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12月28日(金)
第85話
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「お待ちしていました」
黒服の男がにこやかに頭を下げるのを軽く会釈して通り過ぎる。
促されるままにコートを脱いで男に預け、豪奢な廊下を進めば、薄暗い照明に落ち着いた空間が広がっていた。席はほとんど埋まっているようで、あちらこちらから、時折、男と女の控えめな笑い声が聞こえている。
「いらっしゃいませ」
音もなく現れたのは、上質な白い着物の女性である。大きな夜会巻きに、夜の蝶の華やかさと貫禄を纏い、この城の主であることを自ずと感じさせていた。
「あら、まあ、篠田さん、こんなに若い子たちを連れて来られたんですか?」
「たまには、悪くないだろう?……こっちは本当に若いけれど、こっちは若く見えるだけだな」
篠田マネージャーに「若く見えるだけ」の方で紹介されて、苦笑いする。
「あらー? えっと『ゆうちゃん』?」
「よく覚えてらっしゃいますね」
「いやだわ、こんなにカワイイ子の顔は忘れませんよ」
嫌みのないお世辞に、苦笑いする。独特の雰囲気に飲まれたのか、緊張気味に微笑んでいる矢口に、ママが少し大袈裟に笑いかける。
「こちらは俳優さんかしら?」
「そんな、ただの会社員ですよ」
「あら、本当に最近の男の子は綺麗な子が多いこと」
ほほ、と口元に手を添えて静かに笑うママは、やはり風格と気品がある。
案内されるままに、奥のソファ席に腰を下ろすと、胸元の開いた赤いドレスを着た同年代と思われる女性が頭を下げて、俺の隣に腰かけた。絶妙なタイミングで温かいお絞りを手渡される。
「矢口くんは、こういう店は初めてだったかな?」
「……はい。……俺、ちょっと場違いでは?」
矢口が辺りを見回して、困ったように笑う。重厚感が漂う店内は、まさに大人の社交場の風格で、客層も洗練された大人の男性が相応しい。俺や矢口のような若僧が、ひとりでフラリと立ち寄れるような店ではない。
「まあ、そのうち、慣れるさ。ちゃんと楽しんでくれよ。この席、高いんだからな?」
篠田マネージャーが冗談ぽく笑って見せた。まあ、冗談ではなく、本当に高いのだけれど。ママが隣で嬉しそうに微笑む。
「皆さん、ウイスキーで?」
篠田マネージャーが頷くと、ママの合図で黒服がウイスキーボトルを差し出してきた。受け取ったママは、軽くボトルを振る。
「……あら、残念、もう残りが少ないみたいね」
「じゃあ、ボトル入れてくれるかな?」
「ふふ、ありがとうございます」
赤いドレスの女性が静かにグラスを用意してくれる。
「マリちゃん、ゆうちゃんは……」
ママは、口には出さずに指先でメモリを指示した。その合図を受け取って、綺麗に手入れをされた爪のマリちゃんは、ウイスキーをほんの少しだけ注いで、俺を上目使いで見つめてきた。
「このぐらいで、大丈夫ですか?」
「あーそうだね、ありがとう」
ママは、客一人一人の酒の割り方まで覚えているらしく、下戸の俺に合わせて、ほとんど水のウイスキーが作られた。
「緊張されてるんですか? 可愛い」
困ったように微笑む矢口の隣には、深い緑のタイトなドレスの女性が座る。矢口には、比較的若い女の子を充てられたようだ。女優のように美しく、知的な雰囲気を纏っている。そんな彼女の隣に並んでも、霞むことなく絵になる矢口の容姿は、やはり特別な気がした。
「混んでいるところ、無理言って悪かったね」
「いいえ、篠田さんの顔が見れて嬉しいですわ。それに、こんなイケメンの子たちを連れてきてくださって」
篠田マネージャーが上機嫌でママと談笑を始めた。口寂しくて、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えると、ライターを探す間もなく、マリちゃんが火を付けてくれる。
「ありがとう」
「ゆうちゃんさんは……」
「あはは、『ゆうちゃん』でいいよ」
初回に来店したときに、先輩にふざけて「ゆうちゃん」と呼ばれたのがキッカケで、この店では俺は「ゆうちゃん」で通っている。彼女に無理やり「さん」付けされて、くすぐったくて訂正した。
「ゆうちゃんとそちらのイケメンさんは同期なんですか?」
「……あー、俺が先輩で、こっちは俺の後輩だよ」
「え、そうなんですか?」
マリちゃんは大袈裟に目を丸くして口元を両手で抑えた。
「俺の方が先輩に見えました?」
矢口が得意そうに笑いながら、こちらに振り向いた。その様子に赤いドレスと緑のドレスの女の子が顔を見合わせて、ふふっと笑う。矢口の緊張が、ほどけていくのを感じた。
ふっと、紫煙を吐き出して、苦笑いする。
上手いな、と思った。
彼女たちは接客のプロとして、誇りを持って俺たちに接してくれている。そうして、頭のてっぺんから足先まで値踏みをされて、男ぶりを観察されているのだろう。
こちらは客の身ではあるけれど、決して上の立場ではない。リラックスしながらも、僅かに緊張感を残して、相手の心を掴む術を探り合う。
そういう遊びの場なのだ。この店は、うちの会社が接待でも利用する高級店であることは疑いようもない。
他のグループ長や営業部も利用していることを知っている。
満足そうにママと談笑している篠田マネージャーに視線を投げた。
何気なく誘ったように見せかけて、男をあげろ、こういう店が似合う男になれ、と言う無言の重圧を感じ取ってしまうのは、俺の深読みが過ぎるのだろうか。
黒服の男がにこやかに頭を下げるのを軽く会釈して通り過ぎる。
促されるままにコートを脱いで男に預け、豪奢な廊下を進めば、薄暗い照明に落ち着いた空間が広がっていた。席はほとんど埋まっているようで、あちらこちらから、時折、男と女の控えめな笑い声が聞こえている。
「いらっしゃいませ」
音もなく現れたのは、上質な白い着物の女性である。大きな夜会巻きに、夜の蝶の華やかさと貫禄を纏い、この城の主であることを自ずと感じさせていた。
「あら、まあ、篠田さん、こんなに若い子たちを連れて来られたんですか?」
「たまには、悪くないだろう?……こっちは本当に若いけれど、こっちは若く見えるだけだな」
篠田マネージャーに「若く見えるだけ」の方で紹介されて、苦笑いする。
「あらー? えっと『ゆうちゃん』?」
「よく覚えてらっしゃいますね」
「いやだわ、こんなにカワイイ子の顔は忘れませんよ」
嫌みのないお世辞に、苦笑いする。独特の雰囲気に飲まれたのか、緊張気味に微笑んでいる矢口に、ママが少し大袈裟に笑いかける。
「こちらは俳優さんかしら?」
「そんな、ただの会社員ですよ」
「あら、本当に最近の男の子は綺麗な子が多いこと」
ほほ、と口元に手を添えて静かに笑うママは、やはり風格と気品がある。
案内されるままに、奥のソファ席に腰を下ろすと、胸元の開いた赤いドレスを着た同年代と思われる女性が頭を下げて、俺の隣に腰かけた。絶妙なタイミングで温かいお絞りを手渡される。
「矢口くんは、こういう店は初めてだったかな?」
「……はい。……俺、ちょっと場違いでは?」
矢口が辺りを見回して、困ったように笑う。重厚感が漂う店内は、まさに大人の社交場の風格で、客層も洗練された大人の男性が相応しい。俺や矢口のような若僧が、ひとりでフラリと立ち寄れるような店ではない。
「まあ、そのうち、慣れるさ。ちゃんと楽しんでくれよ。この席、高いんだからな?」
篠田マネージャーが冗談ぽく笑って見せた。まあ、冗談ではなく、本当に高いのだけれど。ママが隣で嬉しそうに微笑む。
「皆さん、ウイスキーで?」
篠田マネージャーが頷くと、ママの合図で黒服がウイスキーボトルを差し出してきた。受け取ったママは、軽くボトルを振る。
「……あら、残念、もう残りが少ないみたいね」
「じゃあ、ボトル入れてくれるかな?」
「ふふ、ありがとうございます」
赤いドレスの女性が静かにグラスを用意してくれる。
「マリちゃん、ゆうちゃんは……」
ママは、口には出さずに指先でメモリを指示した。その合図を受け取って、綺麗に手入れをされた爪のマリちゃんは、ウイスキーをほんの少しだけ注いで、俺を上目使いで見つめてきた。
「このぐらいで、大丈夫ですか?」
「あーそうだね、ありがとう」
ママは、客一人一人の酒の割り方まで覚えているらしく、下戸の俺に合わせて、ほとんど水のウイスキーが作られた。
「緊張されてるんですか? 可愛い」
困ったように微笑む矢口の隣には、深い緑のタイトなドレスの女性が座る。矢口には、比較的若い女の子を充てられたようだ。女優のように美しく、知的な雰囲気を纏っている。そんな彼女の隣に並んでも、霞むことなく絵になる矢口の容姿は、やはり特別な気がした。
「混んでいるところ、無理言って悪かったね」
「いいえ、篠田さんの顔が見れて嬉しいですわ。それに、こんなイケメンの子たちを連れてきてくださって」
篠田マネージャーが上機嫌でママと談笑を始めた。口寂しくて、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えると、ライターを探す間もなく、マリちゃんが火を付けてくれる。
「ありがとう」
「ゆうちゃんさんは……」
「あはは、『ゆうちゃん』でいいよ」
初回に来店したときに、先輩にふざけて「ゆうちゃん」と呼ばれたのがキッカケで、この店では俺は「ゆうちゃん」で通っている。彼女に無理やり「さん」付けされて、くすぐったくて訂正した。
「ゆうちゃんとそちらのイケメンさんは同期なんですか?」
「……あー、俺が先輩で、こっちは俺の後輩だよ」
「え、そうなんですか?」
マリちゃんは大袈裟に目を丸くして口元を両手で抑えた。
「俺の方が先輩に見えました?」
矢口が得意そうに笑いながら、こちらに振り向いた。その様子に赤いドレスと緑のドレスの女の子が顔を見合わせて、ふふっと笑う。矢口の緊張が、ほどけていくのを感じた。
ふっと、紫煙を吐き出して、苦笑いする。
上手いな、と思った。
彼女たちは接客のプロとして、誇りを持って俺たちに接してくれている。そうして、頭のてっぺんから足先まで値踏みをされて、男ぶりを観察されているのだろう。
こちらは客の身ではあるけれど、決して上の立場ではない。リラックスしながらも、僅かに緊張感を残して、相手の心を掴む術を探り合う。
そういう遊びの場なのだ。この店は、うちの会社が接待でも利用する高級店であることは疑いようもない。
他のグループ長や営業部も利用していることを知っている。
満足そうにママと談笑している篠田マネージャーに視線を投げた。
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