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12月29日(土)
第91話
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大きなベッドで仰向けに寝転がって、ぼんやりと天井を眺めた。部屋の天井は低く、鏡が貼り付けられていて、如何にもラブホテルらしさを醸し出している。
鏡の向こう側には、乱れた髪に、充血気味の目をした疲れた顔の男が映り込んでいた。そんな冴えない顔は、長くは見ていられずに、目元を腕で覆った。
バスルームからは、絶えず水音が漏れだしている。シャワーを浴びている男が戻るのを、ただ漫然と待ち続けるのにも、いい加減に飽き始めていた。
まさか、朝までバスルームで籠城するつもりじゃないだろうな、などと思い至って、息苦しいネクタイを緩めた。
バスルームのドアを控えめに開くと、暁斗はバスタブの縁に腰かけて、物思いに耽るように排水溝を眺めていた。シャワーは出しっぱなしで、暁斗の足元を濡らし続けている。
「風邪引くぞ」
声をかけると、僅かに驚いたように顔をあげる。普段は下ろしている前髪は、濡れてかきあげられていて、少し大人っぽい。
広いバスルームに備え付けられているバスタブは、丸みを帯びたひし形だった。
暁斗の視線を無視して、壁に取り付けられたボタンを押し込めば、乾いたバスタブに、勢いよく湯が吹き出した。個包装の入浴剤の封を切って、吹き上げる水源の下に垂らす。
「何してるんですか?」
「バブルバスができるらしいから、試してみようと思って」
怪訝な顔つきの男に笑いかけて、もくもくと膨れていく泡に視線を向ける。暁斗は、ジェットバスに目を落としたけれど、やはり浮かない顔のままだった。
出しっぱなしのシャワーノズルを掴んで、頭から湯を浴びた。キメの細かい熱いシャワーで、汗や埃を落とすと、幾分かスッキリした。
鏡に写る肉体は、どこからどう見ても男のもので、運動不足の三十代の筋肉は、緩やかに衰え初めて、締まりがなくなってきているような気がした。視線を感じて、振り向くと暁斗が辛気臭い顔でこちらを見上げていた。
「わ、」
ノズルを男の顔に向けると、勢いの良いシャワーが暁斗の顔面に直撃した。神妙な顔の男が、コミカルに驚いた顔に変化する様が可笑しくて、小さく吹き出すと、暁斗はケホケホと噎せ込みながら、俺を睨み付けてきた。
「なぁ、一緒に働けないって言ったのは……」
「俺がつまらない嫉妬ばかりしてるからですよね」
暁斗の隣に腰を下ろすと、男は目を伏せた。
「それは、俺も一緒だから」
冷えた暁斗の肩を揺すると、ようやく暁斗は俺の目を見た。
「俺だって、暁斗のことは『後輩』として見れなくなってきてるんだ。本当は、すぐにでも、どちらかが離脱するべきなんだと思う。でも、それだとプロジェクトが破綻してしまうし、篠田さんにも説明がつかない。だから、この先の四ヶ月は、何がなんでも、上手くやっていかないといけない。男同士の痴情の縺れに、メンバー……っていうか、佐々木くんを巻き込むのは、可哀想だろ?」
冗談ぽく笑いかけてみたけれど、暁斗は眉を曇らせているばかりだった。
男同士でなくても、恋人同士の二人が含まれているチームは、メンバーが気を使うだろうし、そんなものに巻き込まれれば士気が下がるだろう。メンバー同士なら幾分かマシかもしれないが、チームを引っ張っていくはずのリーダーがそれでは話にならない。
「俺は『後輩の矢口くん』と仕事をするのは、諦めたけど、その代わり、暁斗と付き合うことしたんだ。折角、付き合うなら、楽しまないと、だろ? この選択を後悔したくないんだ」
バスタブに浮かぶ泡を右手で掬って、暁斗の頭に乗せてみた。付き合っていなければ、ラブホテルでバブルバスを「矢口暁斗」と体験することなどあり得ない。
暁斗は立ち上がると、嫌そうに頭に乗せられた泡をシャワーで洗い流した。
「暁斗だって『先輩の瀬川さん』じゃ満足できないから、告白してきたんじゃないのか?」
暁斗は振り返って、煩わしそうに濡れた髪をかきあげた。暁斗は子供っぽくて、大人っぽくて、茶目っ気があって、色気がある。
二十代の締まった肉体に滴る水は弾けるように流れ落ちる。暁斗は俺の目の前に立って、ぐいっと顎を掴んできた。
「じゃあ、『先輩』にはできないこと、してもいいですか?」
「……あはは、今更だな」
ドキリとしたのを悟られないように、笑って誤魔化した。暁斗は俺の顎を掴んでいた手を滑らせて、首筋を通って胸を撫でた。
その手つきは、性的な意味が含んでいるようで、ぎょっとして肩が揺れる。
「暁斗、ちょっと」
抗議しようと男を見上げると、意地悪く笑っている暁斗と目があった。
「今日は、そういう気分じゃないんでしたっけ?」
本当は、俺の一方的な『先輩と後輩の決別』には、少しも納得なんてしていないのだろうと思う。
それでも、これで、なんとか落とし所を見出そうとしているような、そんな、暁斗のいじらしさを垣間見た気がした。
だから、俺には、そんな、暁斗に応える義務がある気がして、目の前の男の首に気だるげに腕を回した。
「そういう気分になってきたかも」
暁斗の唇に軽く唇を押し当てれば、暁斗は少し困ったように笑った。
もしかすると、俺の義務感のようなものを感じ取ってしまったのかもしれない。これ以上、暁斗に悟られないように、男の首を引き寄せて、耳元に唇を寄せる。
「暁斗のしたいこと、していいから」
「どうなっても、知りませんよ」
暁斗は俺の背中に手を這わせて、掠れるような小さな声で独り言のように呟いた。
鏡の向こう側には、乱れた髪に、充血気味の目をした疲れた顔の男が映り込んでいた。そんな冴えない顔は、長くは見ていられずに、目元を腕で覆った。
バスルームからは、絶えず水音が漏れだしている。シャワーを浴びている男が戻るのを、ただ漫然と待ち続けるのにも、いい加減に飽き始めていた。
まさか、朝までバスルームで籠城するつもりじゃないだろうな、などと思い至って、息苦しいネクタイを緩めた。
バスルームのドアを控えめに開くと、暁斗はバスタブの縁に腰かけて、物思いに耽るように排水溝を眺めていた。シャワーは出しっぱなしで、暁斗の足元を濡らし続けている。
「風邪引くぞ」
声をかけると、僅かに驚いたように顔をあげる。普段は下ろしている前髪は、濡れてかきあげられていて、少し大人っぽい。
広いバスルームに備え付けられているバスタブは、丸みを帯びたひし形だった。
暁斗の視線を無視して、壁に取り付けられたボタンを押し込めば、乾いたバスタブに、勢いよく湯が吹き出した。個包装の入浴剤の封を切って、吹き上げる水源の下に垂らす。
「何してるんですか?」
「バブルバスができるらしいから、試してみようと思って」
怪訝な顔つきの男に笑いかけて、もくもくと膨れていく泡に視線を向ける。暁斗は、ジェットバスに目を落としたけれど、やはり浮かない顔のままだった。
出しっぱなしのシャワーノズルを掴んで、頭から湯を浴びた。キメの細かい熱いシャワーで、汗や埃を落とすと、幾分かスッキリした。
鏡に写る肉体は、どこからどう見ても男のもので、運動不足の三十代の筋肉は、緩やかに衰え初めて、締まりがなくなってきているような気がした。視線を感じて、振り向くと暁斗が辛気臭い顔でこちらを見上げていた。
「わ、」
ノズルを男の顔に向けると、勢いの良いシャワーが暁斗の顔面に直撃した。神妙な顔の男が、コミカルに驚いた顔に変化する様が可笑しくて、小さく吹き出すと、暁斗はケホケホと噎せ込みながら、俺を睨み付けてきた。
「なぁ、一緒に働けないって言ったのは……」
「俺がつまらない嫉妬ばかりしてるからですよね」
暁斗の隣に腰を下ろすと、男は目を伏せた。
「それは、俺も一緒だから」
冷えた暁斗の肩を揺すると、ようやく暁斗は俺の目を見た。
「俺だって、暁斗のことは『後輩』として見れなくなってきてるんだ。本当は、すぐにでも、どちらかが離脱するべきなんだと思う。でも、それだとプロジェクトが破綻してしまうし、篠田さんにも説明がつかない。だから、この先の四ヶ月は、何がなんでも、上手くやっていかないといけない。男同士の痴情の縺れに、メンバー……っていうか、佐々木くんを巻き込むのは、可哀想だろ?」
冗談ぽく笑いかけてみたけれど、暁斗は眉を曇らせているばかりだった。
男同士でなくても、恋人同士の二人が含まれているチームは、メンバーが気を使うだろうし、そんなものに巻き込まれれば士気が下がるだろう。メンバー同士なら幾分かマシかもしれないが、チームを引っ張っていくはずのリーダーがそれでは話にならない。
「俺は『後輩の矢口くん』と仕事をするのは、諦めたけど、その代わり、暁斗と付き合うことしたんだ。折角、付き合うなら、楽しまないと、だろ? この選択を後悔したくないんだ」
バスタブに浮かぶ泡を右手で掬って、暁斗の頭に乗せてみた。付き合っていなければ、ラブホテルでバブルバスを「矢口暁斗」と体験することなどあり得ない。
暁斗は立ち上がると、嫌そうに頭に乗せられた泡をシャワーで洗い流した。
「暁斗だって『先輩の瀬川さん』じゃ満足できないから、告白してきたんじゃないのか?」
暁斗は振り返って、煩わしそうに濡れた髪をかきあげた。暁斗は子供っぽくて、大人っぽくて、茶目っ気があって、色気がある。
二十代の締まった肉体に滴る水は弾けるように流れ落ちる。暁斗は俺の目の前に立って、ぐいっと顎を掴んできた。
「じゃあ、『先輩』にはできないこと、してもいいですか?」
「……あはは、今更だな」
ドキリとしたのを悟られないように、笑って誤魔化した。暁斗は俺の顎を掴んでいた手を滑らせて、首筋を通って胸を撫でた。
その手つきは、性的な意味が含んでいるようで、ぎょっとして肩が揺れる。
「暁斗、ちょっと」
抗議しようと男を見上げると、意地悪く笑っている暁斗と目があった。
「今日は、そういう気分じゃないんでしたっけ?」
本当は、俺の一方的な『先輩と後輩の決別』には、少しも納得なんてしていないのだろうと思う。
それでも、これで、なんとか落とし所を見出そうとしているような、そんな、暁斗のいじらしさを垣間見た気がした。
だから、俺には、そんな、暁斗に応える義務がある気がして、目の前の男の首に気だるげに腕を回した。
「そういう気分になってきたかも」
暁斗の唇に軽く唇を押し当てれば、暁斗は少し困ったように笑った。
もしかすると、俺の義務感のようなものを感じ取ってしまったのかもしれない。これ以上、暁斗に悟られないように、男の首を引き寄せて、耳元に唇を寄せる。
「暁斗のしたいこと、していいから」
「どうなっても、知りませんよ」
暁斗は俺の背中に手を這わせて、掠れるような小さな声で独り言のように呟いた。
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