Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

文字の大きさ
167 / 168
最期の選択

第167幕

しおりを挟む
 神崎響が海辺の別荘に乗り込んでから二十分程が経過していた。

 無断外泊した河島隼人が再び門限を破り、帰寮の気配がないとあって寮長や母親から着信が相次いだが、隼人はそれらを無視して、スマホを握り締めながら一分、一分を待ちわびていた。

 それでも逸る気持ちは抑えきれず、隼人は車から降りると海辺の絶壁まで歩いて、堤防の柵に手をつくと、夜の海を眺めた。吹き抜ける潮風は刺すような冷たさで、隼人の高揚を冷ましていくようである。

 闇が覆い尽くす空には、大きな満月が浮かんでいた。

「薫、無事でいてくれ」

 河島隼人は、溢れる想いを口にする。そうして、踏み入れることの敵わない別荘を恨めしそうに見つめるばかりであった。


 神崎響が意識を飛ばしていたのは、ほんの僅かな時間であった。瞼を持ち上げて、軽く頭を振る。ぐわんぐわんと鈍い痛みを伴いながらも、響は顔をあげた。
 こめかみから、つぅと赤い血が滴り落ちる。

「起きたか」
「……ッ……結城ッ」

 腕を組み、壁に肩を預けた気だるげな男が視界に入り、響は飛びかかろうとした。が、それは敵わず、ぐいっと後ろに引かれる。後ろ手に手錠をかけられ、ベッドの足にくくりつけられているのだと気づき、響は目を剥いた。

「兄さん」

 結城博己の傍らには、青ざめて怯えているオメガがいた。申し訳程度に下着にシャツを羽織り、口元を抑えている。

「お前に選ばせてやると言っただろ?」

 組んでいた腕をほどくと、その手に握られている果物ナイフが露になる。その刃先は薫の鼻先に向けられて、薫の瞳は恐怖に揺れた。

「薫に手を出すな!」

 捕らわれたアルファには、叫ぶことしかできない。博己の手が伸びて、優しく薫の頬を撫で、それから首筋に手を滑らせた。オメガを縛る首輪がカチンと金属音を響かせて、するりと床に落ちる。

「お前の兄貴は、お前と番になりたいそうだ」
「………え」
「ここで噛まれて番になるか?」

 博己の指が不遇のオメガの首筋を撫でる。予想外の申し出に、薫の頭は真っ白になった。

「なにを、考えてる?」

 瞳を赤く染めたアルファを一瞥すると、困惑している薫に、博己は続けた。

「番の契約は、死を別つまで。どちらかが死ねば破棄されるそうだな」

 博己は暗い瞳で笑う。薫に向けられた刃は、冷たい薫の手に握らされる。

「あの男を殺して、俺の番になるか?」
「え、」

 甘い声色で囁かれて、薫はびくりと肩を震わせた。

「……聞くな!  アルファが死んでも契約が解除される保証なんて、」
「どうでもいい」

 騒ぎ立てる狼を、博己は喉の奥で笑う。ガタガタと震える手に手を重ね、博己は優しく語りかける。

「お前があの男をここで殺すなら、俺はお前を番として認めてやってもいい」
「そんなこと……できるわけ、」
「なら、あいつと番になるんだな」

 博己の手が背中を押した。

 これが結城博己が課した選択だというのだろうか。神崎響と再び番になるか、神崎響を殺めて結城博己と番になるか。

 薫はナイフを握ったまま、ふらふらと響のもとに歩み寄る。怯えるオメガを宥めるように響は微笑みかけた。それでも、震える刃先は響の胸に向けられる。
 
「……薫、ナイフを下ろすんだ、」
「兄さんは他の人と結婚するんだよね」
「俺は誰とも結婚なんてしない。約束しただろ?  番になって、二人で旅をしようって……」

 いつか語り合った甘い夢。けれど、薫には届かない。

「兄さん、俺、博己と番になりたいんだ」

 薫の告白に、響は気が遠くなる。運命の番など、お伽噺に過ぎない。本当に薫を愛しているのは、俺しかいないのに。

「……大丈夫だ。俺と番になれば、そんな気も起きなくなる。今は悪い夢を見てるだけだ」
「悪い夢?」
「そうだ。俺なら薫を幸せにできる」

 これが悪夢だとするならば、目が覚めれば、この魂は何処にいくのだろう。

 救いを求めて、博己に視線を送れば、冷徹なアルファは、じっと薫を射抜いていた。その瞳の色は、冷たく、痛々しく、諦念に染まっている。

 神崎響と番になったならば、博己の魂は何処へいくのだろう。

「さあ、薫……」

 薫の白い首筋に、響は舌先を這わせた。その生ぬるい感触に、薫は我にかえる。髪を振り乱し、瞳を赤く充血させ、必死の形相の兄は、薫の知っている兄ではなかった。

 冷たい潮風が、カーテンを揺らす。薫は後退り、響に背を向け駆け出した。窓から飛び出して、バルコニーの手すりから海を見下ろした。そこには、波が打ち寄せて渦巻いている深淵が広がっている。

 逃げ場など、何処にもない。

「薫!」

 響の声が闇夜を切り裂く。

「何している」

 怒気を含んだ低い声は、博己である。

「来ないで!」

 バルコニーに足を踏み入れた博己に、薫は叫んだ。手にしたナイフを自らの喉に向ける。博己は足を止めて、片眉をあげた。

「やっぱり、兄さんと番にはなれない」

 薫の視線は部屋の奥。ベッドに繋がれた兄に向けられた。響の顔から血の気が引いていく。

「でも、兄さんを、殺すこともできない」

 博己が一歩踏み込んだ。

「薫!」

 遠くから小さな声が聞こえた。遠くの岩肌の柵から隼人が叫んでいた。
 薫は困ったように微笑んだ。忘れてくれと頼んだけれど、河島隼人は忘れてくれたりはしなかった。

 薫は喉にナイフを宛てたまま、手すりによじ登る。薫が成そうとしていることを察して、博己は駆け寄ろうとした。

「……博己と、番になりたかった」

 薫は最期の言葉を遺す。博己の腕は、薫には届かない。不遇のオメガは、手すりを蹴って、ふわりと飛躍した。

「薫ーーー!」

 叫ぶ声は隼人のものであった。悲痛に歪める顔に、薫は笑う。皮肉なことに、河島隼人が見届けたかった満面の笑みであった。

 初めて自ら導きだした選択。今、この瞬間、薫はこの世界で誰よりも自由であった。

「逃がさない」

 博己はぽつりと呟いた。魂の片割れは、最期まで博己から背を向けた。そんなことが許されるはずもない。

 孤高の狼にとって、尊厳は命よりも重い。

 博己は、なんの迷いもなく、手すりに足をかけ、薫の背中を追うように飛び降りる。手を伸ばす先は、奈落でしかなかったけれど。

「博己!」

 隼人は驚愕する。

 こうして、崖下に堕ちていくオメガとアルファは、漆黒の深淵に吸い込まれていったのである。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ちゃんちゃら

三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…? 夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。 ビター色の強いオメガバースラブロマンス。

僕がそばにいる理由

腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。 そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。 しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。 束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。 愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。

あまく、とろけて、開くオメガ

藍沢真啓/庚あき
BL
オメガの市居憂璃は同じオメガの実母に売られた。 北関東圏を支配するアルファの男、玉之浦椿に。 ガリガリに痩せた子は売れないと、男の眼で商品として価値があがるように教育される。 出会ってから三年。その流れゆく時間の中で、男の態度が商品と管理する関係とは違うと感じるようになる憂璃。 優しく、大切に扱ってくれるのは、自分が商品だから。 勘違いしてはいけないと律する憂璃の前に、自分を売った母が現れ── はぴまり~薄幸オメガは溺愛アルファ~等のオメガバースシリーズと同じ世界線。 秘密のあるスパダリ若頭アルファ×不憫アルビノオメガの両片想いラブ。

花喰らうオメガと運命の溺愛アルファ

哀木ストリーム
BL
αからの支配から逃げるには、この方法しかなかった。 Ωの辰紀は、αが苦手とする強い匂いを放つ花を、ヒートが始まる前から祖母に食べさせられていた。 そのおかげでヒート中にαに襲われることから逃れていた。  そして祖母が亡くなったある日。両親に売られてしまった祖母の形見を探しに骨董品屋に向かうと、先に祖母の形見を集めているαの有栖川竜仁と出会う。彼を騙して祖母の形見を回収しようとしていたが、彼には花の匂いが効かなかった。それどころか両親が隠したはずの首輪の鍵を持っていて、番にされてしまう。 「その花は、Ωを守る花ではない。喰らわれるのは君の方だよ」  花の中毒症状から救おうと手を差し伸べる竜仁。  彼は、祖母を苦しめたαの孫だと知りーー。 11月から更新します。

【本編完結】偽物の番

麻路なぎ
BL
α×β、オメガバース。 大学に入ったら世界は広がると思っていた。 なのに、友達がアルファとオメガでしかも運命の番であることが分かったことから、俺の生活は一変してしまう。 「お前が身代わりになれよ?」 俺はオメガの身代わりに、病んだアルファの友達に抱かれることになる。 卒業まで限定の、偽物の番として。 ※フジョッシー、ムーンライトにも投稿 イラストはBEEBARさん ※DLsiteがるまにより「偽物の番 上巻・中巻・下巻」配信中 ※フジョッシー小説大賞一次選考通過したよ

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

処理中です...