永い春の行く末は

nao@そのエラー完結

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葉月

第三十五話

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「何にしましょう?」

 大将は、カウンターの向こう側から尋ねた。客商売でありながら、笑顔はどこか強張っている。俺の隣に座る森岡は、気にする素振りもなく、にこりと微笑んだ。

「そうですね。焼酎のボトルを入れてもらっていいですか?……マコトさんの分も一緒で」
「いいのか?」

 あっさりと高級な米焼酎を選ぶものだから、少し焦る。

「売上に貢献する約束ですから」
「だからって、…………」

 涼しい顔で微笑む男に、それ以上は何も言えず、苦笑いで口を閉じた。森岡に気を使わせてしまっただろうか。

「ハルくんは非番ですか?」
「ええ、まあ、」

 森岡は黙って酒を注いでいる大将に問いかける。けれど、返ってきたのは、ぶっきらぼうな声だった。見渡しても客の入りは少なく、今日は大将一人で切り盛りしているらしかった。

「そうですか、残念」

 森岡は寂しそうに微笑んだ。よほど、ハルくんが気に入ったのだろうか。ハルくんは子犬のように人懐っこく、若くて、いじらしい青年だ。客の中には、彼のファンもそれなりにいる。まさか「だんや」で呑みたいというのは、ハルくんを目当てにしているなんてことはないだろうな、と思い至った。恋愛は自由であるけれど、ハルくんには彼女がいるし、何より、彼はどう見てもノンケである。

「なあ、ハルくんは、やめてくれよ」

 男の肘に軽く自身の肘をぶつけて、小声で嗜める。森岡は愉しそうに首を傾げた。汗をかいているはずの男からは、ふわりと爽やかなシトラスの香りが漂う。

「真人」

 大将がカウンターに小鉢を二つ並べた。おとうしは、蛸の山葵和え。
 口数の少ない大将に、本日のオススメを頼んだ。呑み屋にとって、八月は閑散期である。そして、明日からの盆休みは、貴重な長期休暇でもあった。ならば、仕入れている食材は今夜の内に、少しでも使ってしまいたいところだろう。
 大将は意図を組んで、カウンターの奥に向かい、食材を見繕う。彼の広い背中には、少しばかり疲労が見えた。春から店を立つことを断られていたが、今夜は俺も手伝った方がよかったのかもしれない。
 それでも、森岡を一人にする訳にもいかず、一人で考えあぐねる。

「乾杯しましょう」
「そうだな」

 森岡はグラスを持ちながら肘をぶつけてくる。二人で労いを言い合いながら、乾杯する。出された「おとうし」をツマミに、ほのかな甘みのある米焼酎を口に含めば、自然に口元が緩んだ。

「佐倉さんって、けっこう、鈍いですよね」
「ん?」

 いつになく棘のある言葉に、顔をあげる。

「でも、本当は『鈍いフリ』をしているだけなのかな?」
「どういう意味だ?」

 森岡は訳知り顔で薄く笑うと、グラスを傾ける。胸の奥がグッと締めつけられるのは、彼の言葉が、的を射ているからなのかもしれない。この男の瞳には、佐倉真人は、どんな風に映っているのだろう。

「明後日って空いてますか?」
「……まあ、日中なら、」
「ランニングシューズを一緒に買いに行きません?」

 彼の唐突な提案に、面食らう。答えを待つ男の顔は、神妙な面持ちであった。確かにランニングシューズは三ヶ月も走れば痛んでしまう消耗品である。既に履き潰れたシューズが脳裏に浮かぶ。

「そうだな。そろそろ傷んできているし、次は森岡くんに選んでもらおうかな?」
「ええ、任せてください」

 どこか断れない威圧感に、思わず承諾してしまう。森岡は小さく息をつくと、目を細めて頷いた。

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