合も、芸術品のように美しい。
「柳瀬さんが、これほど茶道に精通されていらっしゃるとは、」
「なに、下手の横好きですよ」
小柄な亭主は、得意そうに口角を持ち上げて言葉を続ける。
「しかし、茶は仙薬と呼ばれた時代もありましたからな。少し縁のようなものを感じます」
「頭が下がります。さすがは柳瀬製薬ですね。新薬開発の分野でも先駆者の地位を確立し続けていることにも頷けます」
神崎氏は、素直な感想を口にした。
「いえいえ、うちは分家ですから。……ですが、この縁談には、本家も注目しているんですよ」
医学会を牽引してきた神崎総合病院と、一流の製薬メーカーである柳瀬製薬が血縁関係を結ぶことでできれば、双方の地位はより強固なものになるだろう。けれど、懸念点がないわけではない。
「そういえば、小耳に挟んだのですが、柳瀬製薬は昨今ジェネリックの方に注力されているとか、」
「数年前に社長が交代しましたからな。経営方針を見直しによるものでしょう」
「それだけでしょうか」
小さな疑惑を口にする招待客に、柳瀬氏は眉を曇らせて、後方に視線を流した。
「優人、」
呼ばれた青年は、壮年の紳士たちを見比べると、ゆっくりと頭を下げた。
「私はこの辺で失礼致します」
茶事の途中ではあったが、父親の無言の圧力に柳瀬優人は退室を余儀なくされた。
「今度は、優人くんの点てた茶も頂けますか?」
顔をあげた青年に、神崎氏は優しく声をかけた。
「ありがとうございます。ご満足いただけるように精進いたします」
優人は、微笑む客人に安堵の息を吐いて、もう一度、会釈をしたのであった。
亭主は茶碗に茶筅を沈め、「の」の文を描くと、慣れた手つきで茶を練っていく。すっと手を捻り茶筅を引けば、深緑の濃茶が艶やかな光を放つ。茶碗を畳の縁の外に静かに置くと、亭主の後方に控えていた半東が正座のままにじり寄る。茶碗を手に取り、正客の前に運ぶと、三指をついて頭を下げる。顔をあげると、白髪交じりの正客が微笑んでいた。
半東を務める柳瀬優人は、一瞬、息を呑んだが、そのまま音を立てずに亭主の後ろに下がった。
「お手前頂戴いたします」
神崎氏は、茶を点てた柳瀬氏に礼を述べると、茶碗を手に取った。赤土色の茶碗は、一見素朴でありながら、よく手に馴染む。僅かに茶碗を回して、口をつけた。濃い抹茶の苦味の後には、豊かな香りと品のよい甘味が広がった。拘りの逸品であろうことが窺える。釜の湯はぐつぐつと煮え、からりと炭が崩れた。
「お服加減はいかがですか」
柳瀬氏が尋ねれば、正客は茶碗を左手に持ったまま、右手を膝前についた。
「たいへん結構でございます。お茶銘はどちらですか?」
神崎氏は茶道に精通しているわけではなかったが、それでも、自身の知り得る知識で、茶道具のひとつひとつを尋ねた。茶室にある総ての品は、この祝い席のために揃えられたものである。掛け軸も、花入れも、香合も、芸術品のように美しい。
「柳瀬さんが、これほど茶道に精通されていらっしゃるとは、」
「なに、下手の横好きですよ」
小柄な亭主は、得意そうに口角を持ち上げて言葉を続ける。
「しかし、茶は仙薬と呼ばれた時代もありましたからな。少し縁のようなものを感じます」
「頭が下がります。さすがは柳瀬製薬ですね。新薬開発の分野でも先駆者の地位を確立し続けていることにも頷けます」
神崎氏は、素直な感想を口にした。
「いえいえ、うちは分家ですから。……ですが、この縁談には、本家も注目しているんですよ」
医学会を牽引してきた神崎総合病院と、一流の製薬メーカーである柳瀬製薬が血縁関係を結ぶことでできれば、双方の地位はより強固なものになるだろう。けれど、懸念点がないわけではない。
「そういえば、小耳に挟んだのですが、柳瀬製薬は昨今ジェネリックの方に注力されているとか、」
「数年前に社長が交代しましたからな。経営方針を見直しによるものでしょう」
「それだけでしょうか」
小さな疑惑を口にする招待客に、柳瀬氏は眉を曇らせて、後方に視線を流した。
「優人、」
呼ばれた青年は、壮年の紳士たちを見比べると、ゆっくりと頭を下げた。
「私はこの辺で失礼致します」
茶事の途中ではあったが、父親の無言の圧力に柳瀬優人は退室を余儀なくされた。
「今度は、優人くんの点てた茶も頂けますか?」
顔をあげた青年に、神崎氏は優しく声をかけた。
「ありがとうございます。ご満足いただけるように精進いたします」
優人は、微笑む客人に安堵の息を吐いて、もう一度、会釈をしたのであった。
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