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過去 - 02
しおりを挟むぼくは さいしょ いらないといったんだ
とうさんが わらうから
そいつとはなしてるときのとうさんは やさしくて うれしそうで
すぐにそいつに
とうさんを とられるようなきがしたんだ
だから
いらないっていったんだ
そんなやついらない すててきてよ
ぼくは とうさんにたのんだ
とうさんは
このこは おまえの いもうとみたいなものだ
いっしょにくらすのだから おまえがまもってやるのだ
ぜったいに なかすんじゃないぞ
ぼくにそういった
まもる?
たしかにそいつは おどおどしてたし よわそうだった
それに きずだらけだった
いたそうで かわいそうだとおもったけど
きゅうに いもうとだなんて いわれても
ぼくには なっとくできなかった
こんなよわそうなやつの
にいさんになるのは ぜったいにいやだった
◇ ◆ ◇
小学生の時、親父が迷子の女の子を拾ってきた。
拾ってきたという表現はどうかと思うが、親父の言葉を引用しただけだ。
親父が散歩中にうちの近くにひとりで突っ立っていたそいつを見つけ、警察に連れて行ったのだけれど、捜索願はでていないということで、保護者が見つかるまでうちで面倒を見ることになった。
傷だらけの少女は、ハカナと名乗った。
この時はまだ苗字を聞かされていない。
腕や足や背中に残る無数の傷が怪我によるものじゃないことは、ガキの俺にも理解できた。両親だか親戚だがわからないが、保護者に虐待されていたのだと思う。そうだとすると迷子だったという話も疑わしくなる。どこかから逃げてきたのかもしれない。俺は今も真相を知らない。
一ヶ月間、ハカナは伊月家で暮らした。
はじめのうち、俺はハカナを敵視していた。
子どもは自分の居場所を脅かす敵に対して敏感だ。気に入らない、そんな単純な理由で敵意を持つ。
親父と母さんに何を言われても、俺は強情になって言うことを聞かなかった。
遊んでやっているフリをした。
仲良くやっているフリをした。
しかしハカナはそれくらいじゃ動じなかった。どんなに意地の悪いことをしても決して泣かなかった。
あいつが体験してきたものが、ガキのするような、生易しい逆撫でじゃなかったからだと思う。
当時の俺にはわからなくて、気味が悪いと感じるだけだったけれど。
ハカナを絶対に泣かしてやる──相手の気持ちを一切考慮しない身勝手な意地が、ガキの俺を執拗に囃したてる。
俺はハカナを公園に連れて行った。
いつもより遠い場所にある、小さな公園に。
そこでしばらく遊んでやってから、ハカナを置き去りにして帰るつもりだった。
計画は途中までうまくいった。
俺は便所に行くと嘘をついて公園を抜け出す。ハカナは、ひとりになるのが嫌みたいで、一緒に男子便所の中にまで入ってきそうだったけれど、なんとか気づかれずに公園を出ることができた。
ところがそこで、
クソガキに天罰が下る。
公園から出た瞬間、俺はオートバイに跳ね飛ばされた。バイクは止まりもせず、そのまま逃げ去っていった。
左足の膝から内ももあたりがバイクの側部にぶつかっただけなのに、俺は数メートル飛ばされ、石塀に頭を打ち、アスファルトの地面に背中を打ち、呼吸ができなくなった。
ひどい耳鳴りがした。視界が白いもやで埋められていく。
声が出せない。口の中に血の味が広がる。
誰か助けてくれ。
人通りの少ない公園を選んだことが仇となり、誰もやってこなかった。
遠くなる意識を繋ぎとめたのは、ハカナの声──お願いします、誰か来て、救急車を呼んでください、ハカナがそう叫んでいた。
目を開けるとハカナがいた。
必死になって助けを呼んでいるハカナを見て、俺はようやく自分のクソガキっぷりに気づく。
「だれかたすけてください! わたしのおにいちゃんなんです!」
全面降伏するには充分な言葉。
俺のことを兄と言うほうが、道行く人が注目してくれるという機転だったのかもしれない。それでも俺の心は震えた。
この事件がなければ、俺はハカナに嫉妬するだけのクソ生意気なガキのまま、ハカナのことを疎ましく思うだけで、時間は過ぎ、別れを迎えただろう。
幸い事故のケガは軽傷で2日後には痛みも消えていた。
俺とハカナはその日以来、本当の兄妹のように仲がよくなった。何をするにもいつも一緒で、毎日、日暮れまで遊んだ。
親父と母さんとハカナと俺。
伊月家は、その時期、誰が見ても四人家族だった。
別れがやってきた。
ハカナを引き取りに来たのは背の低い痩せた中年の男だった。ハカナの父親ではなく、親戚だったと思う。顔はよく覚えていない。
俺はハカナと別の部屋で待ってるように言われたから、親父と母さんとその男が何を話し合ったのかはわからない。
いつかはその日が来る。
それはガキの俺にもわかっていた。ハカナにもわかっていた。しかし理解しているからといって、感情を制御できるものではない。
親父だって母さんだってハカナを実の子どものように可愛がっていた。手放したくないと思っていただろう。
でも、それはできないことだった。
だからせめてハカナが幸せになれるようにと俺は願った。新しい家庭で、元気に、楽しく、笑っていられるのなら、それでよかったんだ。
──最後の日。
ハカナが泣くのをはじめて見た。
あれだけイジメても泣かなかったハカナが、俺たち家族と離れ離れになる瞬間、大粒の涙をこぼした。
親父は小さなハカナを抱きしめ、
「いまは悲しいだろう。だが、ハカナにとって、これが一番しあわせなことなのだ」
一番のしあわせ。
決して泣かなかったハカナが激しく泣いたことが、どれほどの意味と価値を持っていたのか、親父はわかっていなかった。
「一生会えなくなるわけじゃない。そうだ。今度、みんなで海に行こうではないか。向こうのご家族には、私から頼んでみる。ハカナは海が好きだろう?」
「……うん」
「約束だ」
あの日、ハカナが泣かなければ。
俺も不安を感じることはなかったかもしれない。
ところがハカナは涙を見せた。
ハカナの悲しみを埋める環境が、果たして存在するのだろうか。どんな家族が、ハカナを幸せにできるのだろうか。俺は疑念を抱いた。
実際、ハカナは幸福になどなれなかった。
ハカナがいなくなったという知らせがうちに来たのは、別れの日から、わずか四日後のことだった。そして失踪の翌日から、事件や事故に巻き込まれた可能性も考慮され、警察による捜索が行われた。それでもハカナは、見つからなかった。
俺の怒りの矛先は親父に向けられた。
ひとりぼっちで泣いているハカナが毎晩夢に出てきて、『わたしはどこにもいきたくなかったのに……』と、ぽつりと呟いた。
ハカナを探す毎日。
親父は仕事の合間に、俺は朝と小学校が終わってから、母さんは家事の合間を利用してビラを配ったり、情報を呼びかけたり、マスコミの取材を受けたり、警察に通ったり……ハカナのために、ありったけの時間をかけた。
そうして俺たち家族は少しずつ磨り減っていった。
期待、徒労、希望、絶望、その繰り返し。一向に報われない努力に疲弊しながらも、ハカナを探し続けた。
駆け抜けるように二年が経った。
とっくに警察の捜査は打ち切られていた。
夏。
腹が立つくらい暑い日だった。アブラゼミが近所迷惑も考えず叫び散らし、じめっとした熱風が開けっ放しの窓から入ってきては、体にまとわりつく。
俺は部屋で半ば自動的に情報提供を呼びかける新しいチラシを作っていた。
そのとき、家には俺しかいなかった。親父と母さんは隣県の図書館で情報を集めるといって、朝早くから出かけていた。
唐突に電話が鳴る。
警察からの、ハカナが見つかったという知らせだった。
伊月家の居間の奥には、仏間がある。
仏壇と位牌。線香と畳の乾いた匂いが染み付いた薄暗い部屋、そこにハカナを祀っている。
ハカナは山で見つかった。
俺たち家族は伊月家とハカナが住んでいた家を道路で結んだ、その周辺を中心に探していた。だから、その報告を受けて驚いた。
俺の家とは正反対の場所でハカナは見つかった。
ハカナを見つけてくれたのは、道路の拡張工事をしていた作業員のひとりだったという。地元の人間ですら名前を知らない、標高五百二十メートルの小さな山の、山頂付近の公道から少し外れた森の中に、ハカナはいた。
どこを目指していたのか。道に迷ったのだろうか。誘拐され、そこに連れてこられた可能性も捨てきれない。しかし、外傷はなかったらしい。
検死の結果、ハカナの死は事故とされた。
無理を言って親父と俺は一緒にハカナの遺体を見せてもらった。体の大部分は白骨化していて、直視することができなかった。虫歯の治療の跡がハカナである証拠となった。
安堵感や感傷に浸るまもなく、通夜や葬儀やらが執り行われた。
葬式はささやかなものだった。
伊月家が中心となって行い、近所の人たちと捜索を手伝ってくれた関係者、ハカナの親族の何人かが参列にやってきた。
どの参列者にも悲しみより疲労の色が窺えた。
年月は皆の悲しみを心の奥底に封じ込めてしまっていた。
泣いていたのは、母さんだけだった。
葬儀の費用を全額伊月家が払い、香典のすべてを親族側に渡すこと、それが戸籍上親族でも家族でもない我が家で葬式をさせてもらう条件だった。
親父と母さんは、喜んでその条件を飲んだ。
ハカナの遺骨は、海のそばにある、母親の墓に埋葬された。
父親はハカナの母親──自分の妻が亡くなって、それ以来、頭がおかしくなって病院にいるのだと、参列に来たハカナの親族の誰かが小声で喋っているのを聞いた。
ああやっと終わったんだ。それが正直な気持ちだ。
夏の終わりの夕暮れ時のような気分──熱せられた身も心も鎮まっていき、それからどうしようもない淋しさが身を包んだ。
たった一ヶ月。
人生のうちの一瞬で紡がれた絆など、弱くて、たやすく切れてしまって当然なはずなのに。
俺たち一家は、ハカナのために、一生懸命になって。どうしてそこまでする必要があるのかと、たびたび聞かれた。
だって家族なのだから。
兄貴が妹のことを、両親が娘のことを想うことは当たり前のことだ。
そんなことを言っても、わかってはくれないと思ったので、その時々の思いつきで適当な返事をした。
ひとつ、わからないことがあった。
ハカナがあんな山の中にいた理由、それがどうしても理解できなかった。
ある日曜日、俺は家族に内緒で、ひとり電車を乗り継ぎ、ハカナが発見された場所へと続く急な坂道を歩いていた。
ハカナが見つかったという森をしばらく眺め、山頂へと向かう。実際に自分の目で現場を見ても、そこにハカナがいたという実感は湧かなかった。
しかし。
坂道を登りきったところで、俺は、視界に広がる大海原を見ることになる。
──海。
『一生会えなくなるわけじゃないんだ、ハカナ。そうだ。今度、みんなで海に行こうではないか。向こうのご家族には、私から頼んでみる。ハカナは海が好きだろう?』
親父の言葉を思い出す。
海が好きなハカナ。ハカナの母親の墓は海のそばにある。偶然かもしれない。だが想像は止まらず、ある結論を創り出す。
親父のあの言葉がハカナの中で眠っていた母親への想いを、揺すり起こしてしまったのではないのだろうか。
当時俺はまだ小学生だった。
客観的に物事を見ることなどできるわけもなく、親父が余計なことを言ったせいでハカナが死んでしまったのだと、強く思い込むようになった。
どうしようもなかったのだと、母さんは言った。
その通りだと今は思う。
時間は巻き戻らないし、ハカナがなぜあそこにいたのか、知る者はいない。誰にもわからないことだ。これまでも、これからも。
ハカナとの出会いが10年前、葬儀からは8年が経ち、そんな風に考えることができるようになった。
もう戻りたくはない。
それなのに。
また突然やってきた。別れを予感させる、新たな出会い。
しかも、アンドロイドが真夜中に降ってくるという、親父がハカナを拾ってきた、前回のシチュエーションを上回る登場の仕方で。
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