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第50話
しおりを挟む「シュークリームは、初めて?」
大きく頷くカナに、浅子は手をつけていない自分の皿を差し出した。
「これも食べてくれるかしら」
目を丸くしてカナは浅子を見つめる。
食べたい。でもこういうときは遠慮するものだ。どうしよう。
迷いを察した浅子がもう一度笑顔で応えると、カナは2つめのシュークリームを自分の皿に移し、すぐに5度目の「美味しい」を口にする。
浅子はカナが食べ終わるまで何も言わず、幸せそうにシュークリームを頬張る様子を眺めていた。
火にかけていたやかんが音を鳴らす。
浅子は立ち上がり、コンロの火を止め、ティーポットにお湯を注ぎ、また椅子に座る。
「学校は楽しい?」
透明なガラスのティーポットの中で跳ねる茶葉たち。
窓からの風が、カナの前髪を揺らす。
「今日が登校初日なのでまだよく……クラスメイトの名前もわかりませんし。あ、でも、進さんのことは、カナが残したメッセージで聞いて知っています。カナは私にたくさんの言葉を残してくれました」
空になったカナのカップに紅茶を注ぐ浅子。
音を立てずにティーポットを置き、静かに次の言葉を待つ。
「カナがこちらでお世話になっていたことも知っています」
「あなたさえ良ければ、また、」
カナはその言葉を遮る。
「すみません。今の私は、宇佐美カナですから」
「……そうよね。ごめんなさい」
カナはうなだれる浅子の仕草に笑みを浮かべる。
「ひとつお願いがあります。2階のカナの部屋に入ってもいいですか。カナに頼まれたことがあるんです」
カナは浅子の案内で2階に上がり、かつてカナが使っていた部屋に入った。タンスの上のキリンのぬいぐるみを手に取り、
「このぬいぐるみは、カナが戻ってくるまでの代わりにと進さんに預けたそうです。役割が終わったので持って帰ります」
浅子の返答は待たず、鞄の中にぬいぐるみを押し込む。
「ありがとうございました」
カナは部屋から出て、浅子にお礼を言い、進の部屋には気づかないふりをして1階に下りた。
そのまま玄関に向かう。
「済みませんが、そろそろ帰ります」
「またいつでも遠慮なくうちに来て頂戴」
「はい。ありがとうございます。シュークリーム、ご馳走様でした」
靴を履き、新品のカバンを両手に持ち、頭を深々と下げる。頭を上げると、カナは壁に掛かっている絵に気づいた。
「いい絵ですね。進さんが小さい頃に描いたのでしょうか」
「知り合いの子が描いてくれたの」
「……心が温かくなります」
「この絵を玄関に飾れば、すべての不幸を追い払ってくれるような気がしたの。悲しみはもう十分だから」
カナはもう一度絵を眺める。
笑顔で溢れているその絵を見ていると、素直に浅子の気持ちに共感できた。
◇ ◆ ◇
図書室の前を通りかかったエナは、室内からの明かりに気づいて中に入る。カウンターで向かい合って座る片瀬薙と椎奈の姿があった。
「まだ残っていたの」
「すみません。もう少ししたら帰ります」
「勉強?」
「はい。先輩に数学の分からないところを教えて貰っているんです」
「そういうのは教師に聞いて欲しいんだけど、数学を教えてるのはアレだからダメか……」
大げさにため息をつくエナ。
「私をこそあど言葉で表現するなーーっ!!」
いつの間に図書室に入ってきたのか、数学教師の御堂千歳が声を上げる。
「あらまだいたの」
「失言に対する謝罪はナシですか!」
「あなたの力不足が招いた問題に対する謝罪が先じゃない?」
「ごめんなさい! 私の授業が分かり難いばかりに……って、片瀬椎奈さんは1年生だから私は教えてないじゃない!!!」
「あらそうだった?」
ぶーぶー言う千歳を軽くあしらうエナ。
普段見ることのない教師のやりとりに呆気にとられている二人。
「あーもうわかった! 薙さん、代わって!」
強引に席を奪い、片瀬椎奈と向かい合う。
「さーこい! 三角関数でも、フェルマーの最終定理でも、なーんでも遠慮なく聞きなさい!」
表情だけで助けを求めてくる椎奈。
「そんな目で私を見ないで」
宇佐美エレナは、三人から少し離れた椅子に座る。
「ごめんね、片瀬さん。面倒なスイッチを押しちゃったみたい。10分でいいから、この哀れな教師に付き合ってくれるかしら」
役目を取られた片瀬薙は、エレナの隣にやってきて、座り、
「頑張れ、椎奈」
御堂千歳の授業はわかりやすいと生徒に人気がある。
宇佐美エレナは、丁寧に片瀬椎奈の疑問に答えていく姿を見て、千歳にとって教師は転職だと改めて思う。
声はよく通るし、説明に選ぶ言葉はどれも簡潔で論理的だ。教室全体の空気を感じながら、緩急をつけて授業を進めることもできる。
数学が苦手な生徒も置き去りにせず、積極的に授業に引き込み、楽しませようと努力している。
「宇佐美先生」
「なーに?」
「この学校に先生の妹さんが転入して来たって聞いたのですが」
「ええ」
「どんな子ですか?」
「体が弱くて、心は強い子。頭は良いけど、世間知らず、といったところかしら」
「……とても美人だとか」
「まあ、そうかもしれないわね」
片瀬薙は視線を隣のエナから5メートル前方にいる椎奈に向ける。
「その子の転入は、伊月進くんと関係がありますか」
ぽつりと呟く。
宇佐美エレナは、薙の横顔を眺める。
「……無くはないわね」
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