オメガ

白河マナ

文字の大きさ
4 / 39
第1章 サタナエルの息吹

1-3

しおりを挟む
「倒れたのはただの疲労からだわ」

 ライズは井戸水を汲んで戻ってきたリットに説明した。やはり特に外傷はなく、魔法を使う必要がないということも。
 しかし、ライズはしきりに何かを考えている様子だった。

「お爺ちゃん呼んでくる? もしかしたら悪い人かもしれないよ」

「今日はもう遅いから明日にしましょう」

 好奇に満ちた瞳で、男の顔を覗き込んでいるリットに言う。

「さあ、あなたはもう寝なさい」

「お母さんは?」

 首を左右に振って娘の頭に手をのせる。

「あなたには朝になったら、お爺ちゃんの所に行ってきてもらうわ。おやすみなさい」

 額にキスをして娘を部屋へと促す。
 リットは黙って頷き、パタパタと足音をたてながら自室へと向かった。

「………」

 魔法の光が室内を淡く照らす。
 ライズは、ベッドの脇に椅子を置いて座る。男が目を開けたのは、光の球を新しくしてから間もなくのことだった。

「申し訳ございません、ライズ様」

 唐突に男が口を開く。

「で、なんの用かしら」

 ライズの言葉には、男をいぶかしむ感情が含まれている。

「私はもうシリウスとは、」

「ギルドとは関係ありません。これは俺の個人的な頼みです」

 男は半身を起こす。

「その首枷くびかせのことかしら」

 男は小さく頷く。

「経緯は聞いてもいいのかしら」

「……」

 男は答えない。

「なるほどね。そのモジュレータは、誰かに付けられたのね。で、たぶん、ウイルス入りのプレートを吸わせられた」

 男は頷き、

「これを外すことはできるでしょうか」

「恐らくね。でも、その前に聞きたいことがあるわ」

 ライズはふっと表情を崩し、

「妹さんは元気?」

 と、言った。

「どうしてそれを……」

「ライザから聞いたことがあってね。七年前の、終戦の翌日──私と同じように、ギルドを辞めた人がいたって」

 それもその理由というのが、病弱な妹の静養のために、和平条約を結んだばかりのゼノン公国にあるオーバーバウデンという温泉郷に移り住むというものだった。
 ライズは自分が辞める理由と同じく、守るべき大切なもののために生きることを選んだ男に、妙な親近感を覚えていた。
 だからこそ、七年経った今でもはっきりと、

「名前は、ジード。ジード=スケイル。あってるわよね?」

 男はライズに自分のことが知られているとは、思ってもみなかった。

「いいわ。シリウスじゃなくて、あなた個人の頼みというのなら、特別に叶えてあげましょう。用事はそれだけ?」

 ジードは間をおき、頷く。
 ライズは優しく微笑む。

 立ち上がり、ジードを椅子に座らせ、手が届くくらいの距離に立つ。ライズの左腕の『ルイン』が鈍く光り、それに伴い、目まぐるしい速さで印が結ばれていく。
 言葉を発することなく、ライズの魔法が完成する。
 ライズが両手で包み込むようにしてジードの首枷に触れると、枷は音もなく外れ、まっすぐ床に落ちた。





 だが、その瞬間──ジードの右手から閃光が走り──その狙いは寸分違わずライズの首筋を捉えていた。





 鮮血が部屋中に飛び散り、切断されたライズの首が壁に勢いよくぶつかって跳ね返り、ジードの足元に転がる。
 ライズは床に崩れた。
 血だまりが床を這うように広がっていく。

「……すまない」

 ジードは血で濡れた剣を落とし、ぽつりと呟いた。その表情からは、どんな感情もうかがいい知ることはできなかった。

『妹さんは元気?』

 先ほどのライズの言葉が耳につく。
 人を殺したのは初めてのことではなかったが、その時は、戦争という特殊な状況下だった。今回は違う。

 シリウスに対する裏切り行為に他ならない。
 罪悪感──
 やるせない気持ちが、胸を圧迫する。

 肉親を斬り捨てたかのような、えもいわれぬ感触が右手に残っている。
 いかに『破滅の魔女』と呼ばれたライズと言えど、あの無防備な状態で攻撃を避けることなどできるはずがなかった。
 ジードが立ち尽くしていたのは、時間にすると四秒弱──

「ふうん、魔法剣ね。なにを隠してるのかと思ったらそんなものか」

「っ!」

 ジードが驚いて視線を足下にやると、切断された首と死体は跡形もなく、床一面の鮮血も消えていた。

「下手クソな芝居だったな」

 穏和な表情は消え失せ、ライズは鋭い眼光で男を見据える。
 強烈な威圧感。
 全身が総毛立ち、ジードは一歩も動くことができない。

「私の生活を脅かす者は、誰であろうと殺す」

 絶対に逃げきることはできないと、ジードは悟った。ただ、妹のことだけが気がかりだった。ひどく頼りない妹が、無事に解放された後、この先ひとりで生きていけるのか。

「痛みは感じない、一瞬で跡形もなく消してやる」

「……そうしてくれ」

「えらく往生際がいいんだな」

「俺の仕事は終わった。ひとつだけ……心残りがあるが、もういい。殺してくれ」

 両目を閉じ、ジードは死を待つ。
 ところが、なかなかライズから一撃は放たれなかった。そして、

「やめたわ。殺してあげない」

「え?」

 目を開けると、ライズは柔らかな表情に戻っていた。それとは対照的に、なぜだという顔をするジード。

「だって、脅されてるのでしょう? 妹さんがさらわれて、私の命が返す条件とか。相手は、ゼノンの反政府組織ってところかしら。でもあなたを束縛していた首枷は……シリウスも一枚噛んでるのかしら?」

 ジードは答えられない。

「もう喋っても大丈夫よ。首枷と同時に、指輪のも解除しておいたから」

 ライズが指差す先に、銀色の指輪が割れ落ちている。

「……どうしてそこまで」

「そんなことより事情が聞きたいわ」

 ジードはライズの予想を大筋で肯定し、より深い事情を話しはじめた。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

処理中です...