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第14話 死期の宣告
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「~♪」
台所からの彩の鼻歌に耳を澄ませながら、ただぼんやりと天井を見ていた。
今日は神主さんの勉強会は休みだ。
この村にいるせいで日付と曜日の感覚がマヒしているが、勉強会(長峰姉妹の言うところの学校)は土日が休みらしい。
そのせいか、彩は朝から上機嫌だった。彩も沙夜も家事に勤しんでいる。
「もうちょっと待っててね~、桜居さん」
朝食の洗い物をしている彩が、背中を向けたまま言う。
「……何か手伝うことはないのか?」
暇だ。
居候の身である手前、2人が家事をしているのに俺1人ぼけ~っと座っているのは心苦しい。
「じゃあ、お姉ちゃんを手伝ってあげて」
「了解」
立ち上がり、玄関で靴を履いて庭へまわる。洗濯物を干している沙夜の元へ。
「ということで、手伝いに来たぞ」
「……なにがということなのか分からないけど」
少々困惑気味の沙夜。
「気にするな」
「だったら、そこの洗濯物をひとつずつ取って。干していくから」
言われるままに手渡す。
脱水したばかりの湿ってしわしわになっているタオルを受け取った沙夜は、それを慣れた手つきで伸ばす。
ぱん、という小気味のいい音が響く。
ある程度元のかたちに戻ったタオルを物干し竿にかけて、風で飛んでいってしまわないように洗濯バサミで止める。
しわくちゃの洗濯物が引き伸ばされては次々と干されていく。
「なあ、沙夜」
「神事に参加すること以外の内容?」
どうしても俺に参加させたくないらしい。
「別にあなたのことを思ってのことじゃないから」
と、付け足す。
その真意はわからない。
「あれはこの村の人にとって大事な行事なの。みんな自分の名前が呼ばれるのを何年も待ちつづけているのだから」
自分がいつ死ぬかを知りたがっている。
俺には到底理解できない。
「神事の参加についてはもう諦めた」
「本当かしら」
いまいち信用できない、といった表情。
「本当本当」
ウソだけど。
彩か詠なら神事の日程くらいは教えてくれるだろう。
でも、彩に訊いたら足がつきそうだな。
詠に訊いてみるか。
俺の勘だが、神事の日は近いのだと思う。
そうでなければ、沙夜がこれほどまでに拒む理由がない。
「それで、どんな質問?」
「3年前にこの村に来た女のことについて知りたい」
「話すことは何もないわ」
即答。
あらかじめその言葉を用意していたかのような反応だった。
「……そうか」
「ええ」
「俺は、」
言葉を飲み込む。
きっと答えてはくれないから。
沙夜は俺の顔を見ようとしない。
しばらく黙っていると、
「洗濯物取ってよ……手伝いに来たんでしょ?」
目の前に腕が伸ばされる。
ほっそりとした白い腕、小さな手のひら。濡れた指先は、朝の光を浴びて輝いていた。
「なあ、沙夜」
「……」
「たとえば、今度の神事で、お前が自分の死を告げられたとしたら……それは悲しいことだよな?」
「どうかしら」
さらっと言う。
「それなら、彩だったら?」
「あり得ないわ」
「どうして断言できる?」
「そんなことが起こるはずがない」
「3年前、まったくの部外者に死が告げられたのにか? 何故この村の人間の彩にそれがないと言える?」
「……どうして」
「アイツを殺しておいて、何故そんなことが言えるんだ?」
筋違い。
言い掛かり。
そんな言葉が浮かんだ。
「それは違う」
わかってる、言われなくても。
わかっているが、胸の奥から止め処なく溢れてくる激情を抑えることができなかった。
「どう違うんだ!」
バカみたいに叫んでいた。
気がつくと沙夜の手首を強く掴んでいた。
沙夜は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「あなたは勘違いしてるわ」
「……どこがだよ」
「神霊は死期を教えてくれただけなのだから。別に神事や神霊が人を殺す訳じゃないわ。あの人が死んでしまったのは……仕方のないこと」
「……」
「残念だけど、神事に参加してもしなくても結果は同じだったと思う」
「だからって!!」
「あの人は、」
そこで一旦言葉を切り、
「桜居さんにとってどんな人なの?」と続ける。
どんな?
俺にとって黒川葉子は──
近くにいるのが当たり前すぎて、女としてあまり意識することはなかった。
一緒にいると楽しかった。
心の底から笑い合えた。
きっと、友達……だったんだろうな。
大切な親友。
もう少しお互いに時間があったのなら、どういう結果になっていたかはわからない。恋人同士になりえた可能性だってゼロじゃなかったのだと思う。
でも、もうその可能性は無い。
消えてしまった。
ゼロになってしまった。
永遠に、俺の前から消え失せてしまった。
「……わからない」
今はまだそう答えることしかできなかった。
「そう」
抑揚のない声で言う。
「神事には、あの人が参加したいって言ったのよ。自分の意志で」
「だから……って……」
そんなのはあんまりだ。
何故、何の為にアイツがこの村を訪れたのかは知らないけれど。
だけど。
そんなのは、あんまりじゃないか。
「……そろそろ離してよ」
手を離す。
俺が掴んでいた個所は、真っ赤になっていた。
ぱさぱさと風が洗濯物を揺らす。
沙夜は何も言わない。
腕にくっきりと指の痕がついているのを見ても、怒ろうともしない。
殴られても平手打ちを食らってもおかしくないのに。ひょっとしたら、腕が上がらないほど痛いのかもしれない。
「……ごめん」
「洗濯物を取って頂戴。手伝いに来てくれたんでしょ?」
「ごめん」
もう1度言ってから、湿ったシャツを差し出す。沙夜は左手でそれを受け取った。
しわしわの洗濯物を伸ばす、ぱん、という音。それはさっきまでと違って、とても弱々しい音になっていた。
やはり腕が痛いのか。
俺は洗濯物を沙夜に渡す前にしわを伸ばすことにした。
再び周囲に、ぱん、という爽快な音が響き渡る。沙夜は何も言わず洗濯物を手に取り、ひとつひとつ丁寧に干していく。
そして。
洗濯カゴが空になった後、
『……彩が呼ばれるはずがない』
そんな呟きが、風に乗って俺の耳に届いた気がした。
台所からの彩の鼻歌に耳を澄ませながら、ただぼんやりと天井を見ていた。
今日は神主さんの勉強会は休みだ。
この村にいるせいで日付と曜日の感覚がマヒしているが、勉強会(長峰姉妹の言うところの学校)は土日が休みらしい。
そのせいか、彩は朝から上機嫌だった。彩も沙夜も家事に勤しんでいる。
「もうちょっと待っててね~、桜居さん」
朝食の洗い物をしている彩が、背中を向けたまま言う。
「……何か手伝うことはないのか?」
暇だ。
居候の身である手前、2人が家事をしているのに俺1人ぼけ~っと座っているのは心苦しい。
「じゃあ、お姉ちゃんを手伝ってあげて」
「了解」
立ち上がり、玄関で靴を履いて庭へまわる。洗濯物を干している沙夜の元へ。
「ということで、手伝いに来たぞ」
「……なにがということなのか分からないけど」
少々困惑気味の沙夜。
「気にするな」
「だったら、そこの洗濯物をひとつずつ取って。干していくから」
言われるままに手渡す。
脱水したばかりの湿ってしわしわになっているタオルを受け取った沙夜は、それを慣れた手つきで伸ばす。
ぱん、という小気味のいい音が響く。
ある程度元のかたちに戻ったタオルを物干し竿にかけて、風で飛んでいってしまわないように洗濯バサミで止める。
しわくちゃの洗濯物が引き伸ばされては次々と干されていく。
「なあ、沙夜」
「神事に参加すること以外の内容?」
どうしても俺に参加させたくないらしい。
「別にあなたのことを思ってのことじゃないから」
と、付け足す。
その真意はわからない。
「あれはこの村の人にとって大事な行事なの。みんな自分の名前が呼ばれるのを何年も待ちつづけているのだから」
自分がいつ死ぬかを知りたがっている。
俺には到底理解できない。
「神事の参加についてはもう諦めた」
「本当かしら」
いまいち信用できない、といった表情。
「本当本当」
ウソだけど。
彩か詠なら神事の日程くらいは教えてくれるだろう。
でも、彩に訊いたら足がつきそうだな。
詠に訊いてみるか。
俺の勘だが、神事の日は近いのだと思う。
そうでなければ、沙夜がこれほどまでに拒む理由がない。
「それで、どんな質問?」
「3年前にこの村に来た女のことについて知りたい」
「話すことは何もないわ」
即答。
あらかじめその言葉を用意していたかのような反応だった。
「……そうか」
「ええ」
「俺は、」
言葉を飲み込む。
きっと答えてはくれないから。
沙夜は俺の顔を見ようとしない。
しばらく黙っていると、
「洗濯物取ってよ……手伝いに来たんでしょ?」
目の前に腕が伸ばされる。
ほっそりとした白い腕、小さな手のひら。濡れた指先は、朝の光を浴びて輝いていた。
「なあ、沙夜」
「……」
「たとえば、今度の神事で、お前が自分の死を告げられたとしたら……それは悲しいことだよな?」
「どうかしら」
さらっと言う。
「それなら、彩だったら?」
「あり得ないわ」
「どうして断言できる?」
「そんなことが起こるはずがない」
「3年前、まったくの部外者に死が告げられたのにか? 何故この村の人間の彩にそれがないと言える?」
「……どうして」
「アイツを殺しておいて、何故そんなことが言えるんだ?」
筋違い。
言い掛かり。
そんな言葉が浮かんだ。
「それは違う」
わかってる、言われなくても。
わかっているが、胸の奥から止め処なく溢れてくる激情を抑えることができなかった。
「どう違うんだ!」
バカみたいに叫んでいた。
気がつくと沙夜の手首を強く掴んでいた。
沙夜は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「あなたは勘違いしてるわ」
「……どこがだよ」
「神霊は死期を教えてくれただけなのだから。別に神事や神霊が人を殺す訳じゃないわ。あの人が死んでしまったのは……仕方のないこと」
「……」
「残念だけど、神事に参加してもしなくても結果は同じだったと思う」
「だからって!!」
「あの人は、」
そこで一旦言葉を切り、
「桜居さんにとってどんな人なの?」と続ける。
どんな?
俺にとって黒川葉子は──
近くにいるのが当たり前すぎて、女としてあまり意識することはなかった。
一緒にいると楽しかった。
心の底から笑い合えた。
きっと、友達……だったんだろうな。
大切な親友。
もう少しお互いに時間があったのなら、どういう結果になっていたかはわからない。恋人同士になりえた可能性だってゼロじゃなかったのだと思う。
でも、もうその可能性は無い。
消えてしまった。
ゼロになってしまった。
永遠に、俺の前から消え失せてしまった。
「……わからない」
今はまだそう答えることしかできなかった。
「そう」
抑揚のない声で言う。
「神事には、あの人が参加したいって言ったのよ。自分の意志で」
「だから……って……」
そんなのはあんまりだ。
何故、何の為にアイツがこの村を訪れたのかは知らないけれど。
だけど。
そんなのは、あんまりじゃないか。
「……そろそろ離してよ」
手を離す。
俺が掴んでいた個所は、真っ赤になっていた。
ぱさぱさと風が洗濯物を揺らす。
沙夜は何も言わない。
腕にくっきりと指の痕がついているのを見ても、怒ろうともしない。
殴られても平手打ちを食らってもおかしくないのに。ひょっとしたら、腕が上がらないほど痛いのかもしれない。
「……ごめん」
「洗濯物を取って頂戴。手伝いに来てくれたんでしょ?」
「ごめん」
もう1度言ってから、湿ったシャツを差し出す。沙夜は左手でそれを受け取った。
しわしわの洗濯物を伸ばす、ぱん、という音。それはさっきまでと違って、とても弱々しい音になっていた。
やはり腕が痛いのか。
俺は洗濯物を沙夜に渡す前にしわを伸ばすことにした。
再び周囲に、ぱん、という爽快な音が響き渡る。沙夜は何も言わず洗濯物を手に取り、ひとつひとつ丁寧に干していく。
そして。
洗濯カゴが空になった後、
『……彩が呼ばれるはずがない』
そんな呟きが、風に乗って俺の耳に届いた気がした。
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