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第30話 母の指輪
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「死ぬ……」
大きな鞄を肩にかけ直す。
重い荷物を持ちながら、既に五キロ以上は歩いている。しかも山道をだ。
「ごめんなさい、桜居さん。荷物が多くて」
温かい声をかけてくれる彩。
「だらしない男ね」
冷たい姉。
と言いたいところだが、その表情には笑みが浮かび、口調は優しい。
二人ともそれぞれに荷物を抱えているが元気だ。
「で、駅は山の上にあるのか」
「うーん。あたしは西の方角にあるとしか知らないよ」
聞かなかったことにして、沙夜に顔を向ける。
「あと三キロくらい歩けば長い吊り橋があるわ。橋を渡ったら山道を降りて、かなり歩くけど駅に着くはずよ。一本道だから迷うことはないと思う」
「地図は?」
「私の頭の中。村に来た時の記憶だから確かよ」
「……」
何年前の記憶なんだろうか……。
やや心配だったが、人が踏み固めた道がずっと続いていた。道は、今も使われているように思えた。
「ちなみに食べ物は持ってきているのか?」
「おにぎりがあるよ」
「大丈夫よ。午後には駅に着くから」
「そう願う」
途中、小川があったので、そこで休憩した。
沙夜の言ったとおり、正午過ぎに俺たちは駅に着いた。
「……」
森里駅は廃駅になっていた。
線路には雑草が茂っていて、ただ平地にぽつんと朽ちかけた駅舎だけが建っていた。線路の片側には車止めがついているので先はない。
昼食をとりながら一旦村に戻るべきか3人で話し合った結果、このまま線路伝いに歩いていくことになった。
線路は雑草のせいで歩きにくかった。
適度に休みながらひたすら歩く。
「桜居さん、何か話をして」
「疲れるから嫌だ」
「黙って歩いてても、疲れるわ」
彩は頷く。
「なんで俺が話す側なんだ」
「これから行く世界のことを知りたいからだよ」
「たいして変わらないぞ。ただ、人が呆れるほど多くて、空気が汚くて、自然が少なくて、車が沢山走ってて、見渡す限り建物ばかりだけどな」
「……充分、変わってるよ」
「沙夜から村の外のことは聞いてないのか」
「お姉ちゃん、外のことはずっと教えてくれなかったから」
「意地悪な姉だな」
「……下手に希望を持たせたくなかったからよ」
「じゃあ、今ならいいはずだよな」
そう言う俺の顔を見て、
「そうね」
「良かったな、彩。沙夜が話をしてくれるらしいぞ」
「うんっ」
「なんだか巧みに陥れられたような気がするけれど」
「気のせいだ」
「まあ、いいわ」
俺は歩きながら沙夜の話に耳を傾ける。
沙夜は、小学校に入学して間もないころ、両親に連れられて村に引っ越してきたのだと言った。
沙夜が話してくれたのは、わずかな期間通った学校のことや、近所にあった駄菓子屋のこと、家族で行った公園での出来事といったような内容だった。
正直、彩の参考になるような話じゃなかった。
でも彩は村に来る前の沙夜のことを教えてもらえたことが嬉しいみたいで、終始笑顔だった。
**********
月が出ていた。
森の中は暗く、明かりがなければ、数歩先さえ見えない。
ずっと線路の上を歩いていたが、左手の山の中腹にぼんやりと明かりが見えたので、俺たちはその明かりを目標に歩くことにした。
懐中電灯で前方を照らしながら、足元に注意しつつ山道を歩き続ける。
目標の光は大きくなってきていたが、まだ遠い。
時折、小さな光が凄い速度で暗闇を駆け抜けていった。それは車のヘッドライトに違いなかった。
彩は俺の背中で眠っている。
俺が彩を背負い、沙夜が彩の荷物を持つことになって、歩く速度はそれまでの半分以下になった。
「……疲れたな」
「そうね」
「なあ、そろそろ聞いていいか」
「何のこと?」
「村を出ることができたら、全てを教えてくれるって言っただろ」
「そんなこと、言ったかしら」
「言った」
立ち止まり、沙夜は荷物を置く。
「少し、休みましょう」
鞄の中からビニールの大きな敷物を敷いて、沙夜はその端っこに座る。
俺も荷物を置いて、起こしてしまわないように彩を寝かし、沙夜の隣に座った。
「何から話していいのかわからないけれど……まずは彩のことにするわ。私がそれに気づいたのはつい最近のことよ。お母さんは、いつも3つの指輪をしていたの」
「指輪?」
「お母さんは、死んでしまう何日か前に、私にそのうちの一つの指輪をくれた。その時、お母さんは私に何かを伝えようとしたの。でも声が小さすぎて聞き取れなかった」
「……それが彩とどう関係があるんだ」
「今思えば、お母さんは、指輪を彩にあげたかったのだと思うの。お母さんが何年も村を出ていられた理由は、たぶんあの指輪にあるから」
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「指輪は御神木の枝から作ったものなの。木の指輪。彩たちの呪いは、村の外に出ると急激に進行すると言われているわ。では、村の外と村の中の違いは何? 澄んだ空気? 綺麗な水? 食べ物? 私はどれも違うと思う。御神木があるからよ」
「……」
「あの木には不思議な力があるの。桜居さんも神事を見たのなら、わかるでしょう? 呪いの苦痛を和らげる力が御神木にはある。だから、その御神木から作られたものを身に付けていたお母さんは、外の世界で平気だったのよ、たぶん」
前に沙夜は彩が村を出ても大丈夫かもしれないと言った。
これがその理由か。
「その指輪は、まだ持っているのか」
「ええ。彩の指のサイズには合わないから、首飾りにして渡して、肌身離さず付けておくように言ってあるわ。あと、彩が指輪を無くしたときのために御神木の枝を数本持ってきたから」
「……」
彩の呪いの周期は一週間前後だと聞いた。
その時がくれば、指輪の効果はわかる。だが、恐ろしかった。可能性はあると思うけれど、絶対という保証はどこにもない。
しかも神主さんがこんなことに気づかない筈がない。
どうして教えてくれなかったのだろう。
「指輪のことの他にもう一つ、桜居さんに隠していたことがあるわ」
「話したら俺が怒ると言った話か」
「そう、その話よ」
「でもどうして村から出た後なら話せるんだ」
「戻れないからよ、村には二度と」
濃い灰色の雲が月を隠し、周囲に闇が落ちてきた。俺たちは無言で月明かりが射すのを待った。
昨夜の詠の顔を思い出した。
何を想って、あの時、詠は泣いたのだろう。
見当はついていた。
だがそれはあまりにも非現実的で、素直に受け入れることはできなかった。
もし俺の想像が当たっているのなら、これまでの詠の行動や葛藤が痛いほど理解できた。
月が現れ、淡い白色を帯びた光の束が降り注ぎ、周りの草木の輪郭を浮かび上がらせる。
沙夜が話をはじめた。
大きな鞄を肩にかけ直す。
重い荷物を持ちながら、既に五キロ以上は歩いている。しかも山道をだ。
「ごめんなさい、桜居さん。荷物が多くて」
温かい声をかけてくれる彩。
「だらしない男ね」
冷たい姉。
と言いたいところだが、その表情には笑みが浮かび、口調は優しい。
二人ともそれぞれに荷物を抱えているが元気だ。
「で、駅は山の上にあるのか」
「うーん。あたしは西の方角にあるとしか知らないよ」
聞かなかったことにして、沙夜に顔を向ける。
「あと三キロくらい歩けば長い吊り橋があるわ。橋を渡ったら山道を降りて、かなり歩くけど駅に着くはずよ。一本道だから迷うことはないと思う」
「地図は?」
「私の頭の中。村に来た時の記憶だから確かよ」
「……」
何年前の記憶なんだろうか……。
やや心配だったが、人が踏み固めた道がずっと続いていた。道は、今も使われているように思えた。
「ちなみに食べ物は持ってきているのか?」
「おにぎりがあるよ」
「大丈夫よ。午後には駅に着くから」
「そう願う」
途中、小川があったので、そこで休憩した。
沙夜の言ったとおり、正午過ぎに俺たちは駅に着いた。
「……」
森里駅は廃駅になっていた。
線路には雑草が茂っていて、ただ平地にぽつんと朽ちかけた駅舎だけが建っていた。線路の片側には車止めがついているので先はない。
昼食をとりながら一旦村に戻るべきか3人で話し合った結果、このまま線路伝いに歩いていくことになった。
線路は雑草のせいで歩きにくかった。
適度に休みながらひたすら歩く。
「桜居さん、何か話をして」
「疲れるから嫌だ」
「黙って歩いてても、疲れるわ」
彩は頷く。
「なんで俺が話す側なんだ」
「これから行く世界のことを知りたいからだよ」
「たいして変わらないぞ。ただ、人が呆れるほど多くて、空気が汚くて、自然が少なくて、車が沢山走ってて、見渡す限り建物ばかりだけどな」
「……充分、変わってるよ」
「沙夜から村の外のことは聞いてないのか」
「お姉ちゃん、外のことはずっと教えてくれなかったから」
「意地悪な姉だな」
「……下手に希望を持たせたくなかったからよ」
「じゃあ、今ならいいはずだよな」
そう言う俺の顔を見て、
「そうね」
「良かったな、彩。沙夜が話をしてくれるらしいぞ」
「うんっ」
「なんだか巧みに陥れられたような気がするけれど」
「気のせいだ」
「まあ、いいわ」
俺は歩きながら沙夜の話に耳を傾ける。
沙夜は、小学校に入学して間もないころ、両親に連れられて村に引っ越してきたのだと言った。
沙夜が話してくれたのは、わずかな期間通った学校のことや、近所にあった駄菓子屋のこと、家族で行った公園での出来事といったような内容だった。
正直、彩の参考になるような話じゃなかった。
でも彩は村に来る前の沙夜のことを教えてもらえたことが嬉しいみたいで、終始笑顔だった。
**********
月が出ていた。
森の中は暗く、明かりがなければ、数歩先さえ見えない。
ずっと線路の上を歩いていたが、左手の山の中腹にぼんやりと明かりが見えたので、俺たちはその明かりを目標に歩くことにした。
懐中電灯で前方を照らしながら、足元に注意しつつ山道を歩き続ける。
目標の光は大きくなってきていたが、まだ遠い。
時折、小さな光が凄い速度で暗闇を駆け抜けていった。それは車のヘッドライトに違いなかった。
彩は俺の背中で眠っている。
俺が彩を背負い、沙夜が彩の荷物を持つことになって、歩く速度はそれまでの半分以下になった。
「……疲れたな」
「そうね」
「なあ、そろそろ聞いていいか」
「何のこと?」
「村を出ることができたら、全てを教えてくれるって言っただろ」
「そんなこと、言ったかしら」
「言った」
立ち止まり、沙夜は荷物を置く。
「少し、休みましょう」
鞄の中からビニールの大きな敷物を敷いて、沙夜はその端っこに座る。
俺も荷物を置いて、起こしてしまわないように彩を寝かし、沙夜の隣に座った。
「何から話していいのかわからないけれど……まずは彩のことにするわ。私がそれに気づいたのはつい最近のことよ。お母さんは、いつも3つの指輪をしていたの」
「指輪?」
「お母さんは、死んでしまう何日か前に、私にそのうちの一つの指輪をくれた。その時、お母さんは私に何かを伝えようとしたの。でも声が小さすぎて聞き取れなかった」
「……それが彩とどう関係があるんだ」
「今思えば、お母さんは、指輪を彩にあげたかったのだと思うの。お母さんが何年も村を出ていられた理由は、たぶんあの指輪にあるから」
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「指輪は御神木の枝から作ったものなの。木の指輪。彩たちの呪いは、村の外に出ると急激に進行すると言われているわ。では、村の外と村の中の違いは何? 澄んだ空気? 綺麗な水? 食べ物? 私はどれも違うと思う。御神木があるからよ」
「……」
「あの木には不思議な力があるの。桜居さんも神事を見たのなら、わかるでしょう? 呪いの苦痛を和らげる力が御神木にはある。だから、その御神木から作られたものを身に付けていたお母さんは、外の世界で平気だったのよ、たぶん」
前に沙夜は彩が村を出ても大丈夫かもしれないと言った。
これがその理由か。
「その指輪は、まだ持っているのか」
「ええ。彩の指のサイズには合わないから、首飾りにして渡して、肌身離さず付けておくように言ってあるわ。あと、彩が指輪を無くしたときのために御神木の枝を数本持ってきたから」
「……」
彩の呪いの周期は一週間前後だと聞いた。
その時がくれば、指輪の効果はわかる。だが、恐ろしかった。可能性はあると思うけれど、絶対という保証はどこにもない。
しかも神主さんがこんなことに気づかない筈がない。
どうして教えてくれなかったのだろう。
「指輪のことの他にもう一つ、桜居さんに隠していたことがあるわ」
「話したら俺が怒ると言った話か」
「そう、その話よ」
「でもどうして村から出た後なら話せるんだ」
「戻れないからよ、村には二度と」
濃い灰色の雲が月を隠し、周囲に闇が落ちてきた。俺たちは無言で月明かりが射すのを待った。
昨夜の詠の顔を思い出した。
何を想って、あの時、詠は泣いたのだろう。
見当はついていた。
だがそれはあまりにも非現実的で、素直に受け入れることはできなかった。
もし俺の想像が当たっているのなら、これまでの詠の行動や葛藤が痛いほど理解できた。
月が現れ、淡い白色を帯びた光の束が降り注ぎ、周りの草木の輪郭を浮かび上がらせる。
沙夜が話をはじめた。
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