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March the 14th.

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 カシャカシャと泡立て器で、溶かしたバターをクリーム状になるまで混ぜ合わせたら、砂糖を加えて更に混ぜ合わせる。といた卵や牛乳は少しずつ加えていくのがコツだ。
 ふるった薄力粉とココアパウダー、ベーキングパウダーを加え、粉っぽさがなくなるまで、よく混ぜ合わせる。好みでチョコチップを加えて、さっくり混ぜれば、生地が完成。少し香りを追加したくて、チョコレートエッセンスを数滴垂らした。
 マフィンカップに生地を流し込み、あとは余熱を加えたオーブンに二十分焼きを入れれば、ふわふわのカップケーキのできあがり!
 ケーキが冷めて、チョコホイップで飾り付ければ、見た目にも華やかだ。

 スマホを手にとって、友人にメッセージを一つ送る。

「いい匂いー!」
「おいしそー!」
「学校から帰ってきたら、二人で分けて食べるんだぞ」
「わーい!」

 小学四年生の双子の弟と妹が目を覚まして、くんくんと鼻を利かせた。父は、短期の出張中で週末まで帰って来ない。この一週間、炊事当番は俺の仕事であった。
 不意に時計を見上げると、いつもより十分も起きてくるのが遅い。

「ほら、早く飯食って、時間ないぞー」

 スクランブルエッグとウインナーを焼いて、サラダを添えると、即席のコーンスープにお湯を注ぐ。最後にロールパンを軽く温めて食卓に並べた。
 妹はトマトが嫌いと駄々を捏ねるし、弟はふざけてパンを握り潰したりする。苛立ちを抑えて、彼らを嗜めながら兄弟三人で朝食を済ませる。そうして、腰の重い小学生二人組を着替えるように促した。

「はるにぃ、髪を結んでー」
「えー?もう髪下ろしておけばよくないか?」
「やだー今日変な寝癖ついてるんだもーん」

 妹は長い髪を弄りながら口を尖らせる。小学校の中学年ともなれば、立派な女性なのだろうか。制服の下に着る服や髪型にも煩くなってきた。妹の髪を結って、両サイドを編み込んでやり、くるりと一纏めにするとバレッタで留めてやった。彼女のお気に入りの髪型だ。鏡で確認すると少女は満足げに微笑んだ。

「はるにぃ、体操服はぁ?」
「ソファの上に畳んであるから、自分で用意しろよ」
「はぁーい」

 弟がパタパタと廊下を走っていくのを横目に、溜め息混じりで見守った。慌ただしい朝はいつも時計とにらめっこだ。



「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」

 双子がランドセルを背負って、玄関で手を振るのを、俺は笑顔で見送った。玄関の扉が閉まると、どっと疲れる。

 皿洗いを終えると、友人からメッセージが返ってきていた。時刻は九時を回っているが、今頃になって目を覚ましたらしい。四つのカップケーキをラッピング用の箱に詰めて、適当な紙袋に入れた。
 
 二階に上がって、自室のクローゼットを開ける。私服のTシャツに黒のパーカーとデニムパンツを取り出した。ハンガーにかけられた高校の制服のブレザーはもう袖を通すことはない。二週間ほど前に卒業式を迎え、今は大学の合格発表を間近に控える身である。

 鏡で少しだけ髪型を整える。兄弟で一番、母に似ているらしい顔を眺めると、いつも少しだけ感傷に浸ってしまう。仏壇に飾られている、母の穏やかに微笑む写真に「いってきます」と挨拶して、自宅を後にした。



 友人の家を目指して、自転車を漕いだ。少しだけ肌寒い風が頬を撫でる。それでも春めいてきた温かな太陽の日差しを感じて目を細めた。


 白と黒のモノトーンでまとめたシンプルかつスタイリッシュな外観の一軒家。ここに住まうのもスタイリッシュな家族たちである。自転車を敷地内に入れさせてもらって、ピンポーンとインターホンを鳴らす。しばらくすると、聞き慣れた男の声で応答があった。彼の両親は共働きで朝早くから通勤するらしく、今は家には彼しかいないらしかった。名前を名乗って、カメラに向かって軽く手を上げれば、玄関の扉が開かれる。

 長身の男が眠たそうに現れる。少し寝癖もついていて、部屋着にしているジャージ姿だった。それでも、女子によくモテる、さわやかなイケメン顔はいつも通りだった。軽く朝の挨拶を交わして、男の目の前に、紙袋を差し出した。

「拓哉、これ、」
「……なんだよ、」

 拓哉が怪訝そうに眉を曇らせる。意味がわからないらしい。

「バレンタインデーのお返し。今日はホワイトデーだろ? カップケーキ焼いたから」
「え……」

 拓哉の目が見開かれる。思っていた反応ではなかったので、少し焦った。

「カップケーキ嫌いだったか?」
「……いや、お返しなんて、もらえると思ってなかったから、」

 顔をカァと赤くして、男は紙袋を受け取った。拓哉はバレンタインデーにガトーショコラを作ってくれたのだ。

 バレンタインデーの朝に俺の家に立ち寄り、ホールケーキ用の箱を手渡してくれた。なんでも、拓哉の姉がバレンタインデーの前日に彼氏用にとチョコレートを手作りしていて、余った材料で真似して作ったものだったらしい。お裾分けとして手渡されたそれを、俺は快く受け取ると兄弟で美味しくいただいた。

 今日は、そのお返しである。

「ありがとう」
「いや、こっちこそ、ガトーショコラありがとう。おいしかったよ」

 もっとも、拓哉から受け取ったケーキは、そのまま箱ごとダイニングテーブルに置いていた。それが良くなかったようで、俺より先に帰宅した双子にチョコケーキは無惨に食べ散らかされ、俺は余ったを一切れ口にしただけであった。

「春樹、俺、嬉しいよ」
「ん?……あ、ああ、」

 紙袋を抱き締めて、拓哉は感激している。
 長い付き合いだけれど、拓哉がそんなにカップケーキが好きだったとは知らなかった。弟妹たちのために作ったお菓子のお裾分けのつもりだったので、拓哉の口には、少し甘すぎるかもしれない。そんなに喜んでくれるなら、もう少しビターに作った方が良かっただろうか。

「絶対、大切にするから」
「大切にって、ちゃんと食べろよ」

 ぎゅっと、手を握られて「もちろん」と熱っぽい眼差しで瞳を覗き込まれた。

「わ、な、なに?」

 ぐいっと手を引かれ、前のめりにバランスを崩し、拓哉の胸に身体を預けた。
 後ろで玄関の扉が、バタンと閉まる。カップケーキの紙袋を玄関の飾り棚に置いて、拓哉は両手で俺の頬を掴んだ。

「何って、キスしようと思って」

 一瞬、頭が真っ白になって、身体が硬直した。拓哉の端正な顔が近づいて、唇が触れそうな距離に。

「わーちょっとッ、待て!なんで!?」

 拓哉の顔を手で押し退ける。頭はパニック状態で、カァと身体中が熱くなる。

「なんでって、いいってことだろ?」
「ん?」
 
 拓哉は俺の手を掴んで、焦れたように、眉を寄せる。

「俺たち、付き合うんだろ?」
「え?」
「勿体つけるなよ、」

 呆気に取られている間に、拓哉の唇が自身の唇と重ねられる。大きな手が臀部を撫で回し、ぞわぞわと背筋が栗り立った。

「あ、ちょっと、」
「春樹、勃ってる」 
 
 ドンッと玄関のドアに背中を押し付けられて、足の間に、膝を差し込まれ股間をからかうように刺激される。なんで、こんなことで勃ったりするんだ。拓哉の股間も膨れていて、ズボンの上から擦り合わされると熱が伝わってくる。

「あ、こんなとこで、ダメだ、」
 
 朝から玄関先で、男同士で、親友と、こんなこと、間違っている。
 
「じゃあ、俺の部屋で、」
「……そうじゃなくて、」

 逃げようと拓哉の胸を押すけれど、反対に抱きすくめられた。

「春樹、もう、待てない、」

 拓哉の欲情した瞳と目があった。

 ――俺は、何を間違えたんだ?
 ――カップケーキを、渡したのがいけなかったのか?


 ふわっと俺の髪からチョコレートの甘くもほろ苦い香りが沸き立った。

「春樹、とっても美味しそう」




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