桜夜 ―桜雪の夜、少女は彼女の恋を見る―

白河マナ

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第29話 抗う心

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 彩は深く考えた様子も無いまま、村を出たいと言った。
 もしかしたら俺がいないときに沙夜と2人で話し合ったのかもしれない。

 俺が500円とシロシロはどうするんだと訊くと、詠に世話を頼むことにしていると沙夜は答えた。

 彩は寂しそうな顔をしたけれど、なにも言わなかった。
 俺は最後にもう一度だけ2人の気持ちを確認した。そしてシロシロと500円を連れて3人と2匹で神社に行った。

 俺たちは神主さんを含めて4人で話をした。
 といっても、村を出ることについて神主さんと話し合ったわけではなく、神主さんは少ない言葉で2人の意志を確認しただけだった。

 神主さんは村を出ることを許してくれた。
 500円とシロシロを詠に預けたいという沙夜の願いも許可してくれた。

 話が終わると神主さんは沙夜と彩を抱きしめて、頑張りなさいと言った。
 その言葉には、村に来て間もない俺なんかには理解できない複雑な思いが込められている気がして、胸に来るものがあった。

 俺は、明日、村を出ていくことを告げた。
 神主さんは、わかりましたとだけ言った。

 部屋を出て廊下を歩く。
 彩が玄関の靴の上で丸くなっていた白猫を抱きかかえる。

 シロシロは、にゃーにゃーと彩に甘えるように鳴いていた。沙夜が顎の下を掻いてやると、ごろごろと気持ち良さそうに目を細め、またにゃーと鳴いた。

 外に出て、俺は木に結び付けていた紐を解き、500円を連れて境内に向かう。
 詠はいつものように境内の掃除をしていた。一面に敷き詰められた小石の上の木の枝や葉っぱだけを上手に掃き集めている。

 詠の手が止まる。
 俺たちの方を向いて、頭を下げた。

 沙夜と彩は500円とシロシロを詠に飼ってもらえるよう頼んだ。2人が村を出るということを知って、しばらく戸惑っていたが、最終的には詠も頷いてくれた。

 詠はシロシロを彩から受け取り、嬉しそうに微笑む。
 俺が『悪い』と言うと『桜居さんは何も悪いことしてないですよ』と、ほんの少し怒って言った。

「安心しました。桜居さん、ありがとう」

 シロシロがそれに同意するように、にゃーと鳴く。
 安心──沙夜のことだろうか。

「沙夜ちゃん、さようなら。ずっと力になれなくて、ごめんね」

「……ばかね。詠がいたから私と彩は今まで2人で暮らしてこれたのよ。ありがとう」

「さようなら、詠さん」

「……うん」

「詠、」

 お前も一緒に来ないか?
 そんなことを言える筈もなかった。

「私は、大丈夫だよ……寂しくなるけどね」

 詠は月使として村の神事を司っている。詠の存在は、すべての村人の拠所と言っていい。
 詠は希望なのだ、村の。

 今は神主さんもいるから詠の負担は軽減されている。
 だが神主さんはいずれ死んでしまう。呪いによって着実に体を蝕まれている。
 万が一のことばあれば──そうなればますます詠の存在は村にとって必要不可欠になってくる。そのことに、詠の意思が入り込む余地はないように思える。

「ありがとう、桜居さん」

「私は、桜居さんのおかげで、もうひとつの──仮初めかもしれないけれど、見ることができました」

「……どういうことかわからないが、それは詠にとって良かったことなのか」

「うん、すごく」

「……」

「わからなくていいんだよ」

「さようなら、桜居さん」

「元気でな。500円とシロシロのこと、よろしくな」

「うん」

 俺たちは長峰家に帰った。

 2人は家に着くなり、慌ただしく家を出る準備をはじめた。
 俺は特にやることもなく、お茶を飲みながらぼんやりと天井を見ていた。

 500円とシロシロがいなくなっただけで、家全体の雰囲気が変わってしまったような気がした。明日俺たちが居なくなったらこの家はどうなるのだろう。

「……」

 しばらくしてから、
 俺は風呂の水を抜いて、湯船を洗って、水を張って、風呂を沸かした。

 2人の様子をのぞいてみると、沙夜と彩はタンスの引出しを全部出して、必要なものと不要なものを選別していた。まだまだ終わりそうになかった。

 俺は、散歩に出た。
 行き慣れた散歩ルートを通り川原まで歩いて御神木の前に戻ってくると、詠が供え物を換えているところに出くわした。

「桜居さん?」

「ここで会うのは、2度目だな」

「雪の日、以来ですね」

「桜も満開だったな。夜で、月も出ていたっけ……」

 俺は桜の木の下に仰向けで寝そべる。
 巫女装束を着た詠が、ゆっくりと歩いてくる。

 今は昼間で星も月も出ていない、桜の花びらも雪も舞っていなかったけれど、あの時のことを思い出すことは十分にできた。
 詠は屈みこみ、俺のことをじっと見つめる。

 そして、

「宏くん……」

 と言った。

「やっと会えた」

「……」

「この人が、体を貸してくれたの。でも、あんまり時間ないみたいだから、簡単に言うね」

「……」

「会いたかった。会って、伝えたい言葉があったから」

「……奇遇だな。俺も、言いたいことが……あったんだ……」

 詠の長い銀色を含む黒髪が風に揺れる。冷たい風。
 満開の桜。
 空一面の雪の粒。
 降ってきた雪が俺の頬に触れ、溶け、頬を滑って草の上に落ちる。

 実際には、
 今は日中で、
 雪も桜の花もないけれど、
 俺は頬に雪の冷たさを感じ、桜の花びらを眺めていた。

 あの夜──俺は──

「冗談だよ」

 詠は急に表情を和らげる。
 とりあえず、軽く頭突きをお見舞いする。
 ごつ、という鈍い音がした。

「痛い~……」

「お前の冗談は判りにくい」

 俺は上半身だけ起きる。

「うぅ~……」

「そんなに痛くなかっただろ?」

「記憶を失いそうになったよ~」

「大げさなヤツ」

「もう会えないのに、なんでこんなことするんですか!」

「んー、なんとなく」

 俺は笑って答えた。

「きっと血が出てるよ~」

 両手で額を押さえながら、詠は涙目で言う。

「出てないって」

 詠の両手をどかして、額を覗き込む。少し赤くなっているが、血は出てなかった。

「ほら、やっぱり出、」

 詠が顔を傾け、俺に近づける。
 弱々しい風が吹き、詠の髪からは桜のいい匂いがした。
 自分が何をされたかを理解するのに数秒かかった。

 唇に冷たい感触が残る。
 詠はすぐに俺から体を離し、気まずそうな顔をする。その両目は涙で潤んでいた。

 何かを言いたい。でもどうしても言えない。
 そんな詠の葛藤が痛いほど伝わってくる。

 俺は、そっと詠の肩を抱き、そしてその身を引き寄せた。
 やがて詠は声を出して泣きはじめた。

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