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過去 - Aya Nagamine -
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「ざん?」
聞き返すと、お母さんはそうよと言った。
「彩にはまだ難しいのかもしれないわね」
「うん、むずかしい」
お母さんはあたしに難しい話をすることが多かった。
「これを見て頂戴」
「わぁ、指輪」
お母さんは左手の薬指に指輪をみっつ重ねてしていた。ひとつは金色で、もうひとつは銀色、そして指の根元には茶色い指輪があった。
「きれいだね」
「お父さんにもらったの。ひとつは違うけど」
お父さん。
死んでしまったお父さん……。
あたしはお父さんのことを何一つ覚えてない
「じっとこの指輪を見ていて」
「うん……」
「じゃあ、そのまま目を閉じてみて」
あたしは言われたとおりに目を閉じた。
瞼の奥にはまだ輝く指輪の残像が残っていた。でもすぐに淡い闇に塗りつぶされてしまう。何も見えない。
「何か感じないかしら」
「うーん」
お母さんの期待に答えようと集中してみたけど、何も感じなかった。
「うーん」
あたしと一緒になってお母さんも唸っていた。
「今日は終わりにしましょう。もうすぐ沙夜が学校から帰ってくるわ。そうしたら、おやつにしましょうね」
「うんっ」
「今日はクッキーにしましょうか」
「やったー。あたし、お母さんのクッキー大好き」
「もうすこし彩が大きくなったら、作り方を教えてあげるわ」
「ほんとう?」
「ええ、本当よ」
「はやく大きくなりたいな」
お母さんはあたしの頭の上に手を置いて、神様に祈りを捧げた。それから布団から出て、ゆっくりと立ちあがった。
あたしが物心ついた時には、お母さんは体調を崩していて、年を負うごとにだんだんと具合は悪くなっていった。
「彩、」
「なーに、お母さん?」
「お父さんはね、絶対に村に帰ってきて私たちに会うんだって──一生懸命に頑張ったんだけど、辿りつけなかったの」
「……うん」
「村の人たちが色々なことを言うかもしれないけれど」
「うん」
「お父さんのこと、」
「うん」
「お母さんは今も大好きよ」
言って、笑う。
その微笑は、あたしやお姉ちゃんに向けられるものとは違っていた。笑顔の中には様々な感情が含まれていた。
「彩にお願いがあるの」
彩──
いつか、助けてあげて欲しいの──
お母さんは確かにそう言った。
私は満足に歩くこともできなくなってしまったから──
あなたが代わりに──
あたしはまだ幼くて、本当はお母さんが何を頼んでいるのかさえ分かっていなかった。
ただお母さんが悲しそうな顔をしていたから。
だから、あたしは返事をしたんだ。
「あたしが──を助けてあげるよ。だから心配しないで」
誰を?
あたしがお母さんの代わりに助ける?
お父さんを?
死んでしまったお父さんを助ける?
それともお姉ちゃんを?
わからない。
思い出せない。
あたしにはお母さんがあの日、誰を助けるのかを話してくれたのかさえ思い出せなかった。あたしが思い出せるのはこれだけ。
お母さんから習った切(キリ)や残(ザン)は──すべては、あの時のお母さんの頼みごとに関係している気がした。
**********
どうして今になってこんな夢を見たのだろう。
あたしは天井を見ながら、夢のことを考えていた。あたしの部屋で唯一綺麗なのは天井だけだ。
「……ん」
左肩から背中にかけてが痛む。
「お姉ちゃん、桜居さん」
「具合はどうかしら、彩」
「お姉ちゃん、あたし……」
「ごめんなさい。私が散歩になんていかなければ」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ。夜までは大丈夫だって思ってたんだけどね」
「あまり心配させないで」
「……うん。そういえば、デート楽しかった?」
「ばか」
「ふふ。お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ」
「そ、そんなことない」
「うん。冗談」
「……」
「お姉ちゃん、目が怖いよ」
「そう?」
「ごめんなさい」
お姉ちゃんは表情を柔らかくして、
「とにかく良かったわ。ちょっと最近、周期の間隔が不安定ね」
「うん」
「あ、」
「なに?」
「彩にプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
「はい、これ。見覚えがあるでしょう?」
「これってお母さんの指輪?」
「まだ彩の指に合いそうにないと思ったから、ネックレスにしてみたの。あまり可愛くないかもしれないけど大切にしてね」
「ありがとう、お姉ちゃん。すごく嬉しい」
「うん」
「……んん」
桜居さんが寝返りを打つ。
「一緒に起きてるって言ってたのに寝てるし、いい気なものね」
「お姉ちゃん、ごめんね」
「いいのよ。そんなこと言わなくて」
「お姉ちゃん……」
「どうしたの?」
「……」
夢を見た後だからかもしれないけど、お姉ちゃんの口調や仕草は夢の中のお母さんにそっくりだった。
誰がなんと言おうと、お姉ちゃんはお母さんの子どもであたしの大切なお姉ちゃんだ。
「言っていいわよ」
「お母さん……みたい」
お姉ちゃんは優しい目をして、あたしの頭を撫でた。それがまた夢のお母さんと重なって見えて、あたしはお姉ちゃんに抱きつく。
お母さんはもういない。
お父さんももういない。
でもあたしには、お姉ちゃんがいる。
こんなにも優しくて温かいお姉ちゃんがいてくれる。そのことが幸せで、同時に、あたしのような妹を持ってしまった、お姉ちゃんのことが可愛そうで悲しくなった。
聞き返すと、お母さんはそうよと言った。
「彩にはまだ難しいのかもしれないわね」
「うん、むずかしい」
お母さんはあたしに難しい話をすることが多かった。
「これを見て頂戴」
「わぁ、指輪」
お母さんは左手の薬指に指輪をみっつ重ねてしていた。ひとつは金色で、もうひとつは銀色、そして指の根元には茶色い指輪があった。
「きれいだね」
「お父さんにもらったの。ひとつは違うけど」
お父さん。
死んでしまったお父さん……。
あたしはお父さんのことを何一つ覚えてない
「じっとこの指輪を見ていて」
「うん……」
「じゃあ、そのまま目を閉じてみて」
あたしは言われたとおりに目を閉じた。
瞼の奥にはまだ輝く指輪の残像が残っていた。でもすぐに淡い闇に塗りつぶされてしまう。何も見えない。
「何か感じないかしら」
「うーん」
お母さんの期待に答えようと集中してみたけど、何も感じなかった。
「うーん」
あたしと一緒になってお母さんも唸っていた。
「今日は終わりにしましょう。もうすぐ沙夜が学校から帰ってくるわ。そうしたら、おやつにしましょうね」
「うんっ」
「今日はクッキーにしましょうか」
「やったー。あたし、お母さんのクッキー大好き」
「もうすこし彩が大きくなったら、作り方を教えてあげるわ」
「ほんとう?」
「ええ、本当よ」
「はやく大きくなりたいな」
お母さんはあたしの頭の上に手を置いて、神様に祈りを捧げた。それから布団から出て、ゆっくりと立ちあがった。
あたしが物心ついた時には、お母さんは体調を崩していて、年を負うごとにだんだんと具合は悪くなっていった。
「彩、」
「なーに、お母さん?」
「お父さんはね、絶対に村に帰ってきて私たちに会うんだって──一生懸命に頑張ったんだけど、辿りつけなかったの」
「……うん」
「村の人たちが色々なことを言うかもしれないけれど」
「うん」
「お父さんのこと、」
「うん」
「お母さんは今も大好きよ」
言って、笑う。
その微笑は、あたしやお姉ちゃんに向けられるものとは違っていた。笑顔の中には様々な感情が含まれていた。
「彩にお願いがあるの」
彩──
いつか、助けてあげて欲しいの──
お母さんは確かにそう言った。
私は満足に歩くこともできなくなってしまったから──
あなたが代わりに──
あたしはまだ幼くて、本当はお母さんが何を頼んでいるのかさえ分かっていなかった。
ただお母さんが悲しそうな顔をしていたから。
だから、あたしは返事をしたんだ。
「あたしが──を助けてあげるよ。だから心配しないで」
誰を?
あたしがお母さんの代わりに助ける?
お父さんを?
死んでしまったお父さんを助ける?
それともお姉ちゃんを?
わからない。
思い出せない。
あたしにはお母さんがあの日、誰を助けるのかを話してくれたのかさえ思い出せなかった。あたしが思い出せるのはこれだけ。
お母さんから習った切(キリ)や残(ザン)は──すべては、あの時のお母さんの頼みごとに関係している気がした。
**********
どうして今になってこんな夢を見たのだろう。
あたしは天井を見ながら、夢のことを考えていた。あたしの部屋で唯一綺麗なのは天井だけだ。
「……ん」
左肩から背中にかけてが痛む。
「お姉ちゃん、桜居さん」
「具合はどうかしら、彩」
「お姉ちゃん、あたし……」
「ごめんなさい。私が散歩になんていかなければ」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ。夜までは大丈夫だって思ってたんだけどね」
「あまり心配させないで」
「……うん。そういえば、デート楽しかった?」
「ばか」
「ふふ。お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ」
「そ、そんなことない」
「うん。冗談」
「……」
「お姉ちゃん、目が怖いよ」
「そう?」
「ごめんなさい」
お姉ちゃんは表情を柔らかくして、
「とにかく良かったわ。ちょっと最近、周期の間隔が不安定ね」
「うん」
「あ、」
「なに?」
「彩にプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
「はい、これ。見覚えがあるでしょう?」
「これってお母さんの指輪?」
「まだ彩の指に合いそうにないと思ったから、ネックレスにしてみたの。あまり可愛くないかもしれないけど大切にしてね」
「ありがとう、お姉ちゃん。すごく嬉しい」
「うん」
「……んん」
桜居さんが寝返りを打つ。
「一緒に起きてるって言ってたのに寝てるし、いい気なものね」
「お姉ちゃん、ごめんね」
「いいのよ。そんなこと言わなくて」
「お姉ちゃん……」
「どうしたの?」
「……」
夢を見た後だからかもしれないけど、お姉ちゃんの口調や仕草は夢の中のお母さんにそっくりだった。
誰がなんと言おうと、お姉ちゃんはお母さんの子どもであたしの大切なお姉ちゃんだ。
「言っていいわよ」
「お母さん……みたい」
お姉ちゃんは優しい目をして、あたしの頭を撫でた。それがまた夢のお母さんと重なって見えて、あたしはお姉ちゃんに抱きつく。
お母さんはもういない。
お父さんももういない。
でもあたしには、お姉ちゃんがいる。
こんなにも優しくて温かいお姉ちゃんがいてくれる。そのことが幸せで、同時に、あたしのような妹を持ってしまった、お姉ちゃんのことが可愛そうで悲しくなった。
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