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第18話 3月14日
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「おはよう、桜居さん」
襖の向こうから、遠慮がちな声がする。
「朝ご飯、食べられる?」
「ああ」
襖を開けると、彩が驚きの表情を浮かべ、すぐに笑顔になる。
「なんだ?」
「元気になったんだね」
「悪かったな、心配させて」
「ううん」
「ところで、昨日はいつ帰ってきたんだ?」
俺は一晩中起きていたが、彩が帰ってきたことに気づかなかった。
「昨日? さっき帰ってきたばかりだよ」
「……てことは、神社に泊まったのか?」
「あれ、お姉ちゃんから聞いてない? 学校が終わった後、神事の準備の手伝いをしてたんだよ」
「昨日の朝、お姉ちゃんに、帰れないかもって伝えておいたんだけど……」
「俺がずっと部屋の中にいたせいかもしれないけど、昨日は沙夜を1度も見てないな」
「……そう」
「沙夜に何かあったのか?」
「お姉ちゃん、元気ないみたい。桜居さんと同じで、一昨日から部屋に閉じこもったまま、何も食べてないんだよ」
訊くよりも早く、
「神事のせい」
つまりは、黒川の事が原因なのだろうか。
「神事が終われば、少しずつ元気になると思うけど……このままじゃダメなんだよ。お姉ちゃんは、あたしの為に辛い目にあってきて、今でも苦しんでいる。可哀想だよ」
彩の為に?
黒川のこととは別の話なのだろうか。そうなると俺には見当もつかない。
「俺にしてやれることは無いのか?」
「……神事を見て、考えて欲しい」
村を、神事を見て欲しい。
この言葉を聞いたのはこれで何回目だろう。
「……」
よそ者の俺に村の行事を見せることが、沙夜を元気づけることに繋がるのだろうか。
彩は俺に何を求めているんだ?
「お願い、桜居さん」
「前に約束しただろ。俺にできることなら、願い事のひとつやふたつ聞いてやるって」
「うん、そうだね」
「神事は明日の夜、御神木の下で行われるの。川を背にして御神木に向かって行われるから、遠回りで川伝いに来れば近寄れると思うけど……見つからないでね」
彩は真摯な面持ちで頭を下げ、お願いしますと再び言う。
俺は神事が終わったら村を出る。
喉元まで出かかったが、話せなかった。
彩が台所に向かうのを見計らい、俺は沙夜の部屋に行った。
「沙夜?」
返事は返ってこない。
再度呼びかけてみたが、やはり答えはなかった。
物音ひとつしない。
部屋には誰も居ないのでは、とさえ思えてくる。
だが、俺が最後に、
「朝飯が冷めるぞ」
と言うと、襖の向こうから『ごめんなさい』という小さな声が返ってきた。
俺はわかったとだけ言い、居間に戻った。
彩と2人で朝食をとり、彩が洗い物をしている間に、俺は犬の500円を散歩に連れていくことにした。
沙夜は部屋から出てこなかった。
**********
散歩を終え、居間に戻ると、彩がお茶を用意してくれていた。
二人でテーブルに向かい合う。
「すっかり懐いちゃったね」
シロシロが体をすり寄せてくる。
俺が首のあたりを撫でてやると、白猫は気持ちよさそうに大きな目を細め、ごろごろと喉を鳴らす。
「桜居さん」
「ん?」
「外の話を聞かせて欲しいんだけど……」
控え目に訊いてくる、彩。
「俺が住んでいる街のことでいいのか?」
「できれば、学校の話がいいな」
「彩はいま何歳だ?」
「今年で14歳だよ」
「それなら、中学生の時の話にするか」
意図を察し、彩が嬉しそうに頷く。
俺は話し始める。
入学式から、最初の学校行事、期末テストの話……長いあいだ思い出すことのなかった記憶をたぐり寄せながら、順を追って話を進めていった。
はじめは曖昧だった記憶も、話していくと徐々に輪郭を帯びてくる。
俺の記憶の中には、中学生のときの俺がしっかりと残っていた。
懐かしい。
ただただ懐かしかった。
彩にとっては、話のすべてが新鮮らしく、時折、誰に聞いたのかはわからないけれど、自分の中にある外の知識と俺の話とを照らし合わせては質問をしてくる。
「でな、1年生が終わる直前に──」
学年末テストの話が終わったところで、思わず言葉が途切れてしまう。
そうだ、1年生の終わり。
クラスメイトの誰もが、春休み気分になりつつあった時。
そんな時期に、黒川葉子が転校してきたんだ。
覚えている。
いや、こうして過去を話しているお陰で思い出してきた。
黒川は転校の初日に遅刻してきて、さらに自分のクラスを間違えて、俺のいたクラスに駆け込んできたんだ。
あれは笑った。
教師も含めてクラス全員で笑ったことを覚えている。
「何があったの?」
彩が続きを待ち遠しそうにしている。
「同じ学年に、女の子が転校してきてな。そいつが……」
当時のことを話せば話すほど、霧が晴れるように記憶が明瞭になっていく。
2年になって、俺と黒川は同じクラスになった。
だが、座席も遠かったし、会話もほとんどなかった。
始めのうちは、お互いに用があれば話す程度の、ただのクラスメイト同士だった。
『10年前の3月14日から──』
『死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好きでした』
10年前の3月14日、
だんだんと話がその日に近づいていく。
知らない。
覚えていない、そう思っていたこと。
それが、はっきりとした映像となって、俺の脳裏に染み出して来つつある。
そして──
『彼女は毎日苦しんでいました』
『長く生きられないことは、小学生のときに医師に言われて知っていました』
『痛みと苦しみを抱えながらずっと生きていたんです。死の瞬間まで』
『私や桜居さんには想像もできないような、苦痛に耐えながら、彼女は生きていたの』
『桜居さんは知ってるよ、その事。昔のことだから覚えてないだけ』
詠が話してくれた、これらの言葉を裏付けするような記憶が、少しずつだが確実に掘り起こされてくる。
アイツは学校を休みがちで。
体育は必ず見学だった。
授業中に保健室に行くことも多かった気がする。
「そろそろ疲れた。今日はここまでな」
中2の2学期が終わったところで、俺は話を中断する。
「うん。じゃあ、またお茶を入れてくるね」
彩が台所に姿を消す。
中断した俺の学生生活は、頭の中で進み続けていた。
俺と黒川は、それほどの接点を持たないまま、10年前の3月14日を迎えようとしていた。
襖の向こうから、遠慮がちな声がする。
「朝ご飯、食べられる?」
「ああ」
襖を開けると、彩が驚きの表情を浮かべ、すぐに笑顔になる。
「なんだ?」
「元気になったんだね」
「悪かったな、心配させて」
「ううん」
「ところで、昨日はいつ帰ってきたんだ?」
俺は一晩中起きていたが、彩が帰ってきたことに気づかなかった。
「昨日? さっき帰ってきたばかりだよ」
「……てことは、神社に泊まったのか?」
「あれ、お姉ちゃんから聞いてない? 学校が終わった後、神事の準備の手伝いをしてたんだよ」
「昨日の朝、お姉ちゃんに、帰れないかもって伝えておいたんだけど……」
「俺がずっと部屋の中にいたせいかもしれないけど、昨日は沙夜を1度も見てないな」
「……そう」
「沙夜に何かあったのか?」
「お姉ちゃん、元気ないみたい。桜居さんと同じで、一昨日から部屋に閉じこもったまま、何も食べてないんだよ」
訊くよりも早く、
「神事のせい」
つまりは、黒川の事が原因なのだろうか。
「神事が終われば、少しずつ元気になると思うけど……このままじゃダメなんだよ。お姉ちゃんは、あたしの為に辛い目にあってきて、今でも苦しんでいる。可哀想だよ」
彩の為に?
黒川のこととは別の話なのだろうか。そうなると俺には見当もつかない。
「俺にしてやれることは無いのか?」
「……神事を見て、考えて欲しい」
村を、神事を見て欲しい。
この言葉を聞いたのはこれで何回目だろう。
「……」
よそ者の俺に村の行事を見せることが、沙夜を元気づけることに繋がるのだろうか。
彩は俺に何を求めているんだ?
「お願い、桜居さん」
「前に約束しただろ。俺にできることなら、願い事のひとつやふたつ聞いてやるって」
「うん、そうだね」
「神事は明日の夜、御神木の下で行われるの。川を背にして御神木に向かって行われるから、遠回りで川伝いに来れば近寄れると思うけど……見つからないでね」
彩は真摯な面持ちで頭を下げ、お願いしますと再び言う。
俺は神事が終わったら村を出る。
喉元まで出かかったが、話せなかった。
彩が台所に向かうのを見計らい、俺は沙夜の部屋に行った。
「沙夜?」
返事は返ってこない。
再度呼びかけてみたが、やはり答えはなかった。
物音ひとつしない。
部屋には誰も居ないのでは、とさえ思えてくる。
だが、俺が最後に、
「朝飯が冷めるぞ」
と言うと、襖の向こうから『ごめんなさい』という小さな声が返ってきた。
俺はわかったとだけ言い、居間に戻った。
彩と2人で朝食をとり、彩が洗い物をしている間に、俺は犬の500円を散歩に連れていくことにした。
沙夜は部屋から出てこなかった。
**********
散歩を終え、居間に戻ると、彩がお茶を用意してくれていた。
二人でテーブルに向かい合う。
「すっかり懐いちゃったね」
シロシロが体をすり寄せてくる。
俺が首のあたりを撫でてやると、白猫は気持ちよさそうに大きな目を細め、ごろごろと喉を鳴らす。
「桜居さん」
「ん?」
「外の話を聞かせて欲しいんだけど……」
控え目に訊いてくる、彩。
「俺が住んでいる街のことでいいのか?」
「できれば、学校の話がいいな」
「彩はいま何歳だ?」
「今年で14歳だよ」
「それなら、中学生の時の話にするか」
意図を察し、彩が嬉しそうに頷く。
俺は話し始める。
入学式から、最初の学校行事、期末テストの話……長いあいだ思い出すことのなかった記憶をたぐり寄せながら、順を追って話を進めていった。
はじめは曖昧だった記憶も、話していくと徐々に輪郭を帯びてくる。
俺の記憶の中には、中学生のときの俺がしっかりと残っていた。
懐かしい。
ただただ懐かしかった。
彩にとっては、話のすべてが新鮮らしく、時折、誰に聞いたのかはわからないけれど、自分の中にある外の知識と俺の話とを照らし合わせては質問をしてくる。
「でな、1年生が終わる直前に──」
学年末テストの話が終わったところで、思わず言葉が途切れてしまう。
そうだ、1年生の終わり。
クラスメイトの誰もが、春休み気分になりつつあった時。
そんな時期に、黒川葉子が転校してきたんだ。
覚えている。
いや、こうして過去を話しているお陰で思い出してきた。
黒川は転校の初日に遅刻してきて、さらに自分のクラスを間違えて、俺のいたクラスに駆け込んできたんだ。
あれは笑った。
教師も含めてクラス全員で笑ったことを覚えている。
「何があったの?」
彩が続きを待ち遠しそうにしている。
「同じ学年に、女の子が転校してきてな。そいつが……」
当時のことを話せば話すほど、霧が晴れるように記憶が明瞭になっていく。
2年になって、俺と黒川は同じクラスになった。
だが、座席も遠かったし、会話もほとんどなかった。
始めのうちは、お互いに用があれば話す程度の、ただのクラスメイト同士だった。
『10年前の3月14日から──』
『死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好きでした』
10年前の3月14日、
だんだんと話がその日に近づいていく。
知らない。
覚えていない、そう思っていたこと。
それが、はっきりとした映像となって、俺の脳裏に染み出して来つつある。
そして──
『彼女は毎日苦しんでいました』
『長く生きられないことは、小学生のときに医師に言われて知っていました』
『痛みと苦しみを抱えながらずっと生きていたんです。死の瞬間まで』
『私や桜居さんには想像もできないような、苦痛に耐えながら、彼女は生きていたの』
『桜居さんは知ってるよ、その事。昔のことだから覚えてないだけ』
詠が話してくれた、これらの言葉を裏付けするような記憶が、少しずつだが確実に掘り起こされてくる。
アイツは学校を休みがちで。
体育は必ず見学だった。
授業中に保健室に行くことも多かった気がする。
「そろそろ疲れた。今日はここまでな」
中2の2学期が終わったところで、俺は話を中断する。
「うん。じゃあ、またお茶を入れてくるね」
彩が台所に姿を消す。
中断した俺の学生生活は、頭の中で進み続けていた。
俺と黒川は、それほどの接点を持たないまま、10年前の3月14日を迎えようとしていた。
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