そのエラーはハンドリングできません

nao@そのエラー完結

文字の大きさ
87 / 95
12月28日(金)

第85話

しおりを挟む
「お待ちしていました」

 黒服の男がにこやかに頭を下げるのを軽く会釈して通り過ぎる。
 促されるままにコートを脱いで男に預け、豪奢な廊下を進めば、薄暗い照明に落ち着いた空間が広がっていた。席はほとんど埋まっているようで、あちらこちらから、時折、男と女の控えめな笑い声が聞こえている。

「いらっしゃいませ」

 音もなく現れたのは、上質な白い着物の女性である。大きな夜会巻きに、夜の蝶の華やかさと貫禄を纏い、この城の主であることを自ずと感じさせていた。

「あら、まあ、篠田さん、こんなに若い子たちを連れて来られたんですか?」
「たまには、悪くないだろう?……こっちは本当に若いけれど、こっちは若く見えるだけだな」

 篠田マネージャーに「若く見えるだけ」の方で紹介されて、苦笑いする。

「あらー? えっと『ゆうちゃん』?」
「よく覚えてらっしゃいますね」
「いやだわ、こんなにカワイイ子の顔は忘れませんよ」

 嫌みのないお世辞に、苦笑いする。独特の雰囲気に飲まれたのか、緊張気味に微笑んでいる矢口に、ママが少し大袈裟に笑いかける。

「こちらは俳優さんかしら?」
「そんな、ただの会社員ですよ」
「あら、本当に最近の男の子は綺麗な子が多いこと」

 ほほ、と口元に手を添えて静かに笑うママは、やはり風格と気品がある。

 案内されるままに、奥のソファ席に腰を下ろすと、胸元の開いた赤いドレスを着た同年代と思われる女性が頭を下げて、俺の隣に腰かけた。絶妙なタイミングで温かいお絞りを手渡される。

「矢口くんは、こういう店は初めてだったかな?」
「……はい。……俺、ちょっと場違いでは?」

 矢口が辺りを見回して、困ったように笑う。重厚感が漂う店内は、まさに大人の社交場の風格で、客層も洗練された大人の男性が相応しい。俺や矢口のような若僧が、ひとりでフラリと立ち寄れるような店ではない。

「まあ、そのうち、慣れるさ。ちゃんと楽しんでくれよ。この席、高いんだからな?」

 篠田マネージャーが冗談ぽく笑って見せた。まあ、冗談ではなく、本当に高いのだけれど。ママが隣で嬉しそうに微笑む。

「皆さん、ウイスキーで?」

 篠田マネージャーが頷くと、ママの合図で黒服がウイスキーボトルを差し出してきた。受け取ったママは、軽くボトルを振る。

「……あら、残念、もう残りが少ないみたいね」
「じゃあ、ボトル入れてくれるかな?」
「ふふ、ありがとうございます」

 赤いドレスの女性が静かにグラスを用意してくれる。

「マリちゃん、ゆうちゃんは……」

 ママは、口には出さずに指先でメモリを指示した。その合図を受け取って、綺麗に手入れをされた爪のマリちゃんは、ウイスキーをほんの少しだけ注いで、俺を上目使いで見つめてきた。

「このぐらいで、大丈夫ですか?」
「あーそうだね、ありがとう」

 ママは、客一人一人の酒の割り方まで覚えているらしく、下戸の俺に合わせて、ほとんど水のウイスキーが作られた。

「緊張されてるんですか? 可愛い」

 困ったように微笑む矢口の隣には、深い緑のタイトなドレスの女性が座る。矢口には、比較的若い女の子を充てられたようだ。女優のように美しく、知的な雰囲気を纏っている。そんな彼女の隣に並んでも、霞むことなく絵になる矢口の容姿は、やはり特別な気がした。

「混んでいるところ、無理言って悪かったね」
「いいえ、篠田さんの顔が見れて嬉しいですわ。それに、こんなイケメンの子たちを連れてきてくださって」

 篠田マネージャーが上機嫌でママと談笑を始めた。口寂しくて、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えると、ライターを探す間もなく、マリちゃんが火を付けてくれる。

「ありがとう」
「ゆうちゃんさんは……」
「あはは、『ゆうちゃん』でいいよ」

 初回に来店したときに、先輩にふざけて「ゆうちゃん」と呼ばれたのがキッカケで、この店では俺は「ゆうちゃん」で通っている。彼女に無理やり「さん」付けされて、くすぐったくて訂正した。

「ゆうちゃんとそちらのイケメンさんは同期なんですか?」
「……あー、俺が先輩で、こっちは俺の後輩だよ」
「え、そうなんですか?」

 マリちゃんは大袈裟に目を丸くして口元を両手で抑えた。

「俺の方が先輩に見えました?」

 矢口が得意そうに笑いながら、こちらに振り向いた。その様子に赤いドレスと緑のドレスの女の子が顔を見合わせて、ふふっと笑う。矢口の緊張が、ほどけていくのを感じた。
 ふっと、紫煙を吐き出して、苦笑いする。

 上手いな、と思った。
 彼女たちは接客のプロとして、誇りを持って俺たちに接してくれている。そうして、頭のてっぺんから足先まで値踏みをされて、男ぶりを観察されているのだろう。

 こちらは客の身ではあるけれど、決して上の立場ではない。リラックスしながらも、僅かに緊張感を残して、相手の心を掴む術を探り合う。
 そういう遊びの場なのだ。この店は、うちの会社が接待でも利用する高級店であることは疑いようもない。
 他のグループ長や営業部も利用していることを知っている。

 満足そうにママと談笑している篠田マネージャーに視線を投げた。
 何気なく誘ったように見せかけて、男をあげろ、こういう店が似合う男になれ、と言う無言の重圧を感じ取ってしまうのは、俺の深読みが過ぎるのだろうか。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

死ぬほど嫌いな上司と付き合いました

三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。 皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。 涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥ 上司×部下BL

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

優しく恋心奪われて

静羽(しずは)
BL
新人社員・湊が配属されたのは社内でも一目置かれる綾瀬のチームだった。 厳しくて近寄りがたい、、、そう思っていたはずの先輩はなぜか湊の些細な動きにだけ視線を留める。 綾瀬は自覚している。 自分が男を好きになることも、そして湊に一目で惹かれてしまったことも。 一方の湊は、まだ知らない。 自分がノーマルだと思っていたのにこの胸のざわつきは、、、。 二人の距離は、少しずつ近づいていく。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

処理中です...