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第9章 慟哭
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ライザは三日ぶりに王都を歩いていた。
道の途中でシオンと別れ、わき目も振らずに通りを抜け、石塀に沿って歩いて正面の門をくぐる。玄関にたどり着きノブに手をかけ、ドアを開ける。
「おかえりなさい」
顔を上げると名前のない少女が待っていた。
「ただいま」
晴れやかに微笑むライザ。
「おかえりなさい、おかあさん」
「……」
おかあさん?
ライザは、少しの間、その意味を理解することができなかった。少女にそう呼ばれたことはこれまでになかったからだ。
いつも少女はライザのことを院長先生と呼ぶ。
「はなしがあるの」
ライザは少女の話の途中にいなくなってしまったことを思い出す。
「なにかしら」
「わたし、いんちょうせんせいの……ほんとのこどもじゃないけど、」
少女はいったん言葉を切る。
「ずっと、おかあさんになってほしいと、おもってた」
少女はローブを脱ぐ。
腕や足などの皮膚の表面に膿みのようなシミが広がっている。魔法士のみに感染するウイルス『メリッサ』の影響だ。下着の上からもそれが全身に亘っていることがわかる。見ていて痛々しい。
「わたし、きたないこだから」
そうじゃない。
そうじゃないのよと心の中で呟き、ライザは唇を噛んだ。
「こんなからだだから、いんちょうせんせいにきらわれてもしかたない」
ライザはこの時──自分がどれだけ少女のことを追い詰めていたのかを知った。以前、カチュアに『待ってるんですよ、あの子は』と言われたことを思い起こす。
「でも、」
少女は微笑む。
「わたしを、いんちょうせんせいの、こどもにしてほしい。わたしに……なまえをつけてほしい」
祈るような目をしてライザに訴える。
「これ、ぷれぜんと」
脱いだローブのフードの中からシロツメ草で作った綺麗な花冠を出し、それをライザの頭の上に乗せようとする。だが、背伸びをしても届かない。
ライザは身を屈め、それを頭に乗せてもらった。
草と花の心地よい薫りがした。
「かちゅあにならって、いっしょうけんめいつくった」
少女がどうして毎日草をむしっていたのかをライザはようやく理解した。よく見ると、少女の両手は切り傷だらけだった。
「おくれたけど、たんじょうびおめでとう」
幸せそうな笑みを浮かべる。
おかあさん、 再び少女はライザのことをそう呼んだ。
少女は、少女に対して何もしてこなかった自分のことを母と呼び、手作りのプレゼントをくれた。
その現実を認識した時、ライザを襲ったのは、抑えきれない感情だった。
言葉にならない何かが鼓動を早め、胸が熱くなる。呼吸が苦しい。
こらえきれず、少女のことを抱きしめる。少女が苦しくならないように優しく抱きしめたまま、声を詰まらせて泣いた。
少女に頬を寄せる。ライザの涙が少女の頬を伝う。
「うれしくなかった?」
泣いているライザに不安そうな顔をする。
「嬉しいに……決まってるじゃない」
「だったら、なかないで」
ライザは少女の言葉に応じようとしたが、うまく笑うことができなかった。だがその表情は、少女を愛おしく想う気持ちに溢れていた。
◇ ◆ ◇
リットはどこだかわからない場所にいた。
見たこともない大きな建物があり、タイル張りの道、綺麗な噴水、形を整えられた植木や切り揃えられた芝生──見慣れない景色をぼんやりと眺めながらあてもなく歩いた。
心の中は空洞だった。
知らない街に来て、何日かが経った。ライズは目を覚まさなかった。今も死んだように病院のベッドで眠っている。
リアの村が無くなったことを知らされた。
村の惨事は記憶に残っていた。
倒壊した家屋、村のみんなの死体、赤い世界、生暖かい血の臭い、それらはすべて現実だったのだ。
これからどうなるのだろう。
ライズが目を覚まさなかったら、そう思うとリットは不安に押し潰されそうだった。哀しくて、寂しくて、どうしようもなく心細かった。
「あのー」
背の高い髪の長いローブを着た女の子が立っていた。分厚い本を大事そうに持って、やや困った顔をしている。
「隣……座ってもいいですか」
リットはそう言われて自分が細長いベンチの真ん中に座っていることに気づく。下を向いたまま、うんと返事をしてベンチの端にずれる。
「ありがとうございます」
柔らかく笑い、女の子は座って本を広げる。リットは下を向いて胸の奥から沸き起こる哀しみを堪えていた。
本のページをめくる音が規則的に耳に入る。
「どうしたの」
いつやってきたのか、ぶかぶかのローブを着た小さな女の子がリットの顔を下から覗き込んでいた。
「かちゅあのともだち?」
「いえ、私もさっき会ったばかりです」
二人の明るい声は、リットの心の琴線に触れる。
瞳から雫が落ちる。静かにしてとリットは言った。美しい澄んだ白色の瞳から止め処なく涙が溢れて、リットの太腿を濡らした。
「どこか痛い?」
大きく首を振って否定する。
「う……えぐっ………」
二人が温かい声をかければかけるほど、哀しみは増していった。
リットは母親が怪我をして何日も目を覚まさないと言った。最初のうちはうまく言葉にならなかったが、一言ずつ話をしていくうちに落ち着きを取り戻していった。二人はリットの話を自分に起こった出来事のように真剣に聞いてくれた。
そのうちにリットは泣き止み、二人に礼を言って自分の名前を告げた。
そして母親のいる病院へと戻っていった。
道の途中でシオンと別れ、わき目も振らずに通りを抜け、石塀に沿って歩いて正面の門をくぐる。玄関にたどり着きノブに手をかけ、ドアを開ける。
「おかえりなさい」
顔を上げると名前のない少女が待っていた。
「ただいま」
晴れやかに微笑むライザ。
「おかえりなさい、おかあさん」
「……」
おかあさん?
ライザは、少しの間、その意味を理解することができなかった。少女にそう呼ばれたことはこれまでになかったからだ。
いつも少女はライザのことを院長先生と呼ぶ。
「はなしがあるの」
ライザは少女の話の途中にいなくなってしまったことを思い出す。
「なにかしら」
「わたし、いんちょうせんせいの……ほんとのこどもじゃないけど、」
少女はいったん言葉を切る。
「ずっと、おかあさんになってほしいと、おもってた」
少女はローブを脱ぐ。
腕や足などの皮膚の表面に膿みのようなシミが広がっている。魔法士のみに感染するウイルス『メリッサ』の影響だ。下着の上からもそれが全身に亘っていることがわかる。見ていて痛々しい。
「わたし、きたないこだから」
そうじゃない。
そうじゃないのよと心の中で呟き、ライザは唇を噛んだ。
「こんなからだだから、いんちょうせんせいにきらわれてもしかたない」
ライザはこの時──自分がどれだけ少女のことを追い詰めていたのかを知った。以前、カチュアに『待ってるんですよ、あの子は』と言われたことを思い起こす。
「でも、」
少女は微笑む。
「わたしを、いんちょうせんせいの、こどもにしてほしい。わたしに……なまえをつけてほしい」
祈るような目をしてライザに訴える。
「これ、ぷれぜんと」
脱いだローブのフードの中からシロツメ草で作った綺麗な花冠を出し、それをライザの頭の上に乗せようとする。だが、背伸びをしても届かない。
ライザは身を屈め、それを頭に乗せてもらった。
草と花の心地よい薫りがした。
「かちゅあにならって、いっしょうけんめいつくった」
少女がどうして毎日草をむしっていたのかをライザはようやく理解した。よく見ると、少女の両手は切り傷だらけだった。
「おくれたけど、たんじょうびおめでとう」
幸せそうな笑みを浮かべる。
おかあさん、 再び少女はライザのことをそう呼んだ。
少女は、少女に対して何もしてこなかった自分のことを母と呼び、手作りのプレゼントをくれた。
その現実を認識した時、ライザを襲ったのは、抑えきれない感情だった。
言葉にならない何かが鼓動を早め、胸が熱くなる。呼吸が苦しい。
こらえきれず、少女のことを抱きしめる。少女が苦しくならないように優しく抱きしめたまま、声を詰まらせて泣いた。
少女に頬を寄せる。ライザの涙が少女の頬を伝う。
「うれしくなかった?」
泣いているライザに不安そうな顔をする。
「嬉しいに……決まってるじゃない」
「だったら、なかないで」
ライザは少女の言葉に応じようとしたが、うまく笑うことができなかった。だがその表情は、少女を愛おしく想う気持ちに溢れていた。
◇ ◆ ◇
リットはどこだかわからない場所にいた。
見たこともない大きな建物があり、タイル張りの道、綺麗な噴水、形を整えられた植木や切り揃えられた芝生──見慣れない景色をぼんやりと眺めながらあてもなく歩いた。
心の中は空洞だった。
知らない街に来て、何日かが経った。ライズは目を覚まさなかった。今も死んだように病院のベッドで眠っている。
リアの村が無くなったことを知らされた。
村の惨事は記憶に残っていた。
倒壊した家屋、村のみんなの死体、赤い世界、生暖かい血の臭い、それらはすべて現実だったのだ。
これからどうなるのだろう。
ライズが目を覚まさなかったら、そう思うとリットは不安に押し潰されそうだった。哀しくて、寂しくて、どうしようもなく心細かった。
「あのー」
背の高い髪の長いローブを着た女の子が立っていた。分厚い本を大事そうに持って、やや困った顔をしている。
「隣……座ってもいいですか」
リットはそう言われて自分が細長いベンチの真ん中に座っていることに気づく。下を向いたまま、うんと返事をしてベンチの端にずれる。
「ありがとうございます」
柔らかく笑い、女の子は座って本を広げる。リットは下を向いて胸の奥から沸き起こる哀しみを堪えていた。
本のページをめくる音が規則的に耳に入る。
「どうしたの」
いつやってきたのか、ぶかぶかのローブを着た小さな女の子がリットの顔を下から覗き込んでいた。
「かちゅあのともだち?」
「いえ、私もさっき会ったばかりです」
二人の明るい声は、リットの心の琴線に触れる。
瞳から雫が落ちる。静かにしてとリットは言った。美しい澄んだ白色の瞳から止め処なく涙が溢れて、リットの太腿を濡らした。
「どこか痛い?」
大きく首を振って否定する。
「う……えぐっ………」
二人が温かい声をかければかけるほど、哀しみは増していった。
リットは母親が怪我をして何日も目を覚まさないと言った。最初のうちはうまく言葉にならなかったが、一言ずつ話をしていくうちに落ち着きを取り戻していった。二人はリットの話を自分に起こった出来事のように真剣に聞いてくれた。
そのうちにリットは泣き止み、二人に礼を言って自分の名前を告げた。
そして母親のいる病院へと戻っていった。
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