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February the 14th.

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 二月十四日は、煮干の日である。「に(2)ぼ(1=棒)し(4)」の語呂合せ。全国煮干協会が平成六年五月に制定したらしい。

 そうだ、今日は煮干しと昆布で本格的にだしをとって、味噌汁を作ろう。だしが取れた昆布は煮物に入れて、煮干しは甘辛く煮ればおやつにもなる。弟妹たちも喜ぶはずだ。

 そんなことを考えながら皿洗いをしていると、隣で父が、生ゴミをまとめてゴミ袋の縁を縛った。

「春樹、いつも家のことを任せきりにして、すまないな」

 残業続きの疲れた顔で、父は申し訳なさそうに呟いた。父は俺たち兄弟を養ってくれている。家族で力を合わせて、生きていかなければならない。俺は父に微笑んだ。

「大丈夫だよ、親父は仕事頑張ってくれてるじゃないか。あいつらも、前よりは家事を手伝ってくれるようになったし」
「……お前、ますます、母親に似てきたな」

 父は、寂しそうに微笑んだ。



 ゴミ袋を片手に哀愁漂う父の後ろ姿と、元気が有り余る双子を玄関先まで見送って、にこやかに手を振った。
 それから、ゆっくりと自身の身支度を始める。通学用のリュックに必要な教科書やノートを詰め込んで、ブレザーの制服に着替えた。きゅっとネクタイを締めて、それから少しだけ緩めて着崩すスタイルで。鏡で出来映えを確認する。

 ピンポーンとインターホンが鳴り響いて、首を傾げた。一階に下りて、リビングのモニターを覗くと、見知った男の顔がある。玄関の扉を開くと、さわやかな笑顔を向けられた。

「春樹、これやるよ」

 差し出されたのは、ホールケーキ用の大きな箱。

「なんだこれ?」
「ガトーショコラ」

 ガトーショコラって、チョコレートケーキのことか。なんだ?なんだ?と頭の中がぐるぐる回る。

「俺が作ったんだよ。姉貴が昨日、彼氏にって作ってて、意外と簡単そうだったから、余った材料で真似して作ってみたんだ」
「ふーん?」

 意味がわからないけれど、条件反射で受け取ろうとした。拓哉は一瞬、躊躇を見せた。

「まあ、いらないならいいけど、」
「そんなことない、」

 折角、家に持ってきてくれたのに、好意を無下に突き返すわけにもいかないだろう。

「ありがたくもらっておくよ。」

 拓哉に微笑むと、男も安堵したように微笑んだ。

 そういえば、今日は「煮干しの日」の他に「聖バレンタインデー」だったなぁ、と思い至った。





 時刻は夕方の四時過ぎ。
 春樹の自宅に、学校帰りの双子が帰宅する。ダイニングのテーブルに置いてある、存在感たっぷりのケーキの箱を見つけて、色めき立った。

「わー!ケーキがある!」
「はるにぃが、おやつに作ってくれたのかなぁ?」

 箱から取り出すと、チョコレートの甘い香りが部屋中に漂った。彼等の兄は料理も得意だが、たまに手作りのお菓子も作ってくれる。母が、かつて、そうしていたように、春樹もなるべく彼等に同じような愛情を注ごうとしていた。

 双子は自分達で皿を並べて、ケーキをカットしていった。口に入れたチョコレートケーキは、しっとりとした舌触りで、ほろ苦く、少しブランデーが利かせてある。まるで大人のケーキのようで、幼い彼等を夢中にさせた。みるみるケーキはなくなっていき、遂には、ほんの一欠片と成り果てる。

「なんか、手紙入ってるよ!」

 双子はケーキの箱に入っていた無資質な白い封筒を見つける。宛先は「春樹へ」となっている。

「あ、これ、はるにぃへのバレンタインデーのチョコだったんじゃない?!」

 少女が恋の予感に、頬を染める。
 兄の恋路が気になって、封筒を開こうとした。
 すかさず、少年が封筒を奪った。

「そんなの、読んじゃダメだよ!」
「えー!」
「俺が、はるにぃに、この手紙を渡す!」

 小学四年生の少年は、そう宣言して、興味津々の少女に勝手に読まれないように、自分の学習机の引き出しの奥に閉まったのだった。

 けれど、小学生の彼はゲームをしたり、宿題をしたり、妹と喧嘩をしていたりと大忙しである。兄が帰宅すれば、夕飯の準備の手伝いもしなければならないし、一緒に風呂に入って、友人との喧嘩した話を報告して、兄にアドバイスをもらわなければならなかった。息つく暇もない。些細なことは、あっさりと忘れ去られていったのだった。






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