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第1章 サタナエルの息吹
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「倒れたのはただの疲労からだわ」
ライズは井戸水を汲んで戻ってきたリットに説明した。やはり特に外傷はなく、魔法を使う必要がないということも。
しかし、ライズはしきりに何かを考えている様子だった。
「お爺ちゃん呼んでくる? もしかしたら悪い人かもしれないよ」
「今日はもう遅いから明日にしましょう」
好奇に満ちた瞳で、男の顔を覗き込んでいるリットに言う。
「さあ、あなたはもう寝なさい」
「お母さんは?」
首を左右に振って娘の頭に手をのせる。
「あなたには朝になったら、お爺ちゃんの所に行ってきてもらうわ。おやすみなさい」
額にキスをして娘を部屋へと促す。
リットは黙って頷き、パタパタと足音をたてながら自室へと向かった。
「………」
魔法の光が室内を淡く照らす。
ライズは、ベッドの脇に椅子を置いて座る。男が目を開けたのは、光の球を新しくしてから間もなくのことだった。
「申し訳ございません、ライズ様」
唐突に男が口を開く。
「で、なんの用かしら」
ライズの言葉には、男を訝しむ感情が含まれている。
「私はもうシリウスとは、」
「ギルドとは関係ありません。これは俺の個人的な頼みです」
男は半身を起こす。
「その首枷のことかしら」
男は小さく頷く。
「経緯は聞いてもいいのかしら」
「……」
男は答えない。
「なるほどね。そのモジュレータは、誰かに付けられたのね。で、たぶん、ウイルス入りのプレートを吸わせられた」
男は頷き、
「これを外すことはできるでしょうか」
「恐らくね。でも、その前に聞きたいことがあるわ」
ライズはふっと表情を崩し、
「妹さんは元気?」
と、言った。
「どうしてそれを……」
「ライザから聞いたことがあってね。七年前の、終戦の翌日──私と同じように、ギルドを辞めた人がいたって」
それもその理由というのが、病弱な妹の静養のために、和平条約を結んだばかりのゼノン公国にあるオーバーバウデンという温泉郷に移り住むというものだった。
ライズは自分が辞める理由と同じく、守るべき大切なもののために生きることを選んだ男に、妙な親近感を覚えていた。
だからこそ、七年経った今でもはっきりと、
「名前は、ジード。ジード=スケイル。あってるわよね?」
男はライズに自分のことが知られているとは、思ってもみなかった。
「いいわ。シリウスじゃなくて、あなた個人の頼みというのなら、特別に叶えてあげましょう。用事はそれだけ?」
ジードは間をおき、頷く。
ライズは優しく微笑む。
立ち上がり、ジードを椅子に座らせ、手が届くくらいの距離に立つ。ライズの左腕の『ルイン』が鈍く光り、それに伴い、目まぐるしい速さで印が結ばれていく。
言葉を発することなく、ライズの魔法が完成する。
ライズが両手で包み込むようにしてジードの首枷に触れると、枷は音もなく外れ、まっすぐ床に落ちた。
だが、その瞬間──ジードの右手から閃光が走り──その狙いは寸分違わずライズの首筋を捉えていた。
鮮血が部屋中に飛び散り、切断されたライズの首が壁に勢いよくぶつかって跳ね返り、ジードの足元に転がる。
ライズは床に崩れた。
血だまりが床を這うように広がっていく。
「……すまない」
ジードは血で濡れた剣を落とし、ぽつりと呟いた。その表情からは、どんな感情も窺い知ることはできなかった。
『妹さんは元気?』
先ほどのライズの言葉が耳につく。
人を殺したのは初めてのことではなかったが、その時は、戦争という特殊な状況下だった。今回は違う。
シリウスに対する裏切り行為に他ならない。
罪悪感──
やるせない気持ちが、胸を圧迫する。
肉親を斬り捨てたかのような、えもいわれぬ感触が右手に残っている。
いかに『破滅の魔女』と呼ばれたライズと言えど、あの無防備な状態で攻撃を避けることなどできるはずがなかった。
ジードが立ち尽くしていたのは、時間にすると四秒弱──
「ふうん、魔法剣ね。なにを隠してるのかと思ったらそんなものか」
「っ!」
ジードが驚いて視線を足下にやると、切断された首と死体は跡形もなく、床一面の鮮血も消えていた。
「下手クソな芝居だったな」
穏和な表情は消え失せ、ライズは鋭い眼光で男を見据える。
強烈な威圧感。
全身が総毛立ち、ジードは一歩も動くことができない。
「私の生活を脅かす者は、誰であろうと殺す」
絶対に逃げきることはできないと、ジードは悟った。ただ、妹のことだけが気がかりだった。ひどく頼りない妹が、無事に解放された後、この先ひとりで生きていけるのか。
「痛みは感じない、一瞬で跡形もなく消してやる」
「……そうしてくれ」
「えらく往生際がいいんだな」
「俺の仕事は終わった。ひとつだけ……心残りがあるが、もういい。殺してくれ」
両目を閉じ、ジードは死を待つ。
ところが、なかなかライズから一撃は放たれなかった。そして、
「やめたわ。殺してあげない」
「え?」
目を開けると、ライズは柔らかな表情に戻っていた。それとは対照的に、なぜだという顔をするジード。
「だって、脅されてるのでしょう? 妹さんが攫われて、私の命が返す条件とか。相手は、ゼノンの反政府組織ってところかしら。でもあなたを束縛していた首枷は……シリウスも一枚噛んでるのかしら?」
ジードは答えられない。
「もう喋っても大丈夫よ。首枷と同時に、指輪のも解除しておいたから」
ライズが指差す先に、銀色の指輪が割れ落ちている。
「……どうしてそこまで」
「そんなことより事情が聞きたいわ」
ジードはライズの予想を大筋で肯定し、より深い事情を話しはじめた。
ライズは井戸水を汲んで戻ってきたリットに説明した。やはり特に外傷はなく、魔法を使う必要がないということも。
しかし、ライズはしきりに何かを考えている様子だった。
「お爺ちゃん呼んでくる? もしかしたら悪い人かもしれないよ」
「今日はもう遅いから明日にしましょう」
好奇に満ちた瞳で、男の顔を覗き込んでいるリットに言う。
「さあ、あなたはもう寝なさい」
「お母さんは?」
首を左右に振って娘の頭に手をのせる。
「あなたには朝になったら、お爺ちゃんの所に行ってきてもらうわ。おやすみなさい」
額にキスをして娘を部屋へと促す。
リットは黙って頷き、パタパタと足音をたてながら自室へと向かった。
「………」
魔法の光が室内を淡く照らす。
ライズは、ベッドの脇に椅子を置いて座る。男が目を開けたのは、光の球を新しくしてから間もなくのことだった。
「申し訳ございません、ライズ様」
唐突に男が口を開く。
「で、なんの用かしら」
ライズの言葉には、男を訝しむ感情が含まれている。
「私はもうシリウスとは、」
「ギルドとは関係ありません。これは俺の個人的な頼みです」
男は半身を起こす。
「その首枷のことかしら」
男は小さく頷く。
「経緯は聞いてもいいのかしら」
「……」
男は答えない。
「なるほどね。そのモジュレータは、誰かに付けられたのね。で、たぶん、ウイルス入りのプレートを吸わせられた」
男は頷き、
「これを外すことはできるでしょうか」
「恐らくね。でも、その前に聞きたいことがあるわ」
ライズはふっと表情を崩し、
「妹さんは元気?」
と、言った。
「どうしてそれを……」
「ライザから聞いたことがあってね。七年前の、終戦の翌日──私と同じように、ギルドを辞めた人がいたって」
それもその理由というのが、病弱な妹の静養のために、和平条約を結んだばかりのゼノン公国にあるオーバーバウデンという温泉郷に移り住むというものだった。
ライズは自分が辞める理由と同じく、守るべき大切なもののために生きることを選んだ男に、妙な親近感を覚えていた。
だからこそ、七年経った今でもはっきりと、
「名前は、ジード。ジード=スケイル。あってるわよね?」
男はライズに自分のことが知られているとは、思ってもみなかった。
「いいわ。シリウスじゃなくて、あなた個人の頼みというのなら、特別に叶えてあげましょう。用事はそれだけ?」
ジードは間をおき、頷く。
ライズは優しく微笑む。
立ち上がり、ジードを椅子に座らせ、手が届くくらいの距離に立つ。ライズの左腕の『ルイン』が鈍く光り、それに伴い、目まぐるしい速さで印が結ばれていく。
言葉を発することなく、ライズの魔法が完成する。
ライズが両手で包み込むようにしてジードの首枷に触れると、枷は音もなく外れ、まっすぐ床に落ちた。
だが、その瞬間──ジードの右手から閃光が走り──その狙いは寸分違わずライズの首筋を捉えていた。
鮮血が部屋中に飛び散り、切断されたライズの首が壁に勢いよくぶつかって跳ね返り、ジードの足元に転がる。
ライズは床に崩れた。
血だまりが床を這うように広がっていく。
「……すまない」
ジードは血で濡れた剣を落とし、ぽつりと呟いた。その表情からは、どんな感情も窺い知ることはできなかった。
『妹さんは元気?』
先ほどのライズの言葉が耳につく。
人を殺したのは初めてのことではなかったが、その時は、戦争という特殊な状況下だった。今回は違う。
シリウスに対する裏切り行為に他ならない。
罪悪感──
やるせない気持ちが、胸を圧迫する。
肉親を斬り捨てたかのような、えもいわれぬ感触が右手に残っている。
いかに『破滅の魔女』と呼ばれたライズと言えど、あの無防備な状態で攻撃を避けることなどできるはずがなかった。
ジードが立ち尽くしていたのは、時間にすると四秒弱──
「ふうん、魔法剣ね。なにを隠してるのかと思ったらそんなものか」
「っ!」
ジードが驚いて視線を足下にやると、切断された首と死体は跡形もなく、床一面の鮮血も消えていた。
「下手クソな芝居だったな」
穏和な表情は消え失せ、ライズは鋭い眼光で男を見据える。
強烈な威圧感。
全身が総毛立ち、ジードは一歩も動くことができない。
「私の生活を脅かす者は、誰であろうと殺す」
絶対に逃げきることはできないと、ジードは悟った。ただ、妹のことだけが気がかりだった。ひどく頼りない妹が、無事に解放された後、この先ひとりで生きていけるのか。
「痛みは感じない、一瞬で跡形もなく消してやる」
「……そうしてくれ」
「えらく往生際がいいんだな」
「俺の仕事は終わった。ひとつだけ……心残りがあるが、もういい。殺してくれ」
両目を閉じ、ジードは死を待つ。
ところが、なかなかライズから一撃は放たれなかった。そして、
「やめたわ。殺してあげない」
「え?」
目を開けると、ライズは柔らかな表情に戻っていた。それとは対照的に、なぜだという顔をするジード。
「だって、脅されてるのでしょう? 妹さんが攫われて、私の命が返す条件とか。相手は、ゼノンの反政府組織ってところかしら。でもあなたを束縛していた首枷は……シリウスも一枚噛んでるのかしら?」
ジードは答えられない。
「もう喋っても大丈夫よ。首枷と同時に、指輪のも解除しておいたから」
ライズが指差す先に、銀色の指輪が割れ落ちている。
「……どうしてそこまで」
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ジードはライズの予想を大筋で肯定し、より深い事情を話しはじめた。
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