81 / 95
12月25日(火)
第79話
しおりを挟む
「お疲れ様です」
営業部のフロアに足を踏み入れると、数名の視線がこちらに集まって、口々に「お疲れ様でーす」と返ってくる。
彼等に軽い会釈を返しながら、フロアに足を踏み入れたはいいが、一番奥にある営業本部長席が空席であることに気がついた。
「吉田、松島本部長って離席中か?」
「あれ、煙草休憩でも行ったかな」
仕方なく、近くの吉田の席に歩み寄って訊ねてみたが、同期の男は本部長席を軽く一瞥すると、気のない返事をした。
篠田マネージャーから書類を預り、松島本部長に手渡すという、簡単なお使いであったが、事前に内線の一本もしてくればよかったかなぁ、なんて頭をかいた。
吉田に付箋とペンを借りて、伝言を走り書きして書類に貼りつける。
社内文書の大半は、WEB上で完結できるようになったが、社外と取り交わす書類は未だに紙が主体である。完全なペーパレスの時代は、一体、いつになったら実現するのだろうか。
「っていうか、お前さ、俺に言うことあるんじゃねぇの?」
借りたペンを返すと、吉田が片眉を上げて、文句を言いたげに口元を歪めた。
「あ! メリークリスマス!」
思い付きをそのまま口にすると、吉田が「メリークリスマス……じゃねぇよ」と吹き出した。騒がしいフロアの中でも、俺達のやり取りは筒抜けらしく、周囲からクスクスと小さな笑い声が上がった。けれど、他に思い当たる節などない。
「そうだ。これやるよ」
吉田はディスクの引き出しから小さな箱を取り出して、俺の方に軽く投げて寄越した。書類を抑えながら、片手で受け取る。
「ゴルフボールか?」
「そ。コンペの景品のあまり。お前、そういうの好きだろ?」
三つ入りのゴルフボールの箱には、某有名ロボットアニメの機体が描かれている。もしかすると限定品かもしれない。
「こんなのあるんだな。ありがとう」
「それをもらったからには、来春のコンペには出ろよ」
「そういうことか……前向きに検討はさせていただきます」
入社して二、三年目の頃に吉田に誘われてゴルフを始めたものの、社外勤務が続いたり、本社に戻ってからも仕事に追われてしまい、すっかりゴルフクラブを握る機会は減ってしまった。年に何度か開催される社内コンペの案内も、ここ数年はスキップしてしまっている。もし、来春のコンペに参加するなら、今からでも真面目に練習しなければ、この鈍った腕ではマトモにラウンドを回れないだろう。
「で、話を戻して、俺に言うことだけど……」
「なんだ、ゴルフじゃないのか」
吉田は、溜め息混じりに唇を歪ませて、じぃと見上げてきた。
「来月から、社外勤務とか聞いてねーんだけど」
「そうだったか?」
「神戸行った後、そのままM社勤務になるんだろ?」
「まあ」
「俺とのサシ飲み、流そうとしてないか?」
「……んー、月に二回ぐらいは帰社つもりだから、その時にでも」
「お前さぁ、俺だけ対応がザツすぎないか?」
「そんなこと……あるかもな」
「あるのかよ」
「まあ、吉田だからな」
悪態をつきながら吉田と顔を見合わせて、小さく笑い合った。部署は違ってはいたが、同期の中では一番気が合ったし、従事している仕事が違うからこそ、気軽に愚痴を言い合えたり、互いの仕事の進め方の違いが参考になったりもした。
吉田には、あまり気を使わなくていいし、吉田からも気を使われている気がしない。
「ひゃ……!」
いきなり尻を鷲掴みにされて、口から変な声が飛び出した。昨日の情事の名残のように、まだ尻には違和感があって、余計に反応してしまう。振り返ると、ニヤニヤしている男の顔があった。
「ちょっと、止めてくださいよ」
「あはは、楽しそうだったんで、ついな」
苦笑いして、尻を掴んでいる手を振り払う。そうして、ガキ臭い悪戯を仕掛けてきた営業部長に向き直る。営業部のボスらしく、年相応の貫禄と、年に似つかわしくない快活さを併せ持つ大柄の男は、普段は鋭い目付きをしているが、今は愉快そうに顔をほころばせていた。
「それにしても、瀬川くんが営業部に顔出すなんて、珍しいな」
「そうですか?……あ、これ、松島本部長に篠田さんからクリスマスプレゼントだそうです」
「げぇ、いらねー」
分厚い書類の束を差し出すと、本部長は眉を寄せながらも快く受け取って、その場でパラパラと軽く捲って目を通す。
「あ、松島部長、来春のコンペは瀬川も参加するそうですよ」
「え、いや、まだ……」
「お、いいね! じゃあ、吉田くん、俺は瀬川くんと同じグループにしてくれよ。営業部の連中の顔は見飽きたから」
「承知しましたー」
本部長が愉そうに笑いながら自席に戻っていく。その後ろ姿を見送って、次回のコンペの幹事を引き受けているらしい吉田を軽く睨む。
吉田というと、してやったり顔で笑いかけてきた。
「吉田、俺まだ参加するなんて言ってないんだけど」
「そうだったか? でも、これで参加確定だな」
「ハンデ、色を付けろよ」
外堀を埋められて、降参させられた。吉田は「前向きに検討させていただきます」なんて、嘘臭い顔で笑って応えた。
営業部のフロアに足を踏み入れると、数名の視線がこちらに集まって、口々に「お疲れ様でーす」と返ってくる。
彼等に軽い会釈を返しながら、フロアに足を踏み入れたはいいが、一番奥にある営業本部長席が空席であることに気がついた。
「吉田、松島本部長って離席中か?」
「あれ、煙草休憩でも行ったかな」
仕方なく、近くの吉田の席に歩み寄って訊ねてみたが、同期の男は本部長席を軽く一瞥すると、気のない返事をした。
篠田マネージャーから書類を預り、松島本部長に手渡すという、簡単なお使いであったが、事前に内線の一本もしてくればよかったかなぁ、なんて頭をかいた。
吉田に付箋とペンを借りて、伝言を走り書きして書類に貼りつける。
社内文書の大半は、WEB上で完結できるようになったが、社外と取り交わす書類は未だに紙が主体である。完全なペーパレスの時代は、一体、いつになったら実現するのだろうか。
「っていうか、お前さ、俺に言うことあるんじゃねぇの?」
借りたペンを返すと、吉田が片眉を上げて、文句を言いたげに口元を歪めた。
「あ! メリークリスマス!」
思い付きをそのまま口にすると、吉田が「メリークリスマス……じゃねぇよ」と吹き出した。騒がしいフロアの中でも、俺達のやり取りは筒抜けらしく、周囲からクスクスと小さな笑い声が上がった。けれど、他に思い当たる節などない。
「そうだ。これやるよ」
吉田はディスクの引き出しから小さな箱を取り出して、俺の方に軽く投げて寄越した。書類を抑えながら、片手で受け取る。
「ゴルフボールか?」
「そ。コンペの景品のあまり。お前、そういうの好きだろ?」
三つ入りのゴルフボールの箱には、某有名ロボットアニメの機体が描かれている。もしかすると限定品かもしれない。
「こんなのあるんだな。ありがとう」
「それをもらったからには、来春のコンペには出ろよ」
「そういうことか……前向きに検討はさせていただきます」
入社して二、三年目の頃に吉田に誘われてゴルフを始めたものの、社外勤務が続いたり、本社に戻ってからも仕事に追われてしまい、すっかりゴルフクラブを握る機会は減ってしまった。年に何度か開催される社内コンペの案内も、ここ数年はスキップしてしまっている。もし、来春のコンペに参加するなら、今からでも真面目に練習しなければ、この鈍った腕ではマトモにラウンドを回れないだろう。
「で、話を戻して、俺に言うことだけど……」
「なんだ、ゴルフじゃないのか」
吉田は、溜め息混じりに唇を歪ませて、じぃと見上げてきた。
「来月から、社外勤務とか聞いてねーんだけど」
「そうだったか?」
「神戸行った後、そのままM社勤務になるんだろ?」
「まあ」
「俺とのサシ飲み、流そうとしてないか?」
「……んー、月に二回ぐらいは帰社つもりだから、その時にでも」
「お前さぁ、俺だけ対応がザツすぎないか?」
「そんなこと……あるかもな」
「あるのかよ」
「まあ、吉田だからな」
悪態をつきながら吉田と顔を見合わせて、小さく笑い合った。部署は違ってはいたが、同期の中では一番気が合ったし、従事している仕事が違うからこそ、気軽に愚痴を言い合えたり、互いの仕事の進め方の違いが参考になったりもした。
吉田には、あまり気を使わなくていいし、吉田からも気を使われている気がしない。
「ひゃ……!」
いきなり尻を鷲掴みにされて、口から変な声が飛び出した。昨日の情事の名残のように、まだ尻には違和感があって、余計に反応してしまう。振り返ると、ニヤニヤしている男の顔があった。
「ちょっと、止めてくださいよ」
「あはは、楽しそうだったんで、ついな」
苦笑いして、尻を掴んでいる手を振り払う。そうして、ガキ臭い悪戯を仕掛けてきた営業部長に向き直る。営業部のボスらしく、年相応の貫禄と、年に似つかわしくない快活さを併せ持つ大柄の男は、普段は鋭い目付きをしているが、今は愉快そうに顔をほころばせていた。
「それにしても、瀬川くんが営業部に顔出すなんて、珍しいな」
「そうですか?……あ、これ、松島本部長に篠田さんからクリスマスプレゼントだそうです」
「げぇ、いらねー」
分厚い書類の束を差し出すと、本部長は眉を寄せながらも快く受け取って、その場でパラパラと軽く捲って目を通す。
「あ、松島部長、来春のコンペは瀬川も参加するそうですよ」
「え、いや、まだ……」
「お、いいね! じゃあ、吉田くん、俺は瀬川くんと同じグループにしてくれよ。営業部の連中の顔は見飽きたから」
「承知しましたー」
本部長が愉そうに笑いながら自席に戻っていく。その後ろ姿を見送って、次回のコンペの幹事を引き受けているらしい吉田を軽く睨む。
吉田というと、してやったり顔で笑いかけてきた。
「吉田、俺まだ参加するなんて言ってないんだけど」
「そうだったか? でも、これで参加確定だな」
「ハンデ、色を付けろよ」
外堀を埋められて、降参させられた。吉田は「前向きに検討させていただきます」なんて、嘘臭い顔で笑って応えた。
5
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
優しく恋心奪われて
静羽(しずは)
BL
新人社員・湊が配属されたのは社内でも一目置かれる綾瀬のチームだった。
厳しくて近寄りがたい、、、そう思っていたはずの先輩はなぜか湊の些細な動きにだけ視線を留める。
綾瀬は自覚している。
自分が男を好きになることも、そして湊に一目で惹かれてしまったことも。
一方の湊は、まだ知らない。
自分がノーマルだと思っていたのにこの胸のざわつきは、、、。
二人の距離は、少しずつ近づいていく。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる